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没落兄弟  作者: クロシロ
4/12

国家騎士団

 近頃、屋敷内が騒がしい。

 分厚い絨毯に足裏を吸い込まれながら、レシェイヌは本邸にその姿をみせた。

 四方八方から向けられる視線が痛々しいが、今日、ここへ来たのには理由がある。

 現当主からのお呼び出し。

 こんなこと、初めてだ。

 レイガとあんな作戦会議を開いた後すぐ。これは偶然にしてもタイミングが良すぎる。もしや俺の幸運が開花したのか。きっとそうだ。そう思うことにしよう。

 奥へすすむに連れて人の姿も気配をも消えていく。

 仄暗い通路を照らす火は温かいはずなのに、頬をなぜる空気は冷たい。

 辿り着いた先。立ちふさがる重厚な扉をノックしようとして、手が止まる。

 氷のような冷気が手の甲から伝わってきたからだ。

 レシェイヌが気になっていたのは、この現象である。 まるで見えない氷に覆われているようだと言うのに、触れてみればただの無機物。熱を持つわけでもなければ、氷の礫を構えているわけでもない。冷気だって消えてしまう。だが手を離した途端に、再び凍み氷った気が指先から纏わりついてくる。

 なんだ、これは。本邸の所々にあるこれはなんだ。

 兄がまだいる頃から感じていた。それが異常だと感知することも早かった。恐怖と好奇心がごちゃ混ぜになった塊を、二度と這い上がって来ないようのど奥へ押し込んだのに。過ぎる年月は徐々にそれを表舞台へ引っ張り上げてくる。

 冷気の正体を掴むべく読みあさるようになった書物も、レシェイヌに示唆を与えてはくれなかった。



 質疑応答。伯爵との会話はその一言につきる。

 久し振りだな。はい。

 白々しい挨拶だ。

 末子とはうまくいっているか。はい。それはよかった、ずっと気がかりでね。

 鼻で笑いそうになった。そのためにわざわざ呼び出したって? この嘘吐きめ。


 ところで、冷たくはなかったかい?


 ブワリ。全身の血がざわめいた。

 脈絡のない内容だ。主語だって抜けている。けれども理解出来てしまった。思わず相手の目を見る。射抜かれた体が時を忘れた。半分血のつながった男は、反応を返さないレシェイヌに、聞こえているかいと訊ねながら首を傾げた。

 同時に白髪混じりの前髪が揺れて瞳に影を落とす。その影がぐにゃりと歪んだ。求める一声の誕生を期待して伯爵が笑う。

 彼の期待に応えてはならない。直感だった。


「何のことだか分かりかねます」


 脂肪がぶら下がった顎にぐぷりと指を沈め、彼は落胆の溜め息をついた。

 それでも顔貌はまだ諦めていない。宝石が本物であると信じている。


「もう少し…か」


 退出と重なり届いた独り言は、レシェイヌの確信を確固たるものとした。

 伯爵は冷気の正体を知っている。そして感知できる人間を求めている。だが、なかなかいない。おそらく一定条件を達成していなければならないから。それにレシェイヌは当てはまっていた。だから期待した。もし分かると言っていたら? 何かに利用するつもりだ。そこに命の保証はない。


…ん?


 思考回路が止まる。利用の道は幾数本もあるが、そこに生死が加わるとすると。

 身代わり、実験、はたまた生け贄。


「まさか、ね」


 兎に角収穫はあった。また作戦会議を開こう。

 しかし来た道を戻るのは憂鬱だ。側室達の部屋がある離れ屋敷の表を通ればまたあの視線に晒される。本邸に堂々と、かつ頻繁的に出入りしている彼女達は変化に敏感だ。囲い込まれて問いただされる可能性もなきにあらず。突っ切るのは好ましくない。身の安全的にも。

 遠回りになってしまうが、迂回しよう。厨房の裏から大廊下へ抜ければ離れはすぐそこだ。来る時は道順すら指定した伯爵の意図が今なら分かる。強弱はあれどことごとく冷気がある場所を通ったのだ。つまりは、そういうことである。

 陰険たけれど小賢しい。

 ただの木偶の坊だったらもっと付け入る隙もあったのに。

 いっそ、限界まで脂肪を溜め込んだ巨漢な体が階段から転げ落ちてしまえばいい。

 右に左に曲がっていくにつれ細々となる通路。

 あともう少しというところで、時の見計らいはレシェイヌの数秒後の未来を強引に引きずらした。曲がり角にて二つの壁と鉢合わせしてしまったのだ。

 黒い燕尾服の男と、あと。


「失礼致しました、レシェイヌ様」

「!え、あ、」

「いいよ。そんなのいちいち気にしなくて」


 謝る執事の二歩後ろ。レシェイヌと同年齢だろうか、狼狽える少女が目に入った。

 今度は新しい妹?


「その子はどうしたの」

「領民の方でございます。旦那様の意により、昨日よりお招きしております」

「へえ。だからなんか騒がしかったのか。他にも何人か来てるの?」

「はい」

「みんな子供?」

「はい。仰る通りでございます、レシェイヌ様」


 律儀に答える男。頭は下げたまま。特定の付き人すらいないレシェイヌに、こんなにも丁寧な態度を取るのは使用人だとしても珍しい。

 まず腰を折ったまま。珍しい。主家との会話で目線を合わせることは失礼。守られている。珍しい。名前を様付きで呼ばれた。初めてだ。レシェイヌの前から立ち去りたいという片隣がまるでない。丁寧に対応されている。なにこれ珍しい。

 珍奇だ。

 こんな使用人、この屋敷にいたんだ。

 驚きから覚めたレシェイヌは、去っていく二人の背中を金色の目に閉じ込めながら、開いていた唇をゆっくりと縫い合わせた。

 後回しになってしまったが一番考えなきゃいけないのは女の子の方だろ。伯爵が呼んだ? 領民を? なんのために?

 これもまた今までにないことだ。

 その場面に出くわしてしまったのは幸か不幸か。

 肩越しに振り返る。レイガへの報告は、もう少し先になりそうだ。





 夕暮れが世界を紅に染める頃、朝から本邸へ赴いていたレシェイヌが帰ってきた。さっそく情報をよこせと自室に押し入ったはいいものの、蒼白な顔貌をして深刻に唸る様子に言葉が出ない。綺麗だった部屋の床に散らかる本は全て魔物図鑑。なんだ。一体何があったんだ。

 棒立ちになってレイガが動けずにいると、レシェイヌが大きな溜め息を吐いて絨毯もしかれていないそこへぐでんと沈んだ。

 ちからつきたな、あれ。


「ねえ、ちょっと。どうしたの」

「人喰植物」

「え?」


 そんな突発的に単語を放たれてもすぐに拾うことなどできない。


「伯爵の秘密、お前が疑っていたもの、この屋敷に隠されているもの」

「まって、まってよ。いみわかんないってば」

「無理矢理にでも理解しろ。じゃなきゃ死ぬ。冗談抜きでとんでもないぞ」


 レシェイヌの顔からは変わらず血の気が失せている。常ではまず見ないせいだろうか、レイガに不安の花が芽吹き始めた。


「それって、それ、ひとを」

「喰うんだよ。文字通り」


 耳朶にぶらさがり鬼と化した言葉がゲラゲラとレイガを嘲笑う。払いのけて耳を両手で塞いでも、声は溶けた飴玉のようにべったりと鼓膜に張り付いてレイガが逃げることを許さない。


「領民の女の子がいて、俺ついて行ったんだ。尾行ね。そしたら地下があって」


 所々支離滅裂なのはレシェイヌも混乱しているから。


「これがいたんだ」


 提示された図鑑。開く頁。

 描かれていたのは、毒々しい赤と不気味な紫の蕾を茎に飾り、大輪の花を咲かせてその中に人間のような歯を持つ醜い植物。


「大人三人くらいのでかさだった。女の子が花に喰われそうになって、けど俺、見てられなくて、怖くなって」


 それっきり音が途絶えた。

 告げられた事実はレイガの思考街路をぐるぐると螺旋状に荒れ踊り、無理矢理手繰り寄せて飲み込んでも冷静な自分が顔をだしてくれない。


「俺達は餌だ。伯爵に飼育されている餌なんだよ」


 拾い上げた千載一遇の機会は、破滅への道標でもあった。


「冷気がなんなのかは分かんないけど、間違いなくそれに関係していることだと思う。でも、どっちにしたって」

 

 最悪。本当に、最悪だ。


「次は俺達の番かもしれない」


 こんなことなら何も知らない方がよかった。

 まるで生きる力をも手放したかのようにレイガから全身の力が抜けきり、顔が地を向く。


「後先なんて言ってる場合じゃない。逃げるぞ」

「っえ、?」

「3日だ。3日以内にここを出る」


 曇天に一条の光。

 追いかけるようにして見上げた先には、兄がいた。



***



 野草を踏み荒らし、土を跳ね上げ、一塊となった武が静寂の中を突き進んでいく。馬の嘶きも集団となれば獣が唸っているかのよう。

 国家の旗を天高くあげ国への忠誠を刻む彼等は、流星の如く夜を切り裂き、かの地を目指して進軍していた。

 筋骨逞しい集団を率いている女の覇気が若者達にも伝染し、皆一様に勇ましい顔付きで眼前を見据えている。

 その中に一人、したたかな表情をのせる青年がいた。

 燕尾服という場違いなものを着込み、馬の手綱を握し直して先頭へと並びでる。瞬く紅眼。風に煽られる銀髪。ぐっと一度顔を下に向けたかと思えば、次に上げたとき、容姿の色彩こそは同じだが、顔貌が全くの別人になっていた。

 変装を解いた、氷の彫刻と評される青年レゼンは、自分の上司である人物を横目で見る。


「遅い」

「文句言う暇があったら馬の尻ひっぱたいて走りなさい。これでも急いでるの」

 

 ゴツゴツとした大男。

 彼女を表すならそれだ。それしかない。

 太く筋肉のあつい四肢、丸太のような首、眼孔鋭い目元。

 巨漢な男が女装したかのような見た目だがしかし、彼女、クラリはれっきとした妙齢の女性である。

 厳つい顔立ちも相まって迫力が倍に膨れ上がっているのはいつものこと。さり気なく目を逸らすような可愛らしい性格を根こそぎ過去で落っことしてきているレゼンは、生意気そうに鼻を鳴らした。

 伯爵家の長男として生まれ、家名を捨てて国家騎士団となり何年経ったか。今でも屑箱に閉じこめられている弟がいる。自分が置き去りにしてきた可愛い可愛い泣き虫な子供だ。

 大きくなった。声も少し低くなっていた。任務中のためはっきりと顔を見ることは叶わなかったが、偶然の鉢合わせに幸運を感じていた。

 しかし、一等に重くのしかかってきたのは罪悪感。

 縋りながら行かないでと訴えたレシェイヌの手を振り払ったあの日。

 人間一人の命と人生を背負う覚悟がなかった臆病な少年はもういない。

 駈ける馬の速度が上がる。暗雲立ち込めるかつての我が家を目下に捉え、レゼンは表情を崩した。

 邸宅を囲うようにして警備兵が立っているが、地に着く足から伝わる地鳴りで異変に気付き、声を上げながら辺りを見回している。

 昔は恐怖を凝縮した巨人だと思っていた彼らも、今じゃたかがしれているようにしかうつらない。

 クラリが彼等に向かって放つ言葉を拾うほどレゼンの耳はいい子ではない。愚直なまでに自己に正直な男は、思うがままに門を走り抜けた。馬ごと侵入してきた不審者は国家の紋章を刻む勇士。急激な事態に腰を抜かす使用人を一瞥し、レシェイヌの姿がないことを確認すると、レゼンはすぐさま動き始めた。

 騎士として優先すべきは喰人植物の確保。部下としての正しき行為は上司の指示を仰ぐこと。国を想う勇士なら罪人をいち早く縛り付けて正義をしめす。

 しかし、それはレゼンがしなくとも、後方にいるクラリと同僚達がしてくれる。

 喉奥から迸る怒声はただ一人の名前だけを形作り、濁流のような勢いで離宮へと押し入った。女の悲鳴がつんざくそこにも探す少年の姿はない。

 部屋の扉を蹴破る。いない。次は。ここにもいない。

 誰でもいいと掴んだのは上等なドレスを着た淑女の髪。痛みに泣く女にレシェイヌのことを問い詰めても知らぬの一点張りで埒があかない。

 無造作に放り投げて悪態をつく。

 そして今更ながら気づいた。魔法を使えばいいじゃないか。どれだけ焦っていたんだ自分は。

 人差し指へ魔力を集める。途端に溢れる水を糸のようにして四方へ伸ばす。魔力によって創造されたそれは魔術師にしか視認することができない特殊な能力だ。魔力を持たない人間は術者が操作しないかぎり肌で感じることも不可能なものである。

 突然微動だにしなくなった男に周囲もつられて動きを止める。静止画のような場面が意図せず出来上がってしまったわけだが、見えぬ水糸は蜘蛛の巣を広げ屋敷内を蹂躙していた。

 目的の他にも現場がどんな状態になっているかも大体把握できた。やはり最初からこうしていればよかった。

 魔力を切る。水糸も消える。進み出した時を倒れ伏す者達が自覚した瞬間にはもう、青年の姿はどこにも見受けられなかった。

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