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少女との出会い

 鉄錆のような臭いで満たされた路地に、わたしは居た。


 臭いの元をたどれば、自ずと答えは見えてくる。幾度となく経験していることだ。


 一歩、また一歩。臭いの元へと足を向ける。突き当りを曲がったところに、『それ』はあった。


 石畳は、全てが血に染まり、一雨あったかのような水溜りができている。ざっと2,3体分だろうか……原型を留めておらずはっきりとしない。


 わたしは、肉塊の一つに近付き、塊を錆びれたナイフで削ぎ取る。削ぎ取った肉片を頭上に掲げ、手のひらでギュッと握るとなまめかしく光る鮮血が絞り出された。手から零れ落ちる鮮血を口で受け止める。全てを受け止めきれず、外套は溢れ出した血で汚れるが気にはしない。


 前回の摂取から、三週間は経っているだろうか。身体は既に限界と言える域に、達していたのだ。


 一頻り、血液を体内に取り込み終えると、全身針で刺されるような痛みから開放され、徐々に冷静さを取り戻すはずであった。


 普段の彼女であれば、一度摂取してしまえば一週間は血液を摂取する必要がない。だが、この日の吸血衝動はとどまる所を知らなかった。


 それは、少女にとって、はじめての経験でもあった。


 足りない、まだ満たされない……。新たな獲物を探すべく、暗い路地へと再び足を踏み入れた。




 少女の目の前には若い男の姿があった。20代手前だろうか。この男は、ここの住人じゃない。服装や立ち居振る舞いでそれがわかる。


 理想郷(ユートピア)の住人がこうして真夜中に下層区画に訪れるのは、それほど珍しい事ではない。


 あらかた、度胸試しとかそういった類のものだろう。愚かだとしか言いようがない。ここはそういう場所じゃない。数分後には死んでいてもおかしくない世界なのだから。


 ドクッドクッドクッ、心臓の鼓動が激しい。いつもの比じゃない。すぐそこに新鮮な男の血液がある。吸血したところで男は死なないし、吸血鬼にもならない。お願いしたら吸わせてくれるだろうか?


 そんなありえない思考をするまでに、この日の彼女は吸血衝動に突き動かされていた。物陰から襲いかかって、首筋に歯を当てるだけ。すぐおわる、殺すつもりはない。だから、抗わないで……。


 そう願い、少女は男に近づいた。






 今日はゆっくり休めと言われたが亮一の意識は別のところにあった。先程の王の話を疑うわけではないが、下層区画の様子を確認せずにはいられなかった。呼び止められても面倒なので、皆が寝静まった真夜中を狙って亮一は外出を試みる。


 そこかしこに警備兵の姿が見られた。深夜であっても警備の者は居るようだ。王城だからな、当たり前か。


 迷うことなく、城と外を繋ぐ扉へたどり着く。


「何者だ」


 扉付近を警護する警備兵に呼び止められる。


「王から話がなかったか? 俺は来訪者だ」


「失礼した。王より、夜間に外出されるような場合があれば通して良いとの命を受けております。どうぞ、お気をつけて」


 事前に手配してたか。気に食わない野郎だ。


「そうか。なら出させてもらうが、報告はしなくていいからな」


 警備兵にはそう告げ、王城を後にする。


 舗装された道を進んで十分もしないぐらいだろうか。王都を囲うように建設された巨大な壁へとたどり着いた。


 ここか……。7、80m以上はあるか? 壁を乗り越えての侵入は、おそらく不可能だろうな。想像以上に高い。


 しばらく内壁に沿って歩いていると王都と下層区画を繋ぐ大きな扉がそこにはあった。


 亮一は何か違和感を覚えたのか扉の前で一度立ち止まる。その違和感はすぐに判明する。


 理想郷(ユートピア)と下層区画を繋ぐ唯一の扉に警備兵が居ないのだ。扉の開閉も一人で簡単にできそうだ。それこそ子供一人でもだ。深夜だから居ないのか、いや王城には居た。何か理由があって配置していないのだろう。自問自答したところで、今の亮一にはわからなかった。


 まぁいいさ、居ないなら勝手に出させてもらうだけだ。


 理想郷(ユートピア)と下層区画を繋ぐ大きな扉は、予想通り簡単に押し開けた。


 扉を越えた先には、闇が広がっていた。鼻が曲がるような腐臭もする。異世界に来て言うのもなんだが、まるで別世界だな。人の姿は見えないが、絡みつくような視線を感じる。どこからか、監視しているようなそんな気配だ。


 壁が建設される以前、この場所の家屋にも多くの人々が住み、町は活気に満ち溢れていたのだろう。かつて舗装されていた道路、設計図を元に建設された家屋の数々がそれを物語っている。


 先ほど感じた気配は気のせいじゃなかったようだ。


「身につけているものをすべて差し出せ」


 ここの住人で間違いないだろう。


「悪い、この街に来たばかりで金目の物なんて持ってないんだ」


「黙れ。殺すぞ」


 有無を言わさない迫力が、この男にはあった。


「渡せるとしても、この首飾りぐらいだけどな」


 来訪者以外の他人が装備しても、外せないらしいので渡したところで意味も無さそうだが。


 男は無言で近づき、ナイフのような獲物で斬り掛かってきた。亮一は斬りつけられる事なく、寸前のところで躱す。


「っぶねーな。当たれば本当に死ぬぞ」 


 どうやら、俺が思っている以上にこの国が抱えてる闇は深そうだ。


「死ね死ね、死ねっ死ねえ!!」


「こっちは、素手だぞ……」


 まぁいい、幸いにもこいつの動きは単調で躱す分には問題ない。ナイフを振りかざした直後の大きなスキを亮一は見逃さなかった。


 右の足首をまわし、足首が立つように回転させ、足腰肩の3点を真横に回す。その動作から繰り出される強烈な右ストレートを男の腹部に叩きつけた。


「ぐっ……ごほっ……」


 男は体勢を崩し、膝から崩れ落ちる。どうやら意識を失ったようだ。再び襲いかかって来られるのも面倒なので、手にしていたナイフを道路の端へと蹴り飛ばす。


 入り口でこれか。この分だと奥には進めそうにないな。王の言ってた事はあながち嘘ではなさそうだ。こんな男でも救いたい気持ちがあの王にはあるんだろう。


 今の王政で不可能ならば奇跡にも頼りたくなるか。危険を犯して下層区画に足を運んたのも正解だったかもな。そう思い、下層区画を後にしようと決めた亮一に新たな手が襲いかかる。


 外套に頭巾を被っているようで、性別まではわからないが先程の男に比べかなり小柄に見える。よく見ると、外套は赤く血で染まっていた。本人の血ではないだろう、他人の血か。思考を巡らせていると、一切の言葉を発することなくその影は、俺の懐に潜り込んできた。


「っちィ! またか! どんだけ物騒なんだよ!」


 こいつも何か獲物を持っているはずだ。悪いが手加減できない。先手を取られる前に、先程男へと繰り出した右ストレートを襲いかかる影の腹部に叩き込む。


「……ッッッ」


 襲いかかって来た影は元の位置から数メートルは吹き飛び、落下先で気絶したようだ。

 

 嫌な予感がする。ぶん殴った時の感触も軽かったし、もしかしてこいつ……。


 吹き飛ばされた影の場所へと歩み寄り、深めに被っていた頭巾をそっと外した。女の子だ。それも、15そこらの少女だった。




 途切れる意識の中で、少女は思いを馳せた。


 この世界は、あまりにも醜い。理想郷(ユートピア)を知っているから? それもある。確かなのは、ここでは、強い物だけが生き残れるということ。子供でも武器を持てば大人を負かせられる。むしろ、子供であることを武器にしている者もいるくらいだ。


 女であれば、強姦されるのは常だ。弱さ故に、捕食されるのだ。言い訳なんて誰も聞いてくれない。自分の身を守れるのは自分だけだから。


 何度もそういった行為に及ぶ者の姿を見てきた。時には、されそうになったこともある。わたしを襲ってきた大抵の人物は、噛み付こうとするわたしを警戒して離れていくが中にはそれでも喰らいつく者もいた。ある時、わたしは精一杯の力で抵抗し、男の首を掻っ切ることに成功した。死んでは居なかったようだが、苦しむ男の姿を見るわたしは恐ろしいほどに冷静だった。身を護るための行動とはいえこの場所に慣れ親しんでいく、そんな自分が恐ろしくて怖い。


 ここでは、強さがすべて。わたしは、この男に負けた。わたしは犯され殺されるんだ。


 なぜ? そんなのわかってる。わたしがこの男より弱いから。どうしてこうなったんだろう……。少女は、何を恨めばいいのかわからないまま、薄れ行く意識を閉ざしていった。




 咄嗟の事とは言え、女の子に手を上げてしまった。亮一は後悔の念に駆られていた。だがそれ以上に、年端も行かない少女がこんな場所に居る事実を否定したい自分が居た。気付いた時には、気絶している少女を抱え自分に与えられた王城の一室へと足を向けていた。


  道中、警備兵に呼び止められる。正直それどころではなかったが身を置かせて貰ってる以上、伝えない訳にもいかないか。王への報告とついでに少女の衣服や食事の手配を頼み、その場を後にする。


 部屋に着き直ぐさま、少女をベッドへと横たわらせ、俺はベッド脇にある椅子へと腰掛けた。効果があるかわからないが、覚えたてのヒールは唱えておいた。しかし、その場で意識を戻すことはなかった。傷自体は問題ないだろうが。さてどうしたものかと考えを巡らせていると……。


 少女が目を覚ました。ぱっと目を見開き、綺麗な赤い瞳が俺を見定める。


「ここは……」


「目を覚ましたか。悪いな、咄嗟な事とはいえ、容赦なく殴りつけてしまった。すまない」


「それは……別にいい。襲いかかったのはこっちだし、あなたは何も悪くない。当たり前のことをしただけ」


 わたし、何もされてない……? それに、吸血衝動も収まってる。一時的なものだったようだ。良かった……。


「そうか。治療はしてあるが痛みとかはないか?」 


「へいき、大丈夫」


「目覚めたばかりで申し訳ないが、お前はあの場所の住人だよな」


「……そう。今はあの場所に住んでいる」


 今は、か。


「身寄りはいるのか?」 


「居ない。わたしひとりだけ」


「住んで長いのか?」


「十の頃から私の居場所はあの場所だけ」


 おそらく見た目からして今は十五、六だろう。少なくとも五、六年は、あの場所で生活してきたってことか。俺が考えるような仕草を取っていたからだろう、今度は少女から質問が飛んできた。


「あなたは、わたしに何をするでもなくこうして治療までして助けてくれた。何が望み? そもそもあなたは何者?」


 そうなるよな。素直に話して信じてくれるかは知らんが、俺に伝えられることはこのぐらいしか無いからな。


「俺は、今日というか昨日だな。この世界アステルと言ったか? に召喚された来訪者だよ。正直、右も左も分からないんだ。この国の成り立ちも召喚の際に聞かされただけで、召喚された実感なんて皆無だ。当然、下層区画の事も聞かされている。そこで俺は自分の目で確かめようと真夜中に王城を抜け出してあの場所を訪れた。後は、お前の知ってる通りだと思うぞ」


 今思えば、少女の前に殺意向き出しの奴に襲われていなければ、警戒を緩めていたせいで少女の奇襲で怪我を負っていただろうな。少女とは言え、存在感が希薄だった。暗殺者の世界なんて知らないが、普通の少女が出せる気配のそれではない。警戒できたのも、あの男のおかげか。襲われて感謝するなんて変な話だがな。


「話を聞かせてくれるだけで十分だ。話したくないなら、話さなくてもいい。怪我の具合も良ければ自由にしてくれていいぞ」


 来訪者の話は有名だ。親から子へと言い伝えられる。それは絵本であったり童話であったりと様々だ。当然わたしも知っている。おそらくこの男は嘘を言っていない。年端もいかない少女に嘘を付いてでも、得られるメリットがなんら無いのは明白だ。


 それに、暖かい部屋、柔らかいベッド、この男が手配してくれたのだと思われる食事。安心していい、ここにわたしの敵は居ない。


「ううん、わたしで知っていることで良ければ話す」


「そうか。言いたくなければ答えなくてもいいからな。まずはそうだな、お前を運ぶ時に食事を頼んどいた。食欲はあるか? 先にそれを処理してくれ」


 五年。固形物はほとんど口にしていない。必要がないからと言うのが一番の理由だが、吸血鬼だからといって、食べれないということはない。味覚はあるし、嗅覚も人間だった時と変わらない。それに少なからず栄養補給にもなるはずだ。この男が用意したのは、シチューだ。遠い昔、食べたことがあるから知っている。


「……温かい。それに美味しい。」


 数年ぶりに、口にした食事はすんなりと私の喉を通って身体に染み渡っていった。


「自己紹介がまだだったな、俺は田嶋亮一だ。聞き慣れないかもしれないが、呼びやすいように呼んでくれ」


「モア・クリンクヴァル。モアでいい」


「モア、今はあの場所に住んでると言ってたが、以前はこちら側に住んでたんじゃないのか?」


 モアは、手にしていた湯気の立つシチューを机に置き、俺へと向き合った。


「あなたの言う通り。十の頃までは、理想郷(ユートピア)に両親と住んでいた。あなたは知らないかもしれないけど、誰もがいつまでも理想郷へ住める訳ではないの。わたしの両親は、議会に理想郷からの追放を言い渡された。納得のいかない両親はもちろん抗議した。けれど決定は覆らなかった。わかっていたことだけどね。それでも、納得のできない両親はあろう事か議会に手を上げてしまったの。それはこの国では極刑に値する。両親は捉えられ処刑。取り残されたわたしはというと、一人下層区画へ堕とされた」


 王の発言は本当のようだ。だが疑問は残る。対象は議会によって選ばれるとのことだが、基準が不明瞭だ。理想郷で平和ボケした民が下層区画へ堕ちたところで、真っ先に身ぐるみを剥がされ最悪、屠られるだろう。わざわざ処刑なんかしなくても、死は必然だ。生き長らえたとしてもそれは地獄だろう。未来も希望もない。逆らうとこうなる。見せしめのようなものかもしれないな。不安を煽るだけにも感じるが。何にしても情報が少なすぎる。


 モアは話を続ける。


 わたしは、一人下層区画に堕ちた。すぐ死ぬ。そんなことは、幼いわたしにも分かった。死に方は分からないけど死ぬことは確定していたと思う。でも死なず今もこうして生きている。吸血鬼に会ったの。初めて見る吸血鬼、血を吸われ死を覚悟した。だけど、わたしは死ななかった。


 吸血鬼は言った。


「お前は、吸血鬼になった。これからは、血がなければ生きていけない」


 そう言ってわたしに生きる術を教えた彼女は、ある日突然わたしの目の前から姿を消したの。一緒に居た時間は一月もないぐらい。だけど、わたしはそのおかげで生き長らえた。


 わたしは、吸血鬼なの。歳を重ねる度に吸血衝動は増していった。血を吸うことを恐れていたわたしは、吸血鬼になった当初でも食事を求めて走り回った。でもね。少女が食事を手に入れるなんてことは、あの場所では不可能だった。たまたま、運良く腐りかけのパンを手に入れる機会があったの。けれど、ものの数秒で横取りされて、結局口に入れることはできなかった。


 無理だとわかっていても、食事を探すのを辞めなかった。また機会が訪れるはず、何の根拠もない夢にすがって夜の町へと繰り出したの。


 暗闇の中、路地に倒れる一人の死体を見つけた。顔は鈍器のようなもので殴られて原型はとどめていなかったけれど、わたしからパンを奪った男だってすぐに分かった。なんとも言えない気持ちだった。今思えばその日から、血を吸うことを受け入れたんだと思う。


 はじめは、小動物の血。歳を重ねる度に衝動は大きなものへと遂げた。それでも生きた人間の血を吸うことは怖くてできなかった。わたしがしたのは、死体の血を啜ること。そうやって生き長らえてきた。


 だけど、今日あなたを見かけた時のわたしは、今までにない吸血衝動を抱えていた。生きた人間の血が手の届く所にある。吸血したからと言って、死ぬわけじゃない。自分にそんな言い訳をして、あなたの元へ飛び出したの。


 これがわたしのすべて。


 そう言い、モアは冷めかけのシチューへと再び手を伸ばした。


「……聞かせてくれ。あの場所がお前の全てってわけでもないだろう。下層区画を出て別の暮らしをはじめるとかそんな考えはなかったのか?」


「あの場所が嫌で何度も町の外へ出た。なけなしのお金で宿にも泊まろうとした。だけどこんな小汚くて、得体の知れない少女を泊める物好きはいなかった。それに……。分かっていたことだけどギルドカードも剥奪されているから、この世界でわたしは人として扱われない」


 ギルドカード。確か身分証のようなものだ。これが無い者は人としての扱いを受けないとか何とか。下層区画に住まう人間がそうだ。当然モアもその一人である。


 ふと、モアが俺の懐に飛び込んできた時の事を思い出す。悪くない動きだった。


「お前ほどの強さがあれば魔物退治でそれなりにお金も手に入る」


「町の外に魔物が居ることは知ってる。退治すればお金も手に入ることも」


「ならどうしてだ?」


「人間との戦い方は知ってる。けど魔物との戦い方はわからない」


 あの場所に住んでいる人たちはわたしを含めて魔物を退治する考えそのものがないの。そんな危険を負わなくても、お金や物を持っている者から力づくで奪えばいいだけ」


 モアほどの力があれば魔物退治をし、あの場所よりもましな生活は送れると思ったが、自体はそう簡単な話ではないようだ。


 モアの話に、嘘偽りは無いように感じる。魔物との戦いがこの世界でどのように捉えられているかは不明だが、少なくとも危険という認識はあるようだ。危険を負わずに、持つべき者を討つことで物資が手に入るのであれば魔物が居ようが居まいが関係のない話なんだろう。


「そうか……。今は、吸血衝動は無いのか? お前の話だと、吸血されたところで死ぬわけではないんだろう? 俺で良ければいくらでも吸ってもらって構わんぞ」


 ユニークスキル「ドレイン」持ちの俺が他者に血を吸われるのも面白い話だが。同情? そんな感情ではなかったと思う。俺に出来ることがあって、それで他人が救われるなら、それもいいかもしれないとそう思えたのだ。人は、一人ですべての人を救うことは無理だ。それこそ、どんな願いでもを叶える奇跡でも起きない限りは。だが身近な人、限られた人であればどうだ? 特定の誰かに限定すれば実現は可能であろう。 


 決して、王に攻撃された初激が忘れられない快楽として俺の身体に染み付き、また痛みを欲しているなんてことは一切無いからな? 誰に言い訳をしてるんだろう。虚しくなってきた。


「あなたの申し出は嬉しい。けど、一度吸ってしまったら、私はその味を忘れられなくなる」


 この少女は、年齢以上に聡い。少し会話しただけでそれが分かった。考えなしの発言だったかもしれないな。今の俺の発言は捉え方によっては、一生吸わせてやると言っているようなものだ。


「どうしても抑えられない時は俺を思い出してくれればいい。今日はこの部屋でゆっくりしていけ」


「うん。わかった……。ありがとう……りょういち」


「俺は用事があるから、一度ここを離れる。安心しろ、お前に危害を与える者はここには存在しない」


 そう、モアに告げ部屋を後にした。


 モアはの心は今までに感じたことのないもので満たされていた。お母さんに褒められた時、お父さんが優しく頭を撫でてくれた時。そこには確かな愛情を感じられた。いまあるこのキモチはそのどれにも当てはまらない。だけどそれはとても心地の良いもので……。そんな感情がモアの心を埋め尽くしていた。




 王の間


「明け方にすまん。警備兵から連絡は行ってると思うが下層区画で出会った少女を俺の部屋で匿っている。食事を摂り、今は寝てるだろう。しばらくは、手を出さず見守ってほしい」


「良かろう。お前も物好きだな」


 何言ってんだ。俺が深夜に抜け出して、足を運ぶことに勘付いて予め手配してたのはてめーだろうが。


「お主は、あの場所で何を感じた」


 この国が抱えてる闇は俺が思う以上に深かった。俺の部屋に居る少女がそれを物語っている。


 あんな年端も行かない少女が、未来も希望もない地獄同然の場所で生活しないといけない現実に怒りを覚えているのは確かだ。今の今まで手を差し伸べる者が居なかったことにも憤りを感じるが、今それをここで言っても何も始まらない。


「王であれば出来ることもあるんじゃないのか」


 少しだけ感情的だったかもしれない。


「リョウイチがそう思うのも無理はない。現に私が出来る範囲で既に根回しはしているのだよ」


 王直属の信頼できる家臣達を介して、薬や衣服、生活必需品等を下層区画に流通させているとのことだった。それも王のポケットマネーからだそうだ。議会にはバレることなく慎重に根回しをしているようであった。それでも、疑問は残る。特定の誰かに行き渡るだけで、力無きものには行き渡らないのではないか?


 そう。王もこの点で頭を悩ませているのだ。


 下層区画の住人からしたらこうだ。物資が定期的に無料で手に入る。それを力あるもの達で分配する。力なきものがそれら物資を欲する場合は、取引が生じるという。取引の内容は様々だ。臓器の提供、暗殺依頼、男女問わず身体も取引材料の一つだ。


 何かを手に入れるには、何かを差し出す必要がある。この場所では、パン一つ手に入れるのも容易ではない。結局の所、力なきものはあの場所では生きていけないのだ。食事を取らなくても、血液の摂取のみで生存できるモアは不幸中の幸いだったのかもしれないな。何れにせよ胸糞悪い話には変わりないが。


 今の俺に出来ることは限られている。王はこの国を救うには、奇跡が必要だと言った。だが俺の感じたものは異なる。奇跡に頼らなくても、この国は変えていける。決定的な理由はない。この王は、嘘は言っていないが何か隠しているに違いない。そう感じた。これは勘の類いだ。少しでも引っかかりがあるのであれば、表面上は従う姿勢を見せ、情報を集めるのが最善の選択だろう。


「話はわかった。俺一人で解決の出来る問題でないこともな。正式に依頼を受けよう。他国の来訪者を倒し、魔具を揃えロアール大森林に捧げればいいんだったな?」


「お主ならそう言ってくれると信じていた。旅立ちに必要な物の準備が整い次第連絡を入れさせる」


「ああ」


 そう告げ、俺は王の間を後にした。




 王の間から自室へと戻る

 どうやら、扉の開閉音で寝ているモアを起こしてしまったようだ。


「悪い、起こしちまったか」 


 ベッドの脇に備えられた椅子に腰掛けると、モアは上半身を起こし、こちらに身体を向けた。


「大丈夫。気配には敏感なの」


 あんな場所で生活してれば、そうもなるか。


「この部屋は、好きに使ってくれていい。傷が癒えるまでは、ここで休んでいけ」


 少なくとも、俺が旅立つまでは、王も目をつぶるだろう。


「傷はもう大丈夫。あなたにこれ以上迷惑をかける訳にはいかない」


 年齢の割には聡いとは思っていたが、人に甘える行為そのものが常識の範囲外にあるんだろうな。


「そうか。それなら好きにすればいい。ただ、今日一日は安静にしてくれ」


「うん……。わかった、そうする」


 そうモアに告げ、俺はある場所を目指し、再び部屋を後にした。





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