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第四章 決心

 栄盛は行盛に不敬罪で逮捕され、姫と引き離されて、都郊外の牢屋に入れられた。仲綱や慌てて駆け付けてきた典昭は必死に栄盛を弁護し、筆頭家老の肩上(かたうえ)宗延(むねのぶ)も寛大な処置を求めたが、行盛は許さなかった。

 夜になってしばらくして、春波重材が行盛と共に牢にやってきた。


「そちとの約束はなかったことにする」


 重材は意地悪い笑みを浮かべて言った。


「舞木家の家督は行盛殿に継がせる。近衛上狼将もこの者を任じる。行盛殿はそちと違って我々公家に従順でな。わしが改革案は白紙に戻すと言ったら承知してくれた」


 行盛も勝ち誇った様子でにやにやしている。


「恵国との戦の軍費のための新たな税にも賛成するそうだ。高桐軍のようにわしと父上の政策に反対する武家は、行盛殿と中狼将になる蒲火(がまひ)氏猛(うじたけ)に討伐させる。これで春波家と治天府は安泰だ」

「新しい税など作ってはなりません! これ以上民を苦しめるようなことをなされば、国が本格的に傾きます。武家同士で争うのではなく、恵国との戦に集中するべきです!」


 栄盛は叫んだが、重材は(はえ)でも追うように手をひらひらさせた。


「うるさいのう。始めからそちの改革案など実行するつもりはなかったのだ。春波家は初代の両皇(りょうおう)夫妻がご降臨なさった時からおそばに仕え、(まつりごと)をお助けしてきた。武家ごときがわしらに指図しようとは、思い上がりもはなはだしい。守京五家と呼ばれて名家気取りだが、まだ五代程度ではないか。八百年も国の舵取(かじと)りをしてきたわしら公家こそが、吼狼国の主柱(しゅちゅう)なのだ」


 重材は武家も民も公家の命令に全面的に従うのが当然だと信じ切っているようだった。


「公家なくしてこの国は治まらぬ。その公家をまとめていくには、春波家が他の四家に優越する力を持つ必要がある。権勢の維持には多くの金がかかるのだ。新たな税の一部を当家が吸い上げて力を付け、結果国が安定して全力で敵国と戦える。春波家に利のある税は、国にとっても必要なのだ」

「その通りだ。我が舞木家も、春波家に従うことでより繁栄し、勢力圏を広げていける。高桐基龍を処刑したら、背の国は舞木家が頂くことになっている。その力を背景に尾の国衆も従えて、我が舞木家は吼狼国全体に力を振るう最大の武家になるのだ」


 行盛は得意そうに言った。


「治天最上大臣は代々春波家から出すべきだという名重公と重材公のご意見に、舞木家は賛同する。両家が力を合わせて吼狼国を永遠に支配するのだ」

「やめろ! 今も足の国で戦っている仲間たちのことを、民のことを考えろ! 国中のみんなが団結して恵国に立ち向かうべきで、権力争いをしている時ではない!」

「黙れ! そちの理想論は聞き飽きた」


 重材はわざとらしくあくびをしてみせた。


「武家の地位向上だと? してやるとも。春波家の役に立つ者には(えさ)をやらねばならんからな。だが、全武家の扱いをよくしては差が付かぬではないか。低い地位に不満を持つからこそ、もっとよい待遇を得ようと我等公家に従順になるのだよ」


 行盛は優越感を丸出しにして頷いている。自分はうまくやって成功したと思って、特権を持たぬ者たちを見下しているのだ。


「そちは基龍に似ておる。あの男はこの国を守っているのは武家だと勘違いして反抗しおった。夏雲家も奴に説得されて武家の地位向上に傾きつつあった。ゆえに、奴が手柄を立てぬよう、そちの父が病に倒れたのを理由にして、足の国へ派遣していた舞木家の軍勢を都へ引き上げさせたのだ。治天府は春波家のもの。夏雲家や基龍には任せられぬ。そちは基龍に感化されすぎた。もともと当家の権力が安定したら排除するつもりだったのだ。だが、まさか皇女に手を出すとはのう」


 行盛はばかにした口ぶりで言った。


「俺は以前から名重公と重材公に忠誠を誓っていたのだ。武家側に立ち公家に反抗的なお前の家督継承を、春波家が認めるわけがない。今まで気付かなかったのか」


 重材は冷ややかに言い放った。


「明日、巫女舞と婚儀のあと、そちと基龍を公開処刑する。それで桜姫も大人しくなるだろう」


 うなだれていた栄盛は、皇女の名を聞いて牢の鉄格子(てつごうし)に飛び付いた。


「姫は、桜姫殿下はどうなさっておいでですか!」


 重材はいまいましげに顔をしかめた。


「あのあばずれか。婚約相手が他の男に惚れるなど、わしの面目は丸つぶれだ。天宮に連れ戻してからも、そちを許せだの、わしとは結婚したくないだのと、散々わめいておったな。だが、予定通り舞巫女を務めてわしと結婚すればそちを助命すると言ったら、騒ぐのはやめたようだ。そちの首をはねるところを見せれば諦めが付くはずだ」


 重材は急に好色そうな表情になった。


「明日で十五、まだ小娘で体つきは貧弱だが、顔は悪くない。皇家の姫は初めてゆえ、飽きるまでは床に呼んでやろう。気の強い女ほど、一度受け入れると快楽に(おぼ)れるようになるものだ」

「貴様!」


 栄盛は叫び、腕に思い切り力を込めて牢を破ろうとしたが、鉄格子はびくともしなかった。行盛はそれをいかにも愉快にそうに眺めていた。目障りだった兄に勝てたことがよほどうれしいらしい。


「重材様と桜姫の婚儀の時、俺も結婚する。相手は重材様の末の妹君、牡丹(ぼたん)姫様だ。それでお前を支持していた家臣たちも俺を当主と認めるだろう。舞木家に春波家の娘が(とつ)ぐのは初めてのことだ。当家の格式が上がると皆喜んでいるぞ」


 高笑いすると、行盛は重材と共に去っていった。


「なんということだ……」


 栄盛は漆喰(しっくい)の白い壁に力なくもたれてうつむいた。涙があふれてきて、嗚咽(おえつ)が口からもれそうになるのを必死でこらえた。

 自分のことはよい。姫が哀れだった。高桐軍との約束も守れなかった。戦場で今も戦っている仲間たちが、吼狼国の民が、自分のせいで苦しむのかと思うと、おのれを厳しく罰したかった。何より、この()に及んでもまだ姫を恋しく思っている自分が情けなかった。


「栄盛殿。元気を出せ」


 隣の牢から声がした。


「叔父上……」


 高桐基龍だった。栄盛は舞木家の御曹司(おんぞうし)なので、高貴な身分の者のための特別な牢に入れられて、一般の囚人とは建物が別だった。守京五家の当主の基龍も、同じ理由でここにいたのだ。


「先程の重材公の言葉で大体の事情は把握した。桜姫殿下と恋仲だったのか」


 基龍はおだやかな声で尋ねた。年長者が若者の相談に乗ろうという温かな口調に、栄盛は本音を吐いた。


「心の全てで愛しています。こんなに女の人を(いと)しいと思ったのは初めてです」

「そうか……」


 基龍は少し考えていたが、栄盛に頼んだ。


「わしが投獄されていた間にどんなことがあったのか、教えてくれないか」

「分かりました」


 栄盛はこの三日のことを語り始めた。ゆっくりと、一つずつ思い出しながら。他にすることはなかったし、明日には死ぬのだから隠しても意味はない。胸を覆うこのやり切れない思いを、誰かに聞いてもらいたかった。

 基龍は黙って耳を傾け、一区切りごとにいくつか質問をした。天文方の遠上(とおがみ)知理(ともまさ)に会ったと言うと懐かしそうな声を出し、観星台が修理中と聞いて(うな)っていた。

 栄盛が語り終わると、基龍は大きな溜め息を吐いた。


「なるほど。よく分かった。つらかったろうな」


 感想はそれだけだった。だが、その口調から、叔父が栄盛の悲しみを理解したことが伝わってきた。


「わしも若い頃、家臣に(さと)されて惚れた女を諦めたことがある。長らく忘れていたが、当時のことを思い出した」


 四十二歳の基龍は栄盛の叔母の夫だが、昔そういう経験があったらしい。

 栄盛は悔しかった。


「桜姫殿下は純真無垢(むく)なお方です。皇家の姫を政争の道具に使うなんて、春波家は思い上がっています。行盛も、春波家に都合よく利用されているのが分からないのでしょうか」

「昔からよくあったことだ。権力争いをする公家。それに協力して利を得ようとする武家。どちらも愚かだ」

「こんなことを続けていては、恵国との戦に勝利することも、武家の地位を向上させることもできません。あんな者たちが国を率いているなんて」

「そうだな。わしも公家には愛想が尽きた。やつらを倒さねばならんな。この牢の中で、そう思うようになった」


 栄盛は叔父の口調にぎょっとした。それまで考えたこともなかった可能性に気が付いたのだ。


「それはまさか、公家を排除して武家中心の政権を作るということですか」


 口にして、顔から血の気が引く思いだった。八百年この国の(まつりごと)を行ってきた公家にはそれだけの権威がある。一方、武家は、実力はあるが、まだ新興勢力と世間から見られていた。


「そういう道もあるということだ。昔は地の皇家が直接(まつりごと)を行っていた。皇家の遠縁の五賢者の時代もあった。ずっと公家が権力を握っていたわけではない」

「それはそうですが、世の人々が受け入れるでしょうか」


 公家に逆らうことを想像しただけで、禁忌(きんき)を犯そうとしているような罪悪感に胸の鼓動が激しくなる。


「それに、俺たちは今牢の中です。こんな相談をしたところで実現はできません」


 桜姫の面影(おもかげ)が目に浮かび、あの姫への想いが再び胸に広がってきた。


「一人の女の子さえ幸せにできない俺に、国を救うことなど不可能だったのかも知れません」

「そう落ち込むな」


 基龍は慰めた。口調にはなぜか余裕が感じられた。


「君もわしも、絶望するにはまだ早いかも知れぬ」


 基龍は急に声を低くした。


「そういう事情なら、希望はある」

「希望ですか?」


 栄盛は驚いた。明日処刑されるのに、どのような希望があるというのか。そう思ったのを察したらしい。基龍はまじめな口調で尋ねた。


「君の家臣は、この状況で主君を見捨てるような者たちなのか」

「それは……」


 栄盛が基龍の言葉の意味に気が付いた時、別な声が返事をした。


「もちろん、お見捨てなど致しません」

「仲綱!」

「しっ! 若殿、お静かに」


 唇に指を当てたのは典昭だった。


「牢の塀の外で、肩上(かたうえ)様がお待ちです」

宗延(むねのぶ)も来てくれたのか!」


 栄盛は喜んだ。


「やはり助けが現れたな」


 基龍が言った。


肩上(かたうえ)殿は尾の国衆の筆頭家老だ。行盛殿が当主になれば、尾の国衆は冷遇される。まして、我が高桐家の背の国まで勢力圏に加えれば、栄盛殿と近い尾の国衆の重鎮(じゅうちん)たちは、隠居させられるか、最悪命の危険すらある。それに、彼等は我々と共に足の国で戦っていた。栄盛殿の改革にとても期待していたはずだ」

「その通りです。私たちには若殿が必要なのです」


 二人の家臣は頷き、牢の鍵を開けにかかった。


「しかし、どうやってここに入ったのだ。舞木家の者は警戒されて近付けないだろうに」


 栄盛は不思議だった。


「瓜棚家が協力してくれたのです」

「敏雅殿が?」

「はい。栄盛様の改革は実行するべきだから、脱出に協力するとおっしゃいました。瓜棚家は桜姫様をさらおうとした賊を偶然捕らえたのだそうです。仲綱が顔を確認しましたが、五人そろっていて、ひどく抵抗したという頭は既に死んでおりました。瓜棚家の者たちは彼等をここへ連れてきて、四人の手下をわざと敷地内で逃がしたので大騒ぎになっています。そのおかげで身分ある方々の牢は手薄になったのです」

「そうか。ありがたい」


 栄盛は感謝の言葉を口にすると、開いた鉄格子を抜け出した。


「さあ、お急ぎください」


 典昭はささやいたが、栄盛は隣の牢へ行った。


「叔父上もお逃がししよう」

「ですが、見付かる前に逃げませんと……」


 二人の家臣はためらった。四人の賊には怪我をしている者もいるので、あまり長い時間は稼げないだろう。基龍を尊敬してはいるが、主君を逃がす方が優先だ。だが、栄盛は言った。


「叔父上をお逃がしすれば、高桐軍四万の助勢が期待できる。俺たちは行盛を倒さなくてはならないのだ。援軍は多い方がいい」


 栄盛は牢の中に声をかけた。


「叔父上、援軍をお約束いただけますか」


 基龍は既に立ち上がって鉄格子のそばに来ていた。


「もちろんだ。君の改革に賛成だからな。ここで春波家に勝たせたら、この国も高桐家も未来は暗い」

「ありがとうございます」


 すぐに牢は開けられた。栄盛は仲綱たちが持ってきた下級武家の着物に着替えた。基龍は仲綱が気絶させた牢番の服を奪い、一緒に牢の建物を抜け出した。

 さりげなく見張りの詰所の前を通り過ぎ、瓜棚家の家臣のようなふりをして塀の外に出た。視線が背中を追ってくるような恐怖を感じながら、落ち着いた足取りで見えないところまで遠ざかると、森の中で肩上宗延が待っていた。


「ご無事で何よりです」


 筆頭家老は喜びで泣きそうな様子だったが、すぐに戦場の顔に戻り、隠していた馬を栄盛に渡した。彼等は理由を付けて栄盛の愛馬を舞木家の本邸から連れ出していた。


「追手が来る前にここを離れましょう」


 栄盛たちは馬にまたがり、全力で走らせた。

 ところが、森の中から馬に乗った者が三人現れて追いかけてきた。見付かったかと思ったが違っていた。


「大殿、我々です!」


 なんと高桐家の家臣だった。主が捕まっている牢を見張っていたらしい。


「ここで分かれよう。できるだけ早く援軍を連れてくる」


 基龍は彼等と共に闇の中へ去っていった。

 敏雅は都のはずれの古い大きな屋敷で待っていた。瓜棚家と付き合いの深い商人の持ち家らしい。

 二十畳ほどの囲炉裏(いろり)のある板の間に案内されて入っていくと、敏雅は立ち上がって歩み寄ってきた。


「無事でしたか」


 余程気がかりだったらしく、心配と喜びの交じり合った顔つきだった。栄盛は感激し、三つ年上の彼の両手を押し頂いて深々と頭を下げた。


「ありがたい。このご恩は一生忘れない」

「君とは友達ですからね」


 敏雅は笑った。


「それに、これは瓜棚家のためでもあります。栄盛殿に改革をしてもらわないと困るのです」


 瓜棚家の勢力範囲である(からす)の国は、恵国に占領されている地域と海を挟んで対岸だ。いつ攻め込まれてもおかしくない。瓜棚家の都の兵力が少ないのはそれが理由なのだ。公家の政争を早く収めて全武家をまとめ、足の国へ大軍を派遣してもらいたいと敏雅は言った。


「それで、栄盛殿はこれからどうするつもりですか」


 座布団に腰を下ろすと、敏雅は尋ねた。栄盛は即答した。


「決まっている。春波家と行盛を打ち破って、桜姫殿下を奪う」

「そうでなくてはね」


 敏雅が言い、二人は声を上げて笑った。


「我等尾の国衆は若殿に従います」


 宗延が言い、典昭と仲綱も頭を下げて礼をとった。


「兄上、僕もお手伝いします」


 季盛(すえもり)が言った。明日で十五歳になる下の弟は、宗延たちの動きに気が付き、ここへついてきたのだという。


「投獄されたと聞いて心配していました。僕は戦場を知りませんが、戦った者たちから話は聞いています。この国難の時に、下の兄上に舞木家は任せられません。上の兄上こそ当主にふさわしいと思います。私の配下の五千もどうぞ使ってください」


 同じ尾の国衆でも季盛派の者たちは都の警備をしていて足の国の戦場には行っていない。だが、行盛が当主になると困るのは同じだった。


「これで当方の戦力は二万か」


 栄盛は腕を組んで考えた。


「瓜棚家一万も加勢しますよ」


 敏雅が言った。


「それはとてもありがたい。だが、敵は恐らく我が方の倍だ」


 栄盛は指を折った。


「まず、中つ国衆三万は確実に行盛に付くだろう。春波家の要請を受ければ、蒲火家の三万も敵に回るに違いない」

「六万対三万、かなり不利ですね」

「それでも、合戦して打ち破るしかない」


 典昭が尋ねた。


「高桐軍を待たないのですか」


 敏雅は驚いた。


「どういうことですか」

「隣の牢にいた基龍公もお逃がししたのです」


 典昭が説明すると、敏雅は考える顔になった。


「なるほど。では、四万の援軍が来るのですね。それを待てば勝利できる可能性は高くなるでしょう。ですが、重材公は明日大臣に任命され、桜姫殿下と婚儀を挙げます。行盛殿も正式に近衛上狼将に任じられます。神前で陛下に承認されてしまうと、権力の座から追うのはより難しくなりますよ。それでよろしいのですか」

「もちろん、よくはない。結婚などさせない」


 栄盛は断固とした口調で言った。


「それに、高桐軍は今煙野国(けぶりののくに)にいる。そこまで叔父上が馬を飛ばして丸二日、すぐに出発しても、軍勢が都に来るまでさらに五日だ。明日には到底間に合わない。我々も東へ向かったとしても、恐らく高桐軍と合流する前に追い付かれるだろう。行盛勢と蒲火勢の騎馬隊を合わせれば一万以上だ。それを迎撃しているうちに(かち)武者も駆け付けてくる。まず勝ち目はない。手元の三万で有利な地形で待ち構え、合戦して打ち破るしかない」

「ですが、勝てますか。敵は多いですし、行盛殿はともかく蒲火氏猛(うじたけ)殿は手強いですよ。猛将で自ら先頭に立った突撃は名高く、本人の武勇もかなりのものです。これまで治天府に反抗的な武家を多数討伐して経験も豊富です。これとどう戦うつもりですか。足の国で勇名をはせた君の作戦をお聞きしたいですね」


 敏雅は真剣だった。この戦には瓜棚家の命運がかかっているのだ。敏雅も戦を指揮した経験があるが、主力が水軍の家なので、合戦はあまり得意ではない。

 栄盛は目をつむって考え込んだ。敵味方の兵力構成、都周辺の地形、この三日間の経験。

 皆思案の邪魔をせぬように黙って栄盛を見守った。

 しばらくして栄盛は目を開き、囲炉裏に地図を描き始めた。


「こういう作戦ではどうだろう」


 火かき棒で灰をつついて説明すると、敏雅はじっと耳を傾け、破顔した。


「うん。行けそうですね。いかにも栄盛殿らしい作戦です」

「やはり舞木家のご当主様はこのお方しかおらぬ」


 宗延が言い、典昭と仲綱もうれしそうに笑っていた。


「さすがは兄上です。僕も賛成します!」


 季盛は感嘆のまなざしだった。


「反対する者はいないな」


 栄盛は人々の顔を見回した。全員が頷いた。


「よし。では、すぐに準備に取りかかろう。あまり時間がないから急いでくれ。なにせ、姫の舞は明日なのだ。婚儀など阻止してみせる!」


 栄盛は立ち上がった。


「さあ、出陣だ。国の運命がかかっている。絶対に勝つぞ!」

「ははっ!」


 家臣たちは一斉に頭を下げ、敏雅と季盛は、おう、と叫んでこぶしを振り上げた。



 翌朝、つまり降臨暦三三一八年桜月(さくらづき)一日、都は例年通りに新年の動きを始めた。

 栄盛と基龍が牢を抜け出したことは、治天府にも報告が届いていた。その後、尾の国衆一万五千が都郊外の陣所を離れて東の方へ去っていったことも確認された。だが、春波家は春始節の行事を優先した。宗皇を助けて年頭祭儀を行うのは公家の最も大切な仕事で、それをおろそかにするわけにはいかなかったのだ。

 既に大臣として振る舞っている重材は、行盛と蒲火氏猛に警備を任せた。合わせて六万が都と大社周辺を守っていれば、一万五千の栄盛軍に大したことはできない。

 季盛派の五千と瓜棚家の一万も、春波家と行盛に恭順(きょうじゅん)を誓った。少数の彼等は争いに巻き込まれることを恐れて中立を宣言したのだ。警備にも協力を申し出た。

 こうして、儀式は予定通り行われることになり、(とどこお)りなく進んでいった。


 早朝、天宮では皇家の人々が古式にのっとって身を清め、専用の衣服に身を包んだ。しきたり通り、白い米の粥と少量の酒の朝食をとり、空がまだ暗いうちに天宮の門を出ると、既に公家全二十五家の当主と治天府の重職にある者たちが、整列して待っていた。彼等は皇家の人々が輿(こし)に乗ると、その後ろに付いて歩き始めた。天衛兵がたいまつを手に橋の左右に点々と立って道を示した。

 天宮は都の南の(はし)にあり、藍靄川(あいもやがわ)の長い橋を渡るともう真澄大社の神域だ。橋は天宮の門へ続くものと、都の町から神域へつながるものと二本ある。公家たちの屋敷は都の中にあるので、いったん都から橋で大社へ渡り、皇家用の橋で天宮の門へ行ったのだ。なお、治天府の数々の建物は天宮の北側に隣接していて別な塀に囲まれている。

 河原に丸い石がたくさん転がっている大きな川を渡ると、緑豊かな大社の敷地の中央にある小山へ行列は登っていく。皇家の人々の輿(こし)は屋根付きで、宗皇のものは十四人で(かつ)ぎ、それ以外は八人で担ぐ。公家たちは徒歩だが、神の前に汗だくで出るわけにはいかないので、さほど長くない坂を時間をかけてゆっくりと上がっていく。てっぺんにある大社に着くと、本殿で神を迎える準備を整える。


 やがて日が昇り、西にある神雲山と雲見湾と御島が明るく輝く。真澄池にそれらが映ると、宗皇が水上の影を見つつそれぞれへ三度拝礼し、祭壇に餅と酒と殺したての牛肉を酒を備えて、神々に来臨の祝いを述べる。次いで、新年の喜びを述べ、今年をよい年にしてほしいと願いを述べ、公家たちが楽器を鳴らしながら、神や山や国を讃える歌を合唱する。

 そうした儀式が終わる頃には日は高くなっている。宗皇と公家たちはこの日専用の休憩の間で食事をとってしばらく休み、巫女の舞を見に再び現れる。この時は民も大社本殿へ入ることを許され、舞台のまわりを囲んで平伏し、巫女を迎える。舞は以前は桜月二日に行われていたが、連日では皇家の人々や公家たちの負担が大きく警備の費用もかさむため、春始節の日に同時に行うのがここ数百年の慣例となっていた。


 この日、儀式は順調に進み、巫女の舞を見に集まった民は、既にくじ引きで決まった自分の場所に座っていた。もうすぐいったん天宮へ下がった皇女が衣装を変えて再び輿で現れて、宗皇の臨席のもとで舞うはずだった。

 その後、重材の大臣任命式と桜姫との婚儀が行われる。行盛の家督継承と近衛上狼将就任も発表される。重材が神と宗皇と民に大臣と承認されれば、彼と敵対する栄盛たちや基龍軍は国の敵となり、もはや大したことはできない。支持を失って孤立し、勝手に瓦解(がかい)するか、派遣される討伐軍に敗れるだろう。それで春波家に逆らう者はいなくなるに違いない。

 大社周辺の警備の武者は栄盛軍の五倍の七万五千だ。まさか神聖な年頭祭儀の邪魔はしないだろうと重材は安心し、全てはうまく運ぶと思っていた。

 だが、栄盛が重材と桜姫の婚儀など行わせるはずがなかった。


「そろそろですね」


 仲綱がささやいた。典昭も言った。


「若殿、準備は整っています。敵は気付いていません」


 栄盛は無言で頷いた。周囲には武装した武者百人が、桜林園の花と木々の陰に隠れていた。

 一人の武者が走ってきた。


「若殿、合図です!」


 天宮のそばの見張り役から、広場の隅へ、林の入口へと、花の付いた桜の枝を円く回す仕草が次々に伝わって、栄盛に届けられた。舞巫女の乗った輿が天宮を出たのだ。

 栄盛は愛馬にまたがった。


「みんな、準備はよいか」


 尋ねると、百人が一斉に槍を掲げた。


「よし。では、行こう」


 栄盛は愛馬の腹を蹴った。花や枝に触れぬようにゆっくりと進んでいく。無数の花びらが上から降りかかってきた。

 やがて桜の林を抜けた。振り返って百騎全てが道に出たことを確認すると、栄盛は速度を上げた。

 大社本殿へ向かう大通りを一気に駆け抜け橋へ向かう。この辺りの警備は瓜棚家の担当のはずだが武者はいなかった。敏雅によると、もっと都に近い場所で警備していて、林の中から出てきた栄盛たちには気付かなかったことにするらしい。

 既に舞巫女の輿は天宮からの橋を渡り終えていた。八十人の天衛兵が左右を守って行進し、沿道で多数の民が手を振って迎えている。葵御前はいつも輿のすだれを開けて顔を見せていたが、桜姫は閉じていた。あの皇女らしくなく、それが今の姫の心境を表していた。

 栄盛は馬上で腕を高く上げ、前へ振り下ろした。


「突撃!」


 百騎が散開して輿の行列に向かっていく。栄盛は先頭に立って馬を走らせた。


「民を害するつもりはない! 道を開けろ!」


 武者たちが叫ぶと、数千人の民が振り返り、叫び声を上げて一斉に逃げ散った。


「全員、投擲(とうてき)!」


 言うなり、栄盛は手に握っていた赤い薄布の玉を行列に向かって投げ付けた。百騎が同じことをした。仲綱がさくらんぼ玉と名付けたこの玉には桜粉が入っている。地面や輿や天衛兵たちに当たると破裂し、もうもうと桜色の煙が広がった。


「何者だ!」

「て、敵だ! 敵襲! 敵襲!」


 いきなり襲われ、目つぶしを食らって、天衛兵たちは慌てている。そこへ百騎が突っ込み、槍を振るった。

 行列は大混乱になった。彼等は天衛兵の中でも儀式を主に担当する者たちで、実戦経験はない。一方、栄盛の配下は皆足の国で戦っているので、その差は歴然としていた。そもそも、皇家の行列を襲うような不敬な者は吼狼国にはいないので、戦いは予想していない。武器も儀礼用のもので飾りが多く、実用向きではなかった。

 行列が止まり、十人が担ぐ輿も止まった。あちらこちらで激しい戦いが始まっている。

 外の騒ぎに驚いたのか、すだれの端が持ち上がった。と、白く光るものが輿の屋根に駆けあがり、栄盛の方へ飛んできた。


「紋ちゃん!」


 すだれを開けて姫が顔をのぞかせた。桜色の舞巫女の衣装だった。


「桜姫様!」


 栄盛は大声で叫んだ。


「お迎えに上がりました!」


 信じられないものを見たように、姫は目を大きく見開いた。


「あなたを奪いに参りました! 春波重材には渡しません! 私の妻にします!」


 栄盛は鎧の胸元に手を突っ込んで、取り出した黒いものを姫に見せた。


「これが約束の烏賊墨饅頭です! お食べになりたいのでしたら、こちらへおいでください! 私の分もあります。一緒に食べましょう!」


 姫の目にみるみる涙が浮かんだ。


「栄盛様……」


 栄盛は手を伸ばした。


「さあ、早く!」

「はい!」


 姫は大きく頷いて、すだれの外へ出てきた。


「殿下、何をなさるのですか。危ないですから、中においでください!」


 天衛兵の武者頭が引き止めようとしたが、後ろから羽交(はが)()めにされた。


「誰だ! ……西門(にしかど)殿!」


 吉房は同僚の耳にささやいた。


「責任は私が取ります。殿下を行かせて差し上げてください」

「何っ?」

「あのお二人は愛し合っておいでなのです」


 武者頭は驚愕した。


「しかし……」

「申し訳ありません。私の責任です。お二人のお気持ちに気付いた時、こうなると分かっていたのに引き離しませんでした。もはや殿下は我々全員がお止めしようと行こうとなさいます。このまま無理にお連れしても、到底舞を舞われるご気分ではないでしょう」


 吉房は覚悟を決めた顔で笑った。


「私の言っていることは天衛兵としては失格です。ですが、私は前皇妃(おうひ)様を存じ上げています。あのお方は周囲の反対を押し切って幸福をつかまれました。ご息女でいらっしゃる桜姫殿下にも、そうなっていただきたいのです。殿下のかわりに私を捕まえてください」

「吉房殿……」


 その間に姫は輿を飛び下りて、栄盛の方へ走っていた。栄盛も馬を近付け、片腕で姫を自分の前に引っ張り上げた。

 栄盛は天衛兵たちに叫んだ。


「申し訳ありませんが、桜姫殿下は頂いていきます! 春波重材公と行盛に伝えてください。殿下を返してほしければ、神域の東の花見野(はなみの)に来いと。都を戦場にせぬため、我々はそこで待っています。夕刻までに来なければ、私は殿下と婚儀を挙げ、煙野国(けぶりののくに)の高桐軍に合流します!」


 栄盛は馬首を返した。白いももんががどこからか飛んできて、姫の肩に止まった。


「では、ご免!」


 栄盛は愛馬の腹を蹴り、大社に背を向けて走り出した。


「撤収!」


 典昭が叫んで槍を頭上で円く振り回した。仲綱たちがすぐに栄盛のまわりを取り囲んだ。振り返ると、仲間に欠けた者はいなかった。

 もともとこの百騎は槍に鞘をはめたままにしていた。天衛兵を殺すつもりは始めからない。それが分かった天衛兵たちは、かえって抵抗が本気にならなかったのだ。


「桜姫様、少し飛ばします。揺れますが、大丈夫ですか」

「はい!」


 桜色の衣装の姫は手で目をぬぐい、本当にうれしそうに笑った。


「どこまでも一緒に参ります!」


 姫は栄盛の鎧の腕につかまり直そうとして、気が付いた。


「桜粉が少しかかっていますね。紋ちゃん、お掃除!」


 肩からつまみあげて腕に置くと、ももんがは尻尾を振ってほこりをはたいた。二人は顔を見合わせて噴き出した。

 姫はしばらく笑っていたが、体を栄盛の胸にもたれさせてくっついてきた。


「またお会いできるなんて夢みたいです。輿の中でもあなたのご無事をこれに祈っていたのです」


 姫が手を開くと小さな桜貝があった。姫はそれを握り締め、栄盛を見上げて言った。


「私を妻にしてください」

「もちろん、そうします。最初からずっと、そうしたいと思っていました」


 栄盛は片手で姫をぎゅっと抱きかかえた。白いももんがが二人を見比べている。


「ですが、その前に敵を打ち破らなければなりません」

「戦いになるのですか」

「ええ。勝つために、あなたに手伝っていただきたいのです」

「私が戦いに協力を……」


 桜姫は考える表情をしたが、すぐに顔を上げた。


「何でもやります」


 姫は決意に満ちた様子できっぱりと言った。


「あなたは私の夫ですもの。妻として当然です」

「心強いです。では、お願いしたいことですが」


 栄盛は作戦を説明した。姫は真剣に聞き、何度か驚いたものの、「承知しました」としっかりと頷いた。


「では、約束の饅頭をどうぞ」


 栄盛は胸元から黒い菓子を取り出した。姫は受け取って一口かじり、涙をこぼしながら笑った。


「おいしいです。栄盛様の(ぬく)もりが詰まっています」


 姫は饅頭を半分に割り、栄盛に差し出した。


「一緒に食べましょう」


 栄盛は首を伸ばして、それを口に入れた。


「この饅頭は好物ですが、やっぱりとても甘いですね」

「はい、甘々です」


 姫と栄盛は幸福そうに微笑み合った。

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