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没落兄弟  作者: クロシロ
8/12

秘境で生活

「嘘だろおいーー!」

「あのババアいつかしめるうぅ!!」


 冒険者も畏怖する恐ろしの森。秘境と言われるその地に今、魂からの絶叫が迸っていた。

 がむしゃらに疾走するレシェイヌとレイガの後ろから、迫りくる、馬三頭よりも大きい黒蜘蛛。

 鳥肌が立つような速さで数本の足を動かし、木々を薙ぎ倒しながら追ってくる。

 腹を空かせているのか、蜘蛛と言えども必死の形相である。

…ように見えた。レシェイヌには。

 涎を垂らした蜘蛛って、それどうなの。虫の苦手な奴だったらまさに生き地獄だぞ。泡吹くぞ。


「レイガ! 俺の前に行け!」

「っわかった!」


 伯爵家にいた頃よりも、過酷な環境に眩暈がする。愉快犯な悪魔に大爆笑されている気分だ。

 足が痛い。でも走る。走らなきゃ、モシャモシャと食べられる。無理。絶対無理。

 そもそも、こうなったのは、クラリが発端であった。

 弟子として引き取られ、これから、新しい一歩を踏み出すんだと張り切っていた矢先、小手調べだと放り込まれた場所が秘境。


──生かす気、ないと思う


 いきなり難易度が高すぎやしないか。

 初日は、食料を見つけることすら出来なかった。腹に入れた雑草が、これみよがしに暴れて、惨事を巻き起こしたところで意識を失った。早くも瀕死になったわけである。引き換えに鉄の胃袋を手に入れた。

 それでも、ようやく、兎を仕留められる位には学習した。生きる術を習得できた。少し自信というものがついて、今日はちょっと大物でも狙ってみるかと、二人で言っていたばかりなのに。


 化け蜘蛛なんて、誰も求めちゃいないってーの。


 大木の根が剥き出しになった地面に足を取られず、滑るように駈けていく爽快感も、見違えるように向上した体力への感動も、今は微塵と味わえない。この先にある断崖絶壁の崖を利用して、なんとかならないものかと汗を流しながら考える。


「よし!」

「なに?! なにがよし?!」

「この先の崖、間際になったら二手に分かれるぞ」

「えっ?!」

「俺右! お前左!せーのが合図!」

「むり! やだ! でもやる!」

「いい子だっ」


 見えてきたその景色を前にして、レシェイヌは張り詰める。もし、もしも。失敗して、大蜘蛛が崖に落ちず、レイガの方へ向かったら。その事態だけは避けなければならない。


「レイガ!」

「いいよっ」


 宣言通りの合図の後、僅かにレシェイヌの動きが遅れた。レイガがひゅっと息を呑む。しかし、幸いにも、大蜘蛛は思惑通り崖下へと転落した。瞬く間に豆粒程の影となり、終いには完全に見えなくなる。

……まさか糸を吐かない蜘蛛がいようとは。でもよかった。


「完璧」

「ふざけんなばか!」

「こら、叩くな。下手な作戦で悪かったって」

「ちがうばか!」


 あんまり馬鹿と言わないでくれないか。

 肩を上下に揺らし、へたり込みながらもレイガはギンッとレシェイヌを睨みつけてくる。

 今生の恨みでも込めているのか、と聞きたいくらいの鋭さで。


「ぼくをかばってしぬだなんて、そんな、ださいこと、ぜったいにやめてよね」

「……おおー」


 気付いてたのか。あんな、一瞬だったのに。

 日を追うごとに、弟が獣に近づいてきている。野生児はこうして出来あがるのだと、その過程をまざまざと見せつけられている毎日だ。

 しかし、文句は言えども、弱音を吐かない所を見ると、小さくても男だなと思う。単に自尊心が高いだけというのもある。


「なんで、みつかったんだろ。ちゃんとかくれてたのに」

「気配の消し方が曖昧だったんだ。そこを克服しないとな」

「けはいってなに」


 はて。

 改めて考えると、的確な表しが出てこない。


「どうしてあんたはできるの」

「さあ?」


 立ち上がって汗を拭く。レイガもふてくされた顔のまま、何度か深呼吸をして落ち着いた。


「息はしてるけれど、止めているような感覚かな」

「……むずかしい」

「出来るよ。お前なら」


 なんともない感じでレシェイヌに即答され、レイガの口がまごついた。不快、というよりも不可解、がしっくりくるその顔付き。

 この森で修行を始めて以来、レイガがよく見せるようになった表情である。心の内で、消化しきれない何かと葛藤しているような、可愛げが失せた顰めっ面。

 嫌悪の類には敏感なレシェイヌだが、好意というものに関しては鈍い。しつこい程度で丁度いいような具合だ。しかし、こればかりは仕方がない。彼等の境遇を思えば、人格に多少の難がでても不思議ではない。


「……おひるごはん、どうするの。にく、しとめそこねたけど」

「果物だな。取り合えず」


 秘境と評されるだけあり、この森は未開拓のまま、変わらぬ大自然に包まれている。未だ発見されていない、所謂新種の植物や、魔物を見つけることだって可能な規模を誇る、未知の迷宮だ。

 そして、レシェイヌが得た知識を覆す世界でもあった。

 緑の葉を揺らす大木に混じり、紫、白、青といった木の葉を枝に生やす、ふわふわとした幹。

 頑丈で、どっしりと根を張る普通の木々と違い、触れば指がクプンと沈むほど、柔らかな弾力性に優れた大木がそこら中にあるのだ。

 加えて、その果実がまた美味なのである。

 レシェイヌは己を恥じた。書物から蓄積されたそこそこの知識は、この世界の一部分すら満たせない、ただの粒子にすぎなかったのだ。

 伯爵家とは異なる意味での、本当の弱肉強食に恐怖を覚える一方で、それを楽しんでいる自分がいる。

 なんだ。俺も獣みたいじゃないか。レイガのこと、言えないな。


「すぐそこだから、ぼくがとってくる」

「なら俺はここで待ってるよ。頼むぞ」

「わかった」


 緩く笑うレシェイヌに、レイガが頷きを一つした。

 幾分静かになった足音が、レシェイヌの耳朶を擽る。

 いつになったら迎えがくるのかはもう、考えないことにした。もしかしたら、ここを自力で脱出して、騎士団の宿舎へと着くまでの過程すら、訓練の内に入っているのかもしれない。そうなれば当然、迎えなどくる筈もないし、下手をすれば一生秘境で暮らす羽目になることだって有り得る。

 弟子、なんて聞こえはいいが、クラリがどこまで本気で言っているのか分からない以上、捨てられる結末だって用意されていると考察した方が無難だ。


「前途多難…」


 力なく呟かれた弱音は、そよぐ風が浚っていった。



***



 天を仰ぐレシェイヌの横顔からは、確かな憂いが浮かんでいる。

 それを距離を開けた場所から見守る影の正体こそ、彼らが兄、レゼンであった。

 わざわざ休暇を申請してまで付いて来た過保護な兄は、二人に気付かれないよう初日から観察していたのである。

 固く握られた拳が、手を出したくて仕方がないことを如実に主張している。

 レシェイヌよりも悲壮感に沈む彼の背中からは、威厳というものが綺麗に滑り落ちていた。

 弟至上主義な兄。まさにレゼンのことであった。

 一応、ここへ来る許可はクラリから貰っているのだが、なにぶん条件が悪かった。手出し無用なんて、そんな、殺生な。麗しい兄弟の絆をあの人はなんだと思っているんだ。しかし、その方が二人の為だと、理にかなった内容でつらつら述べられてしまっては、此方とて、ぐうの音もでない。

 レゼンにとって、既にレイガも守るべき弟になっていた。レシェイヌが面倒をみているのだから手をさしのべるのは当然だ。振り払われるかどうかは別にして。

 未だ魔術を開花させるに至っていない二人が、大蜘蛛に襲われた時、焦りを覚えるよりも早く、レゼンの両足は大地を蹴り上げ土塊を飛ばしていた。

 寸前のところで思いとどまりはしたが、間違いなく理性を置き去りにしていた。

 二人の修行を台無しにするところだったのだ。反省はないが、危なかったと危機感を感じた。

 こうして直に見ていると、弟の成長が手に取るようにわかる。喜ばしい反面、どことなく仲間外れにされているような気になるのは何故だろう。

 最後に別れた時も、結局、レシェイヌはレゼンに遠慮気味なままであったし、レイガも警戒を解いてはくれなかった。

 たがしかし、ここで、兄の懐の見せ所である。

 レゼンは張り切った。大いに意気込んだ。

 しかし、寛容に受け止めたつもりだと言うのに、クラリには脅すなと忠告されてしまった。

 全く意味が分からない。

 前々から思っていたが、あの人の目は節穴なのだろうか。

 無表情で非常に分かりにくいレゼンだか、割と感情は豊かな方である。

 これが要らぬ誤解を招いた原因なのだが、本人は全く気づいていなかった。

 こうして二人を尾行しているのも兄心故である。

なにかあったらどうするんだ。

 その、『なにか』を経験させることが、クラリの真意だと分かっていても割り切れない。

 レゼンは願う。早く魔術を使えるようになってくれ。

 そうしたら、さっさと連れて帰るのに。

 思いとは裏腹に、二人は魔術の存在にすら目を向けない。ひっそりと隠れ続けるそれを見つけない限り、使いこなすなど遠い夢の話だ。


「あのさ、さっきからキョロキョロしてなんなの? きになるんだけど」

「俺もよくわかんない。なんとなく? みたいな」

「あいまいすぎるでしょ」


 果物を取り終えて合流した二人は、どうやら、今夜の寝床を探すことにしたらしい。

 なんとなく、というレシェイヌの抽象的な発言。如何にも感覚で捉えたように聞こえるが、これは大きな進歩だ。気配を絶ったレゼンの視線を、敏感に察知した証拠である。

 レイガの方が警戒心を飼っている風に見受けられるが、レシェイヌが張り巡らす、ピンと張り詰めた意識の糸は、だるそうな彼の雰囲気とは遠くかけ離れている。故に、相手の油断を誘いやすい。レゼンには不可なこれは、もう、本人の性格の問題なのだろう。

 新たな発見に満足しながら、レゼンは二人の後をコソコソと追うのであった。

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