一話「七歳の日」
享年十六歳。女子高生が友人と遊びに行った先でビル火災に巻き込まれて死んだ、その後で。どういうわけか前世の記憶を持った女の子として、見知らぬところでまた生まれた。
天使にも死神にも、他の何にも会わなかった。ただ気がついたら生まれていたので、育てられるまま育ち、四歳頃にふと気づく。
この世界は、おかしい。
まだ四歳児だから動ける範囲は限られているけれど、それでも前の世界とはあまりにも違いすぎて、気づかずにいることのほうが難しい。その違和感の対象は四つ。
第一に「幼い少女たちと世話役の若い女性しかいない、閉ざされた森の中の街」。
第二に「みんな感覚的に魔法を使える」。
第三に「姓はなく、名前の後ろに数字がついている」。
第四に「七歳以上の子どもは街にいない」。
とくに四番目、「七歳以上の子どもは街にいない」というそれが、正直なところとても怖かった。
前世の記憶があると言っても、ただの平凡な女子高生だったわたしには特別な知識も力もない。それどころか前世の記憶は、今生で授かった“感覚的に魔法が使える”というその力を、“魔法なんて無い”という知識で邪魔するのだ。
親も兄弟もおらず、親戚という言葉すら無いらしきこの世界で唯一頼れそうなものなのに、前世の記憶があるせいでまったく使えないなんて理不尽すぎる。
けれど役に立たないからといって記憶を消すこともできず、現在のわたしは容量の少ない脳みそに使えもしないムダ知識だけを詰め込んだ、ただの落ちこぼれだった。
「ジギー。ジギー? またぼんやりしてるのね。あたしのこと見えてる?」
幼なじみのベラドンナ2861がわたしを呼び、いつもと同じく無遠慮に顔を近づけてくる。反射的に身を引きながら、小さな声で答えた。
「……なに」
「なに、じゃないよ。ナニー・アザレアのところへいくじかんでしょ。ジギーはまほうつかうの、いちばんヘタなんだから。はやくいって、いっぱいおしえてもらわなくちゃ!」
大きな瞳のベラドンナ2861、魔法を使うのが一番上手なベラはいつだって好奇心いっぱい、元気いっぱい、そしてお節介いっぱいだ。
子守りの所へどんなに早く行って練習しても、頑張れば頑張るほど空回って、わたしの魔法は失敗する。そしてまた、みんなに笑われる。それでも行かないわけにはいけない。魔法の使えない魔女の行く末なんて、考えるまでもなく真っ暗だ。何とかしなければならない。
それでも一朝一夕に魔法が使えるようになる方法など思いつかず、深いため息をついてうつむいたわたしの手を握り、ベラが頬をすり寄せた。
「だいじょうぶ。あたしのジギーをわらうやつは、みんなボコボコにしてやるんだから。それに、ナニー・アザレアがいってたでしょ? だれでもみんな、はじめはうまくできないものだって。だから、だれがなにをいったって、きにすることないんだよ」
そうしてぐずるわたしを世話焼きなベラがなだめ、わたし達は手をつないでナニー・アザレアの待つ広場へ行く。
その結果はいつもと同じだ。どんなに彼女がかばってくれても、みんな、年下の子まで、魔法がうまく使えないわたしを指さして笑う。
それも仕方のないことだろう。だってみんなが当たり前のように箒でふわふわ空を飛ぶのに、あたしはひとり、箒にまたがったままぴくりとも動けず固まっているんだから。
「なぁーんにもできないのね、ジギー。そらもとべないなんて、あんたそれでもまじょなの? カエルがうっかりまほうやくをのんで、ひとのかたちになってるんじゃないの」
意地悪な口調で、ベラと同じくらい上手く魔法を使うロベリア2859が言う。カエルうんぬんは彼女のお決まりのセリフで、これが出ると同じくみんなのお決まりコールが始まる。
「ぬまへおかえり、カエルさん!」
「はやくぬまへおかえりよ!」
この世界に男の子がいたら、良くも悪くももうすこし何かが違ったのだろうか。それとも何も変わらなかったのだろうか。
楽しげにはしゃぎながら「ぬまへおかえり」と無垢に残酷にはやし立てる子どもたちの中で、考えても仕方のないことをぼんやり考えているとベラが気づいて駆けつけた。わたしの代わりにロベリア達を怒る。
「あんたたちはなんにもわかんないのね! ジギーはつよいの! あたしのジギーはこのなかでいちばんつよいのよ! いつかみんなおどろくんだから!」
母親が子どもを盲信するように、どうしてかベラはわたしを盲信する。
あなたはやればできる子だって。
だからだいじょうぶだって。
ベラがいなければ、今頃きっと、わたしは精神的に潰れていただろう。
顔を真っ赤にしたベラに追い散らされて、ロベリアと一緒に「ぬまへおかえり」コールをしていた子達がいなくなると、わたしは箒をずるずると引きずって肩で息をしている彼女の隣に行った。
「……ベラ」
「ジギーは、ジギーはつよいんだから……っ!」
「うん」
「ちゃんと、まじょなんだから……っ!」
「うん」
「ずっと、ずっと、いっしょなんだからぁ……っ」
「……うん」
ベラがわたしに力があると盲信するのはたぶん、そうでなければきっとすぐにわたしが死んで、永遠に離ればなれになってしまう、という恐怖があるせいだ。わたしもそれが怖かった。死ぬことが。あの頭がおかしくなりそうなほどの苦痛と絶望をまた味わわなければならない、ということが。
怖い。
ひっく、えぐ、と鼻をすすりながら言うベラの手を引いて、わたし達は広場から家へ帰る。
そんな日々が三年続いて、ずっと恐れていた七歳になる日が来た。
「だいじょうぶだよ、ジギー」
その日もベラは言った。
いまだ魔法の使えないわたしに、あきらめることなく、がっかりすることもなく。
「ジギーはあたしが守ってあげる。ずっと、ずっと一緒よ、ジギー」
「うん。……うん」
魔法が使えないことより、ベラの期待に一度も報いることができない自分の無力さが身にこたえた。そしてこれから何が起こるか分からないという恐怖に、心の底から震えた。
それでもつないだ手をぎゅっと握り、わたしはベラの言葉にせいいっぱいの笑顔でうなずく。
「わたしとベラは、ずっといっしょ」
それだけが頼りのわたしに、ベラはうれしそうに「うん」と答えた。
そして七歳の日、子ども達は街から出される。
◆×◆×◆×◆
七歳になった子どもが街を出された後、放り込まれるところが戦場であると言ったら、誰が信じるだろう。
前世の世界であればきっと「何の冗談だ」と顔をしかめられただろうし、それが本当だと理解されれば「なんて非道だ」と普通は怒りを感じてもらえたと思う。
けれど今生のこの世界において、それは当たり前のことだったようで。
「お前たち、死にたくなけりゃあ機甲兵を壊しな。どんな魔法を使ってもいい。ただ逃げるのは無しだよ。逃げたら殺すからね。ほらほら、さっさと行って、がんばりな」
笑みさえ浮かべて大人の魔女が言った。
そして悲鳴をあげるわたし達を容赦なく戦場へたたき落とし、恐怖のあまり箒で飛んで逃げようとした子を魔法の炎で焼き尽くして「おや、よく燃える子だね」と楽しそうに笑った。
その子の、嘘みたいに白い灰が風に散って、数秒と経たずに見えなくなった。
目前には人型ロボットにしか見えない“機甲兵”とかいうのがいて、レーザー銃のようなものをばんばん撃ってくる。後ろには大人の魔女たちがいて、逃げようとすれば燃やされる。
おかしな世界だとは、思っていた。
何か変だとは、思っていた。
でも、ここまで、狂って、いる、なんて、
「ジギー! ジギー、ここにいて、頭低くして! 隠れて!」
ベラはレーザー銃に撃ち抜かれて死んだ子の影にわたしを隠し、炎の矢を射て機甲兵の腕を壊した。
わたしにはできない。
がちがちと歯を鳴らして震えるだけのわたしには、何もできない。
だって魔法なんて、つかえない。
なんにもないところから炎の矢なんて出せない。なんにもないところから氷の槍なんて作れない。風をあやつって敵を切り裂かせることもできない。
わたしは、まほうなんて、しらない。
だって前世には、そんなものなかったんだから!
「ベラ! あんたいつまでその役立たずかばうのよ! そいつさえいなきゃ、あんたはもっと自由に戦えるのに!」
氷の矢を射ながら、いつの間にか近くに来ていたロベリアが苛立たしげに叫んだ。
「ジギー! あんたいつまでその子にかばわれてるつもり? 役立たずでも、壁くらいにはなれるでしょ! 最後くらいベラの役に立って死になさいよ!」
ぎらぎらした憎悪の眼差しに貫かれ、容赦のない言葉に切り裂かれ、わたしの体はますます凍りつく。
しかし逆に、ベラは怒って叫び返した。
「うるさいロベリア! ジギーのこと何も知らないくせに! 何もわかっていないくせに! かんたんに死ねとか言うなぁぁっ!」
そしてそれが、致命的な隙になった。
音もなく走るレーザー銃の白い光が、ベラの体を貫いて消える。
「……ぁ」
目を丸くしてぽつりとつぶやき、ベラが倒れた。
そしてそれきり、動かなくなった。
「……ベラ?」
わたしは何が起きたのかわからなくて。彼女に言われた通り頭を低くしたまま、ずりずりと這っていった。そしてまだあたたかい体に触れ、肩をゆすり、手をさすり、頬をなでて。
「ベラ? だめだよ、おきて。おきて? ねぇ、ベラ。……ベラ。ずっと、いっしょって、やくそく……、した、のに」
大きな瞳は開いているのに、その中にはわたしの顔が映っているのに。
ベラは起きない。
ベラは答えない。
「あは……、あは、あはははははっ!」
ベラの体をゆするわたしを見下ろして、ロベリアが乾いた声で笑った。
次に激怒して叫んだ。
「だから言ったんだ! だから言ったんだよベラ! それにジギー! お前みたいな足手まといがいたせいでせっかくの使える戦力が減ったぞこの出来損ない!」
呆然と見上げるわたしを、ロベリアが血走った眼で睨んで言った。
「ああ、ああ、なんて役立たずのみにくいカエル。あたしもう我慢するのはやめる。もっと早くやめておけばよかった。ずっと前から目障りだったんだ。なんであんたみたいなのが生まれたの? なんであんたみたいなのがベラに大事にされてたの? なんでベラが死んだのにあんたが生きてるの?
あんた要らない。あんた邪魔。だからここで、ベラと、一緒に、死ね!」
すうっと手を上げて、空に氷の槍を描いたところで、狂ったような笑みにゆがんでいたロベリアの上半身が消えた。いつの間にか近づいてきた機甲兵の鈍く光るブレードが、彼女の体を切り裂いていったのだ。
空中に浮かんでいた氷の矢は砕け散り、ぱらぱらと虹色にきらめきながら血飛沫をまき散らすちいさな体に降りそそぐ。つい数秒前まで生きてそこにいて、ベラの死に怒り、わたしを殺そうとしたロベリアが冗談みたいに簡単に殺されて死んだ。まだ七歳の幼い体がさらに半分ちいさくなり、とさり、とひどく軽い音を立てて倒れる。
「ろべりあ……?」
死んだ彼女が呼ぶ声に応えられるわけもなく、かわりにヴン、とかすかな駆動音がして、機甲兵が振り向いた。頭部にはめ込まれた単眼のアイレンズがわたしを映し、腕が動いたと思った時にはもう撃たれている。
白い閃光が走り、わたしの腹をぶち抜いていく。
痛みを感じるより先に衝撃で吹っ飛ばされ、地面にたたきつけられて息がつまった。
ああ
そらが、しろい
いきが、くるしい
からだがいたくて、うごかない
わたしも、ここで、死ぬのかな
こんなところで
し ぬ
…… また しぬ の ?
また、なにもできないまま、しぬ の?
べらが まもって くれた のに?
磔にされたように地面に転がったまま、全身の血が燃えるように熱くなるのを感じた。前世の最期で炎に巻かれた時のように熱い、熱い、あつい――――――
「其はかつて来たりし道にして、これより行く先の果てまでも絡みし荊なるもの」
よろよろと体を起こしながら、天啓のように降ってきた言葉を乾いた唇にのせる。
自分が何を言っているのか、わたしは理解していなかった。
これから何をしようとしているのか、まったく分かっていなかった。
けれどその言葉を紡がなければここで死ぬのだということだけは確信していて。
「其は我が苦しみにして救いであり、絶望にして希望である」
ぼろぼろと涙を流しながら、ごぷっと喉の奥からせり上がってきた血を吐き捨て。
腹をぶち抜かれた痛みに。死への恐怖に。ベラを失った絶望に。
取り憑かれたように必死で息を吸い、あえぐように言葉を続ける。
「具象せよ、我が因果律―――」
ぐらぐらと揺れる視界の中で、もうほとんど消えかけている意識をかろうじてつなぎ、ただあがく。
二度も無意味に、死にたくない……!
「〈灼熱の檻〉」
そして、自分以外のすべてを灰にする言葉を紡いだ。