第六章 ③
青玄と別れてから、布由は人払いした部屋の隅で、声を殺して泣いていた。
一国の姫君が、侍女すらも故郷に帰し、狭く薄暗い部屋の中で涙している。
その傍らに侍っていた綾女は、布由の姿に共感とも、同情とも、愛情ともいえない気持ちを覚えていた。
自然と、しゃくりあげている布由の小さな背中に手が伸びる。
布由は、綾女が背を擦ることを拒否しない。
綾女はその背中を自分の分身のように、優しく撫でていた。
やがて絞り出すように告げた。
「青玄様は、死ぬおつもりだ」
「………………ええ。そのようです」
綾女は素直に認めるしかなかった。
言い繕い方が分からなかったのだ。
時玄を寺に送るのは、本当なのかもしれない。
でも……。
寺で僧になるなんて……。
責任感の強い青玄がするわけがない。
「私は、何も出来ぬ。止められないのだ」
「奥方様……」
「そなたにも、止められないのだな?」
「……ええ。あの方が私を止めないように、私もあの方の歯止めには、なり得ないようです」
「では、何をしても、私がどんなことをしても、あの方に意味はないのだな」
布由は、くしゃくしゃになった顔で、綾女を振り返った。
「私は、そなたが憎かった」
視線を逸らして、朴訥と語り始める。
「私にないものを、そなたは持っている。いつも、自由で伸び伸びしていて……。私もそなたのように、生きたかった。憧れていた。本当は分かっていたのだ。青玄様がそなたをお気に止める気持ちが……。でも、私は、そなたになれない。今も未来も永劫。だから、私はそなたが憎くて仕方ないのだ」
「それは……」
綾女は、つられて泣きそうになりながら、懸命に笑顔を作っていた。
「私も同じです。私も、奥方様が羨ましかったのです……」
「そなたも?」
「ええ。私はどう転んだって、奥方様にはなれませんから……」
「…………そうか。…………それも、そうだな」
布由は泣きながら、少しだけ口元を綻ばせた。
「確かにそうだ」
やがて、憑き物が落ちたような、さっぱりとした微笑に変わった。
「結局、人間というのは、自分の決められた性分に従って生きていくしかないのだな」
「奥方様?」
「綾女殿。私が、有路殿にそなたを売ったのだ。許してはくれまいか?」
「許すも何も……」
綾女は、すっかりそんなことは忘れていた。
宗近がつけてくれた護衛を、アランがこのあばら家まで連れて来て治療していたのにも関わらず、有路に狙われたという記憶がごっそり抜け落ちていたのだ。
「私は、このとおり生きていますから、大丈夫です。怪我をした志乃にさえ謝って頂ければ」
「本当に、良いのか?」
無垢な瞳で、綾女を覗き込む布由に頷き返す。
「貴方の国に帰りましょう。奥方様。貴方は、幸せにならなければいけないのですから……」
「しかし……」
布由は黙った。
何も言わない。
まだ未練があるのだろう。
しかし、懸命に、頭を使って考えている。
そこには、既に十三歳の幼さはなかった。
凛とした風貌に、女性だけが持つしなやかな強さがあった。
……大人になったのだ。
私なんかより、よっぽど…………。
綾女がしみじみ感じ入っていると、布由はぎこちなく、口元を綻ばせた。
「……綾女殿。私を故郷まで送り届けてくれるか?」
「勿論でこざいます」
綾女は、迷わずに深く叩頭した。