ヤンデレメーター
言う程ヤンデレではないかもしれない……
私はヤンデレという生き物が大好きです。
元々は二次元を中心に存在感を放つ生き物であったそれは、私の恋愛観に多大な影響を及ぼしました。
彼等の純粋且つ一途な愛——
その、まっすぐすぎる想いに、私——古淵妙子は感銘を受けたのです。
さて、ここに希少な三次元のヤンデレがおります。
同じクラスの遠藤隆君。彼は、絶対にヤンデレだと思うのです。
恋する女性をじっと見つめ続け、後を付け、事細かに記録を付け、他の男を必要以上に牽制する……
もう、これは立派なヤンデレ予備軍と言って良いでしょう。
惜しむらくは、ヤンデレ遠藤君の恋愛対象が私ではなく、学級委員の山田さんという点でありますが。
山田さんは、近頃露骨にヤンデレアピールを繰り返す遠藤君に不信感を抱いている様子。ああ、だめだめ。そんな反応は、遠藤君のヤンデレメーターを上昇させるだけですよ。
そう彼女に言ってあげたいところですが、余計なお節介でヤンデレの怒りを買いたくありません。彼等は好きになった女性以外の人間、特に自分の邪魔をするような人間にはえげつない仕返しをして、自らが歩む人生のレールから排除しようとする生き物なのです。
巻き添え危険、手出し無用。ごめんなさい、山田さん。心の中であなたの健闘をお祈りします……遠藤君に監禁されてしまう日も、そう遠くはないでしょうが。
遠藤君には山田さんがいるので、私はクラスメイト以外のヤンデレを探さなければなりません。ヤンデレの恋路を邪魔するような野暮な真似はしないのです。命が惜しい。
実は、この学校には他にもヤンデレ予備軍がいるのです。
隣のクラスの梅家朱根君。彼もまた、眩しいくらいのヤンデレオーラの持ち主であります。
以前、彼の手帳を拾ってお返ししたことがあるのですが……中身は彼の愛おしい女性の写真でいっぱいでした。
またしても、私の入る隙はありません。
しかも、彼の愛おしい女性というのは彼の妹……幼児でした。
きっと、これから紫の上のごとく、自分好みの女性に育て上げる気なのでしょう。
私は、それ以上何も言わずにその場を立ち去りました。ヤンデレの趣味嗜好に口を出して、彼の怒りを買うわけには参りませんから。
ヤンデレとの恋は中々難しいですね。そもそも、ヤンデレはヤンデレを愛する人間には近づいて来ないものなのかもしれません。
もしくは、ヤンデレ好きが相手だと病む才能を発揮する前に両思いになってしまうので、デレの部分しか表面化しないのかもしれません。
これは、由々しき事態ですね。ヤンデレとお付き合いをしてみたいという私のささやかな願いは、叶えられそうにありません。
そうそう、もう一人ヤンデレっぽいお方がいるのを忘れておりましたよ。彼は学年が違うので、なかなか会う機会のない相手なのです。
楡先昴先輩。一つ上の学年の才色兼備な生徒会長様です。
普段から腹黒い雰囲気を醸し出す彼には、潜在的なヤンデレの素質があるように見受けられます。好きになった相手を追い掛け、追い詰め、周囲の人間を思いのままに動かし、気に入らないことがあれば実家の権力を使って排除。
ヤンデレが権力を持つとロクなことにならない典型例が、彼だと言っても良いでしょう。ただ、そんな楡先先輩でも、私は愛せる自信があります。
しかし、楡先先輩は同性愛者なので、私の出る幕はないのです……
彼は現在、眼鏡の似合う生徒会副会長——真田先輩に夢中なのでした。
これで、校内のヤンデレはあらかた紹介し尽くしたでしょうか。
三次元のヤンデレは、そこまで生息数が多くはありません。需要もまたしかり。
私のような人間は、極稀にしかいません。
「ああ、ヤンデレと恋したい」
その道のりは険しいようです……
だが、しかし! ここで諦めては女が廃る!
私はめげません、新たな潜在的ヤンデレを見つけ出すまでは。
※
いつまでも、ヤンデレに思いを馳せているわけには参りません。
私は、クラブ活動のために運動場へと向かいます。
所属しているのは、部員六名の弱小陸上部。私は、そこの短距離選手なのです。
「妙子先輩!」
おやおや。
陸上部一真面目な部員である私よりも、更に早く運動場に来て準備を始めている部員がおります。
彼は、後輩の一年生、白霧要君ですね。
誰もいない運動場で、一人で準備をしてくれているとは感心感心。
「白霧君、早くからありがとうございます。私も手伝いますね」
彼にそう伝えた私は、運動場の剥き出しの土にチョークでラインを引いていきます。
白く美しい、くっきりとした線が運動場を彩る様子は、何度見ても良いものですね。
頼もしい先輩の助っ人に、白霧君は嬉しそうに頬を染めていました。うんうん、持つべきものは可愛い後輩です。
「他の部員や先輩方は、用事で遅くなるみたいですよ。先に僕らで練習しておきましょう」
「はい……あら、チョークを切らしてしまいました。体育倉庫に取りに行きますね」
運動場に線を引くガラガラを引きずりながら、私はまっすぐに体育倉庫を目指しました。
倉庫の中には、袋に入ったチョークの粉が積み上げられています。
そのうちの一袋を根性の力で地面に引き摺り下ろし、超重量級のそれを抱えて逆さにしてガラガラのチョーク投入口に粉をぶち込み——失礼、丁寧に流し込みます。
「先輩、重いので僕が持ちますよ」
「白霧君、いけません。後輩にそんな重労働はさせられないのです」
「僕は男ですから、妙子先輩よりも力があります。ほら、こんな風に」
白霧君は、私からチョークの入った袋を奪うと——余裕の表情で、残りの粉をガラガラの中に投入しました。
……ああ、力の差に妙な敗北感を覚えてしまいます。
「ありがとうございました、白霧君。チョークの粉も補充したことですし、外へ行きましょう」
そうして、ガラガラを手にした私は、再び運動場を目指そうとしたのですが……
「あら、おかしいですね……」
いつの間にやら、体育倉庫の扉が閉まっています。手を掛けても開きません。
幸い、倉庫内の電気が点いているので、周囲が見えないということはないのですが……困りました。
「……先輩」
「どうしましょう、閉じ込められてしまったみたいです。誰かが間違えて扉を閉めてしまったのかしら」
外に助けを求めてみたのですが、他の部の皆さんはお忙しいようで——扉を開けに来てくださる気配はありません。
いよいよ、打つ手がなくなってしまいました……
「仕方ないですね。きっと、クラブ活動が終われば、皆が倉庫に備品を片付けにくるでしょう。それまでは、ここで待つしかありませんね、先輩」
白霧君の発言により、私は彼と一緒に倉庫内で待機することになりました。
「大丈夫ですよ、先輩。きっと誰かが倉庫を開けに来てくれますから」
「そうですね。大丈夫ですよね?」
ほこりを被った跳び箱の上に腰掛けると、何故か白霧君も私の隣に並んで座りました。閉じ込められたことを不安に思っているのでしょうか。
ここは、先輩らしく私がしっかりせねばなりません。
「こんなことになってしまいましたけれど——僕、先輩と二人きりでお喋り出来て嬉しいです。こうでもしないと、なかなか一緒にいられる機会はないから」
「……え?」
不意に白霧君が不思議なことを口走ったので、私は顔を上げてまじまじと彼を見つめました。
「いいえ、何でもありません。憧れの可愛い先輩と二人きりで、ちょっと舞い上がってしまって……こんな時なのに、不謹慎ですよね。ごめんなさい」
「……私なんて、ご近所のイモ畑に並んでいるような平凡な顔ですよ?」
「先輩は、自分の魅力に気が付いていないだけです。僕は、僕は……先輩のことが」
白霧君の瞳に、真剣な光が宿ります。きっと、愛の告白ですね!
けれど、ごめんなさい。私の好みのタイプは、可愛らしい後輩の男の子ではないのです。
歪んだヤンデレ男子なのです!
「妙子先輩は、年下なんて眼中にない人ですよね……でも、僕は本気で先輩のことが好きなんです! ねえ、先輩……このまま——」
そう言って困ったように微笑む白霧君の目には……
先程とは打って変わったような、ほの暗い澱みと濁りが渦巻いておりました。
白霧君は、懐からビニール袋に入った何かを取り出し、私の口を防ぎます。
「んんっ……!?」
——彼は、ヤン、デレ……なの?
口元に当てられたハンカチから香る甘い香りに、私の意識は急速に遠のいていきます。
最後に見た白霧君の表情は、愉悦に満ちたものでした。
こうして——
私は、意図せず後輩のヤンデレメーターを上げてしまった模様です。