第四章 ②
「一体、お前は何をやっているんだ?」
「申し訳ありません」
さすがの綾女も、すっかり落ち込んでいた。
罪悪感が胸一杯にこみ上げていて、反省の言葉もない。
「お前のせいで、何人か、命を落とした者もいるという」
「…………はい」
綾女は両手をついて、深く頭を下げる。
上座には、布由がいた。
綾女が天守閣に入るのは、初めてだった。
天井がずっと高く、装飾は華やかで壁紙には、所々に金箔が使われていた。
一度入ってみたいと、綾女は子供の頃から夢見ていた。
…………なのに。
まさかこんな形で、天守閣に入る羽目になるとは、思ってもいなかった。
布由の前で、叱られている。
宗近と、綾女、布由。
布由の侍女は、人払いをされていたので、その場にはいない。
あくまで、三人しか、広い部屋の中にはいないのだが、とんでもない醜態を晒していることを、綾女は自覚せざるを得なかった。
「うるさいぞ。宗近。私が耳にしている話では、綾女殿のせいではないというではないか?」
「……しかし」
「むしろ、綾女殿は、敵兵に追い詰められて命が危なかったとか?」
その言い方に、若干、皮肉の色があったことを、綾女は聞き逃さなかった。
屈辱的だが、仕方ない。綾女は、冷たい床を、睨みつけるしかなかった。
とにかく、全面的に悪いのは、自分なのだ。
子供の頃から、男たちに混じって、剣を習ってきた。剣を持てば、男並みに戦えると信じていた。
…………慢心していたのだ。
「有路殿と、アランに助けてもらいました」
綾女は唇を噛み締めながら、さらに頭を低くした。
結っている髪が音を立てて、床に垂れる。
「確かに、ここまで持ちこたえたことは、正直感心している」
宗近は、腰を浮かせかけていたが、ふたたびどっしりと胡坐を組んだ。
「アランが、考えてくれました」
「あの異国人が?」
「私も目を見張った。さすが、青玄様のお客人だ」
単純に布由は喜んでいるようだった。
朱色の着物の裾が薄っすらとだけ、綾女の視線の端に確認できる。
宗近はいつもの口調で、綾女に問うた。
「何故、有路殿がお前を助けることが出来たのか、分かるか。綾女?」
綾女は戸惑いながら、顔を上げずに答えた。
「有路様は、滝王城の背後、九鬼城を守っていらっしゃるはずですが?」
「…………九鬼城は落ちたのだ」
怖いほどあっさりと、宗近は告げた。
「何より、兵力の差が大きすぎる。他の支城も時間の問題だろう。滝王城が安能の使者を蹴ってくれたのは、有難いことだったが……。もはや、ここまでなのかもしれぬな」
「…………本家は?」
何故、総部の本家から青玄が動かないのか、綾女はそれが不安だったのだ。
そんなに邑州から離れているわけでもない。
その気になれば、救援を出すことくらい出来ただろう。
「父上?」
宗近は、目を瞑った。
白髪交じりの髪と、深く刻まれている眉間の皺を見て、父の苦労と、疲労を綾女は知った。宗近は下座で、布由に背を向けていたのだが、突如、方向転換をして布由と向かい合う格好をとった。
「何じゃ? 宗近」
布由は、猫のような瞳を一層丸くしている。
綾女は、思いがけない父の行動に、顔を上げた。
深々と頭を下げる父の大きな背中が目に飛び込んだ。
「奥方様に……。奥方様にだからこそ、申し上げたいことがあります」
宗近は、布由の反応を待たずに、口を動かした。
「久玄様が逝去されました」
「何だ……と?」
布由は手にしていた扇子を、畳の上に落とした。
「本当なのですか……」
宗近は綾女の声に耳を貸さない。少しだけ面を上げて、話を続けた。
「久玄様のご嫡男、時玄様はまだ幼い。現在、総部本家を仕切っているのは、実質、青玄様です」
「それは…………安能には知れているのか?」
「分かりません。出来るだけ隠すように努めていますが……」
まさか。
そんなことがあるのか?
綾女は口元を押さえて震えた。
この時期に、亡くなるなんて……。
「そんな……」
青玄は、この混迷時に、いきなり二国を背負うことになってしまったのだ。
「奥方様には、松原に戻るようにと、青玄様は申されています」
「…………青玄様が?」
「滝王城は開放します」
「父上!」
感情を抑えられずに、立ち上がろうとした綾女を、顔だけ振り返った宗近は、鋭い眼光で制した。
「意味が分かるだろう? 綾女」
「しかし、父上、それは……?」
「青玄様は、降伏されるおつもりだ」
「…………降伏?」
布由は、幼さだけが際立つ小さな顔を両手で覆った。
「儂は、この城を開門するようにと、青玄様から仰せつかっている。青玄様の意思は固い。変わらないだろう。どう考えても此度の戦に勝ち目はないのだから」
「でも、父上。先日こちらにやって来た安能の使者は、無礼千万でした。あんな屈辱的な状況で、降参するなんて」
「儂が交渉する。おそらく、使者はこちらには弱者しかいないと思って、侮ったのだろう。もしも、失礼なことを言うのなら、斬ればよい。それだけだ」
宗近の淡々と冷酷なことを、語る姿勢に、綾女は驚いた。父は……、武人なのだ。
渋面を浮かべつつも、いつも優しく綾女を見守ってくれる父ではないのだ。
「でも、父上。有路様や、他の家来衆はその話をご存知なのですか? 戦うつもりの家臣が多いからでしょう? だから、青玄様も戦に踏み切ったのではないのですか」
「青玄様の周りは、主戦派が占めている。特に本家はな……。だから、表立って青玄様は、降伏を宣言できない。そんなことをすれば、主戦派の家臣は、幼い時玄様を主君にまつりあげ、青玄様の命を奪うかもしれない。儂が青玄様をお止めした。この混乱を、更に深めたくはなかったのだ」
「解放して、どうするのだ? 宗近」
呼吸を整えながら、布由が訊いた。
「村人は松原様と交渉して、安全を約束してから、里に帰します。女、子供を外に出し、本家のある高州に向かわせる予定です」
「総部は、負けるのか?」
「負けたのです」
奥歯を噛み締めながら、宗近は答えた。
「儂はここを開放した後、安能に降伏を告げる使者を、滝王城の臣下の中から選ばなければなりません。戦うおつもりでいる有路殿にも、気づかれないよう極秘裏に進めなければいけないのです。……ですから、儂は」
宗近は、床に頭をつけるくらい、低く頭を下げた。
「奥方さまと、ここにいる娘にしか、この話をするつもりはありません」
他言無用だと……。そんなふうに、念を押されても、綾女は、あふれ出す感情と言葉を、どうしたら良いのか分からなかった。
あの……。
刃が肉を断つ感触。
忘れられない恐怖。
思い出すだけで、綾女は手の震えを止めることが出来ない。
負けたくはない。
滅びたくはない。
それでも、戦は終わらせなければならなのだ。人をこれ以上、犠牲にはしたくない。
青玄が思っていること。
綾女も、気持ちは同じだ。
―――総部は、敗北しなければならないのだ。




