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啓示・終末へのカウントダウン  作者: 合沢 時
6/12

予兆 柿田善然

少し残酷な描写があります。

 柿田善然こと柿田善子は、自分の吐く息を泥臭く感じていた。

 

 昨日、一つの拠点としているこの廃屋に戻るため、途中で下水道を利用した。

 人目に付かないようにしてここに戻るためには、仕方なかった。

 吐く息が泥臭く感じられるのは、そのせいかもしれなかった。


 倒産して廃屋になった町工場の片隅で、善子は横になっていた。

 昨日から何も食べていなかったが、空腹感は無かった。

 ここに帰ってきてから少しうたた寝はしたが、完全な睡眠はとれなかった。

 そんな日々が続いていた。


 善子は、行動を起こす前に色々と準備をしていた。拠点となる候補地をいくつか探し、そこに着替えの衣類や替えの靴、食料などを置いた。

 しかし、この場所に置いてあった食料は、昨日底をついた。


 善子は横になりながら、今日までの出来事を思った。

 昨日も一人、あっちの世界に送ってあげた。まだ、三〇代くらいの若いサラリーマンだった。出会い頭に正面から胸をサバイバルナイフでひと突きしたとき、彼は驚愕の表情を浮かべながら絶命したが、今頃はあっちの世界で、自分に感謝しているに違いないと善子は確信していた。


 善子が、自分の家族、そしてお隣さんとして親しくしていた坂下家の家族を手にかけてから一ヶ月が経とうとしていた。タイムリミットの日まで、あと僅か。それまでは、警察に捕まるわけにはいかなかった。

 一人でも多くの者をあちら側の世界に送ってあげたいと善子は思っていた。それが自分の使命なのだと感じていた。




 善子は幼い頃から、あちら側の世界に自分の意識を移動させることができた。いわゆる霊界と呼ばれる世界にだ。

 その能力はみんなが誰でももっているものだと初めのうちは思っていたが、やがてそれは自分だけの特殊な能力だと気付いた。


 霊界はこちらの世界のすぐ側にあった。そこには、無数の意識体が存在していた。こちら側の世界の言葉で言えば霊魂と表現できるだろう。

 霊界は、こちら側の世界とは微妙に違っていた。時間の流れも一定ではなく、例えれば、こちらの世界では一本道を歩いていくような時間の流れが、霊界では曲がりくねっていた。そのため一本道では、はるか遠くにしか見えない未来が、曲がりくねっていることもあって、すぐ間近に見ることができた。

 時々、漫画家や小説家が遠い未来の出来事を自分の作品の中に無意識のうちに書いていることがあるが、それは何らかの拍子に、彼らの意識が霊界に跳んでいたのかもしれない。

 

 善子の場合は、自分の意志で自分の意識を霊界に移動させ、未来に起こる出来事を知ることができた。

 その能力を本格的に使い始めたのは、夫がリストラされた時からだった。生活のため、自分の能力の有効活用を考えたのだ。

 三十六歳の春、善子は占い師を始めた。


 未来に起きる出来事を知ることが出来るといっても、全てが分かるわけではない。たまたま見ることが出来た未来しか分からなかった。

 しかし、それでも、見ることが出来た未来像を予言という形で発表しておくと、それが当たったときに、よく当たる占い師だと世間が認識した。二年も待たずに、テレビでの仕事も増え、善子は占い師としてその名声を掴んでいった。そして、善子の容姿が端麗だったこともメディア受けしていた。


 善然という占い師としての名前は、テレビ出演をすることになって箔を付けるために自らつけた名前だった。意味合いとしては、『善きことを自然に行う人』ということにした。

 しかし、今、世間では、その善然という名前は、指名手配中の凶悪な連続殺人犯として知れ渡っていた。

 深夜、夫と、まだ十二歳だった長男と八歳の娘を自宅にあった柳刃包丁で刺殺し、すぐ隣の坂下家に侵入し、寝静まっていた隣の家族四人を刺殺した。ニュースで連日取り上げられ、その凶悪な殺人鬼が未だ捕まっていないことに、世間は震撼していた。

 そして、事件から一ヶ月の間も善子は通り魔的殺人を行っていた。善子が手がけた犠牲者は、延べ十二人になろうとしていた。


 善子が、啓示を受けたのは、二ヶ月ほど前に意識を霊界に移動させていたときだった。その時から絶えず霊界にあったらしいその啓示は、善子を愕然とさせた。もともと神とかを信じていない善子であったが、もし、人間を超越した神という存在がいるのだとしたら、神はなんて残酷なんだろうと思った。

 しかし、その時は、善子はまだ半信半疑であった。もしかしたら、自分が勝手に思い込んでいるのかも知れないと考えた。


 ところが、その時期から、世界各国で異常な事件が勃発し始めた。

 部族の祈祷師のシャーマンが配合した毒薬によって、アフリカのある部族全員が毒殺されたり、フランスのある宗教団体の教祖が祈りの最中に銃を乱射し、信者が多数殺害されたり、タイでは山岳地帯のある村の村民全員が死亡するという不可解な事件が起こった。タイの事件は原因が未だ不明であったが、全ては霊能力をもった者が主導となって起きた事件だと思われた。

 いずれの事件も主導となった霊能力者も最後には自ら死を選んでいるので、その動機は分からずじまいだった。


 だが、善子には分かっていた。

 彼らも霊界で啓示を受けたのだろう。だから、より多くの者を霊界に送ろうとして大量殺人に及んだに違いなかった。

 そこにいたって善子は確信した。自分が受けた、あの啓示は本当のことなのだと。


 計画は慎重に立てなければならなかった。タイムリミットの日まで警察に捕まるわけにはいかなかった。

 善子は、先ず隠れ家となるような場所を数カ所探した。

 徒歩や自転車で移動できる距離で、誰も住んでいない、誰も訪れないような場所。

 また、そこに行くまでの間に、監視カメラが設置されていないことも条件だった。

 そして条件に見合うような場所が見つかると、善子はそこに衣類と一週間分の食料を詰め込んだバッグを隠した。

 そのような場所を十キロ圏内に六カ所つくった。そのうち三カ所のバッグには数本のナイフと包丁、それに変装用のカツラも入れた。


 全ての準備が整うと、善子は、先ず自分の家族を殺害することにした。昔からの近所つき合いで、仲の良かった坂下家の四人も霊界に送ってあげることにした。

 その日、善子は睡眠導入剤入りのスープをつくった。睡眠導入剤は、計画を立てた一ヶ月ほど前から心療内科にかかり、不眠を理由に処方してもらったものであった。そのスープを夕食に出して家族に食べさせたのは勿論だが、作りすぎたからという理由で、隣の坂下家にもお裾分けをしていた。薬の影響で夢の世界にいる者たちを刺殺するのは、比較的簡単だった。


 だが、用意周到に準備をしたつもりであったが、用意するのを忘れていて、後から気がついて悔やんだ物もあった。警察の動向を知るための道具である。

 どのような捜査が行われているかを知ることは重要であった。

 特に指名手配されているだろう自分の姿が、どのように世間に公表されているかを知ることは、逃走生活を続ける上で必要だった。スマホは持っていたが、既に電池が無くなっていた。充電器を持っていなかったのが悔やまれた。

 一番望ましいのは充電器を手に入れることであったが、今さらそれを手に入れるのは無理であった。一度だけ、代わりのスマホを手に入れる機会はあった。


 二週間前、善子が塾帰りらしい一人歩きの女子中学生を襲った時、ちょうどその女子中学生は、スマホを右手に持ち、画面に注視しながら、すばやく指を動かしていた。

 おそらくラインか何かをしているのだろう。善子が暗がりから現れても、その女子中学生は文字を打つのに夢中で全く善子に気がついてなかった。

 すれ違い様、いきなり善子からナイフで首を刺され、どうっと倒れた女子中学生は、その首筋から赤い血をどくどくと吹き出しながら、その右手にしっかりとスマホを握りしめていた。

 死の瞬間まで、彼女は自分の身に何が起きたのか理解できなかったに違いない。眼は見開いたままで、その口は何かを言おうとしたのか、少し開いていた。地面に横たわった身体は時折ピクピクと痙攣していた。


 善子は、そのスマホを手に入れようと考えた。しかし、スマホを握りしめた少女の手は既に死後硬直が起きているのか硬くて、スマホを引き剥がすことは困難だった。

 それに、女子中学生の首からどくどくと流れ出している血は、彼女が着ていた制服の白いブラウスを赤く染めながら辺りに大きな血だまりをつくり始めていた。これ以上ここにとどまることは危険だった。結局、善子はスマホを手に入れることをあきらめた。

 しかし、それが幸いした。後から知った事だが、少女が持っていたスマホにはGPS機能が付いていたので、もしスマホを手に入れていたら、善子の居場所は割り出されていたかもしれなかったのだ。


 その二日後の明け方近く、自転車で通りかかった新聞配達の若者を襲った善子は、彼が持っていた配達前の新聞の束の中から一部抜き取ってきた、

 隠れ家に帰り着いて、善子は一部血に染まった新聞に目を通した。一面トップから猟奇的殺人事件の記事が占めていた。しかし、その時はまだ、その通り魔的殺人の犯人が、あの一家惨殺の犯人柿田善然と同一人物だとは結びつけられていないようだった。


 善子は、記事の中に、警察の捜査がどこまで及んでいるかを読み取ろうと、隅々まで目を通した。

 その中に、あの記事はあった。

 某アイドルグループの一員が、自分の母親と祖父母を刺殺し、そして飛び降り自殺をしたという記事である。


 善子は、その記事を読んで瞬時にその犯人が誰なのかを悟った。以前、某テレビ番組で共演したことがあった。

 確か、ジューシー何とかというアイドルグループの一人で、名前をさやかと言っていた。 善子は、そのさやかという娘の背後に、彼女と瓜二つの霊が佇んでいたのを見ていた。おそらく、あの霊が啓示を知り、家族を守るために、何らかの方法を使って殺人に及んだのであろう。


「しかし、」と善子は思った。


 なぜ、彼女は自分のように、もっと多くの人々を救おうと考えなかったのか。啓示を受けたのなら、この世に残されて、苦しむはずの人々を一人でも助けようとしなかったのか。


 善子は、その時、新聞の記事を読みながらそう思った。



 その記事を読んでから今日までの間に、善子が手にかけた者は二人だった。誰にも見られないように、周囲に誰もいない場所で犯行に及ぶためには、その機会を得るために慎重にことを運ばなくてはならなかった。


「私が、一国の大統領なら…」


 効率の悪さからの思いは、呟きに変わっていた。


 タイムリミットの時を間近に迎え、善子は焦っていた。自分が核兵器を所有する大国の支配者であったら、核兵器発射のスイッチを押して、一度に多くの人々を霊界に送ってあげられるのにと。


 しかし、それが出来るのも、あと僅かの残された期間しか無かった。それを過ぎてしまえば、一度に大量殺人を行う核兵器は、ただの悪魔の兵器と成り下がるのだ。


「いえ、それは違う…。悪魔と呼ばれた種族も、霊界と共にいなくなるのだから…」


 善子はまた呟いていた。


 善子は、当初の計画通り、地道に事を行っていかなければならないと思い直した。それが如何に効率の悪い作業であっても。



 明け方になって、真っ暗だった廃屋の中に朝の光が窓から差し込むと、少し周りが見えるようになった。

 善子は返り血と下水の水で汚れた服を脱いだ。全てを脱いで全裸になる。この拠点には五リットル入るポリタンクに水を満タンにして置いておいた。その水とボディソープを使って、身体を入念に洗った。

 明日は、拠点の一つに移動するために、どうしても人通りの多い場所に出て行かなければならない。そのためには、身体に染みついた血とドブの臭いを消し去っておく必要があった。


 それが済むと、善子は黒の下着を身につけた。その上から清楚な服を着ていった。

 全て新品である。用意したときは善子の身体には窮屈だった服が、今は楽に着こなせた。最初の予定どおりに、逃走生活の中で体重を減らしていく計画は上手く行っていた。

 バッグからウィッグを取り出し、それを付けてから鏡を見た。一ヶ月前はどちらかというとポッチャリしていた顔が、今は痩せてほお骨が見えていた。目の下には疲労の跡が浮かび上がっていたが、それは眼鏡をかけることで誤魔化せるはずだった。

 自分のことを誰一人として、マスコミを賑わしているあの殺人鬼、柿田善然だと気付く者はいないだろうと善子は鏡を見ながら思った。


 夜が完全に明けきる前に、善子は廃屋を出た。



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