第四章 ⑥
アランは、肩で風を切り、城の脇に設けられている馬小屋に急いだ。
先日乗っていた馬を、借用しようと小屋の中に入ると、ジョアンが暗がりに立っていた。
『行くのですか?』
『行きますよ』
アランは、母国語を操りながら、素知らぬ顔でジョアンの前を通過して行った。
『貴方は、確信犯ですね。……昨夜のあれで、綾女様を安能に行くよう仕向けた』
『仕方のないことです。早く降参して頂けなければ、犠牲は更に増えて、布由姫さまもここを出てはくれない。お前もあの子がこの城にいれば、ここを出ることが出来なかったでしょう』
『…………ジョアン』
アランは、きつく唇を結んだ。
何故……、こんなにも心が震えるのだろうか。
ジョアンの理想を手助けしようとした。
……信じている。
――と、口にしながらも、ジョアンの理想を叶えることこそ、己の復讐になるということを、アランは、意識しないわけではなかった。
打算的だった。
しかし、ジョアンだって、何の得もないのに、アランのような火種を抱えているはずがないのだ。
『有路殿に、告げ口したのは?』
『私だと思っているのですか。アラン? 私の方こそ、有路という男が降参することを知っていたのには、驚いているのですよ』
『聞いていたのですか?』
『皆、聞き耳を立てて、そわそわしていましたよ。ああ見えて、綾女様は皆の人気者のようですから』
『……確かに』
綾女の裏表がない優しさは単純だけど、温かい。みんな綾女を慕っている。
毎日、嘘と偽りで誤魔化しながら生きているアランだったから、彼女のその性格がとてつもなく新鮮だった。
『―――この期に及んで、心配などいらないでしょう。アラン? 彼女が使者に立つことで、この国に平和が訪れるのなら、それで良いではありませんか。彼女自身が納得しているのなら、私達でどうこうできることでもありません。私も布由姫を連れて、直ぐに出ますから、だから、お前も一緒に……』
ジョアンは、灰色の着物の中から手を差し出した。
純粋で、優しく、したたかで、野心家で……。
ジョアンは、濁った世界を、志一つで生きている。
―――一緒に、行こうと故郷で誓った。
たとえ、ジョアンが意図をもって、アランを必要としていたとしても……。
あの瞬間、ジョアンはアランの兄になったのだ。
ずっと、一緒に走り続けるつもりだった。
ジョアンがイェーラー教の教皇となり、すべてを改革するまで……。
でも……。
『自分でも未だに信じられないのですが……』
アランはうつむき、静かに頭を振った。
『私は、どうしてか、あの人がとても心配なんです。ああ見えて、あの人、とても脆いみたいなんです。……保護者二人が、私なんかに頭を下げて頼んでくるほどに』
『アラン……』
『ありがとう。ジョアン。でも、初めてなんです。これだけは譲れそうもない』
背後の空虚な呟きが、耳に痛い。視線を逸らしたまま、馬に跨る。
ジョアンの手が宙に浮いている。
もう…………、見ない。
アランは、知っている。
雲一つない空のような表情で、自分なんかに後事を託した男を……。
そして、過酷な運命を自らの手で、退けようと果敢に生きている少女の存在を…………。
いつの間にか、彼女を守ることが純然たるアランの目標にすり替わってしまった。
片手で手綱を操りながら、アランは眼鏡をはずした。
風になる。
その方法を、アランは会得していた。




