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四話「虜囚の蜜月」





「おはよう、DD」

《おはようございます、ジギタリス2631》

「ん。それじゃあ昨日の続きを話そうか。どこまで話したかな……。ああ、言わなくていい。思い出した。過去のジギタリスと現在のわたしの、違いのところだ」

《はい、ジギタリス2631》


 アマリリス議長襲撃事件を片づけた翌日。

 律儀(りちぎ)に答える機甲兵は昨夜と同じように壁の前に座り、わたしはその向かいのベッドで毛布にくるまって寝転がったまま語る。


「わたしと彼女達の違いはただ一点、前世の記憶を持っているか否か。

 2631以外のジギタリス。前世の記憶を持たなかった彼女達は、まっさらな赤ん坊の状態で“娘の樹”に実って目を覚まし、七歳の日を生きて越えられれば他の者と同じような性能の魔女になったらしい。

 けれど前世の記憶を持っていたわたしは、『越境者(ウォーカー)』だけが使える因果律(カルマ)の魔法の威力を認められ、魔女を統べる『満月議会』の所有物になった」


 普段あまり喋らないので、長く話すと顎が疲れる。

 ふぅ、と息をついて休んでいると、DDが言った。


《データベースに、登録、されて、いない、単語が、あり、ます。詳細情報、の、提供、を、求めます》


 もうちょっと簡単に、わかんない言葉があったから教えて、とでも言ってくれれば楽なのだが。まぁ機甲兵だし、仕方ないか、とあきらめて「何がわからないの」と訊く。DDは『越境者』と“因果律の魔法”について知りたいと答えた。

 それについて答えるのはかまわない。DDから情報が流出することは無いわけだし。けれどまだ顎が疲れていたところだったので、たわむれに言った。


「わたしもそれに答えるから、先にDD、答えて。DDの長い名前は?」

《はい、ジギタリス2631。個体識別番号、は、DD03/XRGF734125、です》


 DDは何の抵抗もなく答える。

 わたしはまだ遊び足りない。


「本当に長い名前。もう一回言って」

《はい、ジギタリス2631。個体識別番号、は、DD03/XRGF734125、です》

「何かの暗号か、パスワードみたい。もう一回」

《はい、ジギタリス2631。個体識別番号、は、DD03/XRGF734125、です》

「どこかの扉が開きそうだね。さあ、もう一回」

《はい、ジギタリス2631。個体識別番号、は、DD03/XRGF734125、です》


 何度も何度も繰り返して、無意味に遊ぶ。DDは文句ひとつ言わず、わたしが飽きるまで延々と自分の名を繰り返した。

 そうしていくらか時間が過ぎた後、その名を聞くのに飽きると、わたしは「もう一回」と言う代わりに先のDDの質問に答える。


「えーと、『越境者』についてと、因果律の魔法についてだっけ?

 魔法の方は『機械の民』のデータベースに無くて当然だろうけど、『越境者』も無いんだね。魔女の中ではけっこう有名な存在みたいだから、そっちも知ってるんだろうと思いこんでた。

 DD、『越境者』は“死という(さかい)を越え、それを記憶している者”を指す言葉だよ。

 簡単に言うなら“前世の記憶持ち”。わたしにはこことはまったく違う世界で生まれ育って、十六歳で死んだ記憶がある。死因は火災だった。たぶんそのせいで因果律の魔法が炎の世界を招くんだろう。……灼熱の、檻の中に入れられたみたいな恐怖と痛みと絶望とその末の死がわたしの因果、ということらしい」


 語るくちびるが歪む。我ながら、ろくでもない因果だと思う。が。


「この世界ではそれがよく役に立つ。

 ……終焉は、炎でいろどられるべきだ。魔女たちも火は“浄化”と“死”の象徴だと考え、炎の因果を持つわたしをとくに“死”そのものであるかのように畏れている。ならば娘達の苗床を焼き払うのがわたしであってもかまうまい。

 と、いうのがアマリリス議長の決断で、わたしの結論になったから」


 目を細めて笑う。


「喜べ、DD。お前がわたしの記録を持ち帰らずとも、魔女はもうじき滅び去る」


 笑うわたしにDDは言う。


《データベースに、登録、されて、いない、単語が、あり、ます》

「……そう」


 わたしは仮面を落としたかのように表情を失う。「そうか」ともう一度つぶやいて、魔女たちの終焉を語る自分がなぜ笑ったのかわからなくなった自分を忘れる。


「わかった。それじゃあ、その言葉の意味を登録しよう。DD、何が知りたい?」


 薄闇の部屋で、魔女の玩具は“前世の記憶”とは何かと訊いた。





 ◆×◆×◆×◆





 出撃命令がない時、わたしは夕暮れに目を覚ます。

 清い水を飲み、琥珀色の花の蜜をなめながら太陽が沈むのを待ち、夜の帳が降りると塔の上に座って青白い月光を浴びる。

 それがわたしの食事のすべてだ。


 七歳の日までは前世と同じように昼間に起きて食事をしていたけれど、因果律の魔法を持つ『越境者』であると知れて様々な魔法を施された結果、こんな形で半分人間をやめることになった。今のところ不自由はないので、とくにかまわないと思っている。


「おはよう、DD」

《おはようございます、ジギタリス2631》


 塔の上での月光浴を終えると部屋へ戻り、DDと話す。

 わたしは長い時間をかけて、この世界では何の役にも立たない前世の記憶を語った。


 本当にごく普通の女子高生だったから、特別なことなど何もなかったけれど、今となっては奇跡のように平和で得難い時間を過ごしていたのだとわかる前世の自分。何を残すこともなく十六歳で炎にのまれ、友人とともに泣きじゃくりながら短い命を終えた。

 面倒くさいなと思いながら学校へ行き、早く終わらないかなと思いながら授業を受けてなかなか進まない時計を見上げ、休み時間は昨日見たドラマの話をするだけであっという間に過ぎて、一日が終わるとほっとため息をつきながら家へ帰ってテレビの前に座る、どこにでもいるような女子高生だった。


 そんな、他愛のない話を。

 幾夜もかけて長々と語るわたしの声を、DDは聴いていた。


「晴れた日の青い空を流れていく、白い雲が好きだった。雨が降る音が好きだった。珈琲にクリープを入れた時にできる、不思議な模様が好きだった。甘い紅茶が好きだった。生クリームが好きだった。

 へただから人前で歌うのは嫌だったけど、でも歌うのは好きで、お風呂場とかでよく歌ってて、のぼせる前に出なさいよって母さんに笑われた」


 おもしろかったマンガのストーリーを語った。

 お正月に食べるお雑煮のおいしさを語った。

 水族館で小型のサメの背中をなでたら本当にサメ肌だった、納得の驚きを語った。

 真冬にこたつで食べるアイスクリームの喜びを語った。

 友達の家で生まれた子犬をもらいに行った時、受け取ったその生き物が本当に小さくてあたたかくて、そのことに喉の奥で息がつまる思いをしたことを語った。


「テストが嫌いだった。暑い日の体育が嫌いだった。長いこと走らされる持久走も嫌いだった。そう、前の世界にあったのは、好きなものばかりじゃなかった。嫌いなことも面倒なことも怖いこともたくさんあった。同じ世界の別の所ではいつも争いが起きていて、たくさんの人が人に殺されて死んだっていうニュースをよく聞いた。

 でも、わたしがいたところは平和だった。

 わたしが暮らしていた国は、鷹揚(おうよう)というか無節操(むせっそう)というか、とにかくいろんなことに寛容(かんよう)で。他人に迷惑をかけなければ、何を考えていても自由だった。だからわたしも他の人たちと同じように、おかしなことを考えている人がいても、実害がなければ放置する習慣がついた。

 三つ子の魂百までも、という言葉があったけれど、その通りだね。前世で無意識レベルまで刷り込まれたその習慣は、今も有効だ。どんなにおかしな魔女がいても、自分に害が無ければわたしは素通りできる。……けど」


 何夜目からどうしてそうするようになったのか忘れたけれど、いつの間にかわたしの定位置はDDの膝の上になっていた。

 毛布にくるまって機甲兵の膝の上に座り、前世の記憶を語り続ける魔女がうっかりすべり落ちないように、金属製の大きな手がいつもその体を囲うように置かれていた。


 毎夜、わたしはその手を背もたれにして寄りかかり、大きな指に頬をのせる。なめらかな金属の肌触り。冷たい機甲兵。わたしの玩具。わたしの録音機(レコーダー)


「いいかげん疲れてきたよ、DD。この世界の魔女たちは異常すぎる。相棒、アイビーは正常に見えるけれど、きっとそれはまだわたしが彼女の歪みに気づけていないだけなんだ」


 DDの、薄闇で赤く光るアイレンズをぼんやりと見上げながら、つぶやくように言う。


「でもそれも当然のことか。七歳の日を生きのびた魔女が飲み込まれるのは、六百年の戦争による殺戮の果てに憎悪と恐怖と混乱が醸造した狂気の泥沼。そんなものに(ひた)されてなお正気であれなんて、無理難題にもほどがある」


 くちびるを閉じ、まぶたを閉じてうとうとし始めたわたしにDDが注意した。


《体温が低下しています。保温してください、ジギタリス2631》


 いつの間にか最初よりもなめらかに話せるようになってはいるが、その内容には相変わらずおもしろみが足りない。しかしわたしの方も、つまらない奴だと聞き流せばいいものを、前世の記憶がその必要もないのにしゃしゃり出てくるものだから。


 ――――――そんなところで寝ていたらカゼひくでしょう。ちゃんとおふとんで寝なさい。


 冬の日に、こたつで寝ていたわたしを揺り起こしてそう言った母の言葉がよみがえる。いや、あれは、夏の日にソファでまどろんでいた時のことだっただろうか。どちらにしても母の声はもう忘れてしまった。顔もおぼろげにしか思い出せない。それなのにその言葉がとてもあたたかかったことはどうしたって忘れられないのだから始末が悪いと思わないか、DD。


「いいんだ」


 乾いた声で短く答える。

 “娘の樹”に実ったわたしに母はいない。『越境者』として『満月議会』の所有物となったわたしはもうほとんど人間でもない。ここにあるのは白炎の世界にただひとり取り残されてすべてを焼き尽くしては薄闇へ戻って身を休める、ただの兵器(どうぐ)


 あと何度あの世界を招けば終わるのだろう。

 前世のわたしを殺した時と同じようにゆらめく炎が機甲兵と大地を喰らうあの光景を、あと、何度、


「熱いのは嫌いなんだ。あついのはもういい。わたしは熱いものより冷たいもののほうが好きなんだ。だから冷やして、DD。わたしを冷やして……」


 だだをこねる子どものようにつぶやいて、体を丸めた。

 そしてそのまま、わたしはDDの膝の上で微睡みに沈む。


《ジギタリス2631》


 薄闇の部屋でDDが呼ぶ声に、答えは返らない。





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