虚ろなる者たち(1)
――女の人生は、取るに足らない塵芥に過ぎなかった。
嘗て、まだこの世が謎の理に満ち溢れていた時代。戦争の時代の真っただ中に彼女は産まれた。
小さな織物屋の娘としての人生は平凡で、当たり前に恵まれず、当たり前に虐げられ続けた。不思議に思う余地すらない日々。それが世の平穏だったから。
恵まれたごく一部の特権階級だけが知識を得て、そうでない大衆はただ無自覚に奪われ続ける。
平等に与えられる幸福などなかった。ただどこまでも続く代わり映えのしない争い、争い、争い……そんな最中で、少女は言葉に出会った。
文字。文章。それは読み書きのできなかった少女にとって何の価値も持たない模様に過ぎなかった。けれどそんな彼女に知識を与えた者がいた。
革命家の父親が連れてきた青年は少女に読み書きを伝えた。最初はさして興味もなかったその模様がやがて意味を成した時、少女の才覚は花開いた。
これまで誰にも伝える事のできなかった想像が。分かり合う事のできなかった感情が。まるで堰を切ったかのように溢れ出し、言葉と成す。少女はその時詩人となった。
金も名誉も欲さず、少女はただ創造を楽しんだ。無慈悲な世界の中で、何もかもを縛り付ける不自由の中で、ただ一つだけ自由なものがあった。それこそが想像。
少女は頭の中にたくさんの自由を思い描き、その中で物語を紡ぎ、想いを文字として表した。それを見て喜んでくれる人がいる。共感してくれる人がいる。それが少女の細やかな幸福だった。
やがて、その感動を多くの人に伝えようと読み書きを人々に施し。
思いのままに歌い。伝え。ただ自由に、何物にも囚われず、才能の翼を広げていった。
――その翼が摘み取られるまで、さほど年月は必要なかった。
少女は町はずれにある小さな塔の中に隔離された。それは牢獄。閉じ込められた少女は布きれ同然の服一枚だけを残し、他のあらゆる所有物を奪われた。
革命がはじまり、王は人々の自由を求める動きを制するため、あらゆる束縛を強いた。それは革命家の父親を持つ彼女も例外ではなかった。
美しく才能に満ち溢れた詩人。もしも世が世ならば偉人として名を遺したであろう逸材も、戦乱の狂気を前に枯れ行くのが運命。女はただ、冷たく暗い塔の中で死を待ち続けた。
誰かに思いを伝える事が、なぜいけないのか。自由を求める事の、どこがいけないのか。今となってはそんなことはどうでもいい。
何もない、たとえ裸に剥かれたとしたってかまわない。もうこれまでの人生でこの体も尊厳も傷だらけなのだから、どうということはない。
ただただ、死のその間際まで想像していたい。頭の中にはまだ自由があふれている。思いがあふれている。それを書き記し人に伝え聞かす事ができないのは確かに悔しいが、しかしそれだけの事。
そう、誰に評価される為でもなく。金の為でも、名誉の為でもなく。少女はただ、ありのままに想像していたいだけだったから。
やがて処刑の日が訪れた。
彼女が短い生涯を共にした本は、目の前で焼き払われた。
町中から集められた本が。国中から集められた夢が。ただただ燃え尽きて、まっくろになって、灰になって……。
風に乗って火の粉と共に空へ舞いあがるのを、女はさびしげに見つめていた。
少しだけ地面より高くなった絞首台の上に立ち。ただ粛々と恨みつらみだけが蔓延した世界の真ん中で。女はそれでも満足して。笑って。逝く……筈だったのに。
――世界が滅ぶ様を、繰り返し見つめ続けた。
大地が砕け、空は燃え上がり、命のすべてが滅び行く世界の終焉を前に、女は無力だった。
あのまま死ねていたのなら、きっとどんなに良かっただろう。あのままただ、すべてを失って……。一人ぼっちの孤独の中で、それでも想像を愛して死ねたなら。
今はもう、夢を見られない。目を閉じてもただ全身を苛む苦痛が響き渡る。ただただ繰り返される絶叫と絶望の中、女はそれでも抗い続けた。
世界は自らの意思で死んでいく。この世界は不完全な永遠に囚われている。何も変わらず、何も望まない。だからこそ平穏であり、同じ毎日が繰り返される。
誰もが笑って幸福で、誰もが許されて争わない世界。そんなものがただの間違いでしかないって事に、“この世界を作ったバカ”が気づいていたのならよかったのに。
死んだと思って目を覚ました女は、しかしまったく異なる世界にて第二の人生を与えられた。ひとつ誤算があったとすれば、それは人としてではなく、神としての人生であった事。
世界はその生誕の為、上位世界より依代を欲する。その依代である“神”には、二つの条件があった。
ひとつは、“高い想像力”を持っている事。
そしてもうひとつは……“自分が生まれ育った上位世界を、変えたいと願っていた事”――。
世界を変えたいと願った事などないと思っていた。しかしそれでも心根の奥底で、女は叫んでいたのだ。
世界よ変われと。ありのままの人の自由よあれと。だからこそ己の願いのままに召喚を受けた。そしてその瞬間、女は神となり、この異世界に拘束される囚人となった。
女はまず、自由になるためにこの世界が何を望んでいるのかを検証した。ただ時の流れに身を任せこの世界を練り歩いた。
その中で、この異世界に生きる者たちが自分を神と呼び、絶対の信仰を貫いている事を知り。そして魔物という脅威にさらされている事を知った。
彼らを救う事こそが神として自分に与えられた役割だと思った。だから人々を守るために天使を作り、魔物の侵入を防ぐアークという場所を作った。
天使を率いて魔物に立ち向かった。だがそれでは世界を守れなかった。魔物の数は膨大で、その力は絶大。ある時を境にこの世界は滅びる運命にあった。
何度かそれを繰り返し、滅びの時を知った女は魔物そのものを改ざんすることを考えた。だがそれはできなかった。
神としての権能は“新たな理を生み出す”力に過ぎない。“この世界に元々存在しているもの”を自在に改ざんすることはできなかったのだ。
もちろん、新たに生み出した力ですでにこの世界にあるものに影響することはできる。だからアークには魔物が近寄れないという理を付与できたし、アーティファクトの力は魔物にも通用した。
根本的にこれまでの世界の成り立ちを変えることができなかった女は、やはりこの世界に今、もともと存在している要素だけで困難を乗り切ろうと考えた。
神は人の王たちに共に戦う事を説いた。だが王は立ち上がらなかった。なぜならば彼らは争いを知らなかったから。
彼らにとってこの世界は無限に続く平穏。絶対的永遠。そういう風に作られているのに、何かに抗おうなど思えるはずがなかったのだ。
女は知っていた。無知な者たちは、知識を与えられず感情を与えられず経験を剥奪された者たちは、ただ生きることを繰り返すことしかできない。自分の世界でもそうだったのだから、この世界では違うなんて理もないだろう。
人は頼れない。それでも神は世界に抗い続けた。何度も、何度も、何度も、何度も……。
繰り返し繰り返し滅びゆく世界。世界のすべてが魔物の力に滅ぼされる間際、世界は時を巻き戻す。
魔物とは、この世界が持つ死亡願望が作り出す闇。時の巻き戻りは、この世界が滅びを拒む足掻きの光。
滅びかけては繰り返し、またすべての努力が泡沫と消えた歴史をやり直す。その終わらない悪夢が女の心を削り、抉り、微塵に砕いて行った。
何故、こんなことになってしまったのだろう?
女は一人孤独に考え続けた。なぜ? なぜ? なぜ? そんなものは決まっている。決まっているじゃないか。
私は呪われているから。前の人生でも、ここでもそう。すべてが呪われている。この世界は呪いそのものだ。
この世界の歪みの根源は女が生み出したものではない。この世界を“最初に”作った者の過ちだ。
世界は生誕の為に依代を求める。だがその創造がなされた時世界は神を解放する。そして神の支配下から逃れた世界は、自由な歴史を刻み始める。
この世界を本当に創造した者はとっくにいなくなっていた。ここは神なき世界。女の暮らした上位世界がそうであったように、すでに人の歴史が流れるべきだったのだ。
それなのに人間はいつまでたっても何もしようとしなかった。当たり前の事だ。この世界の時間は止まっている。この世界は何もかもが永遠で、幸福で満たされているから。
ただ同じことが一日単位で繰り返されるだけの笑顔溢れる楽園。この世界を作った神様にとっての理想郷――。だがそれは、神にとっての完成形でしかない。
世界は違った。神がいなくなった後は自分だけの“世界”が動き出さなければならない。神の手を離れた人々が、自分たちの手で歴史を刻まねばならない。
世界の始まりの願望、“誕生”は満たされた。だがその後に当たり前に続くべきもう一つの願望、“進化”が満たされていないから、第二の神として女が召喚されたのだ。
この不出来で醜い理想郷をどうにか片づけるために、その尻拭いの為だけに、女はこの世界に囚われ続けなければならなかった。
何も進まない、変化もなくただ繰り返すだけのこの世界を変えたくて、進化を促したくて、世界はどう干渉すべきかわからないから、悪意なくこの世界を殺す。
自らの意思で、その願望を叶えたいが為に殺す。死を願う。赤ん坊が泣きわめくのと同じように。願いを成就させる為に、その解決策でもなんでもなく、殺すという手段を採用する。
だからこの世界は死に続け、しかし死を望まぬが故にゼロに戻す。この世界が満足する“進化”が生まれるまで。繰り返し、繰り返し、繰り返し……。
「誰か、助けて……」
もう、本当に何もかもが嫌になってしまったから。
膝を抱え、目と耳を塞ぎ、人々が死んでいく悲鳴を遠ざけながら女は何度かの繰り返しを過ごした。
何年? 何十年? 何百年? 何千年? 何万年?
「嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……っ」
死ぬのを見るのはもう嫌だ。
目の前で何もかもが台無しになるなんてもう嫌だ。
もう何もなくていい。このままずっと捕えられたままだっていい。
だから何もしたくない。どんなに努力しても死んでしまう。何もかも終わってしまうなんて、そんなひどい話があって堪るか。
「助けて……誰でもいい……私を……私を……助けて……」
ただ、自分が救われたい。一心不乱にそう願った。
もうほかの誰が、ほかの何がどうなったってかまわない。自分さえ救われればいい。それだけでいい。
多くは望まない。もうこんな世界どうなったっていい。滅べ。死ねばいい。死に続けろ。いつまでも永遠に狂っていればいい。
だからせめて自分だけは――救われたい。楽になりたい。もう、どうにかして死んでしまいたかったから。
藁にも縋るような思いで女は作り出した。自分の代わりに新しい神を上位世界から召喚するためのシステムを。
一つの世界に神は一人だけ。同時に二人は存在できなかった。だから、世界を欺かなければならなかった。
だから、自分はここにいるままで。自分と同じ物を再召喚しているように誤認させる必要があった。
まずは世界を欺くための力を創造し。試行錯誤の果てに女は生み出した。上位世界から神をサーチし召喚するシステムを。
神の条件は二つ。高い想像力を持ち。そして今自分が生きている世界を変えたいと願う者。
自分と同じ条件。きっと時代は違ったとしても自分と同じ思いを抱く人を呼び出せる。そいつを呼び出し、あわよくば自分の代わりに神と認識させ、自分は死ぬなり逃げだすなりすればいい。
計画は完璧――その筈だった。
「……あれぇ? どこ、ここ? 確かにフルダイブ装置の研究はしてたけど……夢? それともゲーム?」
アホ面のスーツ姿の男は目を真ん丸くして立っていた。それが女と黒須惣助の出会いであった。
「ふんふん、なるほどなるほど……。ここは異世界で、君は泡よくば僕を人柱にして逃げようとしていたわけだねぇ」
「怒らないのですか? 私は貴方を犠牲にしようとしていたというのに」
「それ最初に正直に話すって事は、君は相当お人よしですよねぇ! まあそれはともかく、うん、実に面白い!」
女が唖然とするくらい、男は明るくて前向きだった。
こんな風にしたらどうか。抜け道はどこにあるのか。どうすれば良いのか。男は一晩中どころか何日も何日も女に語りかけた。
一人で膝を抱えていた何もない世界が色づいていくのを感じた。ただ座って男の笑顔を見ているだけで、いつの間にか涙が溢れた。
「うん? 僕の話、そんなに感動的だったかなぁ? それより君、名前はないのかい?」
「名前……名前……。おかしなものですね。確かにあったはずなのに……もう思い出せない」
人の精神では耐え切れないほどの時が流れたのだ。その本流の中にほとんどのものを取りこぼしてしまった。
うつむく女の前で黒須は腕を組み考える。そうして指を立てて笑った。
「では、君は今日からロギアとしよう。この世界の神、ゲームマスターのロギアだよ」
独りぼっちの戦いが終わった。
男は笑顔を向け、明るい未来を語りかけてくれる。可能性を囁いてくれる。
黒須惣助とロギアの共犯関係は、きっと上位世界の歴史からみれば凶悪なものだっただろう。
けれどもただこの世界で絶望の底を這いずっていた女にとって、こんなに幸せなことはなかったから。
涙を拭いて久しぶりに浮かべた笑顔が、少しずつ、乾ききった胸の奥に心をしみこませて行くようだった。
「あきらめなくてよかった。クロス……貴方に出会えたから……」
「僕もあきらめなくてよかった。僕の夢は……ロギア。きっと君と出会う事で、ようやく叶うから。僕たちは一心同体。運命を君と共にすると、僕はここに誓おう」
黒須が調子のいいことを言っても。この男が所詮幼稚な夢の中に生きる、野望の為に自分を利用する悪人だったとしても。
それでも構わなかった。差しのべられた手に触れた時、確かに指先から感情が溢れ、もう一度想像する幸せを思い出せたから。
二人の罪人は、そこから幾度となく命を奪い、自らの願いの為にあらゆる尊厳を踏み砕いていく。
許されない事だ。誰もきっと許さない事だ。それでも己の願いを、願望を、奇跡を得んと欲するのならば――きっと。
何かを犠牲にするほかにない。どの世界の理も同じ。同じように、紡がれていたのだから。
「私はこの世界を救い……この世界の呪縛から逃れる為に。自らが自由になる為だけに生き永らえてきました」
まどろみの塔を覆う分厚い雲に紛れ、パンデモニウムは今まさに決戦の時を迎えている。
「そして今、約束の時が来た。この世界は間もなく自死の時を迎えるでしょう。クロスと共に築いた第三の歴史、その是非が問われる」
「この世界が“楽園”だから……世界が死を望んでいる? だから私たちは……世界に殺される運命だというのですか……?」
呆然と呟いたオリヴィア。がくりと肩を落とし、そして強く拳を握りしめた。
「私達が失敗作だから……。この世界を満足させてあげられないから……だから、世界が滅びを望む。私たちは……だったら、そうならば、私たちは……っ」
「オリヴィア……」
「人が……当たり前に生きていて……! 人が! 当たり前に幸福であり! 当たり前に明日が続くと信じて! そうやって生きていく事の何が間違いだというのですか!? 人と人とが憎み合い、傷つけ合って殺し合って! 理不尽な悲劇が繰り返されてっ!! そんな世界のどこが正しいというのですか!? この世界は……私たちは間違いなんかじゃない! 間違っているのはあなたの方です! 間違っているのは――この世界の方ですッ!!」
俯いたまま絞り出すオリヴィアの叫びが空虚に響き渡る。悲痛な表情を浮かべるレイジ、戸惑うアンヘル、その中でただ一人ロギアだけは薄らと笑みを浮かべていた。
「認めない……私は絶対に認めない! この世界の願いも! あなた達の暮らす上位世界も! この世界に生きる命は間違ってなんかいない! 誰もが傷つかず誰もが争わず、誰もがただ平穏に暮らすことができる世界! この世界を本当に作り出してくださった神様の願いは、絶対に美しく尊いものだったっ!!」
空を見上げ、少女は叫んだ。目を見開き、怒りと嘆きを露わに。これまでに貯めこんだすべての感情を爆発させるように。
「――“世界”よ! どうか聞き届けて欲しい! この世界は失敗作などではなく! 純粋な祈りと願いによって満ち満ちた理想郷なのだと! たとえその理想が空虚なものであったとしても! 虚ろ夢の果てだとしても! それでも私は、この世界を肯定する!!」
「オリ……ヴィア?」
「私が変える……変えて見せます。どうして私が生まれたのか、どうして私がここにいるのか。どうして……レイジ様、貴方様と出会えたのか。私、やっとわかりました。わかったんです」
振り返ったオリヴィアはレイジに笑いかけ、そして腰から下げた剣に手をかける。
「待っているだけじゃだめだって。従っているだけじゃだめだって。考えて、動いて、願って祈って勝ち取って。人の願望はどんな手を使ってでも成し遂げなければならない。奇跡は待つものなんかじゃない。自らの手で――引き起こすものだって」
すらりと抜かれた刃が神へと突きつけられる。その瞬間、びしりと音を立て。神の肢体をこの世界につなぐ鎖に亀裂が走った。
「私は願い、祈り、そして奇跡を起こす。この世界の正しさを証明する為に。憎み合う世界ではなく、永遠の楽園こそあるべきなのだと示す為に。ロギア……偽りの神よ。私は貴方を殺します。この世界に生きる、人の意思の代表として」
「私を殺して何とするのです? この世界に作られ、見捨てられた存在である貴女が。私が死んでも世界は変わりませんよ?」
「変わりますよ。貴方ではなく、私が神になれば」
またひとつ、鎖に衝撃が走る。ロギアは嬉しそうに目を細め、壊れかけた鎖に目を落とす。
「オ、オリヴィア? 君が神になるって……そんな……」
「上位世界の存在ではなく、この世界の存在に過ぎない私には不可能かもしれません。でもそんなことは、やってみなければわからない」
砕けた鎖の破片が大地にこぼれ落ち、光の粒となって消えていく。
「申し訳ありません、レイジ様。それでも私は、神になりたい。私はレイジ様ではなく、私を神にしたいから」
「そんな……オリヴィア……」
オリヴィアは従順で、いつでもレイジの味方だった。その道がわずかにでも違えられる事など今後一切ないだろうと確信していた。
けれどそれはレイジの都合のいい幻想だった。オリヴィアは人間だ。上位世界の人間以上に、感情を理解した人間だ。
だからこそ彼女はこれまで数多の思いを抱え、しかし神に対する服従心からそれを解き放てずにいたというだけの事。
神を憎み、神に正義はないと知り、あらゆる願望をかなえるためにその手を汚すことを決意した今のオリヴィアをレイジが説き伏せることはできない。
この瞬間二人の袂は分かたれたのだ。同じ神を目指す、しかし別々の結末を望む者として。
「俺が神になれば、この世界だって……」
「レイジ様は……ミサキ様の事が愛しいのですよね」
突然の言葉に目を見開くレイジ。オリヴィアは神に刃を向けたまま、さびしげに笑みを浮かべ。
「わかっていました。この世界はレイジ様にとって、やり直しの手段に過ぎないのだと。レイジ様の愛情も、願いも、すべては過去を清算するためのもの。決してこの世界の未来の為ではなかった」
「それ……は……」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい、レイジ。それでも私はあなたにひどいことを言わなければならない。この世界のすべての命を担う、王として……」
瞳いっぱいに涙をためて。自分でもこの結末だけは避けたかったと。どうにかこれだけは、嘘として隠し通したままでいたかったと。
願っても願っても、それは叶わない夢だから。人がかなえられる願いはたった一つだけ。それをかなえる為に、他の願いは犠牲にしなければならない。
一つだけしかその座がないのなら。ほかの誰かを蹴落とさねばならないのなら。何かを得る為に何かを捨てなければならないのなら。
どんなに大切な人だとしても。心から愛した人だとしても。あらゆる幸福な思い出を、何もかもかなぐり捨てたとしても。“それでも”。
「私は、あなたを神として認める事は出来ない。レイジ……あなたは、この世界の未来を作れないから」
音を立て、ロギアの鎖が砕け散った。
「私は……あなたの子供が欲しかった。あなたとセックスがしたかった。だってそうでしょう? それはこの世界の存続の為に必要な事だから。でもあなたは……この世界に未来を与えようとはしなかった」
「あ……」
「あなたは未来を作れない。だから私は王として、この世界に最後に残された人の王として……この願いだけは、叶えてみせる」
鋭くロギアを射抜く視線。もはやそこにいるのは幼く未熟な姫君ではなく。この世界の五つの大陸の中に残された、たった一つの人の王国の覇者。
女王オリヴィア・ハイデルトーク。身体的にも精神的にも成長した少女は、己の意思で世界に反旗を翻す。
「証明して見せます。今、この場で」
完全に砕け散った神の鎖が光の粒となって空に舞い上がる。
神は額に手を当て、狂ったように歪んだ笑みを浮かべていた。




