第一章 ②
「和国」は、動乱の時代に突入してから、百年余りになる。
長い間「和」を統一していた少祇一族の後継者争いから端を発し、火種は都から、辺境の土地にまで飛び火した。国土は焼け、農民は武器を取り、女達は帰らない夫を待ちながら一人で、田畑を耕し、子供を育てていた。
狭い領土を舞台に、群雄割拠がひしめきあい、領地を奪い、奪われたりしている。
悲惨な現状だった。
いつまでも、この泥沼の戦いが続くのだろうと、綾女は思っていた。
しかし、ここ数年の間に急速に勢力を伸ばし、あっという間に、領土を平定していった男がいる。
安能 時秀である。
元は、農民の倅だったらしいが、一代で国主に上り詰め、天下統一まで、あと一歩の段階に迫っていた。
ようやく、平和な時代が訪れる。
それは、身近な人を戦場で失い、地方を転々としながら現実を直視し続けていた綾女にとっては、喜ばしいことには違いなかった。
だが、その、あと一歩こそが……。
綾女が暮らし、父の仕えている青玄が治めている邑州。そして、主君の兄が治めている高州の制圧だった。
安能は、邑州と高州さえ手に入れれば、和国を統一したことになる。
だから、力ずくで奪おうとしている。
昨年から、いつ攻めてきてもおかしくないと、邑州でも念のため、戦準備をはじめていたが……。
やはり……。
「また、戦ですか? 大変なことになりましたねえ」
アランは、あっさりと言った。
綾女の怒りの度合いは、着々と上昇中である。
「勝手に決めつけるな。まだ、戦と決まったわけではない。今までだって、何度かそういう誤報が流れたときがあったし、これから回避されるかもしれん」
「回避……ねえ」
何か含んでいるような声に、綾女はじろりとアランを見た。
「やはり、お前、邑州で戦が起こるって知ってたんじゃないのか?」
「だって、和国は邑州とかじゃなくても、しょっちゅう何処かで戦になっているじゃないですか。別に驚くことでもありませんし。ただ、大変なところに来てしまったな……って、後悔していただけです」
「後悔……しているようには、見えないのだがな?」
綾女は、拘束しているアランよりも、やや距離を開けて腕を組んだ。
ひとまず。
綾女は、アランを城にはやらなかった。
有路も訪れて、密談している最中に、この男を連れ込むわけにはいかない。
仕方なく、連行したのは、斎条家の屋敷だ。青玄が居を構える城の程近くなので、便利だし、綾女の自宅なのだから、一番安心だった。
「とにかく、今邑州は忙しい。本来なら、お前の吟味は、主君の指示を仰いで、男にやってもらいたかったのだが、とりあえず少しの間、私の屋敷で私と志乃が交代ですることになった」
「ギンミ?」
アランは納屋の壁に寄りかかり、弛緩しきった顔で聞き返した。
とっくに編み笠は取っている。
青い瞳が、じっと自分の顔を見つめていると知ると、綾女は目を逸らさずにはいられなかった。
和国人云々ではなく、いっそ人間からも、かけ離れた中性的な容貌だった。
体格は男だし、声も男のものだ。しかし、色素の薄い白い肌と、小さな唇。 すっきりと整った鼻梁を目にすると、女の綾女よりも、女らしいのではないかと思ってしまう。
「とにかく、持ち物を全部出してもらおうか? ついでにその不敬に当たる僧服も脱いでもらおう」
「えっ?」
「何だ?」
「和国の女性は積極的ですねえ。オトコの裸に興味があるのですか?」
「何だ。男だろう? 別に脱いだところで困ることなど何もないはずだ?」
「異人の体に興味があるとか?」
「馬鹿を言え!」
「綾女様……」
背後で、志乃が咳払いをするのが分かった。
当然のことながら、綾女はこの一件を父に報告していない。
吟味というのも、誰の許可を得たものでもないのだ。
幸い、屋敷の主である父は不在であり、ならば、綾女がアランを取り調べて、目ぼしい情報を入手してから、きちんと父に話そうと考えていたのだ。
つまり、怒りの矛先をアランに向けさせるための幼稚で狡猾な考えからきている。
…………後ろめたい気持ちがないわけではない。
短気な自分を抑えようと綾女が目を瞑っている隙に、志乃が口を出した。
「とりあえず、アランさん。貴方は怪しいのです。まあ、言動も外見もそうですが、この時期にあの山にいたことは、何も知らなかったでは済まされないことなんですよ。とりあえず、持ち物だけでも出していただけませんか?」
「はい」
アランは呆気なく応じた。
「おい。何だ、その態度の差は?」
「和人は、礼を重んじます。私も見習っているのです」
「こいつ、斬ってやろうか……」
「まあまあ」
立てかけておいた剣を握った綾女を、志乃が宥めた。
アランが自分の胸元に目線を送るので、綾女は恐る恐る近づき、懐から厚い包みを取り出した。
「これで全部か?」
「他に隠す所がありませんからね。まあ、裸にして調べたいというのなら、頑張りますけど」
軽口には取り合わないで、綾女は中腰になって丁寧に包みを広げ始めた。
厚い布だ。
「はじめて見る布だな」
「皮ですよ。ウシの皮を剥いだものです。肩掛けの鞄にもなる優れ物なんですよ」
「ウシ? 知らんな」
意味が分からないが、何かしらの動物の皮であることは確かだ。
やっと、包みの中身が露わになった。
異人の持ち歩くものは、使途不明のものが多い。
「それで、アラン。これらは一体何なのだ?」
アランは両手が塞がっているので、顎を使って説明しはじめた。
「そこの小さな小瓶に入っているのが」
「瓶……、なのか。この固いのは?」
固い小さな容器だった。掌に乗る程度の大きさだったが、ちゃんと蓋までついていて、優れた一品であることが分かった。小指弾いてみると、良い音がする。
物珍しげに、志乃も近くに寄ってきた。
落としても割れそうもないほど頑丈だったが、中身が透き通って見える。
「瓶、珍しいですか? その名前をつけたのは、和国の人らしいですけど。最近は、結構和国でも流通していると聞きますけどね?」
ぼんやりと答えるアランに、綾女は慌てて姿勢を正し、咳払いをした。
いまだに、珍しそうに眺めている志乃の手から瓶をもぎとる。
田舎者なのは確かだが、田舎なのだと異国人にまで思われたくない。
「……し、知っているさ。で、この瓶の中身は何なのだ? さっさと答えろ」
「和国の海辺の砂です」
「砂……?」
「和国、上陸記念。集めているんです」
「上陸……? 何が記念なんだか、さっぱり分からんのだが」
虱潰しに、蓋を取って中身を改めて見たが、白い粉だ。
白い砂浜は、邑州にはない。
「何処で取ってきたんだ?」
「南の方です。異人は、まず南に上陸しますからね」
……それは、知っている。
綾女は一度も行ったことはないのだが、和国の南に、他国と貿易することができる唯一の港が設けられているらしい。
和国は、四方を海に囲まれた小国らしい。
……父から聞いて、この国のことを綾女は初めて知った。
「ああ……。まあ、一応分かった。それで?」
「隣の小瓶の中身が和国の土です」
「はあ……。確かに黒いな」
綾女は、小瓶の中身を少量手に取って、しみじみ眺めた。
黒い土だ。黒い土以外の何物でもない。
……だから?
綾女は、手に取っていた土を捨てた。
「くだらん!」
「ああっ!」
「まだらっこしい! やってられるか! 父上も、青玄様も、今、御殿で真剣な評定をされているのだぞ! それなのに。私は! この小瓶だけで、十本以上あるじゃないか! これ、全部土か、砂か!? ああ!?」
「……和国のいろんな土です」
「土やら、砂ばかり集めて一体何がしたいんだ! 大体、集めたところで、無事、ここから祖国に帰れるかどうかも、分からないんだぞ」
「それは、困りましたねえ……」
本当に困っているのか、現状を楽しんでいるのか分からない、陽気な異人の顔が綾女の目前にある。
「ああっ、志乃! この瓶の中身全部捨てて良いか?」
「青玄様のご指示があるまで、駄目でしょう。綾女様だって分かっているくせに」
「くっ」
綾女は、正座でその場に座り込んだ。女なのが辛いところだ。
屋敷に帰ってきて、袴は脱いでいたので、足を広げることが出来なかった。
正座しか出来ない。
「……で、この変な鏡は何だ?」
「これは……目にかけるヤツですよ」
身動きが取れないアランが顎でせっつくので、綾女は二つの鏡を自身の目に当ててみた。
「み、見える」
「異国では、オッキアーリとか、オクロスとか言いますけど」
「こんなものを、異人はしているのか?」
「目が悪かったら、仕事するのに大変じゃないですか?」
「それは……」
そのとおり……、なのだが。
綾女は、素直にうなずくことは出来ない。性格的な問題もあるが、この男に笑顔など見せたくない。安能方の間諜の可能性だってあるのだ。騙されてたまるものか。
……しかし。
「この綺麗なのは、何です!?」
志乃が巾着の中に色彩豊かな星形のものを取り出して、瞳をきらきらさせている。
「こんぺーとうっていう、甘いお菓子デス」
「甘い……、菓子?」
「よろしければ、お一つ、どうぞ」
「……怪しい。異人の食い物など食えるか」
「では、私、食べますから一つ口に入れて下さい」
「はい」
「志乃!」
睨みを利かせるが、間に合わない。平生の顔をして、がりがりと音を立てて咀嚼しているアランを目にして、志乃は早速口の中に桃色のこんぺーとーを口に含んだ。
「美味しい!」
「本当に?」
そんな感想を耳にして、綾女が黙っていられるわけがない。
結局、志乃の手から巾着をもぎとって、一粒、口の中に放り込んだ。
「甘い」
口に入れた途端、じわりと甘みが溶け出した。
我慢が出来ずに噛み砕くと、更に甘さが濃厚になった。
「どうして、こんなに甘いんだ!」
「まあ……、菓子ですからねえ」
涼しい顔で流しているアランは無視して、早速、もう一つこんぺーとーを食べようと、手を伸ばしている綾女の肩を、志乃がとんと大きく叩いた。
「何だ、がめついじゃないか。志乃。お前ももう一つ食べたいのか?」
「綾女様……」
志乃は声を潜めていた。いつもなら、綾女もそこで異変に気付いたはずだった。
しかし……、食い物の欲求には勝てなかった。
巾着の中に手を伸ばして、中身を漁っていると、今度は志乃とは違う手が綾女の肩を軽く叩いた。
「…………ん?」
綾女は、ようやく気付いた。肩に触れた手は、大きかった。……男のものだった。
「……あっ!」
綾女は、口に咥えていた白色のこんぺーとーを床に落とした。
「それは、美味なのか?」
気さくな男の声。聞き覚えがある。
いや、綾女は、その声をよく知っていた。
「………………まさか?」
今度は、こんぺーとーの入っている巾着袋を落としてしまった。
「綾女……」
落ち着きと、呆れの入り混じった声がすぐ後ろでした。
恐怖を背筋に覚えて、振り返る。
「ち、父上」
背後には、白髪交じりの総髪の男と、黒髪を頭の天辺で一つに束ねている青年。
「…………青玄さ……ま」
綾女は自分でも声が震えていることに気付いた。
一番恐れていたことが、現実になっている。
納屋の扉の前で直立している父と主君。その背後には数人の従者の姿も見えた。
「……一体、お前は何をしておるのだ? 綾女」
綾女の父、斎条 宗近は、長い息を吐いて、目頭を押さえた。