8話
翌日、まず向かったのは工房だった。
よく見える右目と霞む左目、それが二重になってチラつくのだ。不快な事この上ない。
原理はよくわからないが右目で左側を見る事ができるのだ、煩わしい左目を開けておく必要が無い。
常に左目だけ閉じるのも顔の筋肉が疲れるので、心配するアンジェとデイジィを連れて左目を覆う眼帯を注文しにきたのだ。
「メリッサさん、おはようございます。随分間が空きましたが何かありました?」
いつもの受付の少年が心配げに聞いてくるが曖昧に言葉を濁してバイスの工房へと向かった。
「おお、メリッサさんよくいらっしゃいました。例の杭打ち盾ですが設計図が……」
メリッサに気付くと嬉しげに近寄ってくるバイスだがどうも様子がおかしい事に気付いて言葉を切った。
「バイス殿、今日は客として参りました。単刀直入に言います、左目を覆う眼帯を注文させて頂きたい」
「それは構いませんが…お怪我でもなされましたか」
「怪我…とは少し違います、自分達にもよく分かっていませんので転職の際に血が影響した。とだけ」
バイスとて長く生きた巨人信仰の信者である。言葉は少ないが大体の経緯は把握した。深くは聞かない。
「畏まりました、ならば出来るだけ早いほうがいいですね。」
「お願いします」
バイスは椅子を引き摺ってメリッサの横に置き、その上に立って測り紐を取り出し手早く頭のサイズを測って行く。
四回測ったところで一旦紙に書き込み、もう一度四回測り直して元の席へと戻って口を開いた。
「眼帯といっても数種類のタイプがあります。見た目を気にするなら二本、三本、或いは四本の紐で支える物。本数が少ない程目立ちにくくなります。次に皮を大きく使い、鉢巻状にしてそこから皮を垂らすタイプ、最後に更に皮を大きく使い、顔の半分近くを覆う物。後者二つが冒険者に多く好まれています」
「見た目は気にしません、頑丈で外れにくい物でお願いします」
「そうなると最後の顔を大きく覆う物がいいかもしれませんね、若干蒸れますが外れにくく、防具としても機能します。装飾も付けれますが…」
「結構です」
「ですよね、畏まりました。皮の種類はどう致しましょう、銀貨1枚から金貨1枚まで多くありますが」
「む……」
メリッサが詰まる、たかが眼帯、されど眼帯だ。目を蓋をするだけならそれこそ銀貨1枚でもいい、だが防具として考えるならば金貨1枚でも安いくらいだ。
メリッサが詰まるのを見てそれまで黙っていたアンジェとデイジィが口を開いた。
「一番いいのをお願いします」
「お金はパーティーの貯金から出すから」
「承知致しました、完成し次第宿へと届けさせますのでお支払いはその時にお願いします」
「わかりました」
「では商談はここまでにしておきましょう。先程は言いそびれましたがメリッサさん、転職おめでとうございます。ナールが心配していたので出来れば顔を出してやってください」
「ありがとうございます、今からナール殿の所に行って帰らせてもらいます」
お気をつけて、というバイスを背に一旦ナールの工房に向かった後、三人は宿へと戻った。
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「体を動かしたいのだが」
宿に戻ったメリッサが外に出ようとするとアンジェに引き止められた。
「最低限眼帯が出来あがるまでは勉強しましょう、魔道書のノルマが三冊もあるのよ?」
メリッサの顔から血の気が引いた、魔道書三冊。一冊丸一日かかるとしても丸三日以上もかかるではないか。ただでさえ何日も寝込んで体が鈍っている上にもう大会まで一ヶ月を切っているのだ、少しでも鍛えたい。しかしアンジェの顔は既に教師の顔だ。駄目だ、逃げられない。
「それにちゃんと転職出来てるかどうかの確認でもあるんだから、早く座って読みましょ」
もう諦めた、嫌々本の前に座って嫌々本のページを開く。
三冊読み終わったら好きなだけ体動かしていいわよ、その言葉だけを飴にメリッサは魔道書へと取り掛かった。
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「メリッサさん居ますかー?ご注文の品お持ちしましたよー」
早朝の宿にナールの軽い声が響く、後ろの弟子は大会用の斧槍も持っている。
呼ばれて部屋からのそりと出てきたのはメリッサだ。丁度先程三冊目の魔道書を読み終えたばかり、いつもはきっちり纏められている髪も所々ほつれている。目も心なしか生気がない。
「あー……大丈夫です?日、改めましょうか?」
「…いえ、大丈夫です」
「じゃ、じゃあとりあえずこれがこの間注文頂いた品になります」
ナールが箱を開くとそこには無骨な眼帯があった。
メリッサは手にとって確認する、分厚さはそれ程ではないが硬い。
目の所が一番広く、端に行くほど細くなっているが一番細い所でも十分太い。留め具はベルト式だ。
「一人でも少し慣れれば着けれるようになりますよ、今日は自分がつけさせて頂きますね」
メリッサから眼帯を受け取りナールは手早く装着した。メリッサがずらしてみようとするが動かない、素晴らしい。
「素材はメリッサさんの鎧の一部に使われてるドラゴンの皮膜がメインです、目に当たる部分は二重になっていて板金が仕込んであるので更に頑丈です。肌に当たる部分には肌触りの良い物をいくつか縫い合わせてあります。ドラゴンの皮膜は薄めですが比較的軽く、耐久性は一般市場で手に入る物の中では最も高いです。違和感とかあったりしませんか?」
「いえ、大丈夫です。これなら戦闘中にずれる事もないでしょう」
助かりました、と言ってナールの前に金貨を1枚置く。
「毎度ありがとうございます、それでですね。今日はもう一件、こないだ頼まれてた大会用の斧槍が完成したのでお持ちしました」
「随分早いですね、御代はお幾らでしょうか」
「既に形になってるものに手を加えただけですからね。御代は師匠がうちの工房の宣伝してくれればそれでいいって言ってるので、是非がんばってください」
「それは……ありがとうございます。」
バイス工房の名を背負って闘うのだ、プレッシャーが少し増した。
運ばれてきた斧槍を掴む。室内なので振り回せないが重量は実戦で使っているものを対して変わりが無い、配慮してくれたのだろう。
「そんなに気負わずがんばってください、メリッサさんが力を出し切ればきっといい所までいけますよ」
では自分はこれにて、とナールは言って弟子と共に帰っていった。
魔道書を読んでいた疲れなど忘れ去った、意識は既に大会の方へ向いている。
無意識に斧槍を握る手に力が入った。
「滾ってる所悪いんだけどメリィ、ちょっと確認したいから部屋戻ってきて頂戴」
部屋から出てきたアンジェに現実に引き戻された、恥ずかしい。
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「いいわね、無骨な感じがメリィと合ってて格好いいわよ」
部屋に戻って大会用の斧槍をプライベートボックスに入れた。
椅子に座るとアンジェからお褒めの言葉を頂いた。
「ありがとう、確認したい事とは?」
「魔法よ、魔法。攻撃魔法と違って回復魔法は室内でも使えるから試してみましょう」
ああ、成る程。と言ってメリッサは机の上に置いてある果物ナイフで指を浅く切った。
玉のような血が出てくる。
「<自然治癒>」
まだ使い慣れない魔法の為、魔力の燐光が多く吹き出る。
即効性の回復魔法ではない為ゆっくりとだが、それでも確実に傷は塞がった。
「よかった、転職はちゃんと成功してたみたいね」
「ああ、所でもう魔道書は読んだのだ。体を動かしても問題無いか?」
「あーはいはい、もう三日も経ってるしね。調子戻り次第ダンジョンで実践感覚を取り戻しましょ」
「ああ、大会までもう三週間しかないのだ。万全の調子で挑みたい」
解れた髪を括りなおしてメリッサは走りに外に出た。
その顔は魔道書を読んでいた時の沈んだ表情ではなく、実に晴れやかな表情だった。
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久しぶりの鎧を着込み、オークのダンジョンを歩く。
あれから三日程体の調子を確かめ、実践感覚を取り戻しに来たのだ。
転職による能力の向上は上位職に進むほど劇的な変化は無くなるそうだがそれでも十二分に力が滾っている、鎧が随分と軽くなった感じがするくらいだ。
「前方に9匹、まだこちらに気付いていない」
次に変わった所は右目だ。左目の視力が右に寄ったのか随分と遠くまで見えるようになった。
開けた場所での索敵に役に立ちそうだ。
気付かれない様に近づき投槍を構え、裂帛の気合を以って打ち込む――!
転職で増した腕力によって打ち出された投槍は、弓持ちの体を貫き、更に奥にいた杖持ちの命も奪ってやっと止まった。
「うわ、すごっ」
「感心するのは後にしよう、前に出る」
剣持ちが突進してくる。その姿は以前より随分小さく見えた。
盾で受け止める。軽い。そのまま盾で殴りつけ、膝を正面から折る。以前通りに力を込めるとオークの膝から下が引き千切れた。
更に残りの剣持ちを二体纏めて行動不能にし、後は弓持ちと杖持ちだけだ。
後はいつもの流れ作業だ。弓持ちを無力化し、機動力を奪って妨害魔法のかかった杖持ちを固めて魔法で焼き払う。
その後の戦闘も以前に比べて随分と楽になり、更に篭る時間が延びたがアンジェとデイジィの魔力が尽きかけたので帰還する事にした。
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「メリィの復活に乾杯!」
「かんぱーい」
「ありがとう、乾杯」
「今日はしっかり飲むわよー」
「アンジェはそんなに強くないんだから無理しないでよね」
「酔いつぶれて運ばれてきたデイジィには言われたくないわ」
ギルドで清算を終わらせ、一旦宿に戻った三人は以前デイジィとのデートで来た酒場に並んで座っている。メリッサは一杯だけ、という約束で度数の低い酒を注文した。
「少し見ない間に随分と冒険者らしい格好になりましたね、メリッサ様。無論、以前も素晴らしい風格をお持ちでしたが」
注文した料理を運び終えたマスターがメリッサを見て語りかけた。
女性二人は競う様に食事をつつきながら飲んでいる、今日は二人も運ぶハメになりそうだ。
「眼帯か、アクセサリーみたいな物だと思って欲しい。左目が使い物にならなくなってな」
「ええ、よくお似合いですとも。冒険者の皆様は怪我が絶えませんからな、お気をつけください」
「ありがとう」
「冒険者といえばもうすぐ武道大会がありますね、王都も何時もに増して活気だっております。うちみたいな酒場は冒険者の皆様にはあまり受けないので売り上げが伸びないのですがね。ところでメリッサ様も大会にご出場なさるので?」
「ああ、どこまでいけるかは分からないが自分の力を試すいい機会だと思っている」
「では激励の意味を込めてこちらを、私の奢りです。妻には内緒ですよ」
メリッサが酒を苦手としているのを知っているマスターは果実のジュースをジョッキに注いでゴトリとメリッサの前に置いた。
「凄い量だな、感謝する。隣の二人が潰れるまで楽しませてもらおう」
「アンジェリカ様がいらっしゃるのは随分久しぶりですが、以前もこんな感じで飲み明かし、共に潰れてしまった事がありましたよ。その時は運ぶ人がいなかったので店で一夜を明かしてお帰りになりましたが」
「それは…迷惑をかけてしまってすまない。」
「メリッサ様が王都にいらっしゃる前でしたからな、メリッサ様が謝る事ではございません」
アンジェとデイジィはお互い普段の鬱憤をぶつけ合いながら、メリッサはマスターと静かに話をしながら夜は更けて行く。
最終的に完全に酔いつぶれた二人をメリッサが纏めて運んだのは言うまでも無い事だろう。




