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第五章 花見野

 桜姫を奪われたと聞いて、舞巫女を待っていた皇家の人々や公家たちは驚愕した。

 治天最上大臣の春波名重は宗皇と皇家の人々を天宮へ避難させると、主だった公家と武家を集めて対策を協議し、巫女の舞と桜祭の延期を決めた。


「おのれ、舞木栄盛め!」


 春波重材は激怒していた。行盛と蒲火氏猛を前に呼び、叫ぶように命じた。


「神聖な祭りを妨害した反逆者、舞木栄盛を討滅せよ!」


 個人的な怒りはもちろんだが、それだけではない。栄盛は春波家に対して、はっきりと敵対の意思を示したのだ。許すことはできなかった。見せしめとして追伐(ついばつ)し、逆らった報いを与える必要がある。


「わしの花嫁を奪い返せ! お前たち二人のうち、桜姫をわしのもとに連れてきた方を近衛上狼将に任ずる!」


 氏猛は張り切って答えた。


「お任せくだされ! 必ずや桜姫を保護し、栄盛の首を持って参りましょうぞ!」


 上狼将の地位を行盛のような小僧に奪われるのかとくさっていたが、働き次第で自分がなれる可能性が出てきたのだ。

 行盛はいまいましげな顔したが、やはり命令を(うけたまわ)った。この戦いは舞木家の家督争いでもある。栄盛が宗皇の娘である桜姫と結婚すれば、行盛より優位に立つことになる。家の内外から当主と認めてもらうためにも、兄が生きていては困る。そもそも、重材が最上大臣にならないと近衛上狼将に任じてもらえず、全ての武家の頂点に立つという野望も実現できない。


「高桐基龍も脱走したと聞いております。煙野国(けぶりののくに)の四万が合流すれば五万五千、当方と戦力が互角になります。その前に栄盛の軍勢を捕捉(ほそく)し、撃滅する必要があります」


 行盛は氏猛より知恵が回ることを誇示するような言い方をした。実は家老が先程耳にささやいたことなのだが、まるで自分が考えたように言上(ごんじょう)した。


「恐らく栄盛は高桐軍が来るまで戦いを避けようとするでしょうが、そうはさせません。こちらは六万、敵は一万五千、数の優位を生かして一気に打ち破ります。そのまま勢いに乗って東進し、高桐軍も撃破して参ります」


 氏猛も負けじと意見を述べた。


「栄盛は足の国で活躍したといっても、今日ようやく十七になったばかりの小童(こわっぱ)にすぎませぬ。経験でも武勇でもわしの方がはるかにまさりまする。首の国の猛者(もさ)たちは恵国の弱兵とはまるで違うことを、わしが思い知らせてやりますぞ」


 十六の行盛には経験自体がなく武勇も欠けていると氏猛はほのめかした。二人は敵意をむき出しにしてにらみ合ったが、重材は満足そうな顔をした。


「どちらがより多く武功を挙げるか楽しみだのう。だが、手柄の第一は姫の確保だ。忘れるなよ。決して傷付けてはならぬ」


 二人が競い合った方がよい結果が出ると思うのか、わざと対立をあおるような言い方をして、重材はにんまりと笑った。

 一方、栄盛と仲の良い瓜棚敏雅と舞木家三男の季盛はどちらにも加担しないと表明し、天宮と都を守る役目を引き受けた。二人は都の民の代表に事情を説明して、今日は屋台や店を閉じるように言った。

 人々は祭りの延期を残念がったが、栄盛と桜姫の恋が噂になって伝わっており、面白がる者も多かった。噂には重材の放蕩(ほうとう)ぶりも含まれていたので、恵国との戦いで勇名をはせた栄盛を応援する声の方が大きく、特に女性は桜姫に同情的な意見が多かった。


 都の人々の好奇の視線を浴びながら、行盛勢と蒲火勢からなる春波軍六万は慌ただしく都を出発した。物見の報告では、栄盛軍は輿の護衛兵に残した伝言通り、真澄大社の神域の東、南の海岸に近い野原に布陣しているという。

 足の国へつながる南国(なんごく)街道を行軍すること一刻余り。昼を少し過ぎた頃に、栄盛軍が見えてきた。その数一万五千。尾の国衆の全軍が一ヶ所に集まっていた。

 そこは花見野(はなみの)と呼ばれる平坦な草地だった。地名の通り桜林園に隣接している。春は西側を満開の桜が覆い、その上に神雲山が突き出ているように見える。しかも、南西に海と御島が視界に入る。都の春を象徴する桜、山、島の三つが一望にできる絶景で知られた場所だった。

 桜は今年も見事に咲きそろっていて、花の色が例年より濃く感じられるほどだった。桜林園の外周は枝垂桜(しだれざくら)が多いので、全体が桜色の壁のように見える。東から心地よい春の風が吹いて、時折花びらが舞っていた。


 栄盛軍は東へ続く南国街道を封鎖し、南北に長い陣形を()いていた。先へは進ませないと言わんばかりだった。街道の北側は起こしたばかりの田んぼが広がっており、合戦には向かない。春波軍六万は街道を南へ()れ、桜林園を背にするようにこちらも南北に武者を並べていった。

 栄盛軍は一万五千を二つに分けていた。細長い四角を中央で二つに割ったような形だ。背後に二十台の塔型投石機が見える。春波軍も同様に、南の海側に行盛勢、北の街道側に蒲火勢を配置した。両軍の陣形はそっくりだが、兵数で四倍の差があるので、四角の太さは大きく違っていた。

 春波軍は伝令を送り合って作戦を決めた。といっても、両勢がそろって前進し、栄盛軍を数の差で圧倒しようという単純なものだ。兵力に余裕があるので、頃合いを見て敵の側面や背面へ予備の部隊を回して包囲すれば、簡単に打ち破れるだろう。


「あれは何だ」


 行盛は自軍の中央やや後方に低い台を作らせ、その上に床几(しょうぎ)を置いて座っていた。敵陣を指差して尋ねると、隣に立っている家老は首を傾げた。


「舞台のようでございますな」


 この家老は行盛の母の父親で、もう五十を過ぎている。戦の経験も多く、行盛勢の指揮を事実上任されていた。


「大社にあるものとよく似ております。屋根はございませんが」


 栄盛軍の右軍と左軍の切れ目の前に、木で組んだ大きな平たいものが置いてある。材木そのままの色で、上には板を張ってあり、広さは二十畳ほど。高さは大人の腰くらいで、巫女の舞舞台にそっくりだった。四方の角に、屋根を支える柱のかわりに長い丸太が立てられている。


「何をするつもりだ。まさか大将が上がるのか」


 行盛は兄の栄盛を憎んでいたが恐れてもいたので不安になった。

 栄盛はまっすぐで正義感が強く、悪く言えば融通(ゆうずう)()かない。もっとうまく立ち回れるはずだと行盛は以前から兄を軽蔑していたが、戦場で活躍して十六の若さで多く武家の支持を得たことには劣等感を感じていた。

 だからこそ、この戦いで英雄視される兄を倒して、自分の方が上だと示したかった。万が一にも、皇家の娘を(めと)るという栄誉(えいよ)を許してはならない。

 家老も足の国で栄盛が何度か奇策を使ったことは知っているので、舞台と陣形をじっくりと眺めて考えていたが、首を振った。


「あそこは軍勢より前、大将のいる位置ではございませぬ。戦場を見渡す目的なら、もっと適当な場所がございましょう。また、あの舞台一つでこの兵力差を(くつがえ)せるとも思えませぬ」


 どうにも不可解だと二人が顔を見合わせた時、十四人の直垂姿の男が舞台へ上がってきて、後方の端に横二列に並んで座った。彼等はそろって頭を下げると、手に持っていたものを構えた。

 やがて、栄盛軍から太鼓の連打が聞こえてきた。続いて、縦笛と横笛の音、(つづみ)を叩く音が加わった。さらには、置き型の弦楽器を(つめ)(はじ)く響き、(さお)を持って抱える形のものをばちで引っかけ、弓でこする音も交じって、聞き慣れた音楽を演奏し始めた。


「これはまさか、桜の舞い歌でございましょうか」


 嵐の調べは、花の舞い歌。この言葉から始まる桜を(たた)えた古謡(こよう)だ。大社で巫女が奉納する舞でも歌われ、吼狼国の者は誰でも知っている。その歌の前奏が、ゆっくりと春の野原に響き渡っていく。

 演奏しているのはどうやら本業の楽人(がくじん)ではないようだが、決して下手ではない。恐らく、舞いや楽をたしなむ舞木家の家臣と思われた。ただ、本来七人であるはずの演奏者を倍の数にしてある。ここが広い野原で、両軍の間にやや距離があるからだろう。


「まさか、このあとに行われるのは……。武者たちを鼓舞(こぶ)したいのか?」


 行盛がそうつぶやいた時、蒲火勢から伝令がきた。武者は台の前に片膝を突いて言上した。


「我が主君氏猛様は、この茶番劇を早くやめさせるため、さっさと攻撃を開始したいと(おお)せです。戦場で音楽を流すなど我等を愚弄(ぐろう)しておると、大層お怒りでございました。お返事をお願いいたします」


 行盛は少し考えて言った。


「このまましばらく様子を見よう」


 そして、にやりとした。


「もし桜姫が出てくれば、この戦場にいることがはっきりして探す手間が(はぶ)ける。捕まえる相手が見えている方がやりやすかろう」

「はっ、そうお伝えします」


 数で圧倒的とはいえ、全軍で戦った方がより楽に勝てる。行盛が動かなければ、氏猛も勝手に攻撃を始めたりしないだろう。

 使者が去ると、家老が尋ねた。


「よろしいのですか。今が攻める好機かも知れませぬぞ」


 行盛は余裕の表情を崩し、不愉快そうに顔を(ゆが)めた。


「敵のねらいが分からぬからな。こちらから動いて相手の策にはまりたくない。どうにも化かされているような気分だ。栄盛め、何をするつもりなのだ」


 行盛は吐き捨てるように言って、舞台に目を戻した。



「敵は驚いていますね」


 仲綱がおかしそうに言った。典昭は感心した顔だった。


「ああ、武者たちは呆気に取られている」


 肩上宗延が苦笑した。


「実に若殿らしい策です。賛成いたしましたが、まあ、なんとも無茶な作戦ですな。敵がしびれを切らして攻めてくるのではないかと、はらはらいたしますぞ」

「大丈夫です。きっとうまく行きます」


 桜色の巫女装束の桜姫は自信があるようだった。恋人を信じているのだ。


「敵は警戒して動くに動けないさ。こちらの意図が読めないのでは慎重にならざるを得まい」


 栄盛は言って、手を伸ばした。


「さあ、桜姫様、あなたの出番です」

「はい」


 姫は栄盛の手に自分の手を重ねた。


「では、参りましょう」


 栄盛は姫の手を引いて陣列の前へ向かい、舞台へ上がる階段へ連れて行った。


「そばで拝見しています」


 栄盛は姫に言った。


「はい。見ていてください。栄盛様は、ご武運をお祈りいたします」


 前奏が終わろうとしている。姫は表情を引き締めて、階段を登っていった。

 桜姫が舞台に現れると、六万の敵軍が一斉にどよめいた。桜姫は舞台の中央に進み、両膝を突いて、御島、神雲山、大社のある桜の林、都の方角へ深々とお辞儀をすると、立ち上がって、手に持った桜色の扇を開いた。左手には花で覆われた桜の枝を握っている。

 音楽が始まった。それに合わせて、栄盛軍の全武者が古謡を歌い始めた。

 ゆっくりと、(ろう)(ろう)と、大きな歌声が野原に響き渡った。その荘厳(そうごん)な歌声は、風に乗って敵軍を通り抜け、桜の林を越えて、海の向こうの聖なる島に向かって流れていった。一万五千人が気持ちを一つにして、神への信仰と、国の繁栄の祈りと、人々の幸福の願いを、ありったけの魂で叫んでいる。その歌声は聞く者の心を揺らし、歌というもの、音楽というものの持つ力を実感させた。歌があれば戦のない、人々が平和に暮らせる世界が作れるのではないかと、栄盛は聞き惚れながら思った。


 その声に合わせて、桜姫は舞った。

 扇を高く掲げ、桜の枝をゆっくりと持ち上げる。前であおぐように横に振り、両腕を水平に伸ばし、くるりと体を回して、とんと跳ねる。姫の頭上を四方の柱に登ったももんがが滑空し、姫の体に止まっては、手の先から飛び立って、再び柱を駆け登る。

 ふわり、ふわりと扇は動き、きらり、きらりとももんがは光る。桜の枝は振られるたびに、数枚の花びらを姫の周囲にまき散らす。桜色の衣装の若き乙女と白いももんがの共演は、見守る者たちから言葉を奪った。


  酒に落つるは、故人(こじん)便(たよ)り。

  さあ、()()わせ、笑い合え。

  (さかずき)(かか)げし我等を包み、熱き流れをそと隠せ。


  花の季節は、出会いの舞台。

  さあ、お祭りだ、繰り出せや。

  桜の頬の人々を、飾り立てて恋へ(いざな)え。


 別れと旅立ちの季節。子供の誕生の喜び。動物たちが動き出して野山に活力がみなぎる様子。臥神島(ふせがみじま)という大きな狼の息吹(いぶき)。神と山と桜と鴉への祈り。

 歌は十番まであり、それぞれに違う振り付けがある。舞う者も、歌う者も、見て聞く者も、最後まで飽きさせずに没頭させてしまう。桜の舞い歌が吼狼国の古謡の最高傑作とされるゆえんである。

 ここは戦場だ。両軍合わせて七万五千が戦うため、殺し合うために集まっている。多数の槍がきらめき、手の投石(ひも)が黒く照り輝き、ずらりと並んだ(かぶと)と鎧が春の午後の陽光を反射して華やかな背景を作っている。そのただ中で、美しい少女は全員の視線を釘付けにして、舞い続けた。


 やがて、歌が終わった。桜姫は桜の枝を天を切り裂くように振って頭にかぶせるように掲げ、扇を胸の前で左から右へ一文字に大きく動かして胸の前で立てると、頭を垂れて動きを止めた。そのまましばらくじっとしていたが、やがて腕を下ろすと扇を閉じ、再び両膝を突いて、四つの聖なるものへ拝礼した。

 後奏(こうそう)が始まった。歌のない楽器だけの音楽が野原を流れ、緊張し澄み切った空気をやわらげていく。

 音楽が全て終わっても、誰も身じろぎすらしなかった。動いたらこの感動が消えてしまうような気がして、もったいなく感じたのだ。数人が、ほう、と溜め息を吐くのがかすかに聞こえていた。

 が、その心地よい静寂を破ることをためらわない人物がいた。氏猛だ。


「お前たち、しゃっきりせい! 歌などに気を奪われおって!」


 髭面(ひげづら)大頭(おおあたま)の猛将の怒鳴り声に、両軍の武者たちは我に返った。皆、顔を見合わせ、首を振り、肩を回し、手にした武器を確かめ出した。

 まだか。まだなのか。

 栄盛は焦っていた。そろそろのはずなのに、まだ始まらない。宗延や典昭も厳しい表情だった。


「もう一度舞いましょうか」


 舞台を下りてきた姫が提案した。額に薄く汗が光っていた。今日は春らしい上天気でかなり暖かいのだ。


「行けます。大丈夫です」


 姫は頷いてみせた。楽人や周囲の武者たちが栄盛に注目している。どうするべきか、栄盛は迷い、神雲山を見上げた。

 まさか、失敗したのか。いや、まだ大丈夫のはずだ。

 巨大な吼狼国最高峰は頂上付近が雪で白く、首元に円い神雲をまとって、いつもと変わらぬ姿だった。


「やむを得ない。敵に邪魔されるかも知れないが、桜姫様、もう一度舞を……」


 栄盛が言いかけた時だった。


「あ、あれは……!」


 武者の何人かが叫んだ。霊峰の決して消えない神雲が、大きく揺らめいたのだ。同時に、両軍の全ての旗が一斉に激しくはためいた。強い西風が吹き始めたのだ。


「御神風だ!」


 神雲山の噴煙が御島へ向かって傾いている。急に逆向きになった強い風に揺すられて、満開の桜林園から数十億枚の花びらが一斉に舞い散った。


「あれが桜雲(さくらぐも)! なんてきれいなんでしょう!」


 桜姫が感動も露わに叫んだ。姫は初めて見るのでうっとりしている。広い花見野がみるみる花びらの雲に覆われて、視界がなくなっていく。

 栄盛は叫んだ。


「今だ! 楽団、合図を!」


 それを聞いて、十四人の楽団が滅茶苦茶に楽器を叩き、吹き、かき鳴らし始めた。もはや音楽でもなんでもない、ただの騒音だった。そのものすごく大きな音が響き渡ると、桜雲の色が急に濃くなった。花びらに粉が交じり始めたのだ。


「桜粉の散布、始まりました!」


 仲綱が報告した。春波軍の背後の桜林園に隠れていた者たちが木に登って、袋に入った大量の桜色の粉をぶちまけたのだ。


投擲(とうてき)を開始せよ!」


 栄盛が叫ぶと、周囲の武者たちが長い(ひも)を付けた赤いさくらんぼ玉を振り回し、敵陣へ投げ込んでいく。背後の十台の投石機も桜粉の入った袋を多数飛ばした。

 春波軍の武者たちは大混乱になった。


「まっ、前が見えん!」

「くっ、目に入った!」

「大殿、大殿はどこにいらっしゃいますか! 武者頭はどこですか!」


 桜の花びらだけでもとうに栄盛軍は見えなくなっていたのに、これではすぐ隣の隊の位置すら分からない。


「全員、目と耳を塞げ!」


 栄盛が叫ぶと、武者頭たちが大声で復唱して、自分も耳を押さえた。栄盛と桜姫も両耳に手を当ててぎゅっと目をつむった。

 次の瞬間、大爆発が起こった。周辺の木々の花が一斉に舞い散り、激しい衝撃波が武者たちを襲った。投石機の一台が桜雲に火の玉を打ち込んだのだ。基龍を捕虜にした時と同じで、石に布を張って油を塗って火を付けたものだ。

 桜粉を火の上にばらまくと、一瞬激しい炎が上がる。たくさんの粉が短い時間に連鎖的に燃えるために起こる現象らしい。火事の原因になるので火のそばで桜粉を扱ってはならないということは、都周辺の者は誰でも知っている。栄盛はそれを大規模に行わせたのだ。

 六万の武者は激しい爆発で焼かれ、耳や目やのどをやられ、一瞬呼吸困難になった。火傷を負った者もいる。甲冑では防ぎようがない攻撃だった。


「第二弾を投擲(とうてき)!」


 栄盛は叫び、抜いた刀を前方へ向けた。一万五千の投石(ひも)が振り回され、同数のこぶし大の石が春波軍の武者たちに降り注いだ。同時に、投石機がもっと大きな石を敵陣にばらまいた。

 武者は普通弓を使うが、向かい風では威力が弱まるので石を投げたのだ。ねらいは適当だが、春波軍の混乱を一層激しくするには十分だった。


「全軍、突撃! ねらうはただ二つ! 行盛と蒲火氏猛の首だ!」


 既に馬にまたがっていた栄盛は、叫ぶと先頭に立って馬を走らせた。一万五千人が腹の底から絶叫しながらこれに続いた。

 しかも、そこへ、違う方向からも(とき)の声が起こった。北の南国街道から現れて蒲火勢の左側面を襲ったのは、季盛勢五千だった。逆の南側から行盛勢の右側面を攻撃したのは瓜棚家の三千、背後の桜林園から飛び出して春波軍の背後を()いたのは、瓜棚勢の残り七千だった。

 敏雅と季盛の二人は中立を宣言して都と大社の守りを引き受けたが、こっそりと桜の林の中を進んできて、背後に回って隠れていた。なぜ見付からなかったかというと、祭りの会場から多数の桜幕を持ってきて、満開の桜の林の中で張ったり頭からかぶったりして身を隠していたからだ。近付けば分かっただろうが、桜林園の外周には枝垂桜(しだれざくら)が多いし、一面桜色なので、見分けられないだろうと栄盛は思ったのだ。


 混乱したところを包囲されて奇襲攻撃され、春波軍は崩れ立った。もはや誰の目にも勝敗は決していた。

 栄盛軍は恵国との戦に派遣されていたので戦いに慣れており、大将栄盛を深く信頼していた。また、戦う理由が分かりやすかった。

 足の国で戦っている仲間のため、敵国に勝利するため、武家の地位向上のため。そして、先程舞った美しい皇女を守るため。

 気持ちを奮い立たせる大義名分があったのだ。御神風が丁度よい時間に吹いたことで、大神様のご加護があると信じることもできた。

 一方、春波軍は、桜雲の策に度肝を抜かれて勢いを失った。慌てて体勢を立て直そうとしたが、栄盛軍がそれを許すはずもなく、実力の半分も発揮できなかった。

 桜色の嵐が春波軍を襲ったのはわずかな時間だったが、それが勝敗を決定付けた。一万五千の新手が加わっていることが伝わると、春波軍の武者の中には自分の隊の再集結を諦めて、離脱を図る者が増えてきた。

 彼等を栄盛軍は追わなかった。国難の時に武家同士が殺し合うのはできるだけ避けたい。大将の二人さえ討ち取ってしまえば、この戦は終わるのだ。

 やがて、瓜棚勢の方から、「舞木行盛、討ち取ったり!」という叫び声が聞こえてきた。大きな鬨の声が湧き起こり、中つ国衆の武者たちが武器を捨てて抵抗をやめていった。

 だが、諦めない男がいた。


「こんなでたらめな作戦でやられては末代までの恥! せめて栄盛めに一矢(いっし)(むく)いてくれん!」


 蒲火氏猛は馬廻(うままわ)りを引き連れて奮戦していたが、行盛の死を知ると周辺にいる家臣を呼び集め、栄盛を探して戦場を移動し始めた。

 弟を兄が討つのは外聞(がいぶん)がよくないというので、行盛勢は肩上宗延と瓜棚勢に任せて、栄盛は蒲火勢を攻めていた。既に敵の勢いは衰えていたが、氏猛率いる一団が栄盛を見付けて襲いかかってきた。

 すぐに典昭が周辺の武者を率いて応戦する。桜の花びらの舞い散る戦場で、数百人の武者が激闘を繰り広げた。

 大将同士、馬廻りの精鋭同士で、誇りと意地がかかっている。双方ともあらん限りの力で休みなく戦い続け、なかなか決着が付かずに死傷者が増えていったが、やがて栄盛たちの方が押され始めた。


 氏猛たちはもはや負けは確実、せめて相手を道連れにと死を覚悟している。一方、栄盛軍は既に勝利が確定したので、あとはいかに怪我をせず生きて家に帰るかという、残りの仕事を片付けるような気分だった。この気迫の違いが、そろそろ疲労が溜まり始めていた双方の武者たちの気力と動きの俊敏さに差を生んだのだ。

 氏猛たちは馬廻りの者たちを蹴散らして、遂に栄盛の近くまで来た。三十代半ばの豪勇の将は栄盛を見付けると、馬の向きを変えて突っ込んできた。

 数人の武者が栄盛を守ろうとしたが、氏猛に簡単に槍で馬から叩き落とされた。栄盛は覚悟を決め、槍を握って向かっていった。

 髭面(ひげづら)大頭の氏猛はまるで悪鬼(あっき)の親分のような恐ろしい形相(ぎょうそう)で栄盛をにらみつけて、激しく攻め立ててきた。


「ほら、それ、そこだ! 足の国で勇名をはせた男がその程度か!」


 栄盛も必死で応戦するが、相手の勢いと気迫はすさまじく、防御で精一杯だった。年齢と経験、体の大きさと腕力と体力、様々な要素で栄盛はこの男に及ばなかった。

 味方は皆栄盛の助けに入りたかったが、氏猛の家臣たちが大将の邪魔をさせまいとする。だが、そこに思わぬ援軍が現れた。


「栄盛様! 助けに来ました!」


 桜姫だった。護衛を任せた仲綱の馬の後ろに乗って近習頭に片手でつかまっている。巫女装束のままだった。


「私が隙を作ります! そこを倒してください!」

「なんだ、戦場で女に助けられるのか。面白い。やれるものならやってみろ。恋しい女の前であの世へ送ってやる!」


 氏猛は豪快に笑い、栄盛のそばを駆け過ぎて一度離れると、急に馬の向きをかえて馬ごと体当たりしてきた。


「くっ、まずい!」


 栄盛は対応が遅れ、逃げそこねた。辛うじて氏猛の馬とまともにぶつかることは避けられたが、すれ違った馬同士が接触した衝撃で体勢を崩し、(くら)から落ちそうになった。


「とどめだ!」


 素早く馬首を返した氏猛は好機と見て槍を構え、背後から刺そうとした。

 そこへ、姫が叫んだ。


「お願い、あの人を止めて!」


 なんと、姫は白いももんがを氏猛に投げ付けた。

 ももんがは氏猛の顔に張り付いた。


「助かりました! よし、これで前が見えないはずだ!」


 姫と出会った時のことを思い出して、栄盛は礼を言うと逆襲しようとした。

 ところが、氏猛と両目が合った。ももんがは敵将の(ひたい)に張り付いてしまっていた。氏猛はとても頭が大きかったのだ。

 呆気にとられた栄盛が見せた隙を、氏猛は見逃さなかった。髭もじゃの口に勝利を確信した恐ろしい笑みを浮かべ、額の異物は無視して槍を構え直し、突き出そうとした。

 その瞬間、姫が叫んだ。


「紋ちゃん、お掃除!」


 ももんがは尻尾を大きく振った。


「な、なに? はっ、はっ、はっくしょん!」


 ももんがの尻尾のもふもふの毛で鼻の穴をくすぐられて、氏猛は思わずくしゃみをした。

 好機と見た栄盛は、一気に突撃した。


「今だ! 食らえ!」


 渾身(こんしん)の力で突き出した槍は、慌てて防ごうとした相手の槍をすり抜けて、猛将の胴を貫いた。


「むう! やっ、やられた! 無念……!」


 氏猛は血が吹き出る腹を見下ろして驚き、急に苦しげに顔をしかめると落馬した。栄盛の家臣が数人駆け寄ってとどめを刺した。


「蒲火氏猛を、舞木栄盛様と桜姫殿下が討ち取られたぞ!」


 仲綱が叫んだ。

 氏猛の家臣たちは主の死を知ると抵抗をやめ、武器を捨てて降伏した。

 やがて、戦場は静かになっていった。合戦は終わったのだ。

 馬から降ろしてもらった姫が駆け寄ってきた。


「勝ちましたね。お怪我はありませんか」


 栄盛は頭を下げて礼を言った。


「桜姫様のおかげで勝てました。ありがとうございます」

「だって、あなたが傷付くなんて耐えられませんもの」


 姫は笑った。


「私たちはこれから一緒に幸せになるのです」

「そうですね。きっと幸せにして差し上げます。お約束いたしましょう」


 栄盛も笑った。すると、姫は頬を小さくふくらませた。


「私はあなたの妻なのです。そろそろ敬語はやめてください」


 栄盛はなるほどと思ったが、急に態度を変えるのは照れ臭かったので、話題を逸らした。


「そろそろ夕暮れが近いですね。御神風も収まったようです。もう花も舞っていません」


 勝利を喜ぶ武者たちの髪や鎧は桜色の花びらで飾られていた。また、傷付き座り込んだ者たち、動かなくなった死者たちの上にも、花の欠片は積もっていた。まるで激戦を終えた勇者たちを神が祝福しているようだった。


「どこも花びらでいっぱいです。とてもきれいです」


 姫は野原を見渡して頷いたが、すぐに栄盛に顔を戻した。


「ところで、今、誤魔化しましたね」

「桜姫様、まだ戦場にいますので、そういうことはあとで考えます」

「その呼び方もやめてください。桜と呼んでください」

「いや、それは、おいおいに、ですね……」

「はっきりしてください!」


 姫にかわいくにらまれて栄盛は恥ずかしかった。いつの間にか武者たちに注目されていた。


「名将の若殿も桜姫様には弱いですね」


 仲綱が言って、周囲は笑い声に包まれた。


「楽しそうなところ悪いですが、栄盛殿にご用があります」


 瓜棚敏雅と季盛が家臣を連れてやってきた。


「そちらも終わったようだな。行盛を討ったとか。さすがは敏雅殿だ」


 栄盛が笑って馬を寄せようとすると、いきなり矢が飛んできて、栄盛の右腕に突き刺さった。


「栄盛殿には死んでもらいます」


 敏雅は裏切り者の顔でにやりとした。


「兄上は邪魔なんですよ」


 季盛は十五歳のまだ幼さを残す顔にあざけりの表情を浮かべていた。

 二人に付いてきた者たちは、栄盛の周囲の武者たちにそれぞれ弓でねらいを付けて、動かぬように脅していた。


「私がなぜ栄盛殿を牢から出したと思いますか。春波家に味方する軍勢を打ち破ってもらうためです。行盛と氏猛は死にました。今、ここで君を亡き者にすれば、冬鼓家と瓜棚家に歯向かえる者はいなくなります。祭りの際に殿下を誘拐して大臣就任を潰し、春波家と秋影家を争わせようと思っていたのですが、君が重材公の怒りを買ったと知って笑いましたよ」

「貴様!」

「兄上が死ねば、唯一残った俺が舞木家を継ぐことになります。罪を問わないことを条件にして舞木家の全武者を掌握し、蒲火勢も従えて、高桐軍を撃破します。俺と敏雅殿は冬鼓家から娘を頂くことになっていますので、兄弟で力を合わせて新しい大臣高兄(たかえ)様を支えていくつもりです。そうそう、桜姫は高兄様が妻にするそうですので、生かして捕らえます」


 季盛は命じた。


「栄盛を射よ!」


 武者たちが弓を引き絞った。


「若殿、逃げてください!」


 仲綱が叫んだ。


「あなたと桜姫様が生きておいでなら、希望はあります!」


 叫ぶと、握っていたさくらんぼ玉を敏雅に投げ付け、季盛に向かって槍を構えて馬で突っ込んだ。典昭や他の近習たちもそれに続いた。


「おい、俺たちを守れ!」


 武芸が得意でない二人がひるんだ瞬間、栄盛は姫の腕をつかんで馬に引っ張り上げ、思い切り愛馬の腹を蹴った。


「すまん! お前たち、死ぬなよ!」


 一頭の馬に乗った栄盛と桜姫は、再び混乱し始めた戦場を突っ切って走り、桜の林に逃げ込んだ。

 御島の背後では、大きく真っ赤な太陽が、西の海に沈もうとしていた。

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