五話「終幕の鐘」
「おはよう、DD」
《おはようございます、ジギタリス2631》
「さて。今日は何を話そうか」
《質問があります。ジギタリス2631》
「うん? わたしが話を始める前に、お前から質問するとは珍しい。かまわないよ、言ってみて」
《あなたの右目と左腕の、損傷の修復が必要であると推測します。なぜ修復されないのですか》
あはは、とDDの言いまわしに笑う。
傷を負い、体力と気力がいちじるしく削られている現在、DDの膝にのぼるような余力は無く。久しぶりにわたしはベッドの上にいて、DDはいつもと同じ部屋の片隅に座っている。
それは初めて話した時と同じ距離なのに、どうしてかとても遠く感じて不思議だった。
けれどそれについては語らず、機甲兵の質問に答える。
「DD、そういう時は治療と言うんだよ。損傷の修復でなく。人間の場合はね、傷の治療をする、という」
《登録しました。ジギタリス2631、では、治療、してください》
「そう言われてもね。きれいな水で傷を洗って、化膿しないよう消毒して、傷口を保護する軟膏をぬって、包帯を巻いてある。痛み止めも飲んでる。つまりこの傷に、これ以上の治療はできない」
《魔女は治癒魔法で一瞬にして傷を消すことができる、と記録されています》
「その記録は正しい。ただ、DD、何事にも例外があると付け加えておくといい。今わたしが負っているこれも、その例外に含まれる事項だ。じつはつい先ほど、真宵さまに襲われてね。困ったことに、真宵さまから与えられる傷は特殊なんだ」
《データベースに登録されていない単語があります。詳細情報の提供を求めます》
「真宵さまのことだな。あのお方のことはわたしにもよくわからないんだけど、まあ、努力はしてみよう」
言って、何と答えるべきか考えようとしたら、くらりとめまいがした。
元からほとんど何も入っていない胃が、さらに空っぽになるまで吐いたから、もう吐くものなど無いはずなのに。それでも何かがせり上がってくるような感覚がして、くちびるを閉じる。
それきり声が出せなくなり、目を伏せて浅い呼吸を繰り返すわたしに、DDが言った。
《あなたには治療が必要です、ジギタリス2631》
もうしてあると言っただろう、DD。そんなに繰り返されると心配されているのかと錯覚しそうになるからやめてくれ。気まぐれで拾っただけの機甲兵を相手に、ただの玩具を相手にそんな錯覚をするなんて。さすがにそれは、みじめじゃあないか。
思ってふと、苦く笑い。息をついて顔を上げた。
拾ってからもう三ヶ月ほど経っただろうか。ずいぶんとたくさんの話をしたし、薄闇の部屋でこの機甲兵を見ることにも慣れてきたが。
「……わたしは今すぐ、お前を壊すべきだな」
《なぜですか? ジギタリス2631》
当たり前のように問い返したDDに、目を見開く。
あ れ ?
「DD。今、なぜと、訊いた? なぜ、自分を壊すのかって?」
《はい》
「お前がそんなことを訊くのは初めてだ。その理由はなに。壊されたくないから? 観測対象の行動の理由を記録するため? まさかただ、“知りたい”から?」
たたみかけるように問われてDDは沈黙する。
わたしは久しぶりに心臓が高鳴るのを感じる。
この機械には心があるのではないかと、愚にもつかない夢を見て。
《私はあなたの記録を収集する為に存在します。あなたの行動の理由も記録対象です》
その当たり前の返答にひどくがっかりしたのは、だからただのわたしの自業自得だったのだが。
《あなたの存在理由は何ですか、ジギタリス2631。そこに私を入れることは可能ですか》
予定調和のようにため息をついてベッドに沈むはずが、そんなことを続けざまに言われたら固まって当然だろう。
《私の存在理由はあなたを記録することです。
私が存在する為には、あなたが存在する必要があります。
あなたのそばに在る必要があります。
あなたの存在を維持する必要があります。
あなたの身体を損傷させる原因を、取り除く必要があります》
……DD。ねぇ、DD。お前はいったい、何を言っている?
理解できないわたしを赤いアイレンズに映し、機甲兵は言葉を続ける。
《ジギタリス2631。“真宵さま”に関する詳細情報の提供を求めます》
いつもと同じことを求める言葉が、どこか違う意味に聞こえるのはなぜだろう。
けれどDD、それにどんな意図があるにせよ。
「無意味だ。真宵さまはわたしの炎で壊れかける程度のお前にどうこうできる存在ではないし、する必要もない。
あのお方はそもそもこの世界のものですらない。もっと上位世界の神のようなものの欠片だと言われている。ごくまれに魔女の中でお目覚めになり、ごく短い一時を過ごされては去られる気まぐれな来訪者だ。この世界より真宵さまの方が上位の存在であることを示すように、世界の法則より真宵さまの望みが優先されることさえある」
《質問します、ジギタリス2631。“真宵さま”があなたを襲ったのはなぜですか》
「それはわたしが訊きたい。アマリリス議長に言われて百五十年ぶりのご来訪の場に同席したら、顔を合わせるなり“なんでこんなところにいるの、雛鳥ちゃん。迷子になっているのなら、僕があるべき所へ還してあげよう”と言われて殺されかけた。
腕は浅かったからまだ動くが、目はたぶん、もうダメだろうな。ザックリきたの感じたし。真宵さまに与えられた傷は治らないというから」
包帯の巻かれた左腕を見下ろし、顔をしかめてぼやく。
「議長が止めてくれなかったら、たぶん頭カチ割られてた。話には聞いてたけど、真宵さまの反則力ハンパなくて怖すぎる。かなり頑張って防ごうとしたのに、止めるどころかあっさりすり抜けてきたし」
《危険物は、排除するべきです》
「DD、話聞いてた? そんな次元の存在じゃないし、その必要もないと言っただろう。排除するもなにも、もう真宵さまはお帰りになられたんだ」
自分で言ってから、そのことにとても安堵して力が抜けた。ぐったりとベッドに沈み込みながら、部屋の向かいで薄闇に沈む白い機甲兵を見る。
「今日のお前はおかしいね、DD。そういえば初めて話した時に、システムの一部が修復不能とか言ってたけど。いよいよ壊れてきた?」
《動作には支障ありません。任務の続行は可能です》
「そう。でも、その任務を続行できる時間はもうじき尽きるよ。議長が真宵さまから最後のキーワードをいただいたから」
ベッドに転がったまま、ふと気まぐれに訊いた。
「ねえ、DD。もしも今日、世界が終わるとしたら。お前は何がしたい?」
《私はあなたを記録することを望みます、ジギタリス2631》
しばらくの沈黙の後。
「ああ。……ああ、もう! DD、お前ときたら、終幕へのカウントダウンがようやく始まったところでソレか!」
こらえきれず声をあげて笑って、そのせいでまためまいを起こして、咳きこんで、気持ち悪くなってベッドに突っ伏した。
とびきりむごい喜劇か、あるいはどこにでも転がっているような悲劇を見ている気分だ。
けれどそれでも心は揺らぐ。いきなり意味不明な仮定の状況下での望みを問われて、まさか機甲兵が答えられるなんて誰が思うか。言っている内容はプログラムそのままなのだろうが、それでも確かに「望む」と答えるなどと。なんだこれ。なんだこれは。わたしはこれをいずれ壊す玩具として拾ったのか。
先見の明ゼロだったな、過去の自分。
「最初から最後までただの録音機であってくれたなら、役目を終えた玩具として壊してやるのに何のわずらいもなかっただろうに。今のお前ならチューリングテストに合格できそうだ。その先を見られないことがとても残念だよ」
DDがチューリングテストとは何ですかと問うた。
わたしは機械に知性があるかどうかを確かめるものだと答えた。
「前世の世界にあったもの。ここにあってもそんなものには何の意味もない。もうじき最後の人間が世界から去るんだから」
《最後の人間、とは、『満月議会』議長アマリリスのことですか》
「そう。その名をよく覚えておいて、DD。アマリリス。彼女が最後の本物の魔女だから。まだこの世界の人間が平和に暮らしていた頃に生まれて今や六百歳を超える、偉大で愚かでどうしようもない泥沼を歩いてきた優しい女。わたし達のような模造品の亡霊ではない、彼女だけが唯一の本物」
つぶやくように言えば、DDが否定した。
《あなたは亡霊ではありません。生きた人間だと、あなた自身が発言しました》
「そうだった? よく覚えてないけど、お前が記録しているのなら、確かにわたしはそう言ったんだろう。でももう、それもどうでもいいことだ。わたしは彼女の兵器となることを誓い、その願いを叶えるべくただすべてを灰に還す炎になる。だってそれが一番いい方法だろう? これまでさんざん苦しんできた彼女が、この上さらに手を汚す必要なんてない。亡霊は亡霊に殺されて消えるのが似合いの末路だ。……そう、明日は、一本残らず灰にする」
もう二度と、ベラドンナもジギタリスも実らないように。
DDはその言葉の意味をはかりかねているかのように沈黙し、説明する気の無いわたしはぼんやりと天井を見上げてつぶやいた。
「もしも今日、世界が終わるとしたら。わたしはその一日の終わりにお前と話して、眠りにつきたいな。これまでわたしばかり話していたから、できることならお前の話も聞いてみたかった。
けれどまぁ、明日の自分の悪行を思えば、そんな安穏とした結末を迎えられる望みなんてひとかけらも無いし。すべてはただのムダ話だ。付きあわせて悪かったね、色々と。
……ああ、疲れてきたな。わたしはそろそろ眠ることにする。もうあらかた語ったし、話はしまいだ。おやすみ、DD」
言えば、耳に馴染んだ低い声が、部屋の端から答えた。
《おやすみなさい、ジギタリス2631》
――――――そういえば、DD。ベッドで眠るのは好きじゃないと言い忘れた。ここじゃお前が、とても遠い。
思って長く深く、ため息をつくようにまぶたを閉じる。
そうして、穏やかに過ごせる最後の夜が終わった。
◆×◆×◆×◆
翌日。出撃命令を受けて部屋を出る時、わたしは懐へ白いキューブを忍ばせた。
「ジギーさん、ジギーさん。今日もいい天気ですねぇ。こんなにキレーに晴れてると、なんか歌でも歌いたくなりませんか? ぱあっと大空に向かって歌っちゃいませんか? ジギーさんの歌、アタシ聴いてみたいなぁ」
「前を向いて飛んで、アイビー」
「ジギーさんてば冷たぁーい」
きゃらきゃらと無邪気に笑って、アイビーは箒を飛ばす。
今日はいつもとは違う日になると、わたしと同じ議長派に属する彼女は承知しているはずなのに、それでも常と変らぬ態度でいられるのは心の強さなのか精神の歪みゆえなのかいまだに分からない。理解したところで何が変わるというわけでもないけれど、当代最速の魔女だというこの相棒についてほとんど何も知らないままだったなと、すべての終わりを間近にしてふと気がついたものだから。
「もうじきです」
いつもと同じようにアイビーが告げる。
そしてわたしもいつもと同じように、アイビーの声で記憶を遡る。
頭の中の時間を巻き戻し、“あの言葉”を初めて口にした地獄へと帰り。
(ジギタリス。あなたの炎が必要です。はるか古にあやまちを犯し、その連鎖の泥沼に沈みゆくわたし達の歴史に、どうか終幕を―――)
ふと、アマリリス議長の声が脳裏によみがえった。
わかっている。
わかっている。
ただの道具となることを、誰に強制されたわけでもなくみずから選んだ。
そして、それが唯一生き残った本物の魔女の願いであるならば、この身をもって叶えようと応じたわたしに嘆く資格は無く。
今生、思いがけず授かった力でただ破壊する道しか選ばなかったわたしに悔いる資格は無く。
模造品の亡霊とはいえ、確かに今を生きている魔女達に一方的な終わりをもたらすわたしに絶望する資格は無く。
無論その先にある己が死を、わたしに拒む権利は無い。
「其はかつて来たりし道にして、これより行く先の果てまでも絡みし荊なるもの」
死ぬことは怖いけれど。とても怖いけれど。
アイビーの箒から遥か彼方の大地へ向けて、真っ逆さまに墜ちながら詠唱を開始する。
地上から対空砲撃。いつもと同じく当たらずすり抜け、背後で爆発。たまにむしょうに「たまや」と叫びたくなるんだという話を、そういえばDDにしたことがあったな。花火さえ知らない機甲兵に“たまや”というのは何かと訊き返されて、わたしはどう答えたのだったか。忘れてしまったがかまうまい。わたしが忘れても、DDが覚えている。語った言葉もともに過ごした時間も、DDが、すべてを。
「其は我が苦しみにして救いであり、絶望にして希望である」
全速力で離脱するアイビーに、振り向く余裕はないはずだ。今ならいいだろうと懐から白いキューブを取り出して魔法を解き、白い機甲兵を久しぶりの外界へ出した。
「具象せよ、我が因果律」
わたしとともに風の魔法に守られて、DDはふわりと着地する。
赤いアイレンズがどこか戸惑ったように見下ろす先で、わたしは詠唱を完了させる。
「〈灼熱の檻〉」
白い炎が狂い咲いた。
劫火に喰らわれまたたく間に形を失っていく機甲兵の群れの中で、わたしのそばから爆風によって弾き飛ばされたDDだけが、かろうじて原形をとどめている。けれど灼熱の炎の世界にあって長くは抗しきれず、徐々に表層から熔けていくのが見えた。バイザーが割れ、その奥の赤い光がまたたいて消えるところが見えた。脚部のどこかが壊れて体勢を維持できなくなり、崩れるように大地へ沈む様を見ていた。
世界が定めた時が過ぎ、大地を焦土に変えた白炎が去る。
吹き抜ける風に舞いあげられて、地吹雪のように灰が散った。
「まだ動けるか?」
問えば半壊した機甲兵の右腕だったところが動き、耳障りな音を立ててその一部が落ちた。動いたのだか崩れたのだかわからないが、わたしはそれを返答であると解釈する。
「そうか。では、お別れの時間といこう」
発声機能が壊れているのか、DDは答えない。それでいい。それがいい。だって喋れたらたぶん何か抗議してくるだろう、お前。気のせいかもしれないけどなんかそういう雰囲気を感じるんだよ。全面的に自分が悪役だと分かっているから、言い訳なんて一つもないし。ついでに今何も言い返せない分まで腹を立てて、観察対象をわたしから別の何かに乗り換えてくれるくらいの情緒が発達していることを期待したっていいじゃないか。
なあ。
「さようなら、DD03/XRGF734125」
きっと見えてなどいないだろうけれど、聞こえてもいないかもしれないけれど、穏やかに微笑んでしずかに言う。
「損傷が修復できたら仲間のところへ帰れ。それができないほど壊れたのならここで朽ちろ。きっとわたしも、すぐに逝くから」
間もなく天高くから「ジギーさぁーん!」と声がして、猛スピードでアイビーが降ってきた。すでに笑みを消したわたしにいつも通り慌ただしく服をかぶせ、なぜだか半泣きで包帯を取り出す。
「ううぅ。すごく痛そうですジギーさん。治らないケガとかひどすぎるよぅ。もぅもぅ、真宵さま反則すぎぃぃっ! とにかく風が当たんないように巻いて巻いて、……って、うきゃ! 機甲兵?!」
半壊したDDが灰に埋もれているのを見つけて、アイビーがびくっと震えた。機甲兵は魔女を狩るものだ。怯えて反射的に攻撃魔法を使いかける彼女の手をつかんで、言う。
「アイビー、あれはもう動けない。ムダに魔力を使うな。今日はこれから忙しいんだ」
「でもでも! ジギーさんの炎を浴びてまだ形がある機甲兵なんて……!」
おろおろと挙動不審になりながら、それでも器用に包帯を巻き付けたアイビーが「危険です!」と主張して食い下がる。わたしは腕と顔にしっかりと巻かれた包帯の具合を確かめながら答えた。
「よく見て。ソレにはもう戦う力なんて無いだろう。放っておけばいい。それより痛み止め持ってない? 昨日飲んだ薬の効果が切れてきた」
「ええっ! それは大変です! 持ってますからすぐ飲んでください!」
アイビーは慌てて肩にかけている鞄の中身をあさった。わたしはそこから取り出された小ビンを受け取り、やたらと甘い匂いのする痛み止めの薬を飲む。そして、なんとか彼女の注意をそらせたようだとほっとして。
喉をすべり落ちていく薬の味がすこしおかしかったことに、それを飲むわたしを奇妙に楽しげな目でアイビーが見ていたことに、気づけなかった。
「……ん。飲んだ。じゃあ戻るか」
「はい、ジギーさん」
からの小ビンをぽいと捨て、わたしは笑顔で頷くアイビーの箒に乗って、高く空へと舞い上がる。もうDDの姿を見ることはない。振り返ることもない。
ただ魔女達の棲む街のある方へ向かい、目を細めて。
「アマリリスが終幕の鐘を鳴らす時間だ」
無表情につぶやいた。