願望の怪物(1)
刃を交える魔王と勇者。パンデモニウムの頂点にて繰り広げられる決闘は互角に、しかし徐々に勇者の優勢に傾きつつあった。
時を操る力に目覚めたミユキの瞳には感応した僅かばかり時の過ぎ去った未来が移る。淡く輝く青い瞳にはまるですべてがスローモーションのように捉えられた。仮にそれが圧倒的速力を持つ魔王であったとしても同じ事。
当たれば即死間違いなしの膂力で繰り出される超スピードの攻撃から目を逸らさず、少女は真っ直ぐに見つめ返す。ぎりぎりで刃をかわし、首筋が切り裂かれても構わず斬り返す。
振るわれた光の刃が魔王の鎧に傷をつける。この金色の鎧は神が創造し得る最高強度の鉱物にして、魔物の力を抑え込むアークと同じ素材で作られている。だから切り裂く事はできない。そしてだからこそ、魔王の胸のコアは露出している。
いつかこの怪物を人間が倒す為に。それは黒須惣助が仕組んだ結末への布石。勇者が魔王を倒し、この世界を変える――。ロギアと黒須は別々の手段で、しかし同じ願いを抱いてた。
赤い髪を揺らし魔王が目を見開く。その表情は鬼気迫る、しかしどこか嬉しげな、幸福そうな横顔だ。血を流し、黒き焔を纏った刃を繰り出すも、ミユキはそれに白き光の刃で正面から応じる。
力は互角。いや、それでもきっとまだ魔王が上。だが魔王の存在には時間制限がある。彼女の体は既に長くない。この魔物というこの世界の純粋な願望を抑制する為のストッパーとして、魔王は既にその力の殆どを損耗した。
きっと一人で勝てるような相手ではなかった。それでもミユキは勝利へと漕ぎ着ける。黒い炎と白い氷が何度も何度も爆ぜ、巻き上がり、二人は輝かせながらシルエットを交差させる。
「勝つ……! 意味も理由も関係ない! 私はただ、あなたに勝つ!」
時がとてもゆっくりと流れているように感じた。
刃と刃が交わる度に、何故か胸が張り裂けそうだった。
悲しい感情が溢れ出してくる。けれど決してそれだけではない。辛く、重く、淀んだ想い……それが晴れて行くのを感じるから。
もう何も隠さない。ありのままの願いを、ありのままの気持ちを、ただ相手に伝える。この世界に証明する。誰の為でもなく。何の為でもなく。
勇者も魔王も姉妹も関係ない。強く、ただ強くありたいと願う。相手の方が強いのならなおの事。もう、余計な感情にかまけている余裕なんてない。
放たれた鋭く細い斬撃が瞬く。勇者の切っ先は魔王の鎧に傷をつけ、城の床に、壁に、天井に痕を残す。笑う魔王、勇者は雄たけびをあげ、次々に刃を振るう。
狙いは胸のコア。正確に、力強く、がむしゃらでいい。思い切り刃を振るう。壁が吹き飛び太陽の光が差し込む。真っ暗で閉ざされたこの部屋に、一つ、また一つ。
青い光の軌跡を魔王はただじっと見つめていた。動けない。時間が止まっている……それもある。だがもう、躰に力が入らなかった。
「これで――」
体を逸らし、光の剣を手にした腕を背後にまで回し、全力の突きの構え。
「終わりです――ッ!」
青い光が爆ぜ、魔王の胸にあるコアへと突き刺さる。亀裂が一つ、また一つと増え、やがて光は完全に赤い結晶を砕き割った。
その瞬間を魔王は目を細め、微笑みながら見つめていた。もう立ち上がれない体が頽れ、視線が天井に移り、やがて瞼が閉じられる。
コアは魔物を制御する為……世界の自死の感情を抑え込む為に必要な呪縛だった。それが砕かれた今、魔王は本当の意味でその役割を終える。
倒れこむ体を支えたのはミユキの腕だった。零れ落ちた白い精霊器がカツンと音を立て床に落ちる。魔王の剣もまた地を跳ね、思いの他小さな音を立て黙り込んだ。
ゆっくりと瞼を開いた魔王が見たのは、勇者の凛とした顔であった。泣いても、笑ってもいない。その眼差しは静かに強さだけを湛えている。
「……見事だ、勇者よ。貴様の……勝ち、だ」
「アスラ……あなたの力はこの程度ではなかった筈です。しかしまさか手を抜いたとも思えない」
「ああ。私はもちろん全力だった。だが、まあ……そうだな。私はもともと……そういうもの、だったのだ」
魔王は使い捨ての制御装置。世界のリセット……自死を抑えきれなくなれば崩壊する、壊れ行く命に過ぎない。
その身を常に苛む苦痛は、世界の自分自身を否定する膨大な願い。その願いを閉ざす扉の前に磔にされた人柱は、常に五体を引き裂かれるような苦しみを伴ってきた。
それがどうだ。こうしてその役割を満たしてみれば、すべてが羽のように軽い。もう躰を貫く痛みも、悍ましい死を願う感情も入り込んでは来ない。
「は……あ。心が……軽い。すべてが……癒されていくようだ。これが……本来あるべき、ありのままの命……なのだな」
本当に心の底から安心したように息をついたその表情は、もうすっかり張りつめた糸が切れてしまった事を意味していた。
震える、しかしこれまでよりもずっと楽になった腕を上げ、魔王は勇者の頬に触れる。胸に湧き上がるのは暖かい感情。それはきっと、この体の本来の持ち主が教えてくれた事。
「なぜだろう、な。何の関係もないというのに、貴様を見ていると……こんなにも落ち着く。これが幸福……なのだな」
「それは……あなたの感情ではありません。あなたの躰の本来の持ち主のものです」
「わかっているよ……。私に、こんな幸せを噛み締める資格などないとね……」
ミユキは首を横に振り、その手を取ると強く握り返した。
「あなたは姉さんにはなれない。私も姉さんになる事はできない。なぜならどんなに似ていても私たちは別の人間だから。アスラ……それはあなたも同じ事です」
こうして命がけで刃を交えてみて初めてわかる事がある。本気で誰かとぶつかり合って初めて感じる事がある。
アスラがいったいこれまでどんな苦しみを抱えていたのか、そんなことはわからない。わかるなんて言えるはずもない。それでも……。
「私は姉さんと戦ったわけじゃない。私が戦って倒したのは……アスラ。魔王である、あなたですよ」
「……私……自身?」
「あなたは人間です。作り物の命なんかじゃない。この世界に生きる人々はみんな幻なんかじゃない。言葉を交えることも、心を寄り添わせることも、友達になる事だって出来る。私はあなたが嫌いです。姉さんの姿をしたあなたが、だけど……あなた自身の心をは。こうやって本気で殺し合った、何も包み隠さず正直にぶつかったあなたの心となら……友達にだってなれたって、今だからこそ確信出来る」
目を見開くアスラ。その手が弱弱しくミユキの手を握り返す。
「友達……か。そんな事を言われたのは……私の人生で、二回目だよ」
夢の中で、心の中で出会った人。笑顔で、希望はきっとあると囁いてくれた人。
いつかきっと何もかもが救われる……そんなのは夢物語だ。誰も救われず何も取り返せず世界は残酷に時を刻む。そんな事はわかっている。それでも……。
『――ね? きっと、誰かと分かり合う事は……そんなに難しい事じゃ、ないんだよ?』
どこかから聞こえた気がした懐かしい声。自分自身の喉から出る声。今は笑っているのか、それとも泣いているのか。顔をくしゃくしゃにしながら縋りつくように、ミユキの手を両手で包み込んで。
「ともだちに……なって……くれる、のか?」
震える声で、まるで幼い少女のように語りかけるアスラを見つめ、ミユキも堪え切れなくなったかのように俯き、きつく目を瞑った。
この目の前の姉の姿をした魔王が、どれだけ孤独だったか。この世界に産み落とされて、ただ戦いだけを強いられて、心さえも与えられず、誰も彼女に触れず……。
憎まれ恨まれ、人として当たり前の尊厳すらも与えられず、ただこの暗闇の中に一人で座り、待ち続けていたのだ。誰かがここにきて、自分を止めてくれるのを。
そんな死を願う事でしか、剣を振るう事でしか世界に存在できなかった彼女が。どうしようもなく哀れで、だからこそわかる。姉がなぜ、この“子”に語りかけたのか。
「……なるよ。もう、友達だよ」
勇者もまた魔王の手を両手で包み込む。理由なんてない。そうしたいと思った事に従っただけだ。
世界が違うとか作られた命だとか勇者とか人間とかそんなことはどうだっていい。些細な事だ。ありとあらゆる世界の全ては、その価値は、意味は。何もかも、心で決めればいい。決めて、良いのだ。
「すまない……貴様の姉を……ミサキを……私は……私は、殺してしまった。この躰に僅かばかりに残された彼女の残滓でさえも……私は……」
魔王を抱きしめるミユキ。魔王はその背に手を回し、少女の胸に顔を埋める。
「何もできなかった。私を初めて人間として扱ってくれた彼女を……友達だと言ってくれた彼女を……私は守れなかった。私さえいなければ、彼女の想いが消えてしまう事だってなかった……」
「……それは違うわ。あなたのせいじゃない。仕方がなかった……とは言わない。だけど、どうにもならない事だってあるわ」
「産まれたくなかった……。私はこの世界に……。それならばきっとすべての命がどれだけ幸福であった事か。私さえ居なければ……」
「違う。そんな事は関係ない。誰に仕組まれた運命だとしても。誰に望まれた結末だとしても。今ここに生きている事は絶対に無意味じゃない。必ず何か、価値のある事なのよ」
そっと身を離し、血の付いた魔王の頬に触れる。ミユキは優しく、穏やかな表情で。
「あなたはここに居ていい。ここに居て……存在して。産まれてきて、良かったのよ」
「ミユキ…………ぐっ、あ……こ、れは……っ!?」
突然胸を抑え苦しみ始める魔王。そこでミユキは思い出す。魔物の弱点であり急所であるコアを先ほど自らの手で砕いた事を。
しかしそれは直接的な理由ではない。ミユキは知らない事だったが、魔王のコアは魔物を制御する為に必要なものであり、魔王という存在そのものの存続には無関係だからだ。
「アスラ……!?」
「世界の意思が……止まっていく……? まさか……認めたというのか? この世界の、在り方を……?」
「世界を認めた? なんの事?」
「わからん。わからんが……これまでとは何かが違う……。確かにコアは破壊され魔物の制御は私の手を離れた。だが……なんだこの違和感は……?」
そんな時、突然崩れた壁から雲が雪崩れ込んでくる。やがて吹き抜けた空の向こう、天空より白い神殿……神域が降下してくるのが見えた。
「パンデモニウムの更に上に……? 何、あれは……?」
「神域……まさか……」
立ち上がろうとする魔王に肩を貸し、ミユキは共に壁際に進んでいく。そしてそこから放たれた無数の棺が流星群のように大地へ降り注いでいくのを見た。
「何……? 何が起きてるの!?」
出現した神域とそこから繰り出される神の裁きを前にJJは唖然と空を見上げる。傷ついて倒れた遠藤は同じく倒れこんだイオに歩み寄った。
「イオ……無事かい?」
「……ああ。今……何がどうなってやがる?」
「恐らく、魔王が倒されたんだ。僕らの負けだよ」
「……そう……か」
機械の装甲を解除したイオの傍に膝を着く遠藤。イオは差しのべられたその手を弾き、自力で立ち上がる。
「どこへ行くんだい? もうこのゲームは終わりだ。勇者が魔王に勝ち、世界は終わる。契約は終わりだ。氷室も言っていただろう?」
そう、この戦いはこれでおしまい。バウンサーは所詮金で雇われた傭兵に過ぎない。
その役割は勇者と魔王の戦い、このXANADUというゲームのサードテストが終了と共に果たされるのだ。
氷室を通じ、バウンサーの雇主である黒須から魔王が倒されたら終了という条件を聞かされている遠藤もイオも、これですべてが終わった……筈だった。
「まだ終わってねえ。その証拠にまだあたしらはここにいるじゃねぇか」
そう言ってイオが取り出したのは魔王の胸に輝いていたものと同じ赤い結晶。バウンサーの力を発現する為に使われる魔物のコアであった。遠藤はそんなイオの腕を掴み、険しい表情で首を横に振る。
「もうやめるんだ。戦いは……ゲームは終わった。これ以上やりあって何の意味がある?」
「意味なんか……ねぇよ。だけど……だけどなぁ! あたしはそれでも元の世界には戻りたくない! これで終わりにするくらいなら死んだ方がマシだ!」
「なぜそこまで現実を否定するんだ」
「なぜもクソもあるか! あんな世界……あんな醜くて汚い世界に誰が戻るんだよ! 戻ったって誰もいない! あたしを想ってくれる人なんていない! 独りぼっちで……誰にも望まれずに……そうやって死んでいくくらいなら、ここで死んだ方がいい!」
次の瞬間、遠藤はイオの頬を強く叩いていた。頬を抑えあっけにとられるイオの手からコアを奪い、遠藤は小さくため息を零す。
「君を想う人がいないなんて、そんな事はただの想いこみだ。君を想う人はたくさんいる。僕だってそうだ。イオ……僕は君を連れ戻す為にバウンサーになった。それは君の叔母である中島瑞樹の依頼を受けたからだ」
目を見開き、それから強く歯を食いしばる。そうして遠藤に詰め寄った。
「結局あんたも金で動いてるだけじゃねぇか! あの人から幾ら貰った!? そんなにする程報酬はよかったのかよ!?」
薄らと涙を浮かべ、イオは叫ぶ。この男も同じだ。結局は汚い大人の一人に過ぎない。
仕事だから自分にかまっているだけ。だったらこの戦いが終われば――遠藤も自分の傍からいなくなるだろう。
ゲームが終われば何もかもが終わってしまう。イオの胸の内にはただそんな絶望感だけがあった。
「大人は嫌いだ……大嫌いだ。どいつもこいつもきれいごとばっかり言いやがって……意地でも帰ってやるもんか! あんたの為になんかッ!!」
遠藤は厳しい表情を少しだけ緩め、頬を掻き、今や敵となったJJへと視線を移す。
「あの子も君と同じだよ、イオ。彼女もまた、大人を信用しなかった。けれど彼女は自分の意思で信じるべきものを、疑うべきものを見通す目を手に入れた。本当の仲間が、友情が、愛情が、彼女をそうさせている。心願精霊器、といったかな。あれはそういう、人が持つ本当の願い、心の奥底にある純粋さから生まれるものだ。それを顕現させたJJは、本当に強い」
JJはもう迷っていない。あらゆるリスクを計算の上でしっかり飲み込んで今ここに立っている。正しさも間違いも美しさも醜さもすべてを受け入れている。
二人の少女には確かに年齢という壁がある。イオはまだ小学生、JJよりもずっと幼い。だが闇ばかりを見つめてきた二人の少女の内片方だけが心願に目覚め、片方は居場所もなくただ闇の中にいるだなんて、そんな道理はないはずだ。
「イオ、君を想う人は確かにいる。JJは光だ。だからきっと証明してくれる。君にも希望はあるのだとね」
そう言って男は傷だらけの体を引きずって歩き出す。その手にはイオから奪った魔物のコアが光っていた。
「どうやらミユキが魔王を倒したみたいね。だけど……ログインは終わらないしなんのアナウンスもない。それにあのわけのわからない浮遊施設が出現して、あんたの相手どころじゃないんだけど……遠藤?」
ゆっくりと振り返ったJJに遠藤は笑いかける。そうして視線を魔物のコアへと移した。
「JJ、君は強くなったね。子供の成長速度とは実に素晴らしい。それにその心願という力……どうも僕にはどうやっても扱えないみたいだ」
「そりゃそうでしょうね。遠藤、あんたには嘘があまりにも多すぎる。うそつきに心願の力は使えない。自分の醜さと弱さと向き合い、初めて見える光だから」
「……自分の醜さも弱さも、重々承知しているよ。君たちと違うことがあるとすれば、それは僕が自分の中に希望を見いだせない事、だろうね……」
目を瞑り嘲笑を浮かべる。そう、遠藤は未来など望んでいない。彼の中には願いがないのだ。
刹那的な人生が彼をそうさせたわけではない。彼もまた、元より恵まれぬ人生。誰ひとり彼の前に希望を示す者はなく。ただ闇だけが広がっていた。
「僕はね、JJ。自分自身の未来を思い描けないんだ。だからきっと僕の願いは空っぽで……君たちの様に磨いたところで宝石にはなれない。そんな君たちに抗う為には……僕はこの力を使うしかないみたいだ」
「……正気なの? もうすべてが終わるのよ?」
「それはまだわからないさ。たぶん……ね」
男は自らの胸に結晶を当てる。すると赤黒い光が瞬き、男の体に結晶がずぶずぶとめり込んでいく。
影が、闇が男の足元から立ち上る。JJはそれを憐れむような眼で見つめていた。
「バカな奴……。今更バウンサー化したところで、あたしに勝てるわけもないでしょうに!」
「確かに、ただのバウンサー化ならそうだろうね……だけど……これならどうかな?」
遠藤が取り出したのは、更に自分の分の魔石であった。それを更に埋め込めば、コアは二つ。単純に考えて二倍の力を得ることができる。だが……。
「――正気!?」
「う……お……ぉおおおおおおおっ!!」
そんな事をすれば二倍の精神浸食に苛まれる事になる。男は影の光の中に飲み込まれていく。イオはその様子を呆然と見つめていた。
「えん……どう……?」
「…………ったく! あんたねぇ、バカなんじゃないの!?」
呆然としたイオを指さし叫ぶJJ。きょとんとするイオの視線の先で遠藤はその姿形を変えていく。
「ただの仕事であそこまで出来るわけないでしょ? あいつには何かあいつなりの信念を持ってあんたを“助けにきた”のよ! この世界に誰も想ってくれる人がいないだなんて笑わせんじゃない! 目の前に少なくとも一人はいるじゃないの!!」
背中から突き出したのは無数の黒い結晶の足。遠藤はその体に結晶の鎧を纏い、蜘蛛の足を生やし、胸を抑えながらうめき声をあげる。
「あんたのやってる事はただのガキのワガママよ! 遠藤がレイジとどういう話をつけたのかは知らない。だけどね、遠藤があんたの傍にいるのは! あんたのやってるただの時間の無駄に過ぎないバカみたいに幼稚なワガママに付き合ってるのは! そうまでしてもあんたを連れ帰りたいっていう、あいつの誠意以外の何物でもないじゃない!!」
大人はみんな醜くて嘘つきだ、そう感じていた。
みんな曖昧な笑顔を浮かべ自分を遠ざけていく。誰も信じられないし信じてはいけない。それが独りぼっちで生きてきた少女の僅かばかりの教訓だった。
遠藤も同じにしか見えなかった。この男はもともとは敵だったというのに、仲間を裏切って来た。所詮はその程度の男だと、そう思っていた。
だがそうではない。そうではなかったのだ。遠藤が裏切ったのは、それだけ自分に接触したかったから。こんな土壇場でもまだ自分の為に戦ってくれるだなんて、そんなものは嘘でも偽りでもなんでもないじゃないか。
「え……遠藤……あ、あたし……」
「言葉で……子供を納得させられるほど、僕は綺麗じゃない。だから……大人として、今の僕に出来る事は……」
自分の未来などいらない。ただ与えたかった。“彼女”に……そして、この子に。
闇を振り払い、魔の使徒となった遠藤が姿を見せる。男はその両腕に結晶の銃を持ち、ゆっくりと歩き出す。
「……っとに……あんたって、バカね……」
カードを引き抜いたJJが眉を潜める。流星の降り注ぐ空を背景に、かつて仲間同士であった二人は敵として再び対峙する……。
繰り出される精霊器の全てが勇者が所持する物よりもより純粋で研ぎ澄まされている。
真の意味で神として解き放たれた今のロギアにとってありとあらゆる事象は造作もなく思い通りになる。レイジはその恐るべき猛攻を前にしても尚、今だ健在であった。
まるで雪崩の様に飛来する武具の攻撃を片っ端から刀と足元の影から伸びる茨で打ち払う。逸らされた精霊器は背後にある結晶の森を吹き飛ばし、みるみる間に地形すら変わっていく。
「マスター!」
「下がってろアンヘル! 俺に近づくと危険だ! それよりも……オリヴィアを頼む!!」
楽しげに笑い、ロギアが軽く腕を振るうと大地から次々に槍がせり出してくる。それは一気にレイジを取り囲み、四方八方から貫かんと遅いかかった。
それらをレイジは影をマントのように纏ってすべて打ち払う。直後、自らの体を雷と変貌させ大地をかけ、瞬く間にロギアへと距離を詰めた。
繰り出す黒い斬撃をロギアの目の前に出現した盾が防ぐ。それでも盾を砕いて刃を振るうが、次々に壁が現れて攻撃が届かない。
「すさまじい力ですね救世主。しかし……忘れないで頂きたい。貴方のその力は、しょせん私の持つ権能のごく一部にすぎないという事を」
炎が、風が、目には見えないあらゆる暴力が同時にレイジを襲った。それらもすぐに逸らして受け流すが、突然頭上に出現した巨大な岩が、落下しながらあっという間に円錐に削られ襲いかかる。
「ふふふ……! 岩! 壁……! 槍、槍槍槍槍!」
言葉にするよりも早くあまた出現した壁がまたロギアを遠ざける。そして突然虚空から出現した槍の嵐をかわした先、ロギアが新たに召喚した天使達がレイジへ襲いかかる。、
「くそっ!!」
天使の胴体を刀で一刀両断にする瞬間、脳裏のアンヘルの姿が過る。操られたこの天使達も本来は意思を持つことができる平等な命。それを今は殺さねば生き残れない。
「吹き荒れる風の刃……せりあがる大地。降り注ぐ剣……ふふふ……ああ、自由です。こんなにも今、私は自由になっている……」
土煙を巻き上げ大地が持ち上がると同時、空中にまた出現した巨大な岩との間に挟まれる。そこへ次々に剣の弾丸が雨の様に降り注ぎ、逃れてきたレイジを天使が追撃する。
「想像が止まらない……ああ! やっと私は昔のように思い描くことができる! これこそが私の幸せ……私の武器! それにしても……本当に凄いですね、救世主?」
肩で息をしながらもレイジは未だ無傷。天変地異に等しい猛攻を受けても尚立ち向かう余力を残していた。
どれだけ攻撃しても天使をけしかけてもレイジはそれを乗り越えてくる。極限まで進化した彼の心願の力はいよいよ神とも抗するに値したのだ。
「普通ならあれで何百回も死んでいますよ? ああ……その精霊器、私が想像したものではないので能力はいまいちピンとこないのですが……本当によく練りこまれている」
「俺の剣はみんなの願いで作られている……当然だ」
「その中に貴方の願いはあるのですか?」
「ああ。俺の願いは……俺の、願いは……」
失った者を取り戻す事だった。しかし今はそれだけじゃない。
本当にこの世界にとって正しいのがなんなのか。この世界の幸せにつながる未来とはなんなのか。そこから目をそらしてはいけない。
「ふふ、まあ良いでしょう。その精霊器がどれだけ優秀であろうとも同じ事……。私が想像したものではなくとも、私が創造した事に間違いはありません」
神は自らが作り出した物以外に直接影響を及ぼすことはできない。しかしレイジ達勇者は皆現在の神であるロギアの分身として世界に誤認させることで召喚し、そしてロギアの分身として世界に願望を届ける形で精霊器を獲得している。
ならばその力は結果的にはロギアが創造したも同然。世界がそのように認識しているのなら、ロギアが直接介入する事も可能。
「私が作った物なら――別に、消してしまう事だって出来るんですよ?」
微笑と共に掌に作り出したのはたった今ロギアが創造した力。触れた物を全て存在ごと抹消する、消滅の力。
「見せてあげましょう。これが――“虚幻魔法”というものです」
放たれた白い閃光がレイジへ迫る。それを受け止めようとした茨が一瞬で分解され跡形もなく消え去っていく。
目を見開くレイジへ瞬く間もなく光は迫る。防御不能の必殺の一撃には爆ぜると同時に一瞬でレイジの姿を飲み込んで行った。




