第六章 ⑦
――洋州、箕立城は、和国の中心に位置する巨大な城だった。
大きな湖の辺に雄大に佇む姿は、隣国からも見えるほどに、高く築かれている。
城自体が、周辺国の威嚇にも牽制にもなるように築城家に工夫をさせたのだ。
山間に築かれていた滝王城や、高さがなく、要塞のような造りをしていた早於城とは、同じ城とは思えないくらい、華やかでしっかりとした造りをしている。
自慢の城、箕立城。
そこに安能 時秀は帰っていた。
勝利を察すると、残務だけを家臣にまかせて、自らはさっさと洋州に戻ったのだ。
戦争ばかりやっていると、老体には厳しい。
異国かぶれの時秀は、城の最上階、自分の寝室に、赤い天蓋のついた大きな寝台を置いている。そこで眠るのが、好きだった。
天下を取ったということを実感させてくれる。
今宵は一人、旅の疲れも伴って、熟睡をしていた。
……しかし。
安能は、気付いた。
そこは、武人のはしくれである。老いたといっても勘働きは鋭い。
「誰か?」
誰何した。
流れる空気は冷たく、視界は微かに開けている。
明け方らしい。
返事はない。
味方ではないということなのか?
安能は、枕元に置いた剣を取って、一気に体を起こした。
「おはようございます」
男は言った。
一瞬、女性と見間違えるほど、蠱惑的で中性的な顔が安能の視界に飛び込んできた。
「お前は……?」
何をどう聞いたら良いのか、分からなかった。
金色の長髪に青い瞳をした僧服の男。
自分は幻を見ているのか、そんな気すらしてしまう。
男は、特徴的な眼鏡を鼻の下に下げて、安能を覗き込んだ。
「うーん、安能様ともあらせるお方が、寝ぼけていらっしゃる?」
「……そうか。お前」
――あの時の異国の男。
安能は、ようやく、この男が斎条の娘、綾女を攫いに来た男だと思い出した。
流麗な和国語を操る異国人だ。
「貴方の噂は、あれこれと聞かせてもらってたけど、やっぱり、面白い趣味をされている」
男は、安能の異国の生地で作らせた金色の寝巻きを凝視して、顎をさすった。
「…………悪趣味」
カッとなって、安能が剣を抜いた瞬間、男の持っていた短剣が喉元に当てられていた。
「おっと。待ってくださいね。私は、この剣でこのまま貴方の喉を切り裂くことも出来るし、特殊な薬を調合して、城ごと吹っ飛ばすことだって出来る。お手製のピストルだって持っているから、試しにぶっ放すことだって可能なのです」
「何を?」
「ねえ、安能様。どれが、お好みでしょうか?」
どれも、冗談ではない。
ふき出した汗が喉元を伝う。
身を乗り出していた金髪の異人は、しかし剣を引っ込めて微笑した。
「でも、こんなことをしたって、あの人は喜ばないんです。分かっているんですけどね」
「くっ! み、皆の者!!」
安能は、弾かれたように、久々に大声で叫んだ。……が。
「無駄ですよ」
異国の男は、飄々と言ってのけた。
「最上階の人は、みんな眠っている。そのくらいの気体を作るのは簡単なことですから」
男は神に見えるほど端正な顔つきを、酷薄に歪めて、笑った。
「本当は、貴方一人をこの世から葬ることなんて造作もないことなのです。私の気を変えさせないようにして下さい」
「こんなことをして、ただで済むと……」
「和国にいる異国人を、全員追放しますか? しかし、異国人が持って来る品物で利益を上げているのは貴方です。貴方が禁じても、儲けるために異国に走る君主は出て来るでしょう」
異人は、短剣の刃を指で撫でながら、寝台の上に、ずるずると崩れ落ちた安能を睨みつけた。
「放っておいて下されば良い。私は、ただ自分の気を静めるために、ここに来ただけです。時代の流れを早めることには手を貸せても、変えることは出来ない。そういうものです。大きな川の流れには、如何なる者でも、逆らえませんから」
その言葉の意味など、安能には分かるはずもなかった。
「一体、どういうこと……?」
「だから。この先、再び貴方に剣を向けることはないと思います。貴方はただ黙って、天下でも何でも取ってくれれば良い。この国の戦争がそれで終わるのなら…………」
―――何故? 自分はこんな目に遭っているのか。
安能は、男と視線を合わせられなかった。
…………ありえない。夢だ。
寝台の真綿の布団を両手で、握りしめる。
しかし、その感覚こそが現実だということを、如実に安能に教えていた。
「この城は、普通の城とは違う。徹底的に手間隙と金をかけて築いた。鼠一匹入ることは出来ないはずだ。……なのに、お前はどうして? 人間じゃないのか?」
「天狼。それで良いんじゃないでしょうかね? もう、否定するのも疲れてきたので」
「ふざけているのか?」
「では、真面目に答えましょうか?」
異国の男は、歌でもうたうように朗々と告げた。
「私は、光と闇の狭間にいる者。連綿と続く人間の神秘を求め……、永遠を探し続ける者。人類の進化と、すべての事象の理を探求する者。貴方とは、永遠に交わることのない人間」
そして、男は刃を鞘に戻す。
昇ってきた太陽が男を、逆光の中に包み込んだ。
「本来、貴方に姿を見せるべきでもないし、すべてを明かす時は、その人間を葬る時だって、決めているけれど、たまには、こういう例外も良いと思って……」
金髪が太陽の色と同化した。
蒼い瞳が薄っすらと、細められる。
思わず、神の存在を信じたくなる光景だった。
「だけど、あえて貴方に予言だけは残しておきましょう、安能様。貴方には、天下は取れない」
「何……だと?」
安能は目を見張った。異国人は、神々しい微笑を、口元に湛えて断言した。
「顔色が悪く、大量の寝汗に、咳。半年も持たないでしょうね」
「まっ、待て! 異人!」
「貴方は、半年以内に死ぬ」
春風のような声だけを室内に残して、男は颯爽と安能の前から姿を消した。