第一章 ⑤
青玄は宴席まで開いた挙句、夜更け過ぎに帰って行った。
………………どうやら、自分は本当に処刑されないらしい。
周囲に何の変化も見られないことに、アランはようやくそれを現実として受け止めた。
…………まあ、それも、良い。
アランは、首をぐるりと回してから、元々結ばれてはいなかった縄を近くに放って、ごろりと冷たい床に転がった。
両手が使えない演技をするのも大変だ。
元々、縄など結ばれてはいないのだから……。
人に、暗示をかけることなんて造作もないこと。
縄をかけたのだと、門番に思わせることなんて、アランにとっては子供だましの奇術にも等しい。
人の心を縛ることなんて簡単だし、それを調整する薬だって調合することが出来る。
でも……。
そこに、アランの孤独があるのも事実だ。
眼鏡は便利だが、外したときの生活にも順応できなければ、意味がない。
アランの技術を使えば、いろんなことが実現可能だ。
しかし、自分はあくまで生身の人間であり、それを自覚していなければ、技術を進化させることも、アランの求めるものも、永遠に掴ことは出来ないのだ。
…………掴む?
そして、アランは寝転んだまま、格子の隙間に手を伸ばした。
丸い月が見えていた。
墨衣が、にわかに淡い明かりに色を変える。
月を掴めれば良いのに……。
…………そう、思った。
永遠に変わらないものは、何処の国を訪れても共通している。
アランは鷲尾の山にも登ろうとしていた。
青玄に会うのは青玄が出陣する時でも、構わないと思っていた。
けれども……。
唯一、大切にしている野望と、人を裏切るわけにはいかない。
役目を延期しようとはしていたが、放棄しようと思っているわけではなかった。
青玄を生かすか、殺すか……。
それは、アランに課せられた使命であり、役割だった。
長い間、アランはいろんな使命を忠実にこなしてきた。
今更、感情がわきたつことなどないはずなのだ。
なのに……。
何故だろう。
少しだけ、気持ちが変わった。
すぐにでも、ここから出られるはずなのに。
今から、青玄を殺すことだって出来るのに……。
アランは、こうして大人しく捕まっているのだ。
……和国にも、面白い人間がいる。
少しだけ、笑みが零れた。
アランは目を瞑る。
このまま心地よい眠りに落ちていくのだと思い込んでいた。
だが……。
ゆっくりと目を開いた。
人の気配。
歩み寄ってくる影は、衛兵のものではなかった。
解いたはずの縄を引き寄せ、眼鏡をかける。
華奢な体が、月光に彩られてあらわになった。
「綾女……様?」
呼びかけると、薄闇の中、大きな猫のような瞳がアランを射抜くように細められた。