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啓示・終末へのカウントダウン  作者: 合沢 時
9/12

予兆 杏里

 テレビ局の廊下で壬生貴之と偶然すれ違った時、杏里は、新しく杏里のマネージャーとなった長谷川みどりと共に収録スタジオに向かっている途中だった。


 アイドルのバッグの中身を調べるという、よくある、どうでもいいようなバラエティ企画に出演するためであった。ジューシーラブ×2にいた頃と変わらず、歌番組への出演オファーは少ないが、バラエティ番組でも出られるだけよかった。

 それに、バラエティ番組に出るお笑い芸人たちは、番組の中では毒舌の者でも、一旦収録が終われば優しく接してくれる人が多かった。特に、あのさやかが起こした事件以降、さやかと一緒に出演することの多かった杏里に対して、色々と気を遣ってくれていた。


 番組の進行では、アイドルのバッグを何の予告もなしに控え室から持ち出して、嫌がるアイドルを後目に、中身を調べるという設定になってはいるが、それは予め打ち合わせてある。そして、笑いを取るための持ち物を仕込んである。それも打ち合わせ済みである。

 杏里の場合は、『お笑い芸人入門』という芸人になるためのハウツー本が、それであった。それをネタに、司会者のお笑い芸人とやりとりすることになる。また、見られてはまずい物は別にしておかなければならない。


 以前、こういった打ち合わせがなかった頃、ある女性アイドルのバッグにタバコとライターが入っており、その時は司会者の機転で事なきを得たことがあったらしい。

 杏里の場合は、見られて困るような物はバッグには入れていなかったが、唯一バッグの奥底に忍ばせてある警棒だけはバッグから出しておいた。長さ四十センチ程の警棒はただの警棒ではなく130万ボルトの電気を連続して放電できる最強タイプのスタンガンである。杏里が、護身用にいつも持っているものだ。



 

 杏里が、それをネット通販で手に入れたのは中学生の時である。ネットで護身用のグッズを探していてそれを見つけたとき、本来ならば、未成年者は買うことができない物であったが、護身用に欲しいと父親に頼むと一も二もなく買ってくれた。


 杏里がスタンガンを欲しがったのには理由がある。

 まだ、両親と共にF市に住んでいた頃、夏休みに小六の弟と一緒に、市の中心にある商店街に出かけた。そのころ人気だった男性アイドルのCDを買うためだった。そして、あの事件に巻き込まれた。


 商店街を弟の健太と二人で歩いていると、突然キャーという叫び声があがった。何人かの大人たちが、必死の形相で、杏里たちがいる方へ走ってきた。杏里は、二十メートルほど前方の路上に、二人の人が倒れているのに気が付いた。その下に赤いものが流れていることにも気付いた。そして、髪を振り乱した包丁を持った男が、逃げる人たちを追ってこちらに向かって走ってくることも。男が着ている派手なシャツは、赤い模様がついているアロハシャツのように見えた。しかし、そのシャツはアロハシャツのようなものではなく白いシャツが血に染まって赤い模様のように見えているのだと気付くのに、たいして時間はかからなかった。


「通り魔だ! 逃げろ! 」


 誰かが叫んでいた。杏里は、ようやく事の重大さに気付いて、健太と一緒に走った。

 ふと気がついたとき、横に並んで走っていたはずの健太がいなかった。

 パトカーのサイレンの音が聞こえた。


「通り魔、捕まったらしいぞ」


 頭上で大人たちの怒号が飛び交う中、杏里は健太の行方を捜した。事件のあった現場では、すでに警察によって規制線が張られ、救急車で運ばれたのか路上に倒れていた人の姿はなく、そこにはおびただしい血痕だけがあった。杏里は、規制線の向こうに見覚えのある靴が、片方転がっているのに気がついた。朝出かけるとき、健太が履いていた靴だ。新しく買ってもらった靴が、少し大きすぎたと文句を言いながら履いていた靴だった。そして、その靴が転がっている近くにも血痕が残されていた。

 杏里は、不安感を覚えた。杏里は思わず規制線の中に入り、その靴の所まで駆け寄った。


「こら、こら、入っちゃいかん」


 若い警官から制止された。


「この靴、弟のなんです。弟がいないんです」


 杏里がそう言うと、警官の口調は急に優しくなった。そして杏里に、弟が刺されて病院に救急搬送されたことを教えてくれ、両親への連絡先を尋ねた。


 健太が搬送されたという病院まで、パトカーで送ってもらった。杏里の横に座った女性警察官に、健太がなぜ刺されたのかを尋ねた。健太は自分よりも走るのが速かった。その健太が、あの包丁を持った男に追いつかれるとは思えなかった。目撃者からの情報では、健太が刺されたのは転んだからだということを女性警察官が教えてくれた。


 杏里はそれを聞いた時、朝出かけるときに健太が靴が大きいと文句を言っていたことを両親に言わないようにしようと思った。きっと健太が転んだのは大きすぎた靴のせいなのだ。自分たちが買い与えた靴のせいで健太が刺されたのならば、両親が気落ちするかもしれないと考えた。


 手術室の前のいすに座って、手術中と書いてある赤い表示板をじっと見ながら、杏里は健太の無事を祈っていた。

 生まれて初めて、真剣に神様にお願いした。

 後から駆けつけた両親と一緒に手術が終わるのを待った。

 健太と商店街を歩いていたときに、健太が新しく出たゲームソフトを、このゲーム面白いらしいんだよと言っていたことを思い出した。

 健太が元気になったら、自分の小遣いで買ってあげようと杏里は思った。その時、手術中を示す灯りが消えた。




 商店街で起きた、覚醒剤中毒の男が起こした通り魔事件では、五人の人が刺され、うち三人が命を落とした。そのうちの一人が健太だった。葬儀が終わった後も両親の気落ちは激しく、そんな両親の姿を見るのがつらかった。


 杏里自身にも変化があった。

 大人が多く行き来する場所には行けなくなった。大人が大勢いると怖いのだ。

 昔から見知っている隣近所のおじさんやおばさんならば、さほど怖くない。でも知らない人たちが歩いていると恐怖感を感じてしまう。


 通り魔事件に遭遇したことがトラウマとなっていた。その結果、杏里は家から一歩も出られなくなってしまった。

 担任が心配して幾度か家庭訪問をしてくれたが、杏里は担任教師に会うことも怖かった。

 担任とは中学に入ってから、たった半年ほどのつき合いでしかった。担任の本質がどこにあるのか、それも分からない以上担任に対しても疑心暗鬼になるしかなかった。


 学校に行けなくなって1年が過ぎ去ろうとしていた。

 そんな時、杏里は、たまたまインターネットで見つけた護身グッズに興味を持った。スタンガンや催涙スプレーなどの護身グッズを販売し、それが商売として成り立っているということは、それだけ今の世の中が危険だということなのだということを、杏里は改めて感じた。


 いつまでも、閉じこもっていてはいけないと思い始めていた杏里は、もしかすると自分の身を護身グッズで包むと、外に出かけることも可能ではないかと思った。

 そして、杏里は最強の護身グッズ、警棒型のスタンガンを持つようになった。そして、思った通りに、徐々にではあるが、外への外出ができるようになった。

 ただし、いつも外出するときはバッグに入れている警棒型スタンガンを握りしめていたが。


 父親の転勤で埼玉県に引っ越した後も、杏里は学校に通うときはいつもバッグに入れた警棒型スタンガンを握りしめていた。


 地元の高校に通うときも、杏里は絶えずバッグの中の警棒型スタンガンを握りしめていた。

 そして少しずつではあるが、人が大勢行き来する場所への外出も可能になっていった。


 そんな杏里が、現在杏里が所属する芸能プロダクションのスカウトマンに初めて声をかけられた時、もう少しで杏里はスタンガンを使うところだった。

 スカウトマンの名刺を出すタイミングが数秒遅れていたら、杏里はスタンガンを、相手の身体に押しつけていたに違いなかった。


 スカウトされた杏里が、芸能界入りを決意したのは、世間から注目されることが、自分の身を安全な環境におけると考えたからだ。有名人は警護の人が守ってくれるというイメージがあったからである。

 杏里が芸能界に入ることを、両親は反対しなかった。むしろ、家に閉じこもりがちであった娘の変化に喜んでくれた。

 しかし、芸能界に入ってみて、誰かが絶えず自分を警護してくれるという現実は無いことを知った。

 ボディガードに守ってもらえるのは、超がつくほど著明な有名人であり、杏里のような駆け出しのアイドルでは、せいぜいマネージャーがその役目を担っているにすぎなかった。


 したがって、ジューシーラブ×2のメンバーになっても、杏里は警棒型スタンガンをバッグの奥底にいつも忍ばせてた。

 杏里は、自分がそのような物騒な物をバッグに入れていることをジューシーラブ×2のメンバーには内緒にしていたが、一度だけ、メンバーの中でも中の良かったさやかに警棒型スタンガンを見られた事がある。

 その時は、ただの護身用よと答えて、さやかもそれ以上深く聞いてこなかったので助かった。もし、それが使いようによっては、殺傷能力ももつ物だとさやかが知ったら、さやかは自分のことをどう思っただろうと杏里は思った。


「杏里ちゃん、どうしたの? 気分でも悪いのかい? 」


 そう声をかけられて、杏里はハッとして顔を上げた。

 MCを務めていた芸人のハピネス矢田が、心配そうに顔をのぞき込んでいた。

 知らないうちに睡魔に襲われていたらしい。さやかの事件後、杏里は夜一人になると、ベッドに入ってもなかなか眠ることが出来なくなっていた。

 夢の中にさやかが出てくるのである。それも、二人のさやかが。

 夢に出てきたさやかは、何も話さないが、こっちにおいでというように手招きをする。それが自分を死の世界へと誘っているようで、杏里は怖くなる。だから、杏里は眠ることに恐怖心を覚えるようになっていた。


 なぜ、夢の中とはいえ、さやかが二人になって出てくるのか? 


 以前さやかが言っていた、もう一人の自分が見える現象、ドッペルゲンガーのことが気になった。

 先ほど壬生貴之と廊下ですれ違ったとき、彼なら何か分かるのではないかと思った。しかし、壬生も忙しそうに廊下を歩いていたし、杏里自身も収録スタジオに向かっていた途中だったので、結局壬生に声をかけることは出来なかった。

 自分の出番が終わり、控えの席に戻ったところで気がゆるんだらしい。杏里が睡魔に襲われていた時間は、ほんの数分だけだった。


「あ、大丈夫です」


 杏里は慌てて言った。


「収録中に眠っちゃだめだよ。これが生放送なら大変なんだからね。27時間番組の司会なんかさせてもらえないよ」


 そう言ってハピネス矢田が笑った。そういえば、約二ヶ月前、ハピネス矢田が27時間番組のMCを務め、その番組の中で眠っている場面を映されるという失態を演じたことを、杏里は思いだした。


「はい、今後は気を付けます」

「それはそうと、ソロシングル、リリースおめでとう」

「え? 矢田さん、知ってたんですか? 」

「もちよ。杏里ちゃん、これからが勝負だからね。がんばってよ」


 ハピネス矢田がガッツポーズをつくった。痩せぎすの矢田のガッツポーズは、どことなく頼りなかった。


「ありがとうございます」


 杏里は、ハピネス矢田の優しい気遣いに感謝しながら笑顔で応えた。

 その後の収録も順調に終わり、収録がはけたのは午後十時を少し回った頃であった。

 控え室に戻った杏里は、別の袋に入れておいた警棒型スタンガンを、再び元のバッグに戻した。やはり、スタンガンが手近にあると安心できる。


(でも、できればこれは使いたくないわ…)


 使う機会があるとすれば、何か危険な出来事が起こったときである。杏里は、そんな機会は、永久に訪れないでほしいと思った。

 しかし、その杏里の願いが叶うことはなかった。


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