六話「好意の末路」
“娘の樹”が植えられた森は二十八ヶ所。
六百年戦争が始まってしばらく後、己が模造品を製造するための苗床として埋められて永久に眠る娘達を、その枝に実る嬰児もろともすべて灰にせよと命じ、アマリリス議長はわたしを完全なる兵器にするための儀式を行う。
……その、前に。わたし達は最後の言葉を交わした。
「教えてくださいませんか、ジギタリス。貴女はわたくしが最後の人間であることを理由に力を貸してくださると仰ったけれど。本当の、最初の理由は違ったのでしょう?」
「わたしはあなたに嘘を言ったことはありませんが、アマリリス。あなたが最後の人間だから、その言葉に従うと誓ったのは本心です。
けれど、お望みとあらば白状していきましょう。
正直なところ、最初はただ自分に宿った因果律の魔法の威力とその炎の世界におびえていて、そんなお前が必要だと言ってくれたあなたの言葉にすがっただけでした。必要としてくれる人がいるのなら、まだここで生きていていいのだと自分に言い聞かせたくて」
くだらない理由でがっかりしましたか、と問えば。
そのような事はありえません、とやわらかな眼差しで返された。
「遠い昔に死ぬべき時期を逃し、ただずるずると見苦しく生き恥をさらしていただけのわたくしに、貴女が力を与えてくれた。罪深いあやまちの連鎖を終わらせる力を。
貴女がいなければ、すべてを浄化し、消し去ってくれる貴方の炎を見ることがなかったなら、きっとわたくしにここまでの決断はできなかったでしょう。
……永く、生きれば生きるほど、すべてを巻き添えに死ぬ覚悟をすることは難しくなっていく」
アマリリス議長が微笑んだ。
「わたくしの方こそ、こんなあさましい女で。がっかりなさったでしょう?」
「いいえ」
わたしは答えながら顔を伏せる。ただ一人生き残ってしまった魔女の苦悩につけこみ、意味のある生を、あるいは意義のある死を求める自分が急にひどく恥かしい存在に思えて、まともに視線を合わせることができなかった。
「お言葉、もったいなく。模造品の亡霊ごときには過ぎたるものにございます」
彼女の懊悩の深さを理解できるところにいない自分の、ひどく浅い経験値が恨めしい。死という境を越えた記憶を持つとはいえ、この狂った世界で六百年戦争を生き抜いた魔女の生涯にはあまりにも遠く、遥かにおよばない。
「模造品の亡霊などと。あなたのことも他の娘たちのことも、わたくしはそのように考えたことはありませんよ」
その穏やかな声は、まるで母の腕に抱かれるような安堵をもたらす。わたしは顔をしかめ、自分をそれに浸さないためにぐっと力を込めて顔を上げた。
「アマリリス」
そのようにわたしへ慈悲を与える必要など無いのだと。思わず咎める口調で呼べば、彼女は悲しげに微笑んだ。
「あなたはいつもそうね、ジギタリス。自分の力のすべてを惜しみなく与えるのに、その心の内は決して誰にも明かさない」
「わたしを知る必要はありません。ここにあるのは、ただの道具です」
すべての魔女の命を背負い、その終焉による救済を決断したアマリリスに、これ以上の重荷を課すつもりはない。あなたはわたしを背負う必要はない。それはすでに、あの薄闇の部屋でDDにそそいだから。あなたはもう、ただの道具のひとつとして、由来など知らぬままこの身を用いて望みを叶えればいい。
その過程で、わたしは勝手に意義を得て満足して今生を終えるだろう。
「ならば、ジギタリス2631」
慈愛に満ちたしばらくの沈黙の後。
最後の本物の魔女であり、この世界で最も長い時に磨かれた女は、厳かな声で命じた。
「汝、我が剣となれ」
そうして『満月議会』議長の許しを与えられたわたしは儀式を受け、兵器として最悪にして最凶の力を得る。
それは世界から魔力を無限に吸い上げて己がものとし、世界を害する悪夢のような反則的能力だ。真宵さまに由来するその魔法は、一度発動したら最後、誰にも解除できない。わたしがその重圧に耐えられる限り、世界はただ一方的にその魔力を搾取され蹂躙される。
そしてわたしはその力で、アマリリス議長の命に従い魔女の歴史を閉じる。
「御心のままに」
六百歳を越える魔女はしずかにその双眸を閉じ、最後の謁見が終わった。
アマリリスが己の終焉の場として選んだ天球儀館の瞑想室から出ると、外で待っていたアイビーがわたしの姿を見て目を丸くする。
「うはぁ。すごいですねぇ、ジギーさん。見た目からしてもう完全に人間やめちゃってる感じですよぉ。なんか光ってますけど、その紋様は全身にあるんですか~?」
確かに彼女の言う通り、特殊な魔法が発動していることを示す紋様が全身に浮き出て淡く輝いている現在のわたしは、あきらかに人間をやめているが。それにしても今や“世界を蝕む害悪”と化したものを前に、どこまで緊張感のない相棒なのか。
あきれ気味に見やって応じる。
「くだらないことを言っている暇があるなら早く飛んでくれ。時間が惜しい」
「ええー。くだらないコトなんかじゃないですよぅ。アタシはただジギーさんのことが知りたいだけなのに~」
ぶつくさ言いながらもアイビーは箒にまたがり、わたしを後ろに乗せると初速からトップスピードで空へと舞い上がる。焼き払うべき二十八ヶ所の森。その最初の地へと向かいながら。
「ジギーさんは自分のこと、ぜんぜん話してくれませんでしたね。アタシってそんな役立たずだったんでしょうか。それなりにお役に立てるよう、これでもけっこう頑張ったんですけど。ちょっと、ヘコみます」
めずらしくまじめな声で振り向きもせず言うので、がりがりに痩せたその背を見上げて数秒、どうすべきか悩んだ。
この相棒のことをほとんど何も知らないと、先ほど気づいたばかりだが。だからといって素直に謝り、じゃあお互いについて語ろうか、なんて言えるタイミングでもない。
迷った末に、妥協案でいくことにした。
「出撃命令で出る時、行きは少し遠回りして見晴らしのいいところを飛んでくれることを知ってる。疲れて帰る時はちょっとだけスピードを落として最短距離で飛んでくれることを知ってる。あと、包帯を巻いてくれる手が優しいことを、つい最近知った。包帯の巻き方が意外と上手いことも」
それらはアイビーがこういうことをやっていますと言ったわけではなく、一緒にいる間にああこういう人なんだなと思って気がついたことだ。それはようするに、もっともらしい話なんかしなくても、ともに過ごした時間の中で感じ取れたことだってそれなりにあっただろう、という意味で。
よく気がつくアイビーは、当然のように言外に含ませた意味をくんでくれる。
「うぅ。ずるいなぁ。ジギーさんてば、いつも不意打ちでアタシの心臓根こそぎ持っていっちゃうんだから」
「心臓根こそぎって、ずいぶんと物騒なたとえだな」
いちおう満足してもらえたようだが、その不穏な言葉に思わず苦笑した。もとから皆が“死”そのものであるかのように恐れるわたしに対して、一定の距離を置きながらも無邪気に声をかけてくる不思議な魔女だったが、もうちょっと穏やかな比喩はなかったのかと思う。
物騒なのは現在の状況だけで十分だ。
「だってそれ以上にぴったりな言葉が無いんですもん。……もうじきです」
「ん」
山を越えて森へ至る。わたしはアイビーの箒の後ろから飛び降りた。
◆×◆×◆×◆
「……く、は……っ」
崩れ落ちそうになる体を、ただ意志の力だけでかろうじてその場にとどめる。特殊な魔法がかかっている影響か、一日もつはずの痛み止めの薬がきれてきたらしい。あと一ヶ所。あと一つ森を焼き払えばわたしの役目は終わるのに、立っているだけで必死とは情けない。
「アイ、ビー……、くす、り、を……」
二十七ヶ所目の森だった灰の大地にふわりと着地して箒から降り、アイビーは鞄の中から小ビンを取り出してわたしの口元へ当てた。小ビンが傾けられるのに合わせてかすかに上向き、喉の奥へとすべり落ちていく液体の感触にほっとして。
「飲んでくれましたねぇ、ジギーさん」
いつもと同じ無邪気で楽しそうな声、その奥に潜む不穏な気配に体がこわばる。
今、飲んだ薬はいつものとは違って無味無臭だったと、それが胃まで落ちてから気がついたって手遅れで。
「今朝の、いつもより効き目の薄い薬を渡したのに。なかなか効果が切れてくれないみたいで、はらはらしてたんですよぉ。でも今、飲んでくれましたから、おおむね予定通りです!」
全身を苛む激痛で息ができない。
「あ、ぐ……、う……っ!」
何も考えられないほどのただひたすらな痛みに浸されて叫ぶことすらできない。
「ジギーさん、ジギーさん、痛いですかぁ? それはねぇ、今までジギーさんが飲んでた痛み止めのお薬とは逆の効果があるお薬なんですよぉ。感覚を鈍らせるんじゃなくてぇ、感覚をものすごく鋭くしてくれるお薬!」
真宵さまに切り裂かれた右目と左腕が痛い。全身が痛い。この身へ無限に流れ込んでくる世界の魔力が、一方的に搾取されることに憤慨しているかのようだ。それはわたしの全身の細胞を切り刻んで沸騰させようと、頭から爪先にいたるまでのすべてで内側から暴れている。
「真宵さまから受けた傷はいつまでも治らないしぃ、世界から魔力を搾取するとかどんだけ体に負担くるかわかんないくらい頭おかしい魔法かかってるしぃ、そこで感覚鋭くしちゃったら痛いに決まってますよねぇ?」
アイビーが何を言っているのか、わからない。
なぜこんなことをしているのかも。
いつの間にかくずおれて灰の中に転がり、ただ息をすることさえ苦しくてあえぐように短い呼吸を繰り返しながら、見上げたアイビーはひどく悲しげに微笑んでいた。
「ジギーさん、ジギーさん。なんでそんなに冷静なんですか。アタシはあなたのその冷めた目が、苦痛にゆがむところが見たいのに」
その声は恋人に睦言をささやくように甘く。
「因果律の魔法を使った後、いつも自分がどんな顔してるか自覚してますか。知らないでしょう。あなたは何も知らないでしょう。あなたは迷子のこどもみたいな顔をして、それでも目だけは硝子玉みたいに冷えてるんです。迷いも悩みも苦しみもないところから、遙か下にある世界を見おろすみたいに冷えた目をしてるんです。
壊れかけなのにどこかで絶対にどうしても壊れないあなたの、その最後のひとかけらを、アタシはいつも守りたくて壊したくてたまらなかった」
気づいていましたかと笑う彼女が、どうして気づいてくれなかったんですかと泣いているように見えて、灰の大地に転がったまま苦く笑った。
そうだな、アイビー。わたしは何も見る気などなかったから、きっと何も見えていなかったんだろう。だけどな。
わたしは魔女だがテレパスじゃないんだ!
他人の心の中なんてわかるわけないだろ!
気づいてほしければ口で言えというんだこのばかめ!
心の中でののしる私に、歌いかけるようにアイビーが言う。
「ジギーさん、ジギーさん。あなたの咲かせる白い炎の花が、空から見るとどれだけ世界に映えて美しいか。知らないあなたがわるいんです。速く、より速く飛ぶことだけがすべてだったアタシの心臓を、根こそぎ持ってっちゃったジギーさんがわるいんです」
だから苦しんでくださいと、笑うように、泣くように。痩せたその身を裂くがごとく、骨肉から言葉を削り出す魔女のひどく身勝手で純粋な声を聞きながら必死で意識を立て直す。指先が、動くようになった。全身を苛む痛みにもすこしだけ慣れたと自分に思い込ませることに、そろそろ成功しつつあるようだ。
動ける。
いける。
行け。
まだ大丈夫。
やれる。
……やれ!
だってあと、たった一ヶ所なんだ。
「ジギー、さん?」
よたつきながら、息もたえだえに身を起こすわたしに、アイビーは驚いたように目を見開いた。
「な、なんで、なんで動けるんですかぁ。ジギーさん、ジギーさん、あなたの体の中、もうぐちゃぐちゃのボロボロですよ。アタシにもわかるくらいズタズタなんですよぉ。世界の魔力搾取するなんてムチャするから、体そのものが壊れてきてるって、わかってるでしょぉ?
それなのに、なんで、まだ、動こうとするのぉ……っ!」
アイビーの声が震えている。
わからないのか。わたしがどうして動くのかわからないのか。つまりわたし達はお互いにお互いのことをまるで理解していなかったという点で対等だな。
もう、何もかもが手遅れだけど。
「アイビー」
は、は、と短く荒い呼吸を繰り返しながら、ようやく上半身を起こせたところで名を呼んだ。相棒はびくりと震えたが、気にしてなどやるものか。
「言え。ぜんぶ、聞く」
まだ全部じゃないだろう。お前が本当は何をしたかったのか、聞くから言えと。途切れ途切れの声で促せば、かすむ視界の向こうで、ほろりとアイビーの頬をつたう透明な雫が見えた。
「アタシは、ジギーさんと、おなじものが見たかった」
ほろほろと泣きながら、不思議と穏やかな声で語る。
「アタシの箒に乗ってるのに、いつだってアタシとは違うものを見ているジギーさんと、同じものが見たかった。時々わけわかんないこと言うジギーさんを理解したかった。あんなに激しい炎の世界を招くのに、いつも冷めて凍えてるジギーさんのそばにいたかった。ほんのひとかけらでもいいからジギーさんが思ってることを知りたかった。
でも、どうしたって、叶いそうに、ない、から、」
くるしめてくるしめてくるしめて、こわそうとおもったの。
ああ、まったく。
物騒なのは現状だけで十分だというのに。
「好きです、ジギーさん。普段はひどく冷たいくせに、たまに心をえぐるみたいに優しくしてくれるあなたが、とてもとてもとても好き。
でも、知ってた。ずっと見てたから。わかってた。あなたはどうしたって、アタシと同じ“好き”を返してはくれないヒトなんだろう、って」
察しが良すぎるのも困りものだな、アイビー。その通りだよ。前世の記憶のおかげか、わたしの性癖はいたってノーマルで。同性相手にそういった意味での“好き”は返せない。この世界の魔女達の中では、それこそが異常だとわかってはいるんだけど。
「アイビー」
右目が痛い。左腕が痛い。全身の細胞が沸騰しそうに熱くて切り刻まれているかのように痛く、そのことに気づかせてわたしの足を止めさせた彼女の好意が。
「ありがとう」
痛い。
けれど本心からの感謝を、せめてせいいっぱいの笑みとともに伝えた。
ありがとう。わたしが好きになれないわたしを好きになってくれてありがとう。あなたはいい相棒だった。優しい相棒だった。あなたと話すのは嫌いじゃなかった。そんなあなたをそこまで堕としたことに、まるで気づかなかった鈍感なバカでごめん。けれどきっと、気づいたとしても何もできなかった、前世の記憶に囚われたままのどうしようもない石頭でごめん。
言葉にできない言葉がたくさんあって、のどの奥で想いがつまる。そのせいで今、口にできるのはこの一言だけだ。
「ありが、とう」
感謝しながら拒絶するその言葉に、ぼろぼろと泣きながらアイビーが笑った。いつもと同じように、無邪気に。
「ひどいなぁ。ジギーさん、ひどいなぁ……」
そこへ、雷のごとく声が響いて空気を切り裂いた。
「見つけたよ大罪人! 叛逆者ジギタリス!」
怒り狂った魔女達が、箒に乗って空からわたし達を見下ろし、叫んだ。
「お前を“英雄”と讃えた我らが娘達の眠る森を、よくも焼き払ってくれたな! 魔女を統べながらすべてを裏切ったアマリリスはすでに首を失ったぞ! だがお前の罪は、その程度では贖えぬと知れ!」
昨日まで“英雄”と畏怖した者を殺せる大義名分を得て狂喜にゆがんだ魔女達の、数十を越えるその目が唱和した。
――――――大罪人は火炙りにせよ!