予兆 内間敦史 1
もと内間敦史であった肉体は、木の枝にくくりつけられたロープの下で、時折木々の間を通り抜けていく風にあおられて静かに揺れていた。
輪っか状になった部分に通された首の部分は長く伸び、はいていたズボンの股間の部分には、筋肉が弛緩した時に流れ出たのであろう汚物が黒い染みをつくっていた。
内間の縊死した身体は、誰にも発見されずに幾日もそこにあったからか、この辺りの山にすむカラスの餌となったのだろう、両眼の部分は既に喰われており、眼孔の部分がポッカリと空いていた。
もし、物好きな心霊マニアが、霊が目撃されることで有名な立ち入り禁止の場所のこの場所に不法に侵入しなかったら、内間敦史の遺体は白骨化されるまで発見されることは無かっただろう。
そして、内間の遺体が発見されたことが、内間から送られてきていた手紙の内容を、フリーライターの三島直人が信じることになった一因となった。
三島はフリーライターを生業としている。以前は芸能関係の記事を書いていたが、今は中小出版社が発行しているオカルト雑誌の記事を専門に書いている。
そんな三島が知り合ったのが、内間敦史という青年だった。
2年前の秋、三島は、たまたま見ていたあるテレビ番組で内間敦史を知った。
まだ大学生であった内間は、そのテレビ番組の中で透視ができる超能力者としての扱いで、ゲストが誰にも見られないようにして書いた文字を当てたり、ゲストの財布の持ち金額を一円の単位まで言い当てたりと、その透視能力を発揮していた。ただテレビ局としては、彼を超能力者ではなく、ただのマジシャンとしてみていたようだ。その証拠に、毎回同じ手順をふむ彼の透視実験に、視聴者の飽きがこないように色々なバリエーションを求め始めた。
それが、あの放送事故につながってしまったのである。その放送事故は、運悪く秋の番組編成期の生放送の特番中に起こってしまった。
一連の透視実験を終えた彼に、若手のお笑い芸人が、「内間君は色々なものが見えるなら、霊とかも見えるんじゃないの」と質問したのだ。彼が「ええ、まあ」と曖昧な返事を返すと、その若手芸人は、「例えば、美優ちゃんの後ろに霊はいる? 」と訊いてきた。若手芸人としては、彼に霊がいると答えさせ、それを聞いて怖がるであろうデビューして間もない若いアイドルをイジってうけようとしたのだろうが、これが裏目に出た。
彼はまじめな顔のまま、「ええ、彼女の後ろに二体の赤ちゃんの霊が見えます」と言ったのだ。美優という名の若いアイドルは、その言葉を聞いて一瞬驚愕の表情を浮かべ、そして眼に大粒の涙をためると、まだ本番中だというのにスタジオを飛び出していった。
その当時、二十歳そこそこだった彼が、『水子の霊』という単語を知っていたかどうかは分からない。しかし、彼が発した言葉は、瞬く間に大問題になった。生放送だったこともあり、テレビ局には彼に対する非難の声が多く寄せられた。特に美優の熱烈なファンたちからは彼を殺しかねないようなネット上の書き込みもでてきた。もちろん、美優の所属するプロダクションからもテレビ局に対して抗議があった。
そしてこの一件がもとで、彼は芸能界というメディアから干されたのだった。そして、その放送から三ヶ月後、三島が偶然彼に出会うまでは、類い希なる霊能力をもった内間敦史は、その能力を発揮する場もなく、世間から忘れ去られようとしていたのである。
三島は内間に出会ったのは、福岡市近郊にある、霊の出るトンネルとして地元ではかなり有名な場所に取材に来ていた時である。
三島は、『日本全国心霊スポットvsパワースポット』という題名で記事を書く準備をしていた。
三島が最初に訪れたのは福岡市近郊にある著名なパワースポットの太宰府天満宮だった。
ここは筑紫に流された菅原道真を祭神として祀っている神社である。京都の北野天満宮と共に全国天満宮の総本社とされ、初詣の時などは200万人近くの参詣者を集める全国にも有名な神社である。もちろん参詣者の多くは、菅原道真が学問の神様とされていることから受験生やその親が多く、三島が太宰府を訪れたときは一月の半ばだったが、社殿まで続く表参道は、まだ受験生らしい多くの参詣者で賑わっていた。
三島は太宰府や、すぐ近くにある太宰府政庁跡の都府楼で、誌面に載せるのに都合が良さそうなものを写真に撮った後、次の目的地である心霊スポットの I峠に向かった。
I峠にある、霊が出ると有名なトンネルの前まで来ると彼は車を降り、数枚の写真を撮っていた。その時、バックバッグを背負っている青年に「このトンネルでは霊は写りませんよ」と背後から声をかけられたのだ。不意に背後から声をかけられたので、場所が場所だけに三島は一瞬ビクッと体を震わせたが、ここに来る途中で、歩いているその青年を追い抜いていたことを思い出していた。
「霊が写らないって、どういうことだい? 」と三島はその青年に尋ねた。
「霊が出るって有名になったトンネルは、この上にある旧 Iトンネルなんですよ。新トンネルでは出ないようです。たまにここを訪れた心霊マニアが見たと言って騒いでますが、いませんよ、ここには。僕も見たことないし」そう言って、その青年は微笑んだ。
その時、三島は思い出していた。その青年が、三ヶ月前に芸能界から追放された内間敦史だということを。内間は透視現象を披露した後、眼を細くしてにっこり微笑むのだが、それがかわいいと一部女子から人気があった。三島も何度かその微笑みをテレビで見ていた。自分が編集している本の内容もあって、オカルトめいたものを題材にしたテレビ番組がある場合は、必ずチェックしていたからだ。
「もしかして、君は内間君かい? 」三島がそう尋ねると、内間は少しとまどった表情を見せ、それから「ええ、そうです」と短く答えた。
それから数分後、三島は内間を自分の車の助手席に同乗させていた。自分の身分を名乗り、これから向かう方向が同じならと同乗を勧めたのだ。
三島は内間が起こした放送事故の後の顛末を、芸能界の裏情報に詳しい友人から聞いて知っていた。
あの放送事故後、美優という若いアイドルはいつの間にか芸能界から姿を消していた。実は、彼女は中学の頃からかなりのヤンキーで、男遊びもかなり激しかったらしい。そして、あげく二度の中絶を経験していたという話だった。あの放送事故後、彼女の所属していた芸能事務所に匿名の投書があり、それでその事実が発覚したのだ。芸能事務所は彼女が中学時代に羽目を外してやんちゃをしていたことは把握していたらしいが、中絶のことまでは知らなかったようだ。そこで事務所の社長が自分の事務所のイメージダウンにつながりかねないように、彼女に芸能界を引退するように促したのだそうだ。
だからあの番組があったとき、内間が美優の背後に二体の赤ん坊の霊体を見たというのは、彼が間違いなく霊が見える能力を持っているという証拠に他ならなかった。そういうことを知っていたので、偶然出会った内間に興味を抱いたのだ。
「内間君は、霊が見えるのかい? 」
トンネルを抜け、その先にあるW温泉へ向かう車中で、三島はそう切り出していた。
「ええ」とだけ内間は短く答えた。それはテレビ業界とは職種が違うとはいえ、出版というメディア業界に関わっている三島を警戒しているような雰囲気だった。
「あの時も霊が見えたのかい? 」
三島は重ねて訊いた。今度も内間は「ええ」とだけ前方を見ながら呟いた。それ以降、三島は内間に彼の能力について質問するのを控えた。これ以上そのことで質問を重ねることが憚られるような、そんな雰囲気が車内に流れたからだ。
車内の空気がなぜかしら重く感じられた。その空気の重さに耐えられず、
「内間君は執筆活動に興味はあるかい? 」と、こんな質問を口走っていた。
その後、どのようなやりとりがあって、内間に執筆活動を勧めたのか、三島はその時のことをよく覚えていない。
その日の宿泊地に予定していたW温泉郷に着いた後、実家がその近くにあるという内間と別れたとき、自分の名刺を渡して連絡を待っているからと言ったことは覚えている。
その後、内間は霊的な現象についてまとめたものを何度か三島の元に送ってきて、それを記事として使わせてもらう時には、三島は自分のポケットマネーから彼に謝礼を渡していた。
その三島に内間からの手紙が届いたのは、彼の遺体が I峠がある山の中で発見される一週間前だった。
その時は、その手紙に書かれている内容が信じられなかったが、彼が自死の道を選んでいたことを知って、その手紙の内容に驚がくした。
折しも、世界各国で霊能力をもっているとされる者の事件が頻発していたこともあって、手紙に書かれていることに信憑性を与えていた。
三島は、もう一度手紙を取り出し、読み始めた。この手紙に書かれていることを記事にすべきかどうか確かめるために。
『 三島さんへ
これから、僕が書くことを、依頼されていた原稿ととるか、それともただの手紙ととるかは、あなたの考え次第です。この文を読んだ後で、あなたがどのような行動をとるかも三島さんの自由です。僕としては、この文をオーパに掲載されてもされなくても、どちらでも構いません。
さて、話はちょっと長くなります。僕がまだ幼かった頃の事から話さなければなりませんから。
三島さんも御存知のように、僕の故郷は福岡県のW温泉にほど近いところにあります。
福岡市から来るには、あの心霊スポットで有名な I峠のトンネルを通ってこなければなりません。僕は幼い頃から霊感が強く、霊を見ることが出来たのですが、あのトンネルで霊を見たことはありませんでした。霊気を感じたことはあります。おそらく、旧道の方から流れてくる霊気だったのではないかと思います。
僕の霊感が強かった理由は、僕にも分かりません。心霊スポットに近いところで生まれたことが何か関係していたのでしょうか? でも、父親も母親も全く霊感はありませんでした。だから、彼らの側に霊がいても、彼らは何も気付きませんでした。僕だけが見えていたのです。初めのうちは、霊の存在を彼らに分からせようと一生懸命説明したのですが、僕がいくら言っても彼らは笑って信じませんでした。彼らは幼かった僕が、夢で見たことを話しているとしか思わなかったのでしょう。
でも、実際、僕には何度も霊が見えていたのですから、なぜ、こんなにもはっきり見えているのに、両親は分かってくれないんだろうと思いました。霊を見ることが出来る能力をもっている者は希有でしかない、ということを知ったのは、もっと後になってからでしたから。
i峠のトンネルでは、霊を見たことがないと書きましたが、その他の場所ではよく霊を見ました。
霊の話をするときに、霊に呪われるというような、そのような人を怖がらせる話がよくあります。地縛霊とかがその一例です。でも、地縛霊とか言われている霊の多くは、自分が死んだことが未だに信じられずに、そこに佇んでいるのです。
僕が小学校に入学して間もなく出会ったのが、僕の通学路にいた僕と同い年くらいの女の子でした。
その子はいつもある場所に佇んでいました。僕が小学校に行くときも帰るときも、彼女はそこに立っていました。
僕は、最初彼女が霊ということが分かりませんでした。彼女が霊にしては、あまりにもはっきり見えていたからです。
(なぜ、いつもここに立っているのかな? )
僕は不思議に思っていました。
ある日僕は思いきってその子に話しかけてみました。「なぜいつも、そこに立っているの? 」って。
彼女は、驚いたような顔になって、「私が見えてるの? 」と聞いてきました。僕はうなずきました。
それから、彼女と色々話しをしました。彼女は、上村浅子という自分の名前を教えてくれました。でも、そこに立っている理由は、浅子にも分かっていませんでした。ずっと、後になってその理由が分かったのですが、まだ幼かった僕には真実は何も見えませんでした。
「夜も立ってるの? 怖くない? 」と尋ねてみました。彼女は「怖くない」と答えました。彼女が言うには、彼女はいつも明るい光につつまれていて、暗さを感じなかったらしいのです。僕は、彼女と話しているうちに、彼女が可愛いことに気付きました。実際、僕の通っている小学校のどのクラスの女子より可愛い子でした。「じゃあ、またね」と言って、その日は別れました。
その明くる日も、浅子は相変わらずその場所に立っていました。朝登校するときは、時間がないので彼女と話をすることが出来ませんでしたが、「また、後でね」と言って通り過ぎました。彼女はニコッと笑っていました。
僕は心臓がドキドキしました。今、考えてみると、その時が初恋だったのかも知れません。おかしいですかね、霊に恋するなんて。
学校の帰りには、必ず浅子と話をしました。学校のことも話題にしました。ある日、彼女は自分も学校に行ってみたいと言いました。僕が、学校のことを話していると、彼女は少し羨ましそうな顔をしていましたから、そう言い出すのも分かる気がしました。
「じゃあ、一緒に行く? 」と、僕は彼女に聞いてみました。彼女は嬉しそうに「うん」と力強くうなずきました。
その日から、浅子と僕はどこに行くのも一緒になりました。きっと彼女の地縛が解けたのだと思います。いつも一緒でも、彼女は他の人には見えていません。そのことは、僕にとっては好都合でした。
学校の授業中も彼女は僕の横に立って、先生の話を熱心に聞いていました。彼女は勉強できることが嬉しくて仕方ないようでした。
体育の授業とか理科の実験などは僕がやるのを側で見ていることしかできませんでしたが、それでも僕がやることを楽しそうに見ていました。
でも給食の時間になると、彼女の顔が少し悲しそうになっていました。彼女は霊なので、お腹がすくことはないらしいのですが、一回でいいから給食というものを経験してみたかったらしいのです。
そのことを知ってから、僕はたとえ僕の好物が給食に出てきても、いつもまずそうな顔をして給食を食べました。幼かった僕が、彼女の心を慰めるために考え出した精一杯のアピールでした。そんなことを続けているうちに、担任の先生が僕に極端な偏食があるのではないかと心配して、親に連絡してきたこともありました。
僕が給食の時だけ、まずそうに食事をしていた理由に浅子が気付いたのは、半年も経たないうちでした。当時、僕はカレーが大好物だったのですが、家ではカレーをおいしそうに食べるのに、給食でカレーが出てもしかめっ面をしてまずそうに食べていました。
「敦史くん、私に遠慮してるでしょ? 」
ある日、浅子がそう訊いてきました。彼女は僕が彼女に気を遣って、いつもまずそうに食べていると見抜いていました。
「え、なんのこと? 」と、一度は白を切ってみましたが、彼女に笑顔で見つめられると、自分がしていた行為が急におかしくなって、「うん。ごめんね」と笑いました。
給食の時のことは、僕たちが成長してからの笑い話になりました。彼女に言わせると、僕の給食を食べる時の顔が、まるで苦行をしているような顔つきだったらしいのです。彼女は、時折、その時のことを話題にしては笑っていました。
さっき僕たちが、成長してからと書きました。三島さん、変に思ったかも知れません。僕が成長してからと書いたならともかく、僕たちが成長してからと書いたのですから。
僕が成長していくのと同じように、浅子も同じように大きくなっていきました。霊が成長するなんてと、三島さんは思うかも知れません。でも、実際、浅子も大きくなっていったのです。彼女が着ている服は、彼女がイメージすると、それを身につけられるようで、僕が中学生になると、彼女が着ている服は地元の女子中学生が着ているセーラー服になりました。
成長した浅子は、僕の周りにいる誰よりも美少女でした。その美少女を独占しているのは僕なので、僕はとても幸福でした。自慢するわけではないんですが、中学高校を通じて何人かの女子から告白されたことがあります。でも、僕は全て断りました。僕が彼女にしたかったのは浅子だけでした。とは言っても、彼女とはキスもできないので、あくまでもプラトニックなものでしたが。浅子と話をすることは、僕にとって、とても楽しいことだったんです。
また、浅子はとても聡明な娘でした。学校では、僕の机の横に立って教師の話を聞いているだけなのに、彼女は授業の内容をとてもよく理解していました。僕が理解できていないところも、彼女に教えてもらったこともあります。でも、テストの時には、僕がどんなに頼んでも、彼女は答を教えてくれませんでした。不正はいけないと言うのです。もっともな理由なのですが、少しぐらい良いじゃないかと不満に思うことがありました。
ある時、その不満を僕が漏らすと、「そんなことを言う敦史くんは嫌いよ」と彼女に言われました。僕は浅子に嫌われたくなくて、すぐに謝りました。
僕が地元の大学に合格して、祖父たちのもとを離れ、アパートで一人暮らしを始めると、浅子も当然のごとく僕についてきました。僕には彼女が常に見えているので、まるで同棲生活をしているような感覚でした。部屋の片付けなども彼女の指示通りにきちんと行っていました。部屋を汚くすると彼女が嫌がるからです。そんなわけで、若い男の一人暮らしの部屋なのに、僕の部屋はいつも清潔でした。たまに、高校の時の同級生が僕のアパートに遊びに来ましたが、彼らは僕の部屋がいつもきれいに片付いているのを見て、僕に彼女がいると信じて疑いませんでした。僕は否定も肯定もしませんでしたが、実際は彼らに見えないだけで、彼女はいたのですけど。
僕が最初に透視能力を披露したのは、バイト先のマジックバーででした。このバイトは、マジックバーが忙しい金曜と土曜の夜の二日間のバイトでしたが、時給も高く、奨学金だけでは暮らしていけない僕にとっては、好条件のバイトでした。僕はそこで、つまみに出すような料理を作る担当でしたが、料理を作らない時はカウンターにも立っていました。カクテルは作れないので、ビールをついだり、片付けをしたりという簡単な雑用を行っていました。
そんなある日、このマジックバーの常連さんの山田さんという方が、僕に「内間くんはマジック何もできないのかい? 」と、皮肉を込めたような口調で言ってきました。山田さんという人は五〇代ぐらいのマジックマニアの人で、自分が覚えたマジックを、たまたま居合わせたお客さんに見せたがる人でした。まあ素人にしたらマジックの腕は良い方なのですが、練習不足なのか、たまにマジックのタネが見えてしまうことがありました。また、マジシャンがやったマジックのタネをすぐに教えてもらいたがる、そんな人でした。そんなわけで、マジックを本業とするマジシャンからしたら、ちょっと迷惑なお客さんでした。
その日は、お客さんも少なく、カウンターに座っていたのは、山田さんと一組のカップルだけでした。カップルの方は店に入ってきたときからずっと親密そうな話をしていて、いくら図々しい山田さんでも、そのカップルに話しかけるのは気後れしたのだと思います。だから、先ほどのような質問を僕に投げかけたのだと思います。
実は、浅子は以前から山田さんのことを嫌っていました。彼女が山田さんを嫌っている理由は、山田さんの無遠慮な言動が許せないらしいのです。そして、この時の山田さんの僕に対する質問が、僕をバカにしているように聞こえたらしいのです。
山田さんにマジックを見せようと言い出したのは浅子です。僕たちは、山田さんに透視のマジックを見せました。山田さんに、僕が見えないところで文字を書いてもらい、それを僕が当てるというマジックでした。マジックと言ってもタネはありません。浅子の協力があれば簡単にできるものでした。浅子が見て僕に伝えたら、もうそれで終わりです。山田さんには、僕に協力者がいるなどとは絶対に分からないのですから。
山田さんは、大変驚き、そして例のごとくタネを教えてくれと頼み込んできました。僕はタネは教えられませんと、きっぱり断りました。でも、このマジックに驚いたのは山田さんだけではありませんでした。このバーのオーナーのマジシャンも、僕がやったマジックを不思議がりました。
透視能力をテレビでやるようになってから調べたのですが、マジックで透視をやるときは、いくつかの方法があるそうです。
その方法の一つは、観客の中に協力者をつくること、二つ目は特殊なギミックを使うこと。
ギミックというのはマジック用の特殊な仕掛けで、例えば文字を書くための台紙に仕掛けがしてあって、書いた文字が分かるというようなものです。でも、僕がやった透視は、普通のメモ用紙を一枚渡し、僕に見えないように書いてもらうというシンプルなものでした。マジックはシンプルなものほど難しいのです。オーナーは、僕がやった透視マジックのタネを五万円で買うと言い出しました。この申し出には心が動きましたが、タネを教えようにもタネは無いに等しいのですから教えることはできません。それに、正直に、霊の浅子に協力してもらったと話しても信じてもらえないだろうし、信じてくれたとしても気味悪がれると思いました。そこで、超能力ということにしたんです。
オーナーに信じてもらうために、トランプを使って透視をやりました。オーナーが手に取ったトランプのマークと数字を当てるのです。オーナーの側から浅子が見て伝えてくれるのですから、僕には即座に分かるのです。オーナーは、僕が言った超能力という話を信じてくれました。
それから、しばらく経ってからのことでした。地元のテレビ局から僕に出演依頼があったのです。どうやらオーナーが、僕のことをお客のテレビ関係者に話したらしく、僕に興味をもったテレビ局の人がオファーを出したのです。
そして、東京のテレビ局からも出演依頼が来るようになり、僕は週末には東京のテレビ局に通うことになったのです。
それから後のことは、三島さんも御存知だと思います。僕が馬鹿正直に、赤ちゃんの霊が見えますと言ってしまったものだから、それ以降テレビ局からのオファーは来なくなりました。でも、実際に見えていたんです。本当は、まだ赤ん坊と呼ぶには未成熟な肌色の物体が、彼女の背後に二体。
三島さんは勿論御存じでしょうが、自縛霊というものがあります。人が死んだとき、現世に強い恨みをもっていたら自縛霊になりやすいですし、また突然の死で、自分が死んだことに気づかないような場合も自縛霊になることがあります。おそらく二体の赤ちゃんは、生まれてこれなかったことに恨みを持っていたのだろうと思います。そして、彼女に取り憑いたまま成長もできなかったのでしょう。だから、まだ赤ん坊と呼べるにふさわしい形までには至らなかったんだと思います。
ところで、浅子も自縛霊でした。浅子の場合は、あの場所に呪縛された地縛霊でした。僕が最初に浅子を見た場所で、浅子は事故死していたのです。あの場所で交通事故にあっていたのです。家族旅行の帰り道だったそうです。このことは成長して、そのときのことを思い出した浅子が話してくれたことです。
あの場所に佇んでいたときの浅子は、まだ自分が死んでいることに気づかないという呪縛を受けていました。彼女が自分が死んでいることに気がつかなかったのは、事故当時眠っていたことと、即死したことが原因かもしれません。なぜ自分がこの場所に立っているのか、なぜ道行く人に話しかけても誰も答えてくれないのか、幼い浅子はすごく寂しく悲しい思いをしていたそうです。そんな時、僕が彼女に話しかけ、僕という存在によって彼女は呪縛から離脱できたのです。
それから後のことは、前に書いたとおりです。
長い前置きになってしまいました。でも、僕が霊能力を持っていたことと、浅子という霊界の人間と親しくしていたことを分かっていただくことが必要なのです。それに霊界というものが存在することも。
僕の霊能力は、霊が見えるとか、霊と話ができる程度のものですから、霊界を直接認識することはできません。浅子によって、そういうものがあると知らされているだけです。したがって、僕にも霊界というものが本当にあるかどうかは分からないのですが、浅子が言うのだから間違いないと思います。
今から書くことは、浅子から聞いた霊界のことです。とは言っても、浅子も霊界の全てを知っているというわけではなさそうでした。しかし、それは仕方のないことだと思います。例えば、僕が世界のことを誰かに説明するとしても、同じ地球上にあっても説明できない場所が数多くあるのと同じように。
浅子から聞いた霊界の話をします。
霊界は僕たち生きている人間が住んでいる場所のすぐ隣にあるそうです。もし、二次元の世界で生きている生物がいるとして、その二次元の世界の住人が三次元の僕たちを認識できないように、次元の違う精神世界の住人を認識できないのです。極まれに、僕のような能力を持った者だけが精神世界の住人を認識できるときもありますが…。
残念ながら、僕は霊界までも認識できる能力を持ち合わせていませんでしたが、霊能力が強い人なら、それも可能なのかもしれません。そして、浅子が聞いたという啓示のようなものを、僕も直接聞くことができたかもしれません。
三島さんがこれを読んでいるとき、もしかしたら世界のどこかで、霊能力者と呼ばれる人たちが事件を起こしているかもしれません。そのときは、その人たちは霊界の啓示を聞いたのだと思ってください。
地球上の生きとし生けるものにとって、あまりにも絶望的な内容の啓示を…。
これから、浅子から聞いた啓示についてお話しします。