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彼が目を覚ました時、世界は酷く歪んでいた。ぐんにゃりと景色が融けている。

前にもこんなことがあったな、とぼんやり彼は思った。ゆっくりと瞬きすれば生理的な涙が零れ落ちる。でも何故だろう今度は、悲しくて、愛しい。

「……ふーた!?」

頭上から驚いたような声が降ってくる。視線を持ち上げた彼の視界一杯に真っ白な天井が映り込んで、次の瞬間ふっと陰った。不思議に思ってよく見れば、影の正体は悪友である。そのらしくない焦った表情に、彼の唇からつい笑いが漏れた。

「風太、おい、俺のことわかる?」

「啓太……なにおまえ。だっせェ顔」

「馬鹿野郎!」

べしり、勢いに任せて頭を叩かれて、起こしかけた彼の身体が布団に沈む。ああヤベしまった怪我人だった、おい大丈夫かと悪友は一人あたふたしていた。

この啓太と言う男は風太の幼なじみにあたる。家が近所で小学校から高校までを同じ場所で過ごし、大学に進学した頃からは専ら飲み友達としての付き合いだ。

名前も似ていれば背格好も、行動パターンまで同じ二人である。いつもつるんでは様々なことをやってきた、今も昔もその距離は変わっていない。

「お前自分がどういう状況かわかってる?」

「何やったの俺」

「事故ったんだよ、バイクで」

「……へぇ」

薬臭いのはそのせいか、と彼――風太は顔をしかめた。どうやらここは病院らしい。

「お前三日も目ェ覚まさねぇから、ほんとマジで俺……」

「……三日?」

たった、そんだけ?

うっかり呟いてしまった言葉に啓太が思い切り眉根を寄せた。何がそんだけ、だこの野郎! 耳元で怒鳴る相手に苦笑しながら、彼はじっとベッドの皺を見つめる。

たった、三日。風太は愕然とした。死にかけたことに間違いはなさそうだが、もっと長いと思っていたのだ、あの時間は。

啓太は彼の反応がお気に召さなかったらしく、泣きそうに歪めていた目尻をキッと引き上げた。ああマジで怒らせたな、上の空で風太は思う。

「ごめん」

「ふざけんなよお前、どれだけ俺が心配したと……」

「だからごめんって……なぁ、啓太」

悪友の言葉を遮って彼は目を閉じる。目蓋の裏に浮かんだ小さな影を思い描いて、慎重に言葉を選んだ。ここはもうあの小綺麗な部屋ではないのだ。2LDK風呂付き、アパートの三階。

何だよ、と啓太が続きを促すのが聞こえる。

「中学ン時にさ、初めて同じクラスになったヤツがいたの。トキ、って覚えてるか」

「トキ……?」

問われて、啓太の視線が僅かに揺らぐ。暫らく宙を彷徨っていたそれがふいに止まると、思い当たる節が有ったのだろう、ああ、と啓太は声を洩らした。

「トキ、時任か。時任美晴」

いたいた。言いながらより鮮明な思い出を手繰り寄せたのだろう、啓太はその名前に関する記憶を並べはじめた。

綺麗な顔立ちをしていたこと、なのに意外と毒舌であったこと、色白であまり外で遊ばなかったこと。当時女子の間で一人称を“僕”にするのが流行っていたこと、それから、

「中二の終わりに……病気で死んじまった」

「……ん。そいつの夢、みてた」

「――――え?」

啓太は驚いたように目を丸くする。無理もないだろう、死の淵を彷徨った人間の口からそんな言葉が出れば。

「仲良かったよな、俺たちと」

「あ、あぁ。俺と風太の他に、満子とか夏美とか」

「猫が苦手で」

「そういや、見る度に隠れてたなぁ」

「あいつが入院する前に、写真撮った」

「よく覚えてんなー。千羽鶴も折ったぜ」

風太は目を閉じて、あの小さな少女を瞼に描く。柔らかい髪や白い肌や、生意気そうな瞳。捻くれた言葉しか出てこない唇までありありと思い浮べることができた。

だって、いたのだ。ついさっきまで、彼の目の前にはトキが。一緒に、いたのだ。

「……なんでかあいつ、俺のこと“ぷー太”って呼んでたよな。プータローみたいだからやめろっつったのに」

「恥ずかしかったんだろ。……トキってさ、絶対風太のことが好きだった」

「え」

お前知ってたの? 問い掛ければ啓太は肩を竦めて笑う。俺だけじゃないさ、皆気付いてた。お前以外な。

「お前鈍いよな。時任が死んじゃって、風太には教え辛かったんだよ。悲しさが増しそうじゃん」

「そっか……俺は、さっき気が付いた」

「夢で?」

「そう、夢で」

変なの、と啓太が笑う。夢だということにするしかなかった。きっと、誰も信じない。

「俺さ、トキが死んだ日に」

「うん?」

「あいつの声、聞いたんだよなぁ」

「……そうか」

お前にお別れを、言いたかったんじゃねぇの。啓太の言葉にそうかもしれない、と頷いた。彼はずっとそれに、気が付いてやれなかったのだけれど。

「悪ィ、眠くなってきた」

そう告げれば啓太は無言で、どこか遠慮がちに席を立った。医者呼んどくから精々検査されろよ、と憎まれ口も落としてゆく。

また明日来るわ、おうサンキューな、そんな会話を最後に悪友は病室を去っていった。


静寂が訪れる。天上に向かって手を伸ばしてみる。

嘘みたいだった。彼はまだ、この世界で生きている。

一人残された空間で風太は枕に顔を押しつけると、くぐもった言葉を紡いだ。誰にも聞こえない、もう聞く相手の無い言葉を。


「おい、全部思い出したぜ――トキ」


あの子供は、もういない。



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