婚約破棄?~ちゃんと確認しましょうね~
その日は御日柄も良く、卒業パーティにはぴったりの暖かな天気だった。
晴れて学園から旅立つ者達はほとんどが貴族で、城に出仕する者や、そのまま嫁ぐ者など、進路は様々であったが一様に和やかで明るい雰囲気だ。
ある一角を除いて。
各々が楽し気に雑談している中、ざわりとどよめきが起こる。
その光景はもはや見慣れたものではあったが、何もこんなめでたい場で……と訝し気に思う者達がほとんどであろう。
一人の男と女が対峙する場面を、生徒たちは在学中も幾度となく見て来た。それでもいつもと違う雰囲気に視線を向けている。
一人ぽつんと立つ女は、公爵家令嬢のウェルザ。
そして男は、この国の第一殿下であるルーカスである。彼の傍らには小柄で愛らしいご令嬢が寄り添っていて、さらに二人の後ろには数人の令息たちが侍っていた。彼らは城の重役の息子たちであり、ルーカスの護衛でもあった。
ウェルザは静かに笑みを浮かべ、不思議そうに彼らを見つめる。
「ルーカス殿下、この度はご卒業おめでとうございます」
「ウェルザ、君には失望した」
「はあ……」
祝いの言葉を向けたにも関わらず、剣吞な表情を返され、ますます意味が分からず曖昧な返事を漏らす。
「よもや、君がここまで愚かしいとは思っていなかった。少々の事には目を瞑ってきたが、私も我慢の限界だ」
「殿下、いったい何を……?」
「ウェルザ・アーネスト!ここにいるエリーに行った数々の嫌がらせは処罰に値する。君との婚約は破棄させてもらうぞ!」
しーん、とホール内は一気に静まり返った。
やけに静まり返ったのでルーカスは疑問を感じたが、部下たちと共にウェルザを睨みつけた。一方のウェルザは、ぽかーんとしていたが気を取り直して何とか笑顔を向ける。
「殿下?なにをおっしゃっているのか、意味がわからないのですが……ご説明をお願いしてもよろしいでしょうか」
「今更とぼけるなど、なんと見苦しい。エド」
「はっ」
エドと呼ばれた取り巻きの一人は、ルーカスに名を呼ばれ前に出た。
「君のやったことは調査してある。学園内での、エリーに対する暴言や暴力行為。加えて彼女の持ち物を破損させるなど、他にも数え切れぬほど罪を重ねてきたな。君の行いは、次期尋問官長である私がしっかりと見極めた。言い逃れは出来まい」
「その調査は……えぇっと、あなたがおひとりで?」
「証人もいる。普段から君の傍にいる友人たちだ。名を言えば危害を加える可能性があるため、伏せさせてもらおう」
ウェルザは最後までそれを聞いて、まだ戸惑ったようにルーカスを見た。
「それで、殿下は、その……私との婚約を破棄したい、と?」
「そうだ。そして私は新たにエリーを婚約者とする」
「その方は確か……男爵家の方だったかしら?」
「白々しい。君が身分にかこつけて卑下したのも報告されているのだぞ!」
ますます困惑した表情で、ルーカスとエリーを見た後に、再びおずおずと口を開いた。
「あの……殿下、婚約破棄というのは無理では」
「私が陛下に直訴する。問題なかろう」
「いえ、そうではなくてですね……その、私は殿下と婚約しておりませんよ?」
なんだか可哀想なものを見るような視線で、ウェルザはそっと告げる。
ルーカスたちは「は?」と間抜けな顔をした。
「ルーカス殿下が婚約しているのは、姉のシェーラですが……」
「なっ ……!?」
「確かに顔合わせの時は、私も同席しておりました。もしかして、ずっと私が婚約者だと思っていたのですか?婚約成立後、姉に一切の接触をしてこなかったので、疑問には感じていましたが」
頬に手を当て、小さく溜息をついた。
ルーカスたちの常識のない行動に呆れかえっていた周りの卒業生たちは、婚約者ではなかったと知り、そちらの方に驚愕している。第一殿下とアーネスト家のご令嬢の婚約は有名な話だし、何よりルーカスが学園で彼女に突っかかるところを見ていたので、婚約者がウェルザであると信じていたのだ。
「両親が事故で亡くなってからは、私が家督を継いでおりました。なので姉との婚約に関しましても、陛下より願い出され私が仲介したのです」
「……しかし、君から何度も手紙を」
「姉は引っ込み思案な部分がありますので、私が代わりにお手紙をしたためたのです。そのご様子ですと、中身は読んでいないのですね?姉と婚約したというのに、なぜ会っていただけないのかと幾度となく書いたのですが」
「学園で話しかけてきたではないか」
「ええ、ですから。手紙を読んでいただけないのなら、直接言うしかないではありませんか。まあ、言わせていただく機会もくださいませんでしたけれど」
責めるような視線にルーカスは、ぐっと口ごもる。
婚約した時点で彼女に興味はなく、めんどうだからと距離を置いていたのだ。そのうちエリーと出会い、ますます邪魔になったので護衛たちに妨害させた。
よもや、婚約者ではなかったのだと知ることもなく。
ウェルザを婚約者だと思ったのは、歳も同じだったし、何より婚約を契約するときに口を開いていたのは彼女だけだった。姉の方はただ付き添っているばかりだと思い、気の進まぬ婚約への当てつけに話もろくに聞かず、書類に目も通さなかったのだ。そこに書いてある名前が、姉の名前だと気づかずに。
「だが君はエリーに嫌がらせをした!」
「した覚えはありませんが」
「あなたはきっとルーカス様が好きなのね。だから私にひどいことを……」
エリーが震える声でそういうが、ウェルザは眉を下げる。
「私は殿下と彼女ともクラスが違うので、遭遇する可能性は低いですし、苦言を告げるのであれば、それは彼女ではなくルーカス殿下、あなたにです。私は領地の管理をしているので忙しいのですよ。休み時間を利用して職員室で事務作業をさせて頂いていますし、放課後もすぐに領地へ帰っています。寮にいないのは、そういう理由があるのですよ?」
学園は学年で塔が分かれており、さらにクラスも階で分かれている。移動教室くらいはあるが、廊下が混み合わないようにと配慮された時間割になっているので、別のクラス同士が廊下ですれ違うのはなかなかない。
「それにお友達ってどなたなのかしら?私が常に共に行動しているのは、私の護衛である二人です。それ以外は、会話こそしていますが、常にというわけではございませんよ?その背後関係を調べた上ですか?」
「どういうことだ!」
エドが証言した令嬢たちを見つけ怒鳴りつける。彼女たちはびくりとして「も、申し訳ありません……!」と涙目で抱きしめ合った。
「証言しなければ、い、家を潰すって……っ」
「誰にだ!」
「っえ、エリー様です……」
「嘘よ!」
エリーが顔を真っ赤にして叫ぶ。だが周囲の目はすでに、ルーカスでさえも疑いの目を向けていた。
「それから、私が殿下を好いている?ありえませんわね。だって私、結婚していますもの」
ここ一番のざわめきだった。
ウェルザは「誰が、婚約者すらも覚えない男を好きになるのかしら」と呟いたが、この騒ぎで誰にも届かない。
「けっ、結婚!?」
「ええ。ご存じなかったかしら?ああ、もしかして姉と勘違いされている方が多いのかもしれませんね」
三つ上の姉が嫁ぎ、妹は殿下と婚約、とでも思っていたのだろうか。
確かに認識としては『アーネスト公爵家の令嬢が結婚』となるだろうから、その可能性は高い。披露宴も、両親の死によって多忙となり、身内だけでひっそりと終わらせていたのだから仕方ないだろう。
「もう一年は経ちますけれど……――あら、お迎えにきてくださったの?」
「君が騒ぎの中心にいるなんて、何事かと見学していたんだよ」
「ひどいわ。さっさと助けてくれてもよかったのに」
人だかりからするりと抜けてきたのは、赤い髪に精悍な顔立ちの男性だった。穏やかで落ち着きのある彼に、思わず周りの令嬢たちはうっとりとする。
ルーカスは彼を見たことがあった。驚いて声を上げる。
「ジオルク殿……!?」
「やあ、ルーカス殿下。久方ぶりだね、覚えていたか」
ジオルクとは、五年ほど前に一度夜会で会っていた。
隣国の王族を招いたもので、代表として第二殿下と第一王女がこの国に来たのだが、いま目の前にいるジオルクは、まさにその第二殿下で間違いない。
「あなたが彼女と結婚したというのですか!?」
「アーネスト公爵家の――ウェルザの両親には私が事業を始めた際に、色々と輸入の件で世話になったんだ。亡くなった二人に何か恩を返したくて、娘の彼女が家督を継ぐと聞き手助けをしたいと……やりとりをしている内に、私が惚れてしまったんだが」
少し照れたようにウェルザに微笑みかける。
「権力争いは避けたかったし、王位は兄が継げばいいと考えていたからね。継承権は放棄してアーネスト家に婿入りさせてもらったんだよ」
「旦那とはいえ、元隣国の者に領地管理をさせるのは禁止されていますから。私が主流で動き、彼には補佐をお願いしていますの」
そういうウェルザは学園でも見たことがないほど優しく微笑み、ジオルクを見上げる。歳は七つと少し離れているが、大変だった時期にあれほど頼りがいがあり優しい男性が傍にいれば、心を寄せてしまうのは時間の問題だった。
「だから私がルーカス殿下をお慕いしているなんて、ないのですよ?」
ジオルクに見惚れていたエリーは、我に返るとぎりりっと歯を食いしばってウェルザを睨みつける。全ては彼女の自作自演だったのだろう。調べればすぐにわかることだ。こちらから何か言う事もあるまい。それを軽く無視し、ウェルザは目を細める。
「殿下、先ほどの婚約破棄の件、しかと受け取りました」
「ま、待ってくれ!あれは……」
「アーネスト家現当主である私直訴したのですもの。許可いたしますわ。この事は、陛下にも報告する義務があります。――そちらの後ろにいらっしゃる方々も、ご自分の役目を忘れ、一人の女性に現を抜かしていた事実は、学園の中でも噂になっておりましたのよ。陛下通して、父君方にも話は行くと思いますので、頭に入れておいでくださいませ」
顔面蒼白となった彼らは、何も言い返すことは出来ない。
そもそも身分では、『公爵家当主』と『貴族令息』なのだ。身もふたもない、お粗末な調査で断罪しようとしたのだから、それなりに処罰は与えられるだろう。
「もういいのでは?馬車も待たせているし、家で卒業祝いをしよう」
「そうですね。では殿下、失礼いたします。改めて、ご卒業おめでとうございました」
ウェルザは優雅に淑女の礼をして、すぐそばで待機していた護衛二人にも声をかけると、ジオルクの腕に自身のを絡めて歩き出す。
背を向けられ、視線にすら入らなくなった彼らはまるで、道化師のように滑稽そのものだった。
「しかし、あまりいい気分ではないな。愛しい妻を自分の婚約者だと思い込んでいたとは。シェーラ殿もお気の毒に」
「姉は元々の態度から、殿下には何も思ってなかったから大丈夫ですわ。すぐにいい相手を、今度は私が見つけてあげなくちゃ。夜会にも顔を出すように言い聞かせましょう」
ウェルザが婚約者と思い込んでいたとしても、実際夜会でのパートナーに声もかけられなかったので、姉のシェーラが殿下と一緒にいるということはなかった。もしあれば、事実確認くらいできたのだろうが。人見知りをするとはいえ、引きこもっては出会いもないだろう。
「私からも陛下に進言しておこうか?」
「あなたが口を出したら、隣国との関係も悪くなってしまうでしょう?私がいい顔をしなければ、次に出てくるのはあなただって陛下だって理解していますわ。私に任せて頂けます?」
姉にルーカスは合わないと思っていたウェルザは内心安堵していた。
ジオルクは頼もしい妻に頬を緩め、彼女の片手を取ると甲に唇を押し当てる。
「卒業おめでとう。ようやく『学生』から『奥さん』になってくれて嬉しいよ」
「ありがとうございます。在学中は色々と助けていただいて……これからは自由に動けますわ! あの、それに」
ジオルクと一緒にいる時間もたくさんとれますね。
頬を赤く染め呟くウェルザを、まだ馬車に乗る前だというのに抱きしめてしまったジオルクは、真っ赤になった『妻』に怒られて、それはそれは幸せそうな顔をするのだった。
息抜きに書いたらこんな感じになりました笑
一番恥ずかしいのは、次期尋問官長だと自ら言ってのけた取り巻きのエドだと思います←
おそまつさまでした( ^ω^ )