表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【虚ろなる者たち】
93/123

決戦(3)

「隣、いいか?」


 パンデモニウムの庭園から雲の流れを見ていたイオに声をかけたのは東雲だった。スーツ姿の女を一瞥するイオ。女は返事を待たずにイオの隣に腰を下ろした。


「黒須と氷室が言っていたよ。このゲームもそろそろ終わりだそうだ」

「……らしいね」

「ゲームが終わればバウンサーの仕事も終わる。イオ、君はこれからどうするのか考えているのか?」


 いきなり繰り出された悩みの核心に思わず息をのむ。口を紡いだままのイオの様子を視線だけで確認し、東雲は空を見上げる。


「私は報酬を受け取ったら現実世界でやり直してみるつもりだ。まあ私はどうしようもないクズだからな。またこのゲームを始める前に逆戻りする可能性もあるがね」

「東雲は……どうしてバウンサーになったの?」


 女は表情に現さなかったが、その質問には僅かな驚きがあった。これまでイオが他人の事情に触れる事などなかったからだ。

 バウンサー達の間には、お互いの過去や事情には触れないという暗黙の掟があった。当然の事だ。好き好んで人殺しの道を選んだような者達なのだから、その内面など悉くろくなものではない。過去など、想いなど知ったところでただ虚しくなるだけだ。


「私がバウンサーになったのは、金の為だ」

「金って……そんな安直な理由?」

「ああ。人は金が無ければ生きていけない。私にはどうしても大金が必要だった。だがその目標額は私のような人間では真っ当に働いた所で手は届かなかった。だから法外な方法で金を強引に稼ぎ出す必要性があったんだ」


 語りながら笑みを浮かべる東雲。その優しい視線の先、イオの不安げな眼差しが震えていた。少女の中にあった自信や強さは所詮子供の無鉄砲さから来る物。イオはこれまでの戦いの中で感じて、考えて、自分の中にある脆さに気づいていた。だからこそ迷い、一人では出せない答えに苦しみ、そして誰かの言葉が欲しくなったのだ。


「成長したな、イオ」

「……は? 急に意味わかんねぇこと言うなよ」

「バウンサーの仕事は楽しいか?」

「よくわかんねぇ。正直楽しいっていうか……どうなんだろ。仕事、だとは思ってなかったし。ただあたしは……嫌な事を考えずに居たかっただけなんだ」

「ここもまた一つの現実。そう甘くもなかろう。バウンサーという役割は、間違いなくクズのやる事だ。だからこそこの役割に甘んじている者達には明確な理由がある。人は命をつなぐために、尊厳を守る為に働く。金を稼ぎ、メシを食い、眠る為にな。私たちの行いはクズ以外の何物でもない。だがそれを否定する事は、私には出来ない」


 氷室のように夢や情熱を持ってこの仕事をしている者もいれば、ハイネのようにただ憎しみや衝動だけに従っているだけの人間もいる。カイザーの事は正直よくわからなかったが、あれも同じような物だろう。イオは現実から逃れる為。東雲は金の為。


「そして遠藤は、きっと君の為に戦っている」


 胸ポケットから煙草を取り出し火をつける。そうして煙をイオにかけないように真上に吹き出すと、女はゆっくりと立ち上がった。


「自分の為に何かをしてくれる人がいる。自分を愛してくれる人がいる。それは決して当然の事ではないよ。きっととても幸運な事で……とても満たされた事で。もしも誰もがその幸福さに気づき、愛を返す事が出来るのなら、世界はきっともっと美しかったろう」


 人は皆祝福されて生まれてくるという。だがそれをイオは信じられなかった。

 子供なんてものは、結局は性行為の結果生まれてくるのだ。淫らで汚らわしく無責任な大人たちが、お遊びの間違いで作ってしまったもの。自分の事をそうとらえていた少女にとって、愛や幸福といった言葉は胡散臭さしか感じられないものだった。

 だが本当に自分の人生に愛がなかったのかと問いかければ、今は少しだけ違う答えを出す事が出来る気がしていた。確かに自分の人生は望まれないものだったかもしれない。何故生まれて来たのかなんてわからない。それでもそんな自分に手を差し伸べてくれていた人は確かに居た筈だから。


「あの遠藤っておっさんは……あたしの為に仲間を裏切ってバウンサーになってくれた。ううん……違う。あたしのせいで、裏切らなきゃならなかったんだ。そんな事頼んでもいねぇのにさ……勝手にされたって、そんなの、困るよ……」

「そうだな。ある意味脅迫だ。ずるい大人のやり口だな。だが、彼はそれを通す為に、間違いだと自覚して過ちを選択し、前に進んだ。それもまた大人の決断ではないだろうか」


 何が正しく、何が間違いなのか。そんな判断基準で生きていくだけなら簡単だ。

 本当に勇気が必要なのは、間違いだと思う事を自覚しながらそれでも踏み込む事。自分自身の中の正義と、世の中の正義。二つに折り合いをつけ、ベストな選択をする事だ。


「君には数多の選択肢がある。遠藤のやることなど無視したって構わない。けれども君の中にある正義が、正しい選択をしてほしいと叫ぶ心が選択を必要としているのなら、君はきっとそれに応えなければならないんだ。なぜならば君は、君の人生を……君の心の面倒を見る義務があるから」


 そこまで言って女は振り返った。そしてイオの頭を軽く撫でて立ち去っていく。東雲はいつもこうだ。思えばいつもこうやって一方的に語り掛けて、勝手にどこかに行ってしまう。


「……東雲!」


 立ち去る背中に声をかけた。立ち上がったイオは少し迷い。


「あたしは……この世界に来て良かったのかな?」


 自らに問いかけるような言葉に女は背を向けたまま軽く手を振り去っていく。風が吹く結晶の庭園の中、少女は何かを覚悟するように拳を握り締め、空を見上げた。




「ミユキ」


 作戦会議は終わった。次に勇者たちが異世界からログインする時が決戦になるだろう。それまでの間、ザナドゥの世界に残ったミユキに出来る事は、いつになるか分からない作戦開始時刻に備え、パンデモニウムの真下にあるアーク、まどろみの塔に向かう事であった。

 出発の準備を進めていたミユキに声をかけたのはレイジであった。今回の作戦、能力を封じられたレイジは参加しない約束だったが、ミユキは知っていた。というか恐らくは、きっと皆が知っていたのだ。こいつは放っておいたら無理にでもついてくると。だからこそ、JJはミユキに念を押したのだ。


「パンデモニウムには連れて行きませんよ?」

「うぐっ、ま、まだ何も言ってないだろ?」

「そうですね。パンデモニウムに連れてく以外の要件なら聞きますけど」


 寝具や食料をまとめた鞄を手に取り、肩にかける。振り返れば困ったような表情のレイジが立っていて、それがおかしくてつい笑ってしまう。


「まどろみの塔を起動させ、正式な手順でパンデモニウムに乗り込むのならともかく、私たちは不正な手段であの城へ突入しますからね。私が氷の階段を作らない限りレイジさんがパンデモニウムに到達する事は不可能です」

「だからこうして頼もうとしてるんじゃないか……」

「無駄ですよ。今のレイジさんに何が出来るんですか? 私を籠絡させようなんて百年早いですよ、まったく」


 こうして振り回されている時、レイジは本当に年相応の少年だった。言い訳を必死に考えるレイジの顔を見つめ、ミユキは寂しげに笑う。自分は、自分たちは、この少年にどれだけの物を背負わせているのだろうか。


「レイジさん」

「……何? 連れてってくれる気になった……の?」


 無言で歩み寄ったミユキの顔が目の前にあり、レイジは言葉を窄ませる。お互いの瞳の中、それぞれの眼差しがあった。ミユキ冷たくしなやかな指がレイジの頬に触れる。少女の表情にはこれまでとは違う確かな覚悟があった。


「レイジさんは言いましたね。皆を守りたいと。私を守りたいと。これまでに失った者を取り戻し、誰もが幸福になる結末を目指すと」


 その為に背負い続け、傷つき続け、心を壊し、少しずつ別人になっていくレイジ。その背中を見つめる時の苛立ちや恐怖の正体から、少女は目を逸らさないと決めた。


「私も同じです。レイジさん、私も――あなたを守りたい。自分の気持ちを誤魔化してイライラするのはもうやめようと思ったんです。私はあなたを守りたいんです」

「……ミユキ」

「私は……姉さんを守れなかった。ただ傷つけただけで、あの人の気持ちをわかろうとしなかった。私は……強くある事を、一人で生きていく事こそを立派なのだと思い込んでいました。だけどそうじゃなかった。それは寂しさや苦しさを誤魔化す為の言い訳に過ぎなかった。本当の私は、私の気持ちは別の所にあって……だからその乖離にいつも胸が痛かった。本当は……姉さんに……ただ、あの人に……もう一度会いたかっただけなのに」


 レイジは黙って話を聞いていた。まるで告白のようだと、するべき相手も間違えたままミユキは自嘲する。だがきっとこれでいいのだ。この人はそういう人だ。他人の家の事情にだって平然と首を突っ込んで、まるで自分の事の様に考えてしまう。お人好しで、愚か者で……大切な姉によく似た人だから。


「魔王は私が倒します。その為にこれまで鍛え続けて来たんです」

「でも、それは……相手はミサキと同じ顔をしているんだよ? それに……」


 レイジだけが知っている。彼女の中には僅かながらでもミサキとしての心が残っていた事を。それを伝える事をしなかったのは自分の責任だ。

 レイジが何を迷っているのか、ミユキにはわからなかった。だがそんな事はもうどうでもよかったのだ。自分が成すべきことを決めたから。もう、迷ったりしない。


「姉さんと同じだからこそ、私が倒したいんです。投げやりになっているわけでも、思いつめているわけでもありません。ちゃんと考えました。考えて、私なりに出した結論です。レイジさんに何を言われても曲げるつもりはありません」

「……そっか。確かにミユキは昔から言い出したら聞かない子だったからね」


 思わず息を呑む。その“昔”はいつの話なのか。レイジの口から出るべきではない言葉に胸がしくりと傷んだ。レイジはおかしくなり始めている。他人まで抱え込む彼の優しさが、彼自身を蝕んでいく。


「……時間がない」


 ぽつりとつぶやいた言葉はレイジには聞こえなかった。僅かに俯いた顔を上げ、少女は真っ直ぐに少年を見つめる。


「魔王は倒します。JJに相談して、新しい能力も目途がついてますから。誰よりこの世界で長く時を過ごした私が最強でない筈がありません。だから……レイジさんは待っていてください。私が……その、帰ってくるのを……」


 段々と小さくなっていく声を自覚していたのに、レイジが優しく笑って頭を撫でてくるから余計に俯いてしまう。少し顔をあげて――まずいと思った。こんなに他人に優しい顔が出来る人を少女は他に一人しか知らない。血のつながりがあるからこその愛情なのに、なんの関係もない人にそんな顔をされたら、そんなものは恋に決まっているから。

 母親が余所に男を作って出て行った。だから男にかまける女なんて下劣でいやらしい物だとしか思わなかった。だからこれまでも男は嫌いだったし、友達になる事すら拒絶してきた。

 けれど、レイジは違う。彼は本当に一生懸命で、一図で……放っておけないと思った。姉と同じだから? それもある。姉の面影があるから? ……それもある。けれどきっと違う。それだけだとは思えない。


「ありがとう、ミユキ」


 わからない。人を愛する気持ちなんて知らなかったから。これが恋なのか、それともただ胸の痛みからくる錯覚なのか、判断する事は出来ない。姉を求める郷愁から来る切なさが見せた幻なのかもしれない。実際彼の笑顔は、言葉は、姉と同じだったから。


「ミユキの決意は尊重されるべきだと思う。それでも俺はやっぱり君に戦ってほしくない。勿論そんなのは全部俺のわがままだってわかってるけど……」

「いいんです、もうあきらめましたから。ただ、レイジさんも諦めてください。私達は所詮平行線で、決して交わる事はないと」


 そう。だから全てを一度清算しなければならないのだ。

 ごちゃごちゃになった気持ちも。迷いも。この戦いで全て終わりにしよう。そうやって初めて、自分は一人の人間として……。ミサキの妹としてではなく、篠原深雪として彼と接する事が出来ると、そう思うから。今は、色恋にかまけている場合じゃない。


「レイジさんは連れて行きません。そして私は勝ちます。どんなに相手が強くても……たとえ姉の姿をしていても。勝利し、そして……全てをゼロに」

「……どうしても、だめかな?」

「だめです。そんな顔してもだめなものはだめです」

「……お願いしても? 土下座するよ?」

「しなくていいです。してもだめです」

「じゃあどうしたらいいんだ!?」

「どうしたってだめです」


 頭を抱えて悩むレイジ。口元に手を当てその様子に笑っていると、レイジは思い出したようにミユキに目を向ける。


「ミユキ、そんな風に笑うようになったんだな」

「え?」

「初めて会った時、君に笑顔はなかった。これまでもずっとそうだ。君が笑ってくれない事が、俺の中でどこかに引っかかっていて、本当はずっと悔しかった」


 ぽりぽりと頬を掻き、それから気を取り直したかのように笑い。


「わかったよ。でも、俺は諦めないからね! ミユキがダメだっていうならアンヘルに頼むからいいよ。君がどうしたって自由だけど、俺がどうするのかも自由なんだから、それは譲らないからね!」


 びしりと指差して少年は去っていく。呆れたようにその背中を見送っていたミユキだが、レイジは慌てて駆け戻ってくると。


「まどろみの塔に出発するのはちょっと待ってて! 俺のパンデモニウム突入の算段がついたら一緒に行こう!」

「なんでそんな事宣言されて待たなきゃいけないんですか。バカなんですか?」

 つっこみにも反応せず走り去るレイジ。なんというか、あの手の付けようのない突っ走りっぷりも今更と言えばそれまでだ。少女は諦めたように目を伏せ、小さく息を吸う。呼吸を整え、動悸を抑え、肺に冷たい感触をしみこませていく。

「守って見せる……今度こそ」


 覚悟はまるで冷たいナイフのようだと思う。それは鋭ければ鋭い程、冷たければ冷たい程いい。痛みも感じない程に研ぎ澄ましてしまえば、きっと自分の肉体を万全に動かせるはずだから。

 迷いはただ足を鈍らせるだけだ。ただやるべきことだけを見つめ、切り替えろ。覚悟と決意が誰よりも優れているのなら、限界なんて言葉は意味を失う筈だから。

 夜空の向こうに浮かぶ城を見上げ、少女は風に髪を靡かせる。何かが終わるその瞬間に想いを馳せながら、冷たいハートで足音を刻んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なつかしいやつです。
などぅアンケート
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ