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蒼天に帰す  作者: 森戸玲有
第四章
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第四章 ①


 総部家は、滅びるだろう。

 その一言を、アランは、綾女に突きつけることは出来なかった。

 綾女は心の何処かで、真実に気付いている。

 それを……。

 いくら根拠を並び立て、突きつけたところで、綾女を傷つけるだけだ。

 黙っていようと、決めた。

 しかし、アランの中で煮え切らない気持ちもあった。

 アランが出来ることは、あくまで限られている。

 ただ、終焉を伸ばすことに、何の価値があるというのだろうか。


『一体、いつまでお前はいるつもりなんですか?』


 ジョアンは今日も日課と化している一言を突きつけてきた。


『いつまでって?』

『もう、嵐も去りましたよ』


 ――知っている。

 アランは、それを承知しているから考え込んでいるのだ。

 嵐が去って、五日が経つ。

 いくら、嫌々戦争をしているとはいえ、さすがに松原も黙っていられないだろう。

 水はけの悪い道も、さすがに五日の晴天が続けば、乾き始めているはずだ。


『ああ、そろそろ……松原さんも動きますよねえ』


 天主の近くに造られている(つづま)やかな庭を、ゆったりと歩きながら、アランは呟く。

 並んで歩いているジョアンは、痺れを切らしたかのように、言い放った。


『ですから、私は、私と共に早くここから抜けることを、お前に勧めているのです』

『ジョアン……』


 母国語で神妙なやりとりをしながら、遠くから自分に手を振っている農民に、アランは笑顔で手を振り返す。

 ジョアンが長い溜息を吐いた。


『このままだと、お前は本当に、この城から出るに、出られなくなってしまいますよ。まさかとは思いますが、お前、まさか、あの娘に……?』

『可愛い娘でしょう』

『女ながらに剣を取って戦い、馬で駆けまわるのを得意としているそうですが?』

『まあ、そういう面もありますけれど、手の甲にキスされたくらいで狼狽えるような可愛い面も持っている、面白い人です』

『まさか、異国の姫君に本気になったなんて……そんなことは?』

『そんなことよりも、ジョアン』


 正確に問われたら、アランは彼を相手に嘘はつけないかもしれない。

 不自然さを承知で、話の途中で矛先を変えるしかなかった。


『私は、貴方に、城から出ることを勧めましたよね?』

『私だって、まさか。この状況で、出られませんよ』

『……そうでしょうか』

『布由姫が意外に頑固で、手を焼いているのではないのですか?』

『アラン?』


 アランがにこやかに言うと、ジョアンも穏やかな微笑を浮かべている。

 こういう駆け引きが出来るところは、少し兄弟らしいとも思った。


『気に障るかもしれませんが、私はやはり、お前が未だにイェーラー教を恨んでいるような気がしてなりません』

『まさか。もう、昔のことではないですか』


 アランは声を上げて笑ってみせたが、ジョアンは笑ってはいなかった。


『お前は、私の理想に力を貸してくれると誓ってくれた。しかし、お前自身、まだ未消化なのではないですか?』

『嫌だな。どちらにしても、私は罪人じゃないですか。国にいたら、追われていたでしょう。貴方が私をここに導いてくれた。私は貴方に感謝しているし、尊敬をしているんですよ』

『それが、お前の思っていることのすべてではないでしょう』

『それを言ったら、兄さんだって……。私は、貴方という人間の口から出る言葉だけを信じているわけではないのですよ。すべてを鑑みた上で、信じているのです』

『アラン……?』

「…………アランさん!」


 突如……。

 城の裏手から、戦闘用に袴をつけている志乃が駆け寄ってきた。


「来て下さい! 松原がとうとう攻撃を!」

「そうですか」


 すぐに真顔になったアランは、そそくさと歩き始めた。


『ジョアン、私はそろそろ行かないと』

『……死にますよ。アラン』


「綾女様にも、よく言われます」


 アランは返答しながら、志乃と向かい合う。志乃は綾女よりも背が低いので、アランと並ぶと、本当に子供と大人のようだった。


「ど、どうしましょう!?」

「大丈夫ですよ、志乃さん。一応、毎日交代で村の皆様には、身構えてもらっていますから。もう一回くらい奇襲も通用すると思うんですよ。前回とは違う箇所を狙えば……」

「違うのです! 大変なのは、それだけじゃないんですよ。アランさん!」


 志乃は、見事に混乱しているようだった。


「……そういえば、綾女様は?」

「その綾女様ですよ!」


 ……ああ。

 みなまで聞かなくても、想像がつく。


「もしかして。行っちゃったんですか?」


 アランは、もうその時には走り出していた。

 追いつけなくなった志乃が、うわごとのようにアランの背後で呟いた。


「あんなに、行っては駄目だって止めていたのに、武人でもない人たちに、まかせっきりなのは、忍びないって。自分も剣と弓なら多少出来るからって」

「剣と弓って……。じゃあ、弓隊かなあ? まったく。綾女様が行ったら、元も子もないんですけどねえ」


 アランは、邪魔な眼鏡をはずした。


「志乃さん、貴方はここで。私はちょっと行ってきます」

「ちょっとって……。既に数人が綾女様の後を追いましたけど」

「とりあえずですよ」

「アランさん? 何だか」


 立ち止まった志乃がぽつりと言った。


「青玄様……みたいです」


 ……あまり、嬉しくはない称号だ。

 でも、アランは必死になっている。

 それが、意外なほどに心地よかった。

 常に、誰かを傷つけることばかりをしていた。

 誰かを護るというのは、こんなにも清々しいものなのか?

 久々に馬を操り、鷲尾山に連なる、山の中に入って行く。

 アランは、山間の隘路(あいろ)を慎重に進んだ。

 下手をしたら、自分が松原の軍勢にばれてしまうかもしれない。

 村の地形は、一月もうろうろしていれば、覚えることなど簡単だった。

 村人が罠を張っている所も、アランと取り決めたことなので、ちゃんと分かっている。

 しかし、戦いは理屈ではない。母国でも、戦争は長引いていた。

 和国以外のいろんな国でも、戦争をしていた。

 何処から、死が近づいてくるかは分からないのだ。


「……あれか」


 投げつけるための岩を積んでいる農民の部隊を、獣道の奥で発見することが出来た。


「ああ、異国の人じゃないか?」


 数人の男たちが近づいてきた。

 村人達は笑顔だった。まるで、戦いというよりは、お祭りに近い様子で、アランは困惑した。

 まったく、武装もしていない。

 ここには、確か二十人くらい人がいるはずだった。


「あの、……綾女様、見ませんでした?」

「さっきも聞かれたけど、綾女様なら、この奥の奥で構えている弓隊にいるぜ」

「――そうですか」


 危険な場所だ。

 弓隊なんて、攻撃をしていることがばれたら、真っ先に狙われるではないか。

 腕には、自信があると言っていたが……。


「馬は置いていったほうがいいぞ。こんな所まで、馬が入れただけでも奇跡なんだから」

「はあ」


 言われるがまま、アランが馬を降りようとした時だった。


「始まったぞ!!」


 誰かが声を上げた。

 続いて、弓矢が空気を切り裂く音を、アランは聞いた。


「準備しろ!」


 慌しく動き出したたくましい男たちの只中を、アランは馬で通過していった。


「無茶だ!」

「…………行けます」


 馬を巧みに操りながら、崖の上を駆けていく。

 木立の隙間を通って落ちるように下っていくと、急勾配に隊列を組んで、身構える弓隊の姿が確認できた。

 綾女は、回転率を高くするため、前に立って三段に編制されている弓隊をまわしていた。


「次!!」


 凛とした声が響く。

 弓隊は、健闘している。ばたばたと倒れていく、松原の兵士の姿を見る。


 ……しかし。

 駄目だ。

 アランは、馬の手綱を握り締めた。

 深追いは、いけない。

 勝ちすぎては、いけないのだ。

 アランが調べ上げ、実際目にしてきた軍人の兵法は、時間を短く、すぐに撤退をして、次の作戦を繰り出すことが重要だった。

 綾女は、何も知らないのだ。

 そして、村人も綾女の指示に乗ってしまっている。

 やはり、松原は愚かではなかった。

 時間もかけずに、多勢の弓隊がやって来て、逆にこちら側に弓を射かけてきた。

 急勾配の獣道を上がってくる雑兵の姿もある。


「逃げて下さい!」


 アランは、叫んだ。

 間に合わない。綾女は駆け上がってくる松原の兵士を、逆に追いかけて剣を抜いた。


「綾女様!」


 兵士も剣を抜いて、綾女に襲い掛かった。

 綾女はふわりと避け、剣を(よこ)()ぎに払う。

 兵士も刀を振り上げていたが、綾女の速さに及ばない。

 あっという間だった。

 兵士は肩から血を流して、その場に崩れ落ちた。

 綾女は、髪を結わっていた紐が切られて、下ろし髪になっていたが、怪我はないようだった。


「すごい……」


 思わずアランは感嘆の声を上げる。

 だが、直後に異変に気がついた。

 綾女は、その場で硬直していた。

 遠目ではっきりとは分からないが、血の気は失せ、青ざめている。


「もしかして……」


 あんなふうに、息巻いていたが、綾女は人を斬るのは初めてだったのでは?

 それを確信したら、不安がこみ上げてきた。

 綾女は、留めをさせないだろう。

 倒れている兵士は良い。

 他の兵士達が綾女を狙っている。

 今、逃げなければ……、命が危ない。


「綾女様、後ろ!!」


 ようやく、正気を取り戻したらしい綾女がアランを見た。


「アラン……?」


 呆然としている綾女の背後には、大きな男が近づいていた。


『くそっ!』


 こういう時だけ、母国語になってしまう。

 アランは片手で、後ろにかけていた鞄を前に引っ張り出し、中に手を這わせた。

 ……何とか、試験管の蓋に、指を這わせた時だった。


「―――綾女殿!」


 太い男の声が響き渡り、野鳥が空にはばたいた。


「あ……有路様?」


 大きな熊のような男が、今まさに襲いかかろうとしている兵士を横に蹴り飛ばした。


「遅くなりました」


 快活に有路は笑う。

 周囲は、瞬く間に有路の軍勢で埋め尽くされ、形勢不利を悟った松原軍は引き上げをはじめていた。


「とりあえず、間に合ったようですな。お父上も、今別働隊の方と戦っていますよ」

「……有路様も、アランも……」


 綾女は、大きく息を吐くと、ゆるゆるとその場にへたりこんだ。


「本当、その……、有難う、ございました」


 うなだれたのか、頭を下げたのか、髪の毛が綾女の顔を隠して、彼女の感情を読み取ることが、アランには出来なかった。

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