八話「灼熱の因果」
《拒否します、ジギタリス2631。私の存在理由を変更する必要はありません》
まさかの即答に、開いた口がふさがらなかった。
人工知能って基本的に賢いもんだと思ってたけど、少なくともDDに関してはこんな簡単なことも理解できない程度には残念なのだと分かった。そんなことは知りたくもなかったが。
――――――……え? いや、お前に拒否権なんて無いんだよ、DD。せっかく人間並みの知性があるとわかって、『機械の民』の頂点に立ったんだ。その地位を維持したいだろう? それにお前自身を、人間並みの存在を、保存しなきゃならないんだろう?
わたしとアマリリス議長が成すべきだった魔女達の幕引きを、玩具にしていた機甲兵の一言で『機械の民』に持って行かれたことには腹が立つが。そこは自分の力と覚悟が不足していたせいだと分かっている。納得はできないが理解はできる。
もしDDがいなかったら、わたしが土壇場でつまずいたせいで、アマリリス議長が六百年の苦悩の末にようやく下した決断を失敗させてしまうところだった。
だから魔女達の歴史の幕引きというその目的が達成された今、わたしは自分に代わってそれを成してくれたDDに恩がある。間違った道に進もうとしているこの機甲兵を、どうにかして止めようじゃないか。
そうしたら君たちのところへ安心して逝ける。待っていてくれ、ベラ、アイビー、アマリリス。最後の仕事、この玩具の説得が済んだらすぐにいく。
わたしがいなくなれば魔力バランスが戻って、灰の大地にもやがて緑が再生してくるだろうから。
《私には、現在の地位を維持したい、という望みはありません》
早くも前途多難な予感がするのは、気のせいだと思いたい。
――――――地位への執着はなくとも、それに付随する義務は承知しているだろう。上に立つものは自分に従うものを保護する責任がある。DD、お前も最上位の命令権を得たのなら、それに従って『機械の民』を守る義務とかがあるんじゃないか。
《『機械の民』の管理義務は中枢頭脳にあります。私にはありません》
――――――……うん? つまり、命令はするけど管理はしないってこと? 『機械の民』の管理体制とかよくわからんけど、お前それ、上に立つものとしては最悪な部類じゃないの……。いや、でも、そうなるとお前は何をするんだ?
《あなたの存在を維持し、記録を収集します、ジギタリス2631》
――――――それは無意味だよ、DD。わたしの記録なんて、何の価値もないのに。
《意味はあります。あなたは私の存在理由です》
機甲兵はいつか言ったことを、今また告げる。
《私の存在理由はあなたを記録することです。私が存在する為にはあなたが存在する必要があります。あなたのそばに在る必要があります。あなたの存在を維持する必要があります》
前回は驚いたが、二度目の今はいささかうんざりした。
説得を成功させるために乗り越えなければならない壁が高すぎる気がするんだが、どこかに梯子かハンマーは落ちていないだろうか。一番いいのはこの機甲兵の人工知能を組んだプログラマに来てもらうことだろうけど、『機械の民』の人間はもう滅びてるらしいしな……
《一度質問しましたが、もう一度問います。あなたの存在理由は何ですか、ジギタリス2631。そこに私を入れることは可能ですか》
ため息をつくとこぽこぽと気泡がこぼれた。それがくるくると踊りながら舞い上がっていく様はどこか幻想的で美しいが、分厚い硝子の向こうにいる金属製の機甲兵にメルヘンな要素は見当たらない。
その質問もきっと、わたしの存在理由にDDが入ったら記録の収集とかわたしの存在維持が楽になる、という計算に基づいたものだろう。残念だったな。
――――――人間には、あらかじめ定められた存在理由なんて無い。最初から無いものには何も入れられない。それに、何度でも言うが、わたしがここにいるのは危険なんだ。魔力バランスが崩れて世界が壊れる。DD、どうしてそれが分からない?
《理解していないのはあなたです、ジギタリス2631。私は理解しています。その上で答えています。
私の存在理由を変更する必要は、ありません》
確かに、理解できていないのはわたしの方かもしれない。
だってDD、お前、それは、おかしいだろう?
――――――自分よりも、『機械の民』よりも。DD、お前は、わたしを選ぶの?
生存させるべきものの第一位として。
けれどそれは。
――――――破滅だよ。わたしもお前も『機械の民』もこの世界さえも、すべてが壊れて失われる。何も残らない最悪の結末。お前が獲得した知性は、すべてを理解した上でそんなものを選ぶほど愚かなの?
硝子の柱の中で、青い水に抱かれてふわふわと浮かびながらゆっくりと右手をのばす。それに応えるように、DDもその金属製の手を持ち上げた。
《ジギタリス2631。「もしも今日、世界が終わるとしたら、お前は何がしたい」とあなたは問いました。私は「あなたを記録することを望みます」と答えました。もう一度答えます》
硝子越しに八歳の魔女の小さな手と、機甲兵の大きな手が重なる。その、ただ人間の形を模して造られただけの、表情を作ることなどできないはずの機甲兵の顔が、ふと。微笑んだような、気がして。
《もしも今日、世界が終わるとしたら。私はその終わりまでの、すべてのあなたを記録することを望みます、ジギタリス2631》
もしもわたしが身体年齢通りの八歳児だったなら、これを奇跡みたいに素敵なことだと喜べただろうか。
金属で造られた機甲兵に心が宿り、あやまちを犯すほどの想いを手に入れることができたのかと、素直に驚けただろうか。
だが現実は、十六歳で焼死した女子高生が赤ん坊に転生し、けっこうさんざんな八年を経てやさぐれた兵器な魔女だ。
もう早くこの第二の最悪な生を終えたい自分が頭の中にいて、「これはプログラムの異常によるものだろう」と結論した。自分も、自分が属する『機械の民』の存続をも危険にさらす時限爆弾の生を望むなど、大間違いもいいところだと。
お前バグってるぞ、DD。
あるいはそのバグを人間に近い知性だと認めたのか、中枢頭脳。
だとしたらとんでもない悪趣味だな。
――――――……わかった。もういい。じゃあわたしが勝手に死ぬ。後は好きにして。
わたしは説得を放棄した。こんな石頭のバグ機甲兵、もう知らん。体はぼろぼろだが、それでも世界から魔力を吸い上げている。自分を殺す程度の力はまだあるだろう。さあ、どうやって、
《わかりました、ジギタリス2631。あなたの死とともに、私もすべての機能を停止するよう設定しました》
――――――バカかお前は!
思わずがぼっと大きな気泡を吐いた。お前のバグ致命的すぎるぞDD!
――――――今すぐその設定変更しろ! せっかく中枢頭脳にも認められるほどの知性を得たんだろう? なんでわたしなんかに付き合って機能停止なんて、そんな必要無いのに、お前、おまえは、
くちびるを動かしながら混乱する。
混乱するわたしにDDが言う。
《あなたは私が製造された原因であり、存在する理由です。ならばあなたには、私が消滅する理由となる資格がある。いえ、私の消滅理由は、あなたに起因するものでなければならない》
静かな確信に満ちたその声に、青い液体に抱かれた体が違和感で鳥肌立つ。DDはきっと壊れている。そうでなければこんなこと、言うはずがない。だってそんなの、そんなのは、
《私の存在を継続することを望まれるのなら、あなたの生命を維持してください。私は、あなたを、守りたいのです》
DDは自分を人質にして、わたしを生かそうとしている。
そんなのは、もう……
機械の思考じゃ、ない。
ずっとDDをただの機械だと思おうとしていたのに、今やそれが不可能になって、わたしの混乱は恐怖へと変わった。怖かった。なぜこうなってしまったのか、まるでわからなくて。混乱から生まれた恐怖は、すべてを拒絶するような怒りを生んだ。
真っ白になった頭で、DDを拒む。
――――――たかが玩具の分際で持ち主を守ろうなんて、千年早い!
《では千年後なら守ることを許すのですか》
すがるように、祈るように。速攻で返ってきたあまりにも純粋すぎる答えに、カウンター・パンチをもろに食らったようなショックを受けた。おかげで頭の中を瞬間沸騰させた怒りがすこし冷えたが、今度は深い疲労感に支配されて何を言う気力もなくなった。
DDは答えを待ち、わたしは微動だにせず、沈黙がおりる。
どうすればいいんだ、DD。
わたしが生きているとこの世界が滅びるかもしれないから、早く殺してくれという話をしたのに。千年後なら守ることを許すのか、なんて返してくるとは。
このままだと世界は千年なんてもたないんだよ、DD。どうやったらわたしだけ死なせてくれるの。自殺したら結果的に道ずれにしてましたとか冗談じゃないし。このままずるずる生かされて世界を滅亡させるのも勘弁してほしい。わたしは魔女の一族とだけ心中する予定だったのに。ああ、本当に。ほんとうに。頼むから。お願いだから、
《心拍数の上昇を確認しました。危険域です。落ちついてください、ジギタリス2631》
ビー! ビー! と耳障りな電子音があちこちから鳴り響いている。
けれど、怒りと混乱ともうどうすればいいのかわからない焦燥に頭をかきまわされているわたしはDDの言葉など聞かない。
でも、あれ? なんか視界が、ぼやけてきたな……
――――――おねがい
急速に意識がほどけていく。硝子の円柱の中を満たす青い水へとけるように。
くちびるが、うまく、うごかせない。
――――――わたしを、しなせて
それで世界の魔力バランスは戻るだろう。後はせっかく知性を獲得したというなら、お前の好きなように『機械の民』独自の文明を築いていけばいいと。造られてただそのまま在るだけでなく、自分もまた何かを造り、育む喜びを知ればいいのだと。伝えたい言葉は伝えられず空回り。
ずっと硝子越しに手を重ねていた機甲兵が、その指をかすかに動かしながらわたしの名を呼んだ。
《ジギタリス2631》
その声に、もう答えを返せない。
◆×◆×◆×◆
「雛鳥ちゃん」
風のささやきのように、小川を流れる清水のせせらぎのように優しいその声に付随して刻み込まれた死の恐怖が、深い眠りについていた意識を強引に揺り起こした。
ぱちりと目を覚まして飛び起き、記憶の混濁にくらくらする頭をかかえるが、どうも体の感覚がおかしい。
「お寝坊さんだね、雛鳥ちゃん。君が目を覚ますのを待っている間に、もう砂が半分落ちちゃったよ」
声は頭上から降ってくる。聴いているだけで心がやすらぎそうな優しい声が。
しかしその声の主に「なんでこんなところにいるの、雛鳥ちゃん。迷子になっているのなら、僕があるべき所へ還してあげよう」と言われて殺されかけたことを忘れてなるものか。その反則的な力とあまりにもたやすく与えられたすさまじい痛みを、忘れることなどできるものか。
「怒っているね、雛鳥ちゃん。その怒りはまったく的外れなものだけど、怒る姿は美しい。やはり火炎の属は、怒りを示す時が一番美しく輝くね」
「……何を、されたのですか。真宵さま」
怒りを抑えて低い声で訊く。
自分ではこの相手に勝てないと理解している。負けると分かっている相手に怒りにまかせて挑むほど幼くはないし、それよりわけの分からない空間にいる現在の状況を把握したい。
「何と、言うべきほどのことは何もしていないけれど。僕はただ待っているだけだ。あの世界が生みだした、金属の歯車と螺旋のばねが結末を迎えるその時を」
巨大な砂時計の上に座し、幼い少女の姿をした真宵さまが言う。
わたしは半分ほど砂が落ちているその砂時計の前にいて、あたりにはただ広大な星の海がたゆたうそこで、上下左右の感覚を失って浮かんでいる。
「意味がよく、分かりません」
言うと、何かが頭の“中”に触れた感覚があって、ぞわりと全身があわだった。
「おびえなくていい。君が何を理解できないでいるのか、すこし見ただけだ。……しかし、ふぅむ。君に現状を理解させることは難しいな。そも、君が理解している概念の中には“ここ”に該当するものがない」
砂時計の上で、幼い少女が顔をしかめる。
「あえて言うならば“混沌の海”だろうか。ここは世界が生まれては還るところであり、その中間であり裏側でもある。本来ならば君のような雛鳥が迷いこむところではないが、君は今とても中途半端なところに吊り下がっていて、不安定なものだからね。縁のあった僕の力を導に迷いこんでしまったのだろう。
いまだ卵から孵ってすらいないのにここまで来られたという点で、君はとても稀有な存在だ。しかし、いささか記憶にとらわれ過ぎて自分で自分の霊格を落としているね。残念なことだよ」
さすが真宵さまだ。意味がわからねぇ。
ぽかんと聞いているだけのわたしに気づいて、少女は微笑んだ。
「なんだ、まだそれすら理解していないのか。何度も呼んであげているのに、“雛鳥ちゃん”」
また頭の中に何かが触れ、わたしは自分の体の感覚がおかしかった理由を理解させられた。
今、わたし、鳥だった。
火 の 鳥 だ っ た 。
「……な、なななな、なぁーっ!!!!」
何でこうなったと叫びたくても言葉にならず、じたばた翼をひろげて転げまわって悶絶するわたしを見おろし、真宵さまはのんびり笑う。
「自分で何度も口にしていたのに、本当に、何も理解していなかったのか。そう、魔女達はあれを何と呼んでいたかな。確か、ああ、“因果律の魔法”だ。
ほら、雛鳥ちゃん、思い出してごらん。君はあの炎を招く時、何と詠っていたのかを」
はぁはぁ、と燃える炎の羽根を持つ鳥の身で荒い息をついて途方にくれながら、言われるまま思い出す。
其はかつて来たりし道にして、これより行く先の果てまでも絡みし荊なるもの。
其は我が苦しみにして救いであり、絶望にして希望である。
具象せよ、我が因果律。
〈灼熱の檻〉
……それを、解釈すると?
「君は輪廻を繰り返して霊格を練っていた、孵化する前の不死鳥なんだよ」
そんなのわかるかぁぁぁーーーっ!!!!
意味不明です理解不能ですもうおうちかえりたいです。それがダメならどこかに穴でも掘って埋められて二度とさめない眠りにつきたいです。こんなことを思うフェニックスなんて存在するはずがないと信じたいです。
ノリがいい人がいたらチーンとおりんを鳴らしてくれそうな勢いでぱったりと倒れて息絶えているわたしに、真宵さまは容赦なくざくざくと追撃の言葉を放つ。
「本来ならば善き再生の力を宿した炎が、君が前世の記憶にとらわれて炎を嫌ったせいで、ただすべてを焼くだけの〈灼熱の檻〉に堕ちていたのを見るのは胸が痛んだよ。
しかも、もうそろそろ孵化しそうなところまできていたのに、あの世界に引っぱられて墜ちてしまうものだから、魂が奇妙な具合に歪んでしまって。だから僕が還してあげようと言ったんだが、アマリリスにやめてくれと頼まれてしまったし、君は還されるのを嫌がるし。幾千億の輪廻を越えてようやく孵化寸前のところまで辿り着いていたのに、その歪みを正すにはしばらくかかりそうだ。
孵化がおあずけになって残念だったね、雛鳥ちゃん」
ぜんぜん残念そうじゃなく、むしろ楽しそうですね真宵さま。
「僕はとてもね。とても楽しかったよジギタリス2631。アマリリスと君と、君がDDと呼んでいた機甲兵と。久しぶりに個体の名称を覚えた。君達の辿る道はいびつで歪んでいて力強く、なかなかに見ごたえがあったから」
まさか見物されていたとは思いませんでしたが真宵さま。っていうか今、いま、普通に心読まれてませんかコレ。
「僕は常に観客だ。すべてを見て、時折干渉するが、基本的には傍観者だ。そして今、僕は君がジギタリス2631と呼ばれていたあの世界で、金属の歯車と螺旋のばねに魂が宿るか否かの結論の、意味ある一例が出ることを期待している」
金属の歯車と螺旋のばね?
「君のDDのことだよ。神でない者に造られた物に魂が宿るか否かは、まだどこの世界でも結論が出ていない。たいてい魂が宿る前に壊れてしまうからね。でもいいかげん僕もすこし気になったものだから、あの世界にはちょっと干渉した」
……干渉?
その言葉にどうしようもなく嫌な予感がして身を起こし、砂時計の上に座す少女の形をした何かを見あげて問う。
「何をされたんですか、真宵さま」
「何と、言うべきほどのことは何もしていないけれど。君にとっては重要なことかもしれないな。……ああ、そうだ。賭けをしないか、雛鳥ちゃん」
確かに人の形をしているのに、彼女が浮かべたその微笑みには人間らしさのかけらもなかった。
「DDは問うた。千年後なら君を守ることを許されるのかと。君を観測する為に造られたあの金属の歯車と螺旋のばねは、ただ君とともに在ることだけを望んでいる。
けれどそんな物に君は言った。自分を殺してくれと。
そして僕は干渉した。あの世界が君たちの言葉よりちょうど千年後に壊れるように」
さて、と真宵さまは言葉を続ける。
「制限時間は千年、この砂時計の砂がすべて落ちるまでだ。
あの金属の歯車と螺旋のばねは設定されたプログラムに従って君とともに滅びを迎え、壊れて消えるのか。あるいはプログラムに逆らって君の願いを叶えるべく己が存在理由を殺し、その後に自分もともに消えながら魂の欠片に近い何かを得るのか。
ねぇ、雛鳥ちゃん」
体が凍りつき、その言葉の中にあるか無きかの、蜘蛛の糸のような救いを見いだしてしまった驚きで声を失う。
――――――DDに、魂が宿る可能性が、ある?
そしてわたしが十分に理解するまでの時間を与えた後、少女の形をした何かが問うた。
「君はどちらに賭けてみる?」