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半ば引き摺られるようにして辿り着いた、こじんまりとした公園は住宅街に溶け込んでいた。その区画一帯を被った木々の若葉が眩しい。今季節はどの辺りに差し掛かっているのだろう、男はぼんやりと考える。

公園に面した通りの向こうは少し広くなっていて、そこに寂れた交番が建っていた。一応人の気配はするものの、のんびりとした空気が充満している。空き巣でもない限りは仕事もないのだろう、平和なものだ。


トキと並んで朽ちかけたベンチに腰を下ろし、男は大きく息を吐き出した。先刻のあの妙な気分はなんだったのか、考えてみてもわからない。具合は幾分か良くなったが、頭は鈍痛を抱えたままだった。

(バイク)

原因はそう、あのバイクである。あれが男の失った記憶の一端を担っているのかはわからないが、もしそうだとしたら。

(……俺ってバイク好きだったとか?)

それがどーした、自分で突っ込みを入れて彼は悲しくなった。一歩も進めてなどいない。

「大丈夫、ポチ」

語尾は上げない、けれど心配しているのだとわかる声色で子供が問う。男は曖昧に笑ってみせながら、眉を寄せているトキの頭をくしゃくしゃと掻き回した。さらさらと崩れていく髪の毛は手触りが良い。

「……ポチ」

「んー?」

おとなしくされるがままになっていたトキが、具合が悪いんでしょう、と呟いた。やけに真剣な響きを帯びたそれに、動きっぱなしだった男の手が止まる。

「今日はもう、帰ろーよ」

「……なんで」

彼が尋ねた途端、ばつが悪そうにトキがふいと視線をそらした。どうした? 彼が極力柔らかく問えば、だってと子供が口を噛む。

「……もし、だけど。ポチの記憶が無いのってさ、キッカケのある一時的なもんじゃなくて……なんか、悪い病気だったりしたら」

「……そいつァ考えてなかったな」

ぽりぽりと鼻の頭を引っ掻きながら、だったらどーしよ、と他人事のように考える。そのどうでも良さそうな態度が気に入らなかったのか、トキは男を軽くねめつけるように言葉を紡いだ。

「何かヤバい病気だったとしても、ポチがそんなんじゃ病院になんか行けないでしょ。保険証が無いどころか自分の名前もわかんないんだ、精神病院にはブチ込んでくれるかもしれないけど、ね!」

「……お、っまえなー」

軽くヘコむんですけど!

男の訴えは綺麗に無視してトキは一言、だから帰ろ、と付け足した。体調が悪化する前に、という意味なのだろうが。

はぁぁ。彼は子供の頑なな様子に深い溜め息を吐く。トキが本当に自分の身体を心配しているのか、単にトキ自身が外に居たくないのか、男には判別ができなかった。子供はわからない、とこっそり心中で独りごちる。

「あー……、オッケ、わかった。帰りゃ良いんだろう」

結局折れたのは彼の方だった。事実身体は不調を訴えていたし、精神的にも疲れは溜まっている。どうしてだろう、時間が経てば経つほど身体に感じる重さは深刻になってゆくようだった。

たとえ今日を逃しても次が無い、なんてことはないはずだ。今日は身体を休めてまた出直そうと、男の中で一つ答えがまとまる。

「水飲んでくるから」

そしたら帰るよ。

視界の端に水道を捉えながら男はベンチから立ち上がった。同時に結ばれたままだった子供の手をやんわりと解く。瞬間、慌てたようにトキが立ち上がった。勢い良く伸ばされた小さな手が男の服に辿り着いて、その裾をしっかりと握り締める。

「ど……こ、行くの」

「え、いや、だから水飲みに……」

震えた声を聞いて彼はぎょっとした。振り向いて見た能面のような顔は、心なしか青ざめている。

――トキは酷く狼狽していた。それに気付いて男はもっと狼狽える。

(何! 何かしたか俺!?)

動揺を悟られまいとなけなしのプライドで平静を装いながら、内心はすっかり困惑していた。取り敢えず男は子供の頭を撫でてみることにする。先刻から触れてばかりだとぼんやり思うが、当のトキには痴漢だとかセクハラだとか、通常なら飛び出してきそうな暴言を吐く余裕もないらしい。

「……トキ?」

これはいよいよ様子がおかしい。男が考えた瞬間に、トキが小さな唇を開いた。

「……、は」

「うん?」

「そっちは、駄目だ」

いつものまっさらな表情がみるみる変わって、子供に濃い焦燥の色が浮かんだ。こっそり男が手を解こうとしていたのに気付いたのか、よりきつく掌を握り締める。

「一人で行っちゃ駄目。行きたいなら、僕も一緒に行く」

「……あっちに何かあんのか?」

問うと、子供はふるふると首を横に振った。それから俯いてただ駄目だと繰り返す。

変だな――純粋に、変だと男は思った。たとえトキが置いていかれる事を怖がる可哀想な子供だとしても、これは異常だった。何処へ消えるわけでもない、ただほんの十数メートル先の水道に行くのにどうして同伴が必要だろうか。

(なんで、こんな)

そこまで考えて、男は一つの可能性を掬い上げる。それを確認するために彼は言葉を選び、ゆっくりと舌に乗せた。

――思えば最初から不可解だったのだ、この子供の言うこと全て。

「お前……何を隠してる?」



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