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蒼天に帰す  作者: 森戸玲有
第一章
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第一章 ⑥

 結局、アランは暫時、斎条の屋敷で預かることになってしまった。

 場所も、当分は、納屋の中という命令である。

 宗近は愕然とし、綾女も絶句した。

 絶対、危害を加えてはならないということなので、どう接して良いのか、家人の誰にも分からない。

「客人としてもてなせ」ということなのかもしれないが、主君の命を狙っていると公言している男、しかも異なる人種の者などに優しくできるはずもなかった。


 ……寝付けない。


 どういう気持ちで、青玄がアランに情をかけたのか。

 綾女が席をはずしていた間に何らかの密約でもあったのか。

 考えても、考えても、意図が読めない綾女は、とうとう痺れを切らして、部屋を出たのだ。

 納屋の前で見張りをしている家臣を言い含めて、やっと綾女はアランのもとにたどり着いた。しかし、会った途端、また自己嫌悪に陥っていた。

 こんなことが宗近にばれたら、絶縁されるかもしれない。


「こんな時間に、どうしたのです?」


 アランは本当に驚いたのだろう。

 ぽかんと大口を開けて、座り込んだまま、綾女を見上げていた。


「実はだな。か、(かわや)と間違えてな」

「へえ……」


 アランはぽんと手を叩いて、大げさに反応した。


「それは大変ですね。私も一度行かせて頂きましたけど、方向逆ですよ」

「分かっている」

「大胆な間違え方ですねえ。貴方の家なのに迷ったのですか?」

「うるさい」


 言い繕うことが出来なくなって、苦肉の策で綾女は怒鳴った。


「私は……! 私は青玄様が心配でもう一度ちゃんとお前を吟味してやろうと思ったのだ! まったく、青玄様は、何をお考えなのか? 本来ならお前の首を、即刻ここで落としててやっても構わないのだがな」

「物騒なことをおっしゃいますねえ。でも、結局、貴方には、その権限はないんでしょう?」

「お前、私を馬鹿にしているだろう?」

「……してませんよ」


 アランは相変わらず、暢気だった。

 縁なしの眼鏡(がんきょう)が鼻先まで落ちかかっているのが、間抜け面に拍車をかけていた。

 昼間はかけていかなったのだから、おそらく、かけてみろと、青玄に言われたのだろう。

 アランの持ち物すら、青玄は没収していないようだった。


 ……主君ではあるけれど。

 確かに、あの方のことを綾女は、誰より尊敬しているけれども……。


 だけど、本当に分からない。

 …………一体、あの方は何をしているのか?


 苛立ちながら、綾女は、アランを見下す。

 ぶかぶかの僧服で胡坐しながら、壁に寄りかかって、うとうとしている。

 満腹で、眠いようだった。


「私は、まだ納得していないんだぞ。誰の命令で、お前が青玄様のお命を狙っていたのか、お前の目的は何なのかとか?」

「うーん。青玄様にはさっき言ったから、いずれ貴方のお父様から、お話聞くんじゃないですか?」

「父上は、私には絶対言わない。さあ、言え。青玄様には何を喋ったのだ?」

「ヒメさまは、ワガママだなあ」

「はあっ?」

「綾女さまは、おヒメさまなのでしょう? 青玄様がそう言ってました。じゃじゃ馬ヒメで、乱暴ヒメ」

「……青玄様。まったく、何てことを」


 いくら何でも、そんな呼称を吹き込まなくっても良いではないか?

 綾女は、青玄を恨んだが、この場にいないのなら、どうにも出来ない。


「正確には、私は姫などではない。青玄様には、長く奥方さまがいなかったから……」

「へえ……」


 アランは、生欠伸をしながら言った。


「綾女様は、青玄様の奥さんじゃないのですか?」

「からかうな!」


 綾女は、自分でも怪しいくらいに、うろたえた。


「青玄様には、ちゃんと奥方がいらっしゃる」

「誰?」

「そんなことを、知ってどうするんだ?」


 綾女は、深呼吸をした。まともに話している自分が虚しくなってきた。

 この男に、翻弄されてはいけない。


「とにかく、当家のことはお前とは関係ない。問題なのはお前の方だ」

「問題なのは、綾女様ですよ」


 アランは落ちかかっている眼鏡(がんきょう)をそのままに、周囲を見渡した。

 がらんとしている。

 誰もいない。

 外では、衛兵が待機しているが、納屋の中には、息遣いが聞こえるほど至近距離に、二人きりだ。

 この場に、アランと綾女しかいないという現実を、綾女はようやく実感した。


「だって、女の人が供を連れずに、こんな夜中に囚人の、しかもオトコの所に来るなんて。……ねえ?」

「それは…………」


 そうかもしれない。忘れていたが、一応、綾女は女だ。

 格子の外には、丸い月が照っていて、月影が厳かにアランの髪を染めていた。


「別に。私はお前なんぞ怖くはない。どうせ縄で拘束されていて、身動き取れないだろう。剣には自信があるんだ」

「でも、お父上、いや、青玄様が知ったらお怒りになるんじゃないかな?」

「その減らず口。……口が利けない程度に、今から斬ってやろうか?」

「えっ」


 綾女は、袖の中に隠し持っていた短剣を、アランの前に突き出した。

 そこで、ようやく、アランは、覚醒したらしい。

 後退する隙間もないのに、素足を少し後ろに引っ込めた。


「まあまあ。綾女様。貴方の好奇心には、私も脱帽ですよ」

「好奇心などではない」

「分かりましたよ。綾女様」


 綾女が剣を下ろすと、早口でアランは喋りはじめた。


「実は、貴方がお察しの通り、私は安能の使いで、青玄様の命を狙いにきたのです」

「……やはり」


 納得しつつも、何故か綾女はぴんとこなかった。

 解せない。

 こんなにあっさり白状するなんて。この男の真意は、何処にあるのだろうか?


「……どうしてだろうな? お前みたいな貧弱な異人に何ができるというのだ?」

「そんなふうに、貴方が思うから、私が抜擢されたんでしょうねえ」

「お前は、剣も持っていなかったが?」

「凶器など、何処からでも調達できるじゃないですか。私は異人です。このとおり、珍しいでしょう? それに、和国の言葉も分かっちゃうし。異人は珍しいから、いきなり殺されかかるっていうことは、滅多にないんですよ」


 綾女は何度も、アランを斬ってやろうと思ったが……。

 しかし、もしも、権力者だったら、外の世界を知っているアランのような男の命を、そう簡単に奪おうなんてしないのかもしれない。


「…………で。安能には何で、買収されたんだ?」

「そこまで、青玄様には話してないデス」

「私が訊いている」

「はいはい」


 アランは天井を仰ぎ、考えながら一言告げた。


「実は…………、私の兄が安能に囚われているのです」

「何だと?」

「まあ、それで安能に脅されて、渋々邑州に来たんですけど、人殺しなんて怖いなって思って、あの山の近くで、時間を潰していたんです。そしたら、何とそこに、貴方が来たわけです」

「私は、お前に好機を与えてしまったというわけか」

「でも、やっぱり、殺しは良くないですよねえ。……兄は、仕方ないですよね。人生諦めも肝心っていうみたいだし」

「……お前、それは本音か?」

「ハイ」

「馬鹿者!」


 綾女は一喝してから、口を押さえた。

 声を聞きつけて、誰かがこちらにやって来る気配は今のところない。


「何故、それをちゃんと、青玄様に申し上げなかった?」

「聞かれなかったので」

「話にならんな。一体、お前は何を考えているんだ……」


 綾女は、全身の力が抜けていくのを、自覚してその場に座った。


「とりあえず、青玄様にその旨を伝えて、お前の兄について調べてもらわなければ」

「無理だと、思いますけどねえ」

「お前が諦めてどうする」


 綾女は、しゃがんでアランの瞳に目を合わせた。

 吸い込まれるような空色の瞳が月光を浴びて、暗い色を帯びている。

 上目遣いで、アランが綾女を見た。


「青玄様には、そんな暇ないでしょう? 戦争が始まれば、青玄様が率先して行くんだから? それに、綾女様は本当に私の話を信用しているのですか?」

「嘘なのか?」

「嘘じゃないです」


 綾女はむっつりと黙った。

 アランは、綾女の膨れ面を眺めながら、清らかな瞳で、静かに笑う。

 漠然とだが、綾女には、分かったような気がした。

 青玄の考えが…………。


 きっと、アランは、ただ者ではないのだ……。

 外国人だとか、和人だとか、そんなことは関係ない。

 ……もしかしたら、綾女のような小娘が、対峙できるような男でもないのかもしれない。


 しかし、ぼんやりと思索にふけっていたら、突如、手のひらに冷たい感触を覚えて綾女は、素っ頓狂な声を上げた。


「な、な、何だ?」

「何だ。お腹がすいていたんじゃないんですか?」

「はっ?」

「だから、わざわざ一目を盗んで、こんな所に一人で来たのではないのですか?」

「…………何だと?」


 見遣れば、手のひらに昼間の小さな菓子が五、六粒くらい乗っていた。

 …………こんぺいとう……だ。

 アランは、前に縛られている縄の下で「こんぺいとう」の入った小さな瓶を手中に持っていた。

 縄は解けていない。

 その不自由な態勢で、どうやって綾女の手のひらに、小さな菓子を乗せたのかさっぱり分からない。

 異国人は、体が柔らかいものなのか……?


 …………いや、そんなことよりも……。


 綾女にとって、そんなことはどうだってよかった。

 思わず反対の拳を握りしめる。


「どこまで、私を童扱いすれば気が済むんだ」

「あれ? 綾女さんは、大人の娘さんなのですか? どうも、和国の人は身長が低いので、みんな子供のように感じてしまって……」

「嫌味を言うのが異国の人間の特徴なのか?」

「じゃあ、大人扱いすれば良いんですか。まったく、難儀な人だなあ……」

「お前は……!」


 言い返す間を与えず、アランは突如、拳骨を作っていた綾女の手を取り……。


「なっ……!?」


 いきなり手の甲に口をつけてきた。


「何するんだ。一体!」


 濃厚な熱い感触に、密やかながらも、声を荒立て、綾女はすぐさま手を引っ込めた。


「どうしたんです。この程度で?」

「この程度だと?」


 大声で怒鳴りつけてやろうとして、しかし、慌てて綾女は口を押えた。

 騒ぎを起こしては、駄目だ。

 そんなことをしたら、綾女の立場が益々まずくなる。

 自分で勝手に危険人物に近づいて、勝手に被害を被ったのなら、自業自得だ。

 ……でも、驚愕に苛まれた感情が収まらない。


「異国の人間は、いきなり手の甲に口づけするのが大人扱いなのか? そ、それにだな。お前、縄はどうしたんだ?」


 矢継ぎ早に質問を飛ばしながら、綾女は一気に上昇した体温を冷やすのに、懸命になっていた。


「答えろ」

「…………えっーと、ですね。まず、縄は、ほら、この通り解けていませんよ」



 飛びのいてしまったためにできてしまった、アランとの距離を、綾女は恐る恐る縮めていった。

 確かに……。

 彼の言うとおりだった。

 縄は解けていない。


「…………しかし、今、お前は? なんで?」


 手を掴まれた感触は、しっかりあったのに……?

 だが、アランはにやにやと眼鏡の中の瞳を光らせている。


「なに、やらしい目で見ているんだ?」


 綾女は生まれて初めて、身の危険を感じていた。

 今まで、自分をそういう目で見た人間を、綾女は知らなかった。

 大抵、じゃじゃ馬姫、気の荒い姫、粗略に扱うと面倒な女……という目でしか見られたことがなかったのに……。


「やらしい? いやいや。和国の娘さんは面白いなって思っていただけですよ。他意はありません。もってほしいのなら、別ですが?」

「…………お前のその余裕を、完膚なきまでに叩きつぶしてやりたいんだがな」

「カンプナキ?」

「もういい」


 綾女はげっそりしながら、肩を落とした。

 アランの本心を探るつもりで、こんなところまで忍んで来たのに、これでは良いように遊ばれているだけだ。


「えーっと、ああ、二番目の質問についてなら、答えはとても簡単です。綾女さま。女性の手の甲に口づけるのは、異国の挨拶で、礼儀なのですよ。むしろ、これをしない方が失礼にあたるのです。だから、私は貴方に異国流の挨拶をしただけなのですよ」

「ははっ。そんな変な挨拶があるものか。お前が変なだけだろう?」

「うーん、変かどうかはともかく。なるほど。国が違うと、そういう発想になるんですね。でも、そんなに嫌でしたか? 異国の人間の唇が気に入りませんでしたか?」

「唇に気に入るとかいらないとか、ないだろう?」


 口走ってから、綾女はハッとした。

 混乱しているとはいえ、一体なんてことを口走っているのか。

 しかし、アランは嫌がらせのように落ち着いていた。


「気に入らなかったのなら、申し訳ないことをしたと謝罪するつもりだったのですが……。でも、貴方が大人扱いしろとおっしゃったので、ちゃんとしただけなんですよ」

「…………まさか、本当に、異国ではこんなことを挨拶にしているのか?」

「今更、信じてくれたんですね。ああ、本当、可愛い人ですね。貴方」

「………………はっ?」


 面白いの次は、可愛いらしい。


 …………見たこともない菓子や、変な瓶や、和国の砂土とかを収集している、謎の異国の男。

 変なのは、よっぽどこの男の方ではないか?

 綾女が睨み返すと、彼は少し綾女に近づき、覗き込むようにして言った。


「あっ、疑っています? でも、残念ながら、これは私の本音デス。私は今まで生きていて、貴方のような、面白くて、可愛い方を見たことがない」

「私もお前のような気持ち悪い奴を見たことがないけどな?」


 とっさに言い返せば、今度こそ肩を震わせてアランは忍び笑いをした。


「では、お互いに初めて「見た」同士ということですね?」


 腹が立つ。

 ……見たことがない……なんて。

 嫁の貰い手もない、じゃじゃ馬娘がそんなに珍しいのだろうか?

 ……馬鹿にしているのか?

 それとも……。


 ただ者ではない。 

 そうかもしれない。

 きっと、異国の変態野郎なのだ。

 綾女はそう結論付けることで、生まれて初めて手に刻まれた感触を忘れようとした。

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