まじめに働く
くにさきたすくさんの作品「なぞの声」の二次創作品です。いつも質の高い作品を生み出されるたすく氏に敬意と感謝を申し上げます。
幸太郎は一日の仕事が終わり帰宅し、冷たいビールを飲んだ。
「く~っ! 美味いっ! 働いた後のビールってやっぱり美味いな~」
幸太郎は今までまともに働いたことはなかった。それがあるきっかけで真面目に働こうと思うようになり、仕事を見つけ、今日で一月が経ったのだった。一月真面目に働けたらビールを飲もうと禁酒していたのだ。
幸太郎が少年の頃、両親は離婚し、ぐれて悪さを覚えた。ドラッグや女性への乱暴こそしなかったが、喧嘩に明け暮れ、成人してからは傷害事件を起こし起訴猶予となったものの、益々悪の道へ入り込んでしまった。気がつけば詐欺の片棒を担いだり、自ら窃盗などをするようにまでなってしまっていた。
それがある事件をきっかけに、真面目に働こうと思ったのであった。ある事件の後、訳あって神社に頻繁にお参りしている時にあるご婦人と顔見知りになる。そのご婦人は杖を付きながら毎日のように神社にお参りに来ていた。幸太郎も仕事をしていないので毎日のように神社に来ていたのだ。
幸太郎は病弱そうなご婦人を見ては「体が丈夫になるようにとか、病気が治るようにとかお願いしているんだろうな」と思って眺めていた。
ある時、いつものようにお参りに来ていたご婦人が、神社の敷石の間に杖を挟んでしまい転倒した。いつの間にか神社にお参りする「同志」のようにご婦人を思っていた幸太郎は、思わず駆け寄り、抱え上げると声をかけていた。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか? 」
ご婦人は助け起こされたことに驚いた顔をしていたが、すぐに優しい顔で微笑むと
「大丈夫です。ありがとうございます。貴方もよくここにお見えになりますね 」
と言った。
幸太郎はまともな人と会話するのは久しぶりであったが、自然と会話が弾んだ。ご婦人は幸太郎の思っていたような願い事ではなかった。
「あれから二十年もたつのに息子との事を一日も忘れたことがないのですよ。私にはこうして息子が幸せでありますようにと願う事しかできないのです 」
ご婦人は酒癖の悪い夫の暴力に耐えかねて、家を飛び出したのだと言う。当時、六つになる息子と逃げたのだが、夫は無理やり息子を取りあげて行ってしまったらしい。その後、息子とは一切連絡が取れなくなり二十年が経ったと言う。
ご婦人の顔に刻まれた皺を見ると「苦労されたんだろうな 」と思い、涙ぐむ幸太郎であった。
「貴方も何か心配ごとでもおありなのでしょう? 」
ご婦人が優しく問いかけるが、自分勝手に拗ねてぐれた人生を送って来た幸太郎は理由を言えなかった。それでもご婦人は責める事もなく、しつこく尋ねるでもなく、ひとつ頷くと
「きっといい事がありますよ 」
と言って微笑んでくれた。
その言葉で幸太郎は自分の生い立ちを堰を切ったように話して聞かせたのであった。ご婦人はただ相槌を打って聞いてくれた。すべて話し終わった時にはすっきりとした気持であった。
「それでは貴方はこれから人生のやり直しですね 」
その一言に幸太郎は救われた。
それからだ。幸太郎が仕事を探し、職につき真面目に働くようになったのは。
神社に通うようになる前日まで、幸太郎は空き巣をして生計を立てていた。初めの頃は人さまの財産を奪う事に後ろめたさを感じていたのだが、いつしか感覚が麻痺して何とも思わないようになっていった。そうして手にした金は飲み歩き散財する。手持ちが乏しくなったらまた空き巣に入るという生活だ。
ある日、いつものように裕福そうな家に忍びこんだ。金品を物色し引き揚げようかと思っていた時だ。どこからか携帯電話の着信音が聞こえた。どきりとするが、その家の留守は確認してある。携帯を忘れて行ったのだなと思っていると、声が聞こえた。
「あなたは……だあれ?」
少しかすれた幼い声。
「……あなたの……おなまえは?」
幸太郎はいるはずのない者の声を聞いている気がして体中の毛穴が逆立つ気がした。幸太郎はその家にいてはいけない存在。そして声の主もそうなのではないだろうか。いや、そうに違いない。
「いっしょに…あそぼ…」
とぎれとぎれの声を聞かないようにしながら、幸太郎は奪った金品を元に戻し、心の中で「成仏してください」と呟いた。そそくさとその家を逃げ出したのであった。
【思えば、あの声が俺を救ってくれたんだな。あの声の主は成仏したのだろうか。俺には母親のように思える人もできた】
幸太郎は空き巣に入った家のなぞの声によって悪事から足を洗う事を決意し、神社のご婦人に背中を押して貰った形で新生活をスタートさせたのであった。
幸太郎は神社にその声の主の成仏を願ってみようと思った。
なぞの声の正体はくにさきたすく氏の作品をお読みになると分かります。