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夢夜行  作者: 砂原樹
3/3

裏2

 この関係は友人というには歪だ。

 なぜなら俺は、毎夜夢で沙耶を傷つけてばかりいる。

 それでも、沙耶に対しての指令は子供が日常的に遭遇するような、些細な不幸が透けて見えるものが多い。それが唯一の救いだった。

 仕方がないと諦観していた義務的な作業に、情が混じるようになったのはいつからだっただろう。

 夢だとわかっている。必要悪だともわかっている。

 だけど、俺の行動に沙耶が顔を顰める度に、心が痛む。

 それでも、沙耶が俺の近くにいる限りは、この行為をやめる訳にはいかないのだ。




『身体を拘束し、連れ去って暴行しろ』

 ある日夢の中で下された指令に、息を飲んだ。

 目の前には、歩いている沙耶の後ろ姿がある。周囲はどことなく薄暗く、人気がない。

 少しずつ遠ざかる背中を前に、混乱が渦巻く頭を抱える。

 いつもとはまるで趣旨が違う。どうして、沙耶にそんなことを。

 ──誘拐?

 思い至った可能性に愕然とする。そんな、何故、どうして。

 沙耶が一体何をしたっていうんだ。

 呆然と立ちすくみ、無意識に足が後ろに下がる。

 嫌だ。やりたくない。例え夢でも、そんな命令、聞きたくない。

 ああ、でも、ここで俺がやらないと、明日沙耶が誘拐されてしまうかもしれない。

 手元にはいつの間にか縄が握られていた。これで沙耶を縛れと言うことなのだろうか。

 意を決して踏み出した足は、笑いたくなる程震えている。


『湊?』


 のろのろと歩を進めていると、不意に俺に気づいた沙耶が振り返る。呆然と見返した俺を見て、沙耶は踵を返して近寄ってきた。

 夢で沙耶に声をかけられるのは初めてだった。いつも気づかれる前に、早く終わらせたい一心で行動してきたから。

 いや、俺が沙耶の顔を見たくなかっただけだ。見てしまったら、傷つけることが出来なくなる。


『どうかした? 具合でも悪いの?』


 手にした縄を握りしめる。眉を下げて心配を声に滲ませる沙耶を、直視することが出来ない。

 この縄で沙耶を縛りあげて、誰も来ないところへ連れ去って、誰も助けが来ない絶望を彼女に知らしめるのか。

 そうして彼女に恐怖を与えながら、懇願の声も涙も無視をして、殴るのか。

 殴って、蹴って、あざと傷だらけにして。

 それをいつまで続ければいい?

 沙耶が誰かに助けられるまで?

 ──死ぬまで?


 想像するだけで気が狂いそうだった。

 息が詰まる。無理だ。俺には出来ない。

 手の中にあった縄を投げ捨てる。そのままの手で沙耶の手を掴み、俺は宛もなく駆け出した。

 逃げないと。

 そうだ、逃げよう。明日事がおきることは分かっているんだ。沙耶を傷つけさせたりしない。誘拐なんてさせやしない。絶対に、守りきってみせる。

 その時は、そう思っていた。




 俺は沙耶を守りきることが出来なかった。

 学校からの帰り道、俺は家まで沙耶を送った。今日は両親の帰りが遅いから、早く帰りたくないという沙耶を宥めて、いつも通るという裏道は避けさせて、あえて大通りを通れるように道を選んだ。

 それでも、沙耶の家が閑静な住宅街にあるものだから、どうしても裏道を使う必要は出てくる。そこを通った時、通りにぽつんと黒い車が停まっていた。その近くで俺は頭を殴られて、沙耶は口を塞がれて、車で連れ去られて。


 その後保護された沙耶はぼろぼろで、いつもの爛漫さはなりを潜め、目は絶望に曇っていた。そのまま病院へ運ばれた沙耶は、しばらくしてそのまま転校した。

 一度だけ、見舞いに行ったことがある。被害にあってから数日後、傷の手当も済ませた包帯だらけの沙耶に、俺は開口一番に言われたのだ。

 誰? と。

 彼女は誘拐されたことを忘れていた。そして、俺に関する記憶も、すっぽりと抜け落ちていた。

 他の何も損なわれていないのに、ただ、その二点だけが、彼女の中から消えている。


 俺の存在は沙耶にとって忘れ去りたいものだったのだろうか。

 そんな自問をする度、返されるのは自嘲に塗れた自答だ。

 俺のこの碌でもない呪いが全ての元凶なのだ。忘れられて当然だろう。

 それで沙耶が笑えるようになるのなら、俺は別に構わない。

 これでやっと、離れられるんだ。もう夢で沙耶を傷つける必要は無い。呪いに怯え、沙耶の身を案じる必要も無い。喜ばしいことじゃないか。

 沙耶が遠くに行ってしまって、この先もう、会うことは無いのだと思っていた。

 思って、いたのだけれど。




 同じ大学で再会するなんて、どんな偶然だろう。

 唇を噛み締めて、手の中の包丁を握りしめる。

 目の前に居る女性は、記憶の中よりも大分背も髪も伸びて、雰囲気も大人びている。

 その感慨に浸る余裕もなく、俺は掌中の凶器を振り上げた。

『刺し殺せ』

 お前をこの手にかけるのは、今日で一体何度目だ。


 どうして毎夜、沙耶が夢に出てくるんだ。

 見かけたのは一度きり。それ以降は遠目ですら姿を見かけたことは無い。だいたいあの時だって、目すらあっていなかったじゃないか。

 ただすれ違っただけだ。沙耶は俺を認識すらしていない。

 なのに、どうしてこの呪いは沙耶を標的に定めるんだ。

 掌が真っ赤に染まる。倒れた彼女の目は、薄い涙の膜がはったまま、無機質なものに成り果てた。その傍らに膝をついて、震える手で胸の包丁を引き抜く。

 そこからどぷりと溢れ出る血は、やけに鮮やかで生々しい。

 殺したくない。殺したいわけがない。

 それでも、ここで殺さないと、沙耶が現実で死んでしまうかもしれない。

 昔の誘拐の時の記憶は、強烈なトラウマとなって俺を抉る。

 あの日俺は沙耶を守りきれなかった。でも次は、失敗したじゃ済まされない。

 いくら心が擦り切れてもいい。夢で沙耶を殺すことで沙耶が生き延びられるなら、何度だって殺してやる。殺して、殺して、──殺して。

 夢だとわかっているのに、時々現実かと錯覚する。手に伝う感覚が生々しすぎて。彼女の表情が、あまりにもリアルで。

 いつまで続ければいい。

 いつになったら、この悪夢は終わるんだ。

 夜毎手の中に現れる凶器と、無慈悲な殺人教唆。

 気が狂いそうだ。

 あと何度繰り返せば、この夢を越えられるのだろう。



 *



 離れていても近づいても変わらないのなら、傍にいようと思った。

 真下で静かな寝息をたてる沙耶を眺める。その寝顔は安らかで、安心しきったように俺にその身体を預けていた。


「……悪い、沙耶」


 お前がいくら悪夢を見ようと、俺はお前を殺し続けなきゃならない。

 きっと、元を絶たないとこの悪夢は終わらない。誰かが沙耶を殺そうとしている。そうでもなければ、こんなに毎夜同じ夢が続くわけが無い。

 それとも、ここで死ぬのが彼女の運命とでも言うのだろうか。

 冗談じゃない。

 絶対に、死なせたりするものか。


 授業終了のチャイムが鳴る。遠くで人々がざわめき出す空気を感じながら、俺は沙耶の肩を揺さぶった。


「戸叶、起きろ」

「……ん」


 緩慢に身体を起こす沙耶はまだ眠そうだ。とろんとした目で今にも二度寝をしそうな様子に今一度声をかける。


「起きろって。次授業取ってるんだろ」

「あー……うん、さんきゅ」


 一度大きく伸びをした沙耶は一つ息をついて、ベンチの背に凭れた。ぼんやりと空を見上げるその目には、まだ眠気が残っている。

 でも、どうやら今度はちゃんと起きたらしい。


「夢見てた」

「夢?」

「うん、小学生位の子供に戻ってさ、子供の湊と遊ぶ夢」

「……へえ」

「楽しかったなー……」


 ぼんやりとした声音で言う沙耶に、過去を思い出した様子はない。

 ただの夢だ。たわいも無い夢。

 でも、楽しかったという沙耶に、ほんの少しだけ救われた気がした。


 さてと、と言いつつ立ち上がった沙耶は、数歩進み出てから俺を振り返る。

 少しの間俺の顔を見てから、ふと首を傾げる。


「湊は授業行かないの?」

「俺は今日は一限だけ」


 そう言うと沙耶はきょとんとしてえ、と声を上げた。


「もう次三限になるけど。なんで帰らないの?」


 しまった。墓穴を掘った。

 不思議そうな顔をする沙耶から視線を逸らす。数秒考えを巡らせるが、上手い言い訳は思い浮かばない。


「……そういう気分だったんだよ」


 視線を振り払うように手元の本に目を落とす。

 沙耶はふうん、と納得したのかしてないのかよく分からない相槌を打って、立ち上がった。


「じゃあ行くわ。またね、湊」


 顔を上げないままにひらひらと手を振る。そうして遠ざかる気配を見届けてから、脱力した。

 気づかれてはいないだろうか。ここは木陰になっているから、気づかれにくいとは思うけど。

 顔が熱い。


「……っ」


 お前に会うために待ってた、なんて恥ずかしくて言えるかよ。

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