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蒼天に帰す  作者: 森戸玲有
第四章
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第四章 ④

「綾女様は何処に行ったのです?」

「さてな……」


 宗近は、とぼけている。

 聞き流しながら、逃げるように城の階段を移動している。

 アランは、痺れを切らしていた。


 ……予想はついていた。


 昨日のジョアンと綾女のやりとりを思い出せば簡単だった。

 いくら、疲れていたからとはいえ……。

 どうして、もっと早くに気付かなかったのだろう。

 アランは、宗近を責めるように、自分に対しても激しく責めていた。


「宗近様。いくらなんでも。貴方は酷すぎます」

「……何?」

「―――私は、彼女を追いかけますよ」

「やはりな」


 初めて宗近は、ぴたりと足を止めた。


「…………そなたは、気付いているようだ」 


 周囲を確認してから、アランに向き直る。

  かたかたと音を立てる甲冑が、アランの目から見ても重そうだった。


「何をしたと思っているのですか……。貴方は、父親でしょう。そんな無茶を容認するなんて」

「確かに、無茶というか、無謀だな」

「そうですよ。もしも、これが綾女様の独断だったのなら、貴方は、慌てふためているだろうと私は思いました。でも、貴方は泰然としている。まさか、ご存知だったなんて」

「儂以外にも、奥方様も承知している」

「…………よくも、そんな愚かなことを許しましたね?」

「大丈夫だろう? 儂の娘だ。志乃もついてることだし、松原の陣を抜けるのは、容易だろう。幸い、松原は道理の分かる男。奥方様の文も託してある」

「文なんて……。何の戦力にもなりませんよ」

「本当は(わし)、自らが出向くつもりでいたが、儂は派手に動かないほうが良いと判断した。綾女が自ら、この役目を買って出てくれたからな。周囲には昨日の一件で急な病にかかり、綾女は臥せていると、言い含めてある。誰も女子が役目を背負っているなどとは思わん」

「私だって降伏自体には賛成なんです。でも、こんなやり方は認められない」

「………………異国の人よ。……いやアラン殿か」


 宗近は…………、何故か微笑した。

 この状況下で……?

 アランは、目を疑った。


「しばらく会っていないうちに、人間が変わったかのようだ。いや、元々そういう御仁だったのかな? てっきり、(わし)は、そなたは都合良く何処かに流れていく人間だと思っていた。まだ城に残り、しかも軍師のような役目までしていたとはな」

「今はそれどころでは……」

「青玄様は、さすがだな」

「はっ?」

「儂は、そなたが見抜けなかった。その時点で、青玄様の片腕を自称する資格もなかったのかもしれぬ」

「どうしたのです。急に?」

「欲を言えば、本当は、綾女を……、青玄様と添わせてやりたかったのだがな。まあ、仕方のないことだ」

「宗近様?」


 宗近は、一瞬だけ目を細めた。

 父の顔。

 娘の行く末を案じている気配を、アランは感じていた。

 宗近は綾女を心配している。

 では、どうして、綾女を危険な高州に向かわせたのか……?


「もしかして……、貴方は?」


 訊かずにはいられなかった。


「最初から、降伏するつもりなど、ないのではないですか?」

「馬鹿な」


 宗近は、鋭い視線をアランに向け、……笑った。

 アランの肩を叩いて、階下を見下ろす。

 広い御殿は、開け放しになっているので、階段からも中の様子を見渡すことができた。

 庶民と、武人が距離を置かずに過ごしている。

 そこで、さりげなく村人たちの側にいるのは、宗近の家臣のようだった。


「家臣が村人一人一人に声をかけているし、他にも諸々、降伏の準備は整いつつある」

「しかし……」


 食い下がるアランに、宗近は何度も首を横に振った。


「アラン殿。そなたもここを出られよ。……もう、十分だ。そなたはよくやってくれたと思う」

「―――私は……」


 何と、言えば良いのだろうか。

 アランは、何も言えなくなった。

 何故、ここに残ったのか?

 何故、自分は見ず知らずの人のために戦ったのか。

 その理由は掴みかけてはいるが、一言などには凝縮できなかった。


「儂は機を待って、有路殿に説明をする。それで、総部は終わりだ」

「終わる?」


 終わりなんて……。

 最初から見えていたではないか。

 …………これで良いのか?

 綾女は安能のもとに行った。自分と引き換えに、皆の助命を乞うつもりだろう。

 確かに……。

 本人の前では、おくびにも出さないが、綾女は美しいとアランも思っている。

 和人と異人の感性は違うのかもしれないが、顔形というより、凛とした生き方が、彼女の全身をまとう空気に、気高い美しさを与えていた。

 降参の条件には、綾女を差し出すのがアランも上策だと最初から思っていた。

 でも、あえて口にはしなかった。

 みすみす、女癖の悪いと評判の安能になど、渡したくないと思ったからだ。

 それが……。

 宗近の思惑通りに、事が運ぶのかなんて、そんな保障もなければ、安全なんて何処にもないではないか。


「斎条殿」


 アランの背後から、声が飛んできた。

 宗近の面長の顔が強張ったのが分かったので、アランは振り返った。

 顎を覆うほどの髭と、赤ら顔。いかにも、剛勇な武人を絵にしたような男だった。

 有路(ありじ)がいた。


「酷い話ですな」


 有路の目は、炎のように燃えていた。


「…………何を?」

「降伏の使者に、自分の娘を差し出すとは?」

「何故……。それを?」


 重い体をゆすりながら、有路は階段をのぼってきた。

 アランの前に出る。


「そういう愚策は、いわずと、表に出るものですよ」

「青玄様の……、ご命令なのです」


 困惑しながら答えた宗近を、有路は鼻で嗤った。


「では、青玄様が無能だということなのか?」

「有路殿。……主君に向かって、侮辱的な発言は許しませんぞ」

「愚かな。青玄様がこそこそとそんな馬鹿げた画策をするはずがないでしょう?」


 一瞬、怒りと同時に両者から殺気が吹き出て、周囲の空気を凍てつかせた。

 …………が、すぐに宗近は平生の顔に戻った。


「貴殿は、このような状態で戦って勝てると、お思いか?」

「勝ち負けではない」


 有路は毅然と胸を張った。


「重要なのは、いかに、戦うかどうかなのです」

「私は武人だ。戦いを否定しているわけではない。しかしこの状況では、戦っても意味がない。それが分からぬか?」


 宗近は、普段の穏やかさが嘘のような剣幕で吐き捨てた。

 しかし、有路には効果がないようだった。


「邑州にいる時点で、みな腹を括っているはずですよ」


 凄まじい一言だった。

 ―――違う……。

 否定しようと、口を開きかけたアランの言葉を遮るように、有路は、衝撃的な言葉を投げつけた。


「いずれにしても、総部は降参しない。娘御の行く手は止めさせてもらう」


 ……何だと?


「有路殿!」


 宗近の一喝が落ちる。しかし、有路は、薄ら笑いを浮かべていた。


「貴殿は、総部の家名を汚したのだ」

「いい加減にしろ!」


 気がついたら、アランは声を張り上げていた。


「貴方の主張を格好良いなんて思わない。貴方は無様だ。そこまでして家名などにしがみつく? 大切な人を失って、仲間を殺してまで、何を得るものがあるというのですか!?」


 怒鳴ってから、アランはふと気づいた。


 ……それは、自分にも言えることではないのか?


 アランはすべてを失っても良いと思っていたのではないのか? 

 復讐ができるのなら、何でもいいと。


 …………すべてを、恨んでいたはずだった。


「異人の分際で何が分かる?」


 有路は、あからさまにアランを侮蔑した。

 我に返ったアランは口元に笑みを乗せて、腹をくくった。

 存外、自分も単純で軽い男のようだ。

 見た目がそうだと指摘されたことがあったが、どうやら中身もそうだったらしい。

 しかし、それが心地よかった。

 綾女のおかげかもしれない。

 一本筋の通った彼女の生き方に、刺激を受けたのだ。

 ……ならば、ちゃんと本人に会って礼を言うべきではないか。


「私は、綾女様の所に行きます」

「お前が、当家の事情に口出しすすると? 武芸のたしなみもない異国の人間に何ができると?」

「…………(わし)が認める」

「斎条殿?」

「綾女を、頼みます。…………どうか」

「…………はい」


 無意識に返事をしながら、アランは、走り出した。

 振り返ろうとも思わなかった。

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