二話「魔女の玩具」
それは死を越えて今を生きる『越境者』だけが行使することを許された、最強の魔法なのだと。ベラやロベリアを殺した機甲兵も、「逃げたら殺す」と笑った魔女も、敵味方なくただ“そこに在ったすべて”を灰にした後で知った。
「よくやったわね。あなたは魔女の誇りよ」
そう言って微笑んだのは誰だったか。
もう覚えていないし、どうでもいいことだ。
ただ“七歳の日”を規格外の規模の魔法によって一人生きのびたわたしは英雄とされ、その力をさらに強化しようと様々な魔法を施された影響で半分人間をやめた兵器となり、危険すぎて放置できないという理由で魔女を束ねる『満月議会』の所有物になって一年が過ぎた。
鳥が飛び方を思い出したかのように、魚が泳ぎ方を思い出したかのように、八歳のわたしは自由自在に魔法が使える。
世界でただ一人の『越境者』として、名と顔もひろく知れ渡った。
もう誰もわたしを指さして笑わない。
もう誰もわたしを「カエル」と呼ばない。
けれどそれを一緒に喜んでくれるはずのベラがいない。
この世界で生きのびるのがひどくつらかった時、そばにいてくれた幼なじみがいない。
わたしは牢獄のような塔の上の部屋からひとり、大人の魔女達が暮らす街を見下ろし。
「ジギーさん、出撃命令です」
相棒の声に呼ばれた時だけ、ふらりと外へ出て。
わたしが姿を現すと、とたんに静寂が降りる街を眺める。
恐れるように、畏れるように、怖れるように。
わたしがいる間は誰も何も言わず、嵐が過ぎるのを待つように目を伏せる。
そんな街に興味はわかない。
わたしはがりがりに痩せた相棒、アイビー2257の箒の後ろに乗り、空高くへと舞い上がる。
『満月議会』が下した決定に従い、魔女を滅ぼそうとする機甲兵を灰にするために。
「ねぇねぇ、ジギーさん。この戦争って、何でやってるんでしょうねぇ」
空の上で、アイビーは無意味な質問をする。
この痩せぎすな相棒はお喋りだ。そして敵味方無くすべてを灰にするわたしの魔法は危険すぎるので、魔女の中でもっとも速く飛べるアイビーだけが出撃命令に随行することになっており。彼女の声に答えるのは、必然的にわたしの役目になる。
初めて組んだ一年前は話す気になれず、何を言われても沈黙したままだったけれど。無視していてもひたすらに話しかけてくる彼女のしぶとさに根負けして、今では普通に言葉を返すようになった。
無邪気なアイビーと喋るのは、嫌いじゃない。
「さぁ。魔女と『機械の民』は六百年も戦争やってるっていうし。色々あったんじゃないの」
「もぅもぅ。ジギーさんてば相変わらず冷めてますねぇ。でも、ちょっとは気になりませんか? どうして自分があんな、機甲兵なんてものと戦わなけりゃならないのか。知りたいとは思いませんか?」
知りたいとは思わない。
だってもう知っている。
『満月議会』の所有物となり、初めてアマリリス議長に会った時に、その原因も理由も何もかもを聞いたから。
雲の上で息をつくと、白く凍って風に流れた。
「知ってどうするの、アイビー。何を知ろうと何を考えようと、やるべきことは変わらない。わたし達はただ、与えられた役目に従うだけの道具であればいい」
「ジギーさん、ジギーさん。アタシはジギーさんのそういう投げやりで凍りついてるとこ好きですけど、遊びが足りませんよぅ。それじゃ息が詰まっちゃう。いつか窒息して死にますよぅ」
わざわざ振り向いて心配そうな顔で言うアイビーに、短く返す。
「前向いて飛んで」
「ジギーさんてば冷たぁーい」
ぶー、とわざとらしくむくれるアイビーにすべてを話してやってもよかったけれど、彼女が知って満足するような内容でないことだけは確かだ。
そのまま口を閉ざしていると、ふと声色を変えてアイビーが言った。
「もうじきです」
ぴり、と空気が緊張する。ん、と答えてわたしは意識を塗り替えていく。頭の中の時間を巻き戻し、“あの言葉”を初めて口にした地獄へと遡る。
あの時のわたしと違うのはただひとつ、自分が道具であると理解していることだ。
嘆く資格は無く。
悔いる資格は無く。
絶望する資格は無く。
拒む権利も無い。
そんな、ただの道具となることを、自分で選んだ。
(おかえり)
魔女と機甲兵が殺し合う血と土埃と悲鳴にいろどられた戦場が見え、その中で硝子玉のような眼をしたベラが微笑むのに、わたしの血は燃えたぎる。
『機械の民』があなたを殺した。
機甲兵があなたを殺した。
戦えないわたしがあなたを殺した。
この世界があなたを殺した。
力をふるうのに邪魔な思考が停止し、感情が死に絶え、この身はただの兵器と化して空飛ぶ箒から大地へと墜ちてゆく。
「其はかつて来たりし道にして、これより行く先の果てまでも絡みし荊なるもの」
詠唱を始めながら落下するわたしに背を向け、アイビーは全速力で箒を飛ばしてこの場から離脱する。間もなく機甲兵に発見されたらしく地面から砲撃が来たが、魔法の風をまとったわたしには当たらず背後で爆発した。
「其は我が苦しみにして救いであり、絶望にして希望である」
レーザー銃を撃ってくる機甲兵たちの中に、半透明にゆらぐベラの姿が見えた。彼女はいつものように優しい笑顔で両手をさしのべ、わたしを呼ぶ。
(あたしのジギー)
「具象せよ、我が因果律」
魔法の風が速度を落とし、すとん、と何の負荷もなく彼女の前へ着地する。ただいま、ベラ。帰ってきたよ。わたしはまた帰ってきた。この地獄に。
「〈灼熱の檻〉」
透明な腕がわたしを抱き、詠唱が完了した。
数百体にのぼる機甲兵のただ中で、ひとりの魔女を芯に白炎の蕾が開花する。
〈灼熱の檻〉は、わたし以外のすべてを焼き尽くす炎の世界だ。
その中では服が燃え大地が焼け、機甲兵が熔けていく。表面を覆う金属がどろりと流れ、オイルが燃え、冷却液が蒸発し、剥き出しになった基盤があっという間に灰と化していく。
いったいどれほどのテクノロジーで造られているのか、機甲兵の中に操作する人はいない。おそらくは量産型なのだろうと思われる無人のロボットが、同じ形をした大量の機甲兵が、今もきっとこの大地のどこかで魔女を殺しているだろう。
戦場は一つではなく、この戦争はもう魔女と『機械の民』の、どちらかの滅亡という終焉しかありえない泥沼の末期。
ふと、辺りを見渡した。
この炎の中にベラはいない。いつだって知らぬ間に消えてしまうのだ。でもそれは当然のこと。戦えるわたしのそばにベラはいない。わたしが戦えなかった時にしか、彼女はこの世界に存在しなかったから。この炎の世界をもたらしたわたしはただ機能を停止していく機甲兵を眺めて、
「……お前、まだ、動けるの?」
熔けていく金属塊の群れの中で、ぎしぎしとゆらめく影を見つけて、聞こえるはずはないと知りつつも声をかけていた。
白い炎が舞い踊る世界で、真っ先にそれに服を燃やされたおかげで全裸状態だったが、相手は機甲兵だ。裸身であるがゆえの羞恥も炎によって壊れかけている機甲兵への憐憫の情もなく、そもそも死に絶えた感情がその程度で動くはずもなく、ただ気まぐれに言った。
「この魔法が終わった時まだお前が動けたら、治癒魔法をかけてあげる」
そして、数分後。
わたし以外のすべてを焼き尽くすはずの〈灼熱の檻〉で、半ばただの残骸と化しながらもその機甲兵は生き残った。……いや、燃え残った。わたしは宣言通り治癒魔法をかけ、それによって機甲兵の骨格が再生されたことに驚く。
機械に治癒魔法が効くとはまったくの予想外だ。金属で造られた人型ロボット、動く無機物にしか見えないが、この世界の機甲兵は生き物なのか?
あるいはこの世界の魔法は、生命体の治癒だけでなく無機物の復元までも可能なものなのか?
疑問を持つが、それを解決する術は無い。
女だけが感覚的に使える魔法について、何から何までが可能なのかを明確に規定することに成功した魔女は、これまでに存在しないというから。
「ジギーさぁーん!」
上空から響いてくる声が聞こえて、反射的に体が動いた。手をのばして再生半ばの機甲兵に触れ、魔法をかける。圧縮して小型化、プラス軽量化。それが相手にどんな影響を与えるのかは分からなかったが、結果として半壊している機甲兵が消え、それがあったところに白い立方体がぽとりと落ちた。
親指の先ほどの大きさになった機甲兵を拾いあげるのと同時に、ものすごいスピードで空から箒に乗ったアイビーが降ってくる。
「はいどうぞ! 服のおとどけでーす。さぁ着ましょう早く着ましょうカゼひく前にすぐ着ましょう!」
「アイビー、手が邪魔。自分で着られるから離れて」
「ええー。そんな寂しいこと言わないで、たまにはお手伝いさせてくださいよぅ」
口では文句を言いながらも、アイビーは素直に離れる。彼女のこういう手を出しすぎないところが気に入っているけれど、それを本人に言ったことはない。
「着た。帰るよ」
「はぁーい。英雄さまご帰宅でーす」
「燃やされたいの?」
「きゃー。ジギーさんこわーい。ちょっとした冗談ですよぅ。もぅ、ホントに“英雄”って言われるのおキライですねぇ」
「……アイビー」
「うはぁ。そういうジギーさんの冷めた目ってアタシ的にはごほう……、コホン。はい。ごめんなさい。帰ります」
辺り一帯焦土と化したそこで、アイビーは悪びれたふうもなく無邪気に言って、わたしを箒の後ろに乗せた。
◆×◆×◆×◆
ヴン、とかすかな駆動音がして、機甲兵が動いた。
窓が無く、蝋燭だけが光源となっている薄暗い部屋で、バイザーの奥に赤い光が二つ灯る。見れば見るほど前世のアニメに出てきたような人型ロボットそっくりだ。頭部の前面を完全に覆い隠しているバイザーの下は、いったいどんな造りになっているのか。
久しぶりに好奇心がうずくのを感じた。
「目が覚めた?」
声をかけると、頭部が動いてベッドに座っている音源の方を向いた。それがすぐさま攻撃行動に移ろうとしないことを、わたしは良い兆候だと解釈する。
「最初にお前の置かれた状況を説明しておく。お前はもう帰れない。なぜならここはわたしの部屋だから。お前は捕虜ではなく、わたしに拾われた玩具だから。理解できる? ……いや、そもそもわたしの言葉を認識することはできるの?」
言いながら首をかしげていると、バイザーの奥からくぐもった低い声が響いた。
《私、は、あなた、の、言葉、を、認識、して、います。……システム、の、一部、に、損傷、あり。修復、は、不可能。動作状況、に、異常、なし。任務、を、続行、します》
喋った。途切れ途切れでかなり聞きとりにくいが、機甲兵は喋れるのか。しかし、何だろう。今これ、自分の中身の一部が壊れてますって言わなかったか? それでも任務を続行? というか、これの認識では今も任務中?
きっと答えが返ることはないだろうと思ったが、いちおう訊いてみた。
「その任務の内容は?」
《私、は、特異領域保持者02、の、記録、を、収集、します》
おい答えたぞこの機甲兵。機密保持とか無いのか。情報ダダ漏れにしていいのか『機械の民』。しかしうっかり手に入ってしまった答えの、その意味が分からない。
「とくいりょういきほじしゃぜろつー? それは何?」
《第一級観測対象、です。可能な限り、すべての情報、を、記録、収集、する、必要が、あり、ます》
「どうして」
《その、情報、は、インプット、されて、いま、せん》
そうか。入ってないんじゃ引き出しようがないな。
わたしはベッドの上にごろんと寝ころがり、足をぶらぶら揺らしながら質問を続ける。
「それで、そのゼロツーってのは何? 物なの、魔女なの? 今も記録を収集中ってことは、この近くにある、っていうか、いるの?」
《特異領域保持者02、は、魔女、です》
ふぅん。とまたつぶやいてから。揺らしていた足を止めた。
薄闇の中でバイザーの奥に灯った赤い光を見つめて、首をかしげる。ベッドの向かいの壁の前に座らせた機甲兵は、そこからまったく微動だにせず、わたしの真似をするように頭部を傾けて見せた。
何してんのこいつ。なにげにカワイイかもしれないとか思ったじゃないかどうしてくれる。
そしてまたしばらくの沈黙の後。
ふと、気がつく。
わ た し か 。
ああ、ああ……
そうか。“特異領域保持者02”ってのは魔女の間でも『越境者』とか呼ばれちゃってるわたしのことか。つまりわたしは自分を観測するために送りこまれた機甲兵をわざわざ拾ってお持ち帰りしてきたわけか。それでこいつは今も観測対象をばっちり記録しているわけか。なんだそれ。なんだそれ。……と、いうか?
「つまりお前は、わたしを観測する為に、耐火性能を強化されていた?」
《はい、特異領域保持者02》
なるほど。だから燃え残ったわけか。
しかしそれにしても。敵のくせに、容赦なく魔女を殺してきた機甲兵のくせに、ベラを殺した機甲兵と同じような姿してるくせに、異様なほどあっさりとわたしの言葉に答える。きっとその方がより多くの記録を収集するために有効だと判断したのだろうが。
残念だな。
「最初に言ったけど、もう一回言う。お前は帰れない」
《はい、特異領域保持者02》
「お前はわたしの玩具。飽きたら壊して捨てるんだ」
《はい、特異領域保持者02》
……なんだろう。この、脱力感。「はい」という言葉に続く呼称が悪いのか? つまりは名乗るべきなのか?
はぁ、とため息をついた。いいや。どうせ最後には壊すんだ。
「わたしはジギタリス2631。呼ぶならこの名前で呼んで」
機甲兵は答えた。
《名称、登録、完了、しました。……ジギタリス2631》
「うん?」
《私、は、あなた、を、知る、ことを、求め、ます》
どこかたどたどしい言葉に、わたしは知らず微笑んでいた。
“七歳の日”まで最底辺の落ちこぼれだったわたしに、優しい声をかけてくれるのはベラだけだった。七歳の日を過ぎて“英雄”になったわたしは、アマリリス議長からすべてを聞き、この世界の歪みを理解して誰とも素直に話せなくなった。
だから。
「いいよ、何でも聞いて。ぜんぶ話してあげるから」
何も成せなかった前世を悔いるように、嘆くように発生するわたしの。こんな状況にあっても「誰かに自分を知ってほしい」と思ってしまう、自分の記録を世界のどこかに残していきたいと願ってしまう、どうしようもないこの欲は。
「お前を壊す、その時まで」
この玩具にそそぐことにする。