謎解きはここから
ぎしりと骨が鳴る。
緩まない締め付けにもがきをも封じ込められ、動かすことすら許されない。
首筋の裏に触れる鱗がなお恐怖を促そうとするが、魔術を知り興奮に染まったレシェイヌには無意味であった。
その瞳たるや、不気味に光華し、金色の満月が一等美しさを増していた。
大蛇の巣窟に放り投げられ、その巨体と直面する。
長い胴を振り回して、逃げるレシェイヌを狙ってくる。浴びた衝撃の重さに潰れた声が漏れた。
痛みつけておきながら、手加減されたそれに、レシェイヌを仕留めようという兆しは見えない。
足ばかりを狙われ、これは逃走を防ぐための攻撃だと悟る。
それこそ、骨を砕く勢いだ。
転げ回って息が切れる。
擦りむけた膝から垂れる血が、まるで蛇の舌のように踝へと這い落ちていく。
ルスターのように拳を握っても何も起こらない。
ぐつぐつと煮えたぎっていた血が冷め始め、立つ鳥肌に夢見心地が奪われる。
舞い戻ってきた現実に思わず舌を打った。
ルスターのように魔術を使うことができれば、こんな奴に手こずったりしないのに。
レシェイヌは相手の意表を突くことが得意だ。
大蜘蛛を谷底へ落とすために誘導した時もそうだが、猛攻突進するほどの実力はなくとも、相手を嵌めるための策を練る頭脳が備わっている。
それはクラリが一目置くほどで、レシェイヌ最大の武器であるのだが、極端に秀でているせいで、レシェイヌの戦闘様式に難点を生んでしまっていた。
「いっ!」
大腿を走る痛感に膝が崩れる。大蛇の牙から滴下する赤いそれに、噛まれたのだと知見し、琴線がピンと張り詰めた。
開ききった瞳孔が定める先には、再度迫り来る敵の影。
生と死をのせてせめぎ合っていた天秤が、レシェイヌが諦めを抱いた瞬間、片側に大きく傾いた。
しかしその諦念を噛み砕き、歯肉を見せながら唸る獣が、レシェイヌの心臓に爪をたてる。
「っざけんな!!」
ヤケクソという名の根性魂が爆誕した。
恐怖を脱ぎ去り孵化した剥き出しの情。
それを額へ一点集中に凝縮させる。
睨め付ける先はそのままに、衝撃を覚悟してぐっと奥歯を噛み締めた。
よって、大蛇の鼻先に、渾身の頭突きが炸裂したのである。
振動でレシェイヌの世界がぐわんと揺れ、沈む意識の最中、どこかで水の音が聞こえた気がした。
目覚めは存外早いものであった。
大蛇の姿は消え、何故か足場悪く水浸しになっている空内に眉根が寄る。
一体、何がどうなったというのだろう。
しかし、堅苦しく引き結ばれていたレシェイヌの口元が、その人影を視界に留めたとき、緩みをみせた。
緊張感が切れたところを飛びかかられ、支えきれずに後方へ倒れる。怪我を負う膝が悲鳴を発したが、何食わぬ顔を装ってごまかした。
「あれ。迎えにきてくれたの? レイガ」
バシャバシャと近付いてくる足音はさしずめルスターか。
「…にいさんっ!」
か細く震えながらも、はっとするような悲哀が込められた言霊が、レシェイヌを貫いた。
頼りない腕を腰に回し、感情のままに歪む顔をレシェイヌの胸に押し当て、むんぎゅうとレイガがしがみついてくる。
素っ気ない態度が多いレイガの思わぬ行動に虚を突かれる。それ程心配をかけてしまったのか。申しわけなさがこみ上げた。
──いや、それよりも。
今、兄さんと呼ばれたような。
「レイガ、」
「にいさんケガ! ケガしてる!」
「う、ん。ちょっとな」
「うそだ! いっぱいケガしてる!」
「大丈夫だよ。大丈夫」
青ざめながら嘆くレイガ。宥めるように何度も頭を撫でながら、レシェイヌは困惑していた。
その顔を、ようやっと追いついてきたルスターへ回す。
が、彼も彼なりに思うところがあるのか、開口一番に謝罪をしてきたりと、何故だかとても腰が低い。
肩を貸してもらいながら洞窟を抜ける。引きずる足にレイガが辛そうに唇を噛んでいるのが目にうつった。
「なにレイガ。お前も血がでるぞ」
「っあ、ごめんなさい。つい。」
素直すぎてお前誰? と思わないと言えば嘘になる。
ルスターに目線をやれば、ツンデレがただのデレになったとのこと。また聞き慣れない単語だ。両脇とも意味が分からない。
とりあえず、おとなしくしておこうと結論付けたレシェイヌは、頷くだけに留めておいた。
***
時は少し遡り。
三人の背中が茂みへ溶け込むと、ライドは溜め息を一つ吐き出した。如何にもあきれた、といった風でとある大樹を面倒そうに睨む。
「お前、いつまでついて来るつもりなんだよ。いい加減帰れ。視線が鬱陶しいったらありゃしねえ」
「……弟達しか見てないけど。自意識過剰なの? 変なおっさん」
「クラリから聞いちゃいたが、ホント阿呆になったな」
レゼン、と青年の名を呼んでも、無の鉄仮面を付けた彼からの反応はない。
「あんな餓鬼と仲良くして、レシェイヌに馬鹿がうつったらどうしてくれんの」
「…それルスターのことか」
「名前なんて知らないよ。聞き流したから」
こいつ、以前にも増して頭のネジが緩くなってやがる。
ライドの溜め息が止まらない。今度は天を仰いだ。
「過保護にもほどがある。今は俺が預かってんだ。てめえは帰れ。任務もあるんだろ」
黙るレゼン。図星か。
「二人とも、俺の大事な家族なんだよね」
「おう」
「レシェイヌには特に、ずっと罪悪感があるんだ」
「へえ」
「だから、今度こそ最後まで責任を持とうと思ってる」
「そうかそうか。それが歪んじまった愛情ってやつな」
「は? 普通でしょ」
あのちっこい奴らの背後には、こんな野郎が目を光らせているなのか。
彼等の事情をライドは知らない。だが、なかなか根深いモノではあるようだ。
慈悲とか愛とか優しさとか、落っことしてきちゃったのかと認識していた青年が、こうも変わった姿を晒すとは。
影が落ちた銀髪。瞬く紅眼から読みとれる心内。
「俺への繋ぎとして、ちゃんとあの子達を守ってね。あんたの実力だけは信用できるから」
「わかったっつの」
「弟子より優先してよ。人材的にもそうだし」
「ボロクソだな。あいつはこれから化けるぞ。おそらく」
興味ない、と、レゼンらしい台詞を残し、彼は残像も残さずその場から消えた。
「あー。厄介なもん引き受けちまったなあ」
ぼやいて暫く。戻ってきた三人組に、片眉が跳ね上がったのは致し方ないだろう。
「なんだ、ズイブン派手になったな。レシェイヌだけ」
「すんません師匠。オレの落ち度です。大蛇に襲われて。油断してました」
「…かち合わなくて良かったなー」
「え?」
「なんでもない。ほら、怪我みせてみ」
力無く投げ出されたレシェイヌの足には、くっきりと二つの穴があいている。
歩く度に血が溢れ、零れ落ちたのか靴の中生地まで赤に染まっていた。赤銅色に変色している所もある。そこから負傷したであろう時刻を読み取り、毒の有無を確かめた。
「…」
「ライド? 何かあるの?」
言葉なく手を止めたライドに、不安と疲労からか敬語が抜けて余裕が失われていくレシェイヌ。
「問題はない。ひとまず大丈夫だろ。安心しろ」
レイガと共にほっと肩を撫で下ろしているところへ、持参している薬草を古ぼけた布切れの鞄から取り出し、包帯と一緒に巻き付ける。
そこでレイガが何かを言おうとしたが、さっとレシェイヌが目で押さえた。
二人の魔力の粒子を見れば、まあ、言いたいことは分かる。出会ってまだ間もないが、この短時間で成長してくるとは存外骨がある。クラリが弟子にしたと語っていたが、なるほど納得だ。
種明かしはまだまだ先だと思っていたが、これは考えを改める必要があるな。
処置が終わり、ライドはレシェイヌの額をぺちりと叩いた。