序
地味な話ですが、こういうのもありますって感じです。
お暇な時にでも、覗いてやってくださるとありがたいです
澄みきった空気が、空を蒼く染めている。
海のように、深い空の向こう側。
男は、目深にかぶっていた編み笠を、少しだけ上げた。
峻厳と佇む山の稜線を、空色の瞳でなぞる。
久々に晴れた。
連日の雨は、深い霧を呼び、山頂まで見えなかったのだ。
思う存分、早春の景色を堪能しようと思い、男は子供のように背伸びをする。
……しかし。
「そこのお坊……」
不意をつくように、男は呼び止められた。
耳触りの良い女の声だった。
男は無言で振り返る。
笠の隙間から、声の主を窺った。
正面にはいない。
「……ここだ!」
男が見下ろす位置に、相手はいた。
……少女だった。
まだ少しあどけなさの残る、大きな丸い瞳を一杯に開けて、男を睨んでいる。
藤色の衣に、漆黒の袴。
艶やかな黒髪を高く一つに結っている姿は、毅然としていて美しい。
初めて、目にする勇敢な少女に、男は好奇心を燃やすが、その可憐な容姿とは裏腹に、少女の手には物騒な長剣がしっかりと握られていた。
少女は、構えてはいない。
……が、殺気は漲っている。
男の対応次第では、すぐにでも、抜刀できる姿勢だった。
「人ではあらぬのに、僧服姿とはな」
少女は、じりじりと男との間合いを詰めていた。
男は黙然と考えた。
どうしたら、良いものか?
「何とか言ったら、どうだ!」
叫ぶや否や、少女は剣を抜き放ち、男は数歩後退した。
鮮やかな手並みだった。
男は穏やかだが、驚嘆していた。
おそらく、この少女と対峙して、自分が剣で勝つことは不可能だろう。
少女の後ろに、息を詰めて見守っている人間を、人質にとれば話は別だろうが……。
「お前が、この山を騒がしている天狼であろう!?」
「…………テン……ロー?」
意味不明な単語に、男は首をひねる。
少女は、痺れをきらして……。
「お前のことだ!」
剣の切っ先を、真っ直ぐ男の鼻先に押し付けた。
男は、咄嗟に両手を挙げた。
「まいりました」
「はっ?」
少女は、怯んでいる。
その隙に、男は、ゆったりとした所作で、少女を警戒させないように、編み笠を取った。
「はじめまして」
「お前……は?」
少女の声は、かすかに震えた。
驚かすつもりはなかったが、仕方ない。
「一応、人間ですよ」
男は、柔らかく微笑する。
金色の髪が、陽光の中にはらりと落ちた。
「この国の人間では、ないですけどね」