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蒼天に帰す  作者: 森戸玲有
第五章
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第五章 ②

 何故、こんなことになったのだろう?

 綾女は、ずっと森の中に入ってから、自問していた。


「だから、ついて来るなと言ったんだ。志乃」

「宗近様の仰せです」


 志乃の回答も早かった。何度も二人で、そんなやりとりをしていたからだ。


「父上は、ついて行く必要はないと仰っていたのに」

「それでも、命令は命令です」

「石頭は相変わらずだな」

「主人に似たので」


 そう言われたら、返す言葉もない。

 綾女は、細い志乃の足首にもしもの時のために持っていた晒しを巻いて、きつく結んだ。


 ――志乃は、怪我をしてしまったのだ。


元々領地外にほとんど出たことのない志乃が、男でも通らない山道を歩くだけでも大変なのに、追っ手までかけられて、走らなければならない状況となってしまった。

 転んで足をひねった程度で済んで良かったというべきかもしれないが、これからの旅のことを思うと、綾女は暗澹たる気持ちになってしまう。


 一体、これから女二人でどうすれば良いのか?


「……まあ、多少の効果はあるだろうが、ゆっくり歩くのが精々だぞ。まったく、どうするつもりだ?」

「それにしたって、変ですよね? 松原様の軍は奥方様の文を渡したら、すんなりと通してくれたのに、高州に入った途端、ずっとこんなふうに追われて……?」

「何処の誰だか、分からないが、おかげで、随分危険な旅になってしまったな」


 志乃を近くの切り株に座らせて、綾女はその場にしゃがみこむ。

 男装をしているので、体勢を楽にして良いのが有難かった。腰にかけていた竹筒を取り、中の水を少し飲むと、自然にほっと息が漏れた。


「他の者とも、はぐれてしまったし……」


 宗近が二人だけ男の護衛をつけてくれたが、いきなり襲撃されたために、ばらばらに逃げてしまった。

 こうして、志乃と会えたのは、奇跡的だったと安堵もしているし、幸いなことに、この辺りの土地を綾女は記憶していたが、問題は次に襲撃を受けた時の対処方法だった。

 ……戦わなくてはならないかもしれない。

 そんなこと、綾女にできるのだろうか?

 人を斬った感触がいまだに怖くて、ちゃんと眠ることもできないのに……。


「刺客の正体…………、もしかしたら、身内かもしれないな」


 綾女は、その場に座って、うなだれた。


「名前の確認もせず、斬りつけてきた。私が名前を知らない、味方の者かもしれない」

「まさか、そんなことって?」

「あくまで可能性だ。実際は、分からない。だが、とにかく手放しで和平というわけにもいかないのだろう?」

「綾女様」


 志乃がきつく、膝の上で手を組んだ。


「もしもの時は、私を置いて行って下さいね」

「はあ? 何を?」


 志乃は丸い顔に温かい笑みを広げていた。


「私は今まで、本当に綾女様のために何の役にも立てなくて、青玄様とのことも何とかしたいって思ったけど、どうにもならなくて」

「どうして、そういうことになるんだ?」


 綾女は心底、怪訝な顔で尋ねたが、志乃は、綾女に有無をも言わさずに続けた。


「でも、良かったです。このままでは、綾女様は一生お嫁に行けないのかもしれないって心配していたんですけど、異国の人でも、男は男だし……」

「だから……、一体、どうして、そういうことになっているんだ? 私は」

「綾女様」


 志乃は言った。


「貴方は、このまま逃げたほうが良いと思います。自由になって良いんですよ。自分を売ってまで、安能に媚びる必要はないと思います」

「馬鹿だな。志乃。私は別に媚びるつもりなどない。ただ、自分の役目を果たそうと」

「ですから。総部の行く末を案じていらっしゃるのなら、私が綾女様の代わりに安能と会います……。だから、どうか……」

「変だぞ。志乃」

「変なのは、綾女様です。…………なぜ、泣かないのです。いつも気丈なことばかり言って。一番悲しくて、辛いときに泣かないんだから」


 どうしたものか……。

 綾女は困却した。

 志乃は泣きだしている。

 正直、羨ましかった。

 本当は、綾女だって、泣き出して、誰かにすがり付いて逃げてしまいたかった。

 安能 時秀の年齢は、宗近よりも高齢だ。

 そんな老人の気を引くように振る舞うなんて、綾女には耐えられない。


 ……しかし。

 志乃に、何もかもまかせる訳にはいかないのだ。

 元々、武家の娘に生まれた時点で、自由などないものだから……。

 実際、総部家の女は綾女の年齢には、顔も知らない男のもとに家のために嫁いでいる。

 それを、今まで目を瞑って、綾女の好きなようにさせてくれたのは、主君、青玄と父、宗近だ。

 彼らのためならば、何だってやってみせる。

 ここで泣いてしまったら、彼らに申し訳が立たないではないか……。 


 ……大丈夫。


 綾女は、故郷を発ってから、何度も自らに言い聞かせていた。


 結局、なるようにしかならないのだから……。

 もし、安能の側室になっても、上手く立ち回ってみせる。自信はあるのだ。


 ただ一つ、未練だったのは、あれだけ振り回して利用したアランに一言ちゃんと礼を言えなかったことだ。


 もっとも、あの男のことだ。

 ああ見えて、とてつもなく頭の回る男だ。適当に城から脱出していることだろう。


 志乃は彼の嫁になれだの……、飛躍しすぎでな思いを抱いているようだが……。

 

 綾女は、彼をもっと深いところで見ていた。

 最初、異国の人間だから、考え方も違うのかと思っていたが、きっとそうではない。

 振り返ってみれば、アランはどこか刹那的だった。

 笑っていても、心の底から笑っていないような……。

 地に足がついていない風情だったのは、彼自身が現実を受け入れられていないからなのかもしれない。

 死んだって構わない。

 それは、武人にとっては覚悟の境地であるが、アランの場合は覚悟ではなく、自棄を起こして、すべてを諦めているような感じだった。

 だから、落城間近の城に居座って、綾女に付き合ってくれたのか?

 綾女が真面目に聞いたら、アランもまた答えてくれたかもしれない。


 …………でも、もう彼と二度と会うこともないのだ。



「志乃、お前の方こそ、安全な所に、しばらく隠れていたら…………」

「あっ。綾女様、後ろ!」

「えっ?」


 振り返ると、月光に煌く剣が綾女の顔に大きな黒い影を作っていた。


「くっ!」


 無心の状態で、綾女は草むらに飛んだ。


「志乃!」


 すぐに上体を起こして、叫んだが……


「綾女様」


 か細い声で、志乃が呻いた。その首筋には、剣が突きつけられていた。

 男は、甲冑は身につけていなかったが、武人だろう。

 身のこなしも、さることながら、ぎらぎらと殺気に満ちた瞳を、綾女に送っている。

 あの日、綾女が斬った男と同じ目をしていた。


 ……刺客か…………!

 すぐに追いつかれてしまった。


「志乃を放せ!」


 素早く、懐剣を取り出して、綾女は鞘を抜いたが、しかし……。

 相手は一人ではない。数人の男が自分と志乃を取り囲んでいる。


 …………本気だ。


 男たちのひそひそ声が聞こえてくる。


「どうするんだ?」

「抵抗あれば、怪我をさせても良いというお達しだが?」

「抵抗したということにするか?」


 下卑た笑いが、波のように広がっていた。


「それにしても、てごたえがないもんだな。男の方は簡単だったのに……」


 綾女はかっと瞳を見開いた。

 ……簡単だったと?

 綾女とはぐれた二人の男たちは、殺されたということなのだろうか。

 それを、この男たちは、嬉々として話しているのだろうか……。


「お前たちは、誰の指図で私を狙っているんだ!」


 ありったけの声を腹の底から出す。

 しかし、その返答に答えた刺客達はいなかった。

 男たちの代わりに答えたのは……。


「…………有路サマですよ」

「え?」


 綾女は目を見張る。

 それは、もう二度と会うこともないと思っていた男の間の抜けた声だった。


 男は、月を背景に佇んでいた。

 黒い僧服が幻想的にさえ、見える。

 まるで、自分で狙ってきたかのように、絵になる構図だった。


「……アランさん!」

「何故、お前が?」

「何故って?」


 アランは質問には答えない。別のことで、頭がいっぱいのようだった。

 おもむろに、鞄の中から、例の瓶を取り出した。

 あの……、土だ。


「…………えっ」


 一気に綾女は、興ざめした。

 格好良く登場しても、これでは意味がない。


「異国人だぞ!?」

「アイツは殺して良いんだよな?」


 いかにも、ひ弱で、一見すると、女のようなアランがたった一人。

 それで、この人数と対峙しようなんて、不可能だ。


「馬鹿、アラン。早く逃げろ」

「うーん、もう少し」


 言いながら、アランは二本、瓶を鞄の中から出し、瓶の中の土を、もう片方の瓶の中に移し変えた。更に鞄の中から、竹筒を取り出して……。


「そんなことやっている暇ないだろ! アラン」


 凄まじい勢いで、方向を変えた男たちが一斉にアランに襲い掛かろうとしている。

 綾女は剣を抜き、まず志乃を人質にとっている男の腕を斬りつけた。


「綾女様……」


 極度の緊張状態から、失神してしまった志乃をその場に寝かせて、一気にアランのもとに、走り出そうとした。…………しかし。


「来ちゃ駄目だ! 目を瞑って、屈め!」


 珍しく厳しい声が飛んできて、綾女はその場に立ち竦んだ。

 アランは、竹筒の液体を慎重に瓶の中に注ぎ、空高く放り投げた。

 そして、眼鏡を外す。


「…………あっ」


 刹那だった。

 どぉぉんと、爆音が鳴り響き、風が吹き荒れた。

 綾女は横たえた志乃の上に被さって、目を閉じた。

 黒煙が上がる。

 何がなんだか分からない。


「綾女様!」


 咳き込んでいると、煙の中からぬっと手が出た。


「アラン!」


 アランは、いつの間にか、男達の馬を横取りして乗っていたようだった。

 志乃を軽々と自分の前に乗せると、綾女を自分の後ろに引っ張り上げる。


「三人は、ちょっときついなあ……」


 言いながら、アランは馬の腹を蹴った。

 煙に追いかけられるように、激しく馬は駆け出す。


「アラン! ちょっ! ちゃんと乗れ! 怖いじゃないか!」

「ああ……。そうなんです。何か馬が止まらなくなってしまって……」

「ふざけるな!」

「ハイ」


 アランは後ろを振り返ってから、安堵したのか片手で額の汗を拭った。


「……追ってきてないようですね」


 ゆっくりと馬の速度を遅くしていく。


「いやあ、一時はどうなるかと思いましたよ。本当綾女様は無鉄砲だなあ……と」

「そうだな」


 自分でも珍しいくらい、気落ちしている綾女に、アランが息を呑むのが分かった。


「私は無茶なことをして、村の人を犠牲にした。そして、とうとう従者までを犠牲にしてしまった」

「ああ……、何だ。そのことか。従者の方なら生きていましたよ。ちょっと傷を負っていましたが、安全な所に放置しておきました」

「放置だと? 駄目じゃないか」

「正確には、近くの空き家で、養生してもらっています」

「それは、本当の話なのか」

「そんなことで、嘘はつきませんよ」

「なら、良いんだ。でも……、やはり私のせいだな。有路さまに気づかれていたなんて。あの人の気性からして、和睦交渉をするなんてことを知ったら、こうなることは予想がついたのに、私はただ安能に会えばそれで済むと思って、備えを怠っていた。志乃だって、ちゃんと守れなかった。怪我までさせてしまって」

「そんなことないですよ」


 アランは言って、綾女を振り返った。


「私にとっては、有路殿の刺客が貴方を足止めしてくれたことは、幸運だったんですから」

「どうして?」

「おかげで、貴方に追いつくことが出来ましたからね」

「そうか…………。そういう考え方もあるんだな」


 綾女は、顔を伏せた。

 間近にアランの顔がある。

 なぜ、こんなに近いのかと問えば、三人乗りだから仕方ないと言われるのは分かっている。

 でも、今まで彼のことを思っていた分、何だか心が落ち着かない。

 月明かりに、アランの金髪は光っていた。どうしたって、和国の男とは違う。

 神秘的な空気を纏っている。


「お前、やっぱり(てん)……(ろう)だよな」

「はっ?」

「だって、天狼だったじゃないか。さっき……」

「何を……今更」


 アランは、溜息交じりに再び前に向き直った。

 単調だった道が、複雑な山道に変わり始めていた。


「だって、妖術を使ったじゃないか?」

「ヨウジュツ? その言葉の意味が分かりませんねえ。松原の陣を突破する時にも使って、同じことを松原の家臣にも言われましたけど。私は人間ですよ。綾女様には、最初に言ったじゃないですか?」

「だって、さっきのは……」

「実は、土とか砂じゃないんですよ。私が持っていた物は、薬品なんです」


 アランは肩掛けの鞄を指差した。


「色々と、この中に入っていたのをご存知でしょう? かけあわせると、この辺一帯を吹っ飛ばしたりするものを持っています。他にも色々と。でも、別に珍しいことではないんですよ。私の故郷では、専門に研究している人もいるんです」

「しかし……」

「和国にも、珍しい鉱石が沢山ある。研究しがいはあると思いますが」

「一体、お前は…………」

「それで……、綾女様」


 アランはどさくさに紛れるように、言った。


「道に迷ってしまいました。邑州に帰りません?」

「おい。わざとらしいぞ」


 綾女は、片眉を吊り上げた。


「道は正しい。間違っていたら、間違う前に私が指図している。私はこの辺りは、よく父上と往復したことがあるので、詳しいのだ」

「いや、…………ほら、でも夜道だし。迷うっていうことも……」 


 アランは困り顔で、手綱を持たない片方の手で鼻をかいていた。


「合っている」


 綾女が一蹴すると、弱々しい声で訴えてきた。


「ねえ、綾女様」

「気持ちが悪いなあ。だから、何だ?」

「いっそのこと、このまま、私と二人で遠くに行きませんか?」

「………………はっ?」


 それは、蚊の鳴くような声だったのに、しっかりと綾女の耳に届いてしまった。


 ……今、何と言った?

 

 瞬きを繰り返しながら、綾女は脳内で彼の言葉を何度も反芻する。

 和国語を理解するのに、こんなに時間を要してしまったのは、初めてだった。

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