第六章 ④
青玄との対面から数日後、布由を伴って綾女は去って行った。
二人の姿が、完全に廊下から見えなくなるのを庭から確認したアランは、無断で奥の部屋に突進して行く。
自分がしゃしゃり出ることは良くないことなど、十分に分かっていた。
ジョアンの視線も感じたし、それが綾女の望みではないことを察していた。
しょせん、アランは部外者なのだ。
自分の能力と、その限界くらいは、分かっている。
どうせ、和国という大きな河の流れを堰き止めることも、変えることも出来やしないのだ。
もしも、それが叶うのなら、アランが自国を出ることもなかったはずだ。
……そう。
だからこそ、今までずっと見て見ぬふりをしていたが、しかし、さすがにこれ以上、言いたいことを我慢したくなかった。
現にアランは巻き込まれている。
その上、綾女はすげなく行ってしまったのだから……。
アランに一言「言って来る」と告げただけである。
一体、自分はどうすれば良いのか?
………………また、追いかけるのか?
今度も彼女を追って、松原の陣中に乗り込んで行くのか?
何をそこまで頑張らなきゃならないのだろうか?
アランがこの国に来た理由は、元々他人のためではあったが、しかし、今度もまた何の約束もなしに彼女に振り回されるのは、何やらひどく情けない気がした。
……馬鹿げているし、納得ができなかった。
だからこそ、何より青玄が分からなかった。
すべての始まりは、この男だった。
何もかも、無責任にアランに託して行ったのがいけないのだ。
「どうした。アラン?」
「別に……。怒っているわけではありませんよ」
……いや、正確には怒っているのだが、感情を読み取られたことを認めたくなかった。
声を低くして、冷静を装う。
「ただ理解ができないだけです」
「やっぱり、怒っているんじゃないか。綾女を行かせたことを」
あっさり図星をさされて、むしろ腹が立った。
「違いますって。私は異国の人間のせいなのか、欲しい物が目の前にあるのに、わざと遠ざけて、良いところだけ記憶させて死んでいこうとする貴方のことが理解できないのですよ」
「私が理解できない……とな?」
青玄は、民家から借りてきた変装用の粗末な衣装に着替えていた。
出立といっても、特に持ち物もない。
甥の時玄がやってくれば、すぐ出立できそうだった。
「ええ。分っかりませんね。貴方は沢山の犠牲を出したかもしれませんが、自由にはなりました。好きになされば良いでしょう。この世と縁を切るのは、まだ早いと思います」
「ふむ。綾女と布由との話を立ち聞きしたのか。なるほど。そういうのは得意そうだな。そなたは」
青玄は、怒るでもなく冷静に言った。
「しかし、その言い方は、正しくはない。私は更に縛られたのだよ。逃げたくても、相手が死人では逃げることも出来ない」
「つまり、亡くなった大勢の人たちに、申し訳ないとでも思っているのですか?」
「申し訳ないというより、私の責任だ。今まで私は良い暮らしをして来たのは、皆が私に尽くしてくれたからだ」
「青玄様は、変な善人意識をお持ちのようだ」
「だから、何をそんなに怒っているのだ?」
青玄は、漆黒の瞳を、ひたとアランに向けた。
「そなたこそ、自由ではないか。縛られるものなど何もない。私ははじめて会った時から、そなたが羨ましかった」
「おかしな話ですね」
不思議な男だ。
素直に告白されれば、アランも、本音を吐露するしかない。
「貴方は私を羨ましいと言い、私は貴方が少し羨ましいと思ってい……ということですね」
「綾女が、……欲しいのか?」
アランは、しばらくの間、すべての体の動きを停止した。
……欲しい。
などと、そんな単純なものでは括れないような気がする。
分からない。
感情の根源など、自分にも説明できるはずがなかった。
それでも、そのまま素直に、うなずいてしまいたい気もした。
「綾女は、私に惚れていた」
青玄は、困惑しているアランに向かって、にべもなく断言した。
「だから、そなたが綾女を好きになれば良いと、私は心の底で少しだけ思っていた」
「……何ですか? その余裕の発言は?」
嫌味だろうか?
意味が分からない。
「このままでは、私は綾女を放すことが出来ないし、綾女も、私を忘れてはくれないと思っていた。戦いになって、私が死んだら、彼女はどうするのだろうかと、私はそれが気がかりだった。いっそ、有無をも言わさず、綾女を横から掻っ攫っていくような男はいないかと、常に思っていた」
「たった数日で……。そんなことを考えていたのですか?」
「正確には、そなたと初めて会った時に思った。そなたは、見目が良い」
「ふざけているのですか?」
「いや、違うぞ」
青玄は笑顔で否定した。
「見た目ではないとも、思っていた。何か影があるようにもな。その影は、私にはどうにもならないが、綾女であれば、取り払うことが出来るだろうと思った。それに、そなたは、何処かで助けを求めているようにも見えたからな」
「…………私は、異国人ですよ」
「異国人でも、和国人でも、人間ならば何処も不都合はないだろう? 本人は無自覚だが、綾女が欲しているのは、どんなものにも縛られない自由だ。そなたなら、それを綾女に与えることができるはずだ。私にはそれができなのだ。私といる限り、綾女は片意地を張り続けるだろう。……だから、綾女はそなたを救い、そなたは綾女に欲しいものを与えることができる。それが一番面白い関係だと思ったのだ」
「何が面白いですか? 本当に、横から掻っ攫いますからね」
「ああ、出来るものなら、そうしてみれば良い。一応、私は綾女に松原殿に仕えるよう、うながしたつもりだが、どうなるかは分からない」
「滅茶苦茶ですね。貴方?」
「私は綾女の幸せを祈っているのだ。私ができなかったことを綾女にはしてもらいたくてな。……選択肢は多い方が良いだろう?」
「…………分かりましたよ。貴方の意味不明な崇高なお考えは」
「アラン」
自分でも、感情的になっていることが分かっているアランは、急に青玄に向かって、振り向くことなど出来なかった。
青玄は強い意志をこめて、言い放った。
「綾女を……頼む」
「そんな」
アランは、混乱する。
二度も面と向かって告げられてしまった。
そうして、自分に告げて、逝ってしまった宗近を思い出す。
何故、こうもアランにばかり綾女を背負わせて、みんな消えていくのだろうか。
和国人なんて、大嫌いだ。
だけど、どうしてか、青玄の考えが手に取るように分かってしまうのだ。
もしかしたら、和国人より、アランの方が和国人らしいのかもしれない。
「お元気で……。青玄様」
アランは、苛立ちをそのままに、後ろ手に部屋の扉を閉めた。
その一言に、皮肉をきかせたつもりだった。
どたどたと音を立てて、廊下を進む。
しばらくして、息を吐き出すように、母国語で言葉をこぼした。
『………………あの、嘘つきが』
よくも、青玄は、アランに言ったものだ。
上手い嘘をつく者は、嘘の中に真実を混ぜるだなんて……。
―――青玄の言葉も、嘘だらけだ。