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XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【虚ろなる者たち】
92/123

決戦(2)

「――ぬぅんッ!!」


 短い雄叫びと共に振り下ろされた拳がレイジの腕と腕とを繋ぐ鎖に打ち付けられた。その刹那、緑色の魔力光がほとばしり、衝撃が空間に炸裂する。大地が砕け、着弾点を中心に広がる亀裂は荒ぶる竜の様に轟き、捲れ上がった地盤の振動でレイジは思わず尻餅をついた。


「うーん……カイゼルでもダメか。これはもう物理破壊は不可能と見るべきね」

「だから最初から言ってるだろ! 破壊は無理だって! そんな風にロギアが作るわけないじゃないか!」


 生まれたての子羊のように足腰をガクガクさせながら絶叫するレイジ。オルヴェンブルム城下町の外に広がる平原の一部、満足のいかない実験結果にJJはため息を零した。

 レイジの能力を封じる神の鎖。これを力技で解決する事が出来る者がいるとすれば、それは勇者の中で最強の物理破壊力を持つカイゼルを置いて他にいない……その理屈は一応レイジも理解している。だがその可能性を検証する為だけに精霊の加護も得ない生身の身体でカイゼルの拳を受けるのはかなり勇気のいる選択であった。尤も、選択を下したのはレイジではなかったし、それを承諾した覚えもなかったが。


「いやー、すまんすまん! だがこれでもかなり狙いは正確に絞った筈だからな。ピンポイントに火力を集中させるのは、俺のアーケロンの得意分野だからな」


 がしゃりと音を立て、腕から肩を覆う盾の精霊器を見せつけるカイゼル。単純物理攻撃力と防御能力において最強無比な力を持つアーケロンは、その盾の内側に強烈な威力を誇る杭を有している。ありったけの魔力をチャージして打ち込むその杭の一撃はこの世界に存在するあらゆる物理攻撃の中で間違いなく最強だ。


「問題はこいつを打ち出すのに隙だらけだって事だな」

「でもレイジが吹っ飛びもしなかったって事は、多分その鎖は勇者の力を吸収か無効化しているのね。でなかったらどんなに威力を絞ったってレイジはぶっ飛んでる筈だもの」

「俺多分こっちの世界で死んだらもうアウトなのに……ひどいよJJ」

「ちゃんとワタヌキの肉まんで強化して私のカード体に張り付けた上でミユキの空間停止で身体覆ってたんだから、対策はしてあったでしょ?」


 深々と溜息を零しレイジは鎖を見やる。やはりこれは神にしか解除できないのだろう。そんな事はわかり切っていたのだが、これで一つはっきりしてしまった。


「魔王との決戦、レイジは使えないわね」


 仲間たちの中にJJの呟きが静かに響き渡る。それはある者にとっては望ましく、そして多くの者にとっては残念な結論であった。


「仕方ないさ。元々レイジ君一人に頼ってどうにかなる事でもなかったはずだよ。僕達で力を合わせて魔王を倒そう」


 仲間に声をかけるケイオス。カイゼルは腕を組み頷き、ファングが落ち込んだレイジの肩を叩く。


「すみません……皆さんを巻き込んでおいて、こんな事になってしまって……」

「……勘違いするんじゃねぇよ。俺達は俺達の意志でここにいる。お前に頼まれたからだけじゃねぇ。お前がこれまでしてきた事は知っている。誰もお前を攻めたりしねぇよ」


 もうここまで残った仲間たちの覚悟は堅かった。あれだけ数多く存在した勇者たちが、異世界から召喚された者たちが、残されたのは僅か数名。死と隣り合わせのもう一つの現実世界に留まり、戦う事を選択した者達。彼らこそ、本当の意味での勇者と言えるだろう。


「スゴイ音がしてたけど、レイジ君は無事かしら?」

「お、一応は生きてるみたいだね。尤も、鎖も無事のようだがね」


 遅れてやってきたのはクピドとタカネの二人だ。実験結果は見ての通り。クピドは肩を竦める。


「ま、仕方ないわねぇ。残された手だけで魔王を倒す方法を考えましょう」

「といっても、結局魔王との戦いに参加してくれそうなのはここの面子だけだけどな。一応あちこちに声をかけてはみたが……当然と言えば当然だね。命懸けなんだから」


 クピドとタカネはこれまでばらばらになった勇者連盟を何とか取りまとめようと奔走してきた。だがその努力も実る事はなく今日の日を迎えてしまった。

 そう、結局戦える者はここにいるだけ。勇者連盟の長であるカイゼル、そして彼が率いるケイオス、ファング、タカネ、クピド。戦力として数えられないが、ワタヌキも参加はしている。そしてクィリアダリアの勇者からミユキとJJ、そしてNPCからオリヴィアとクィリアダリア軍、そして天使のアンヘル。


「残念だけどこれ以上の戦力増加は見込めないわ。ならそれはそれで策を巡らせるだけ……。この面子だけで魔王を倒し、ミユキとレイジをこの世界から解き放つわよ」


「あの、JJ様? 一つ困ったことがあるのですが……」


 首を傾げるJJ。オリヴィアは真顔で歩み寄り。


「魔王を倒したら、皆さんはこの世界からいなくなってしまうのですよね? そしたら私とレイジ様のセックスはどうなってしまうのでしょうか?」


 JJの目は死んでいた。そして場は凍り付いていた。唯一クピドだけが何かがツボったらしく腹を抱えて笑っていたが、オリヴィアは構わずに続ける。


「魔王を倒す事が皆さんとの別れの時だとしたら、私はまだ、その……いえ、わかってはいるんです。理解しています。そんな日がいつかは来ると、そのつもりで今日まで過ごしてきました。ですがその前に……せめてレイジ様の子を授かりたいのです!」

「いいじゃないレイジ君、据え膳食わぬは何とやらって言うし。私達と違って時間はたっぷりあるんだから、お城で一発ドカンとヤっちゃえば?」

「クピドさん、流石に怒りますよ」

「あら、冗談じゃないわよ? 女の子にとっては大事な事なんだから。もしかしたら死ぬかもしれないって戦いの前なんだから。心残りは出来る限りなくしておくべきでしょ?」

「それでしたら、わたくしもレイジ様と……」

「アンヘル何言い出してんの!? ……そも、魔王を倒したらこの戦いが終わる保障なんてないし……それに、終わってもらっちゃ俺は困るからね……」


 レイジの目的はゲームをクリアする事ではない。神の座を奪い、全ての過去をやり直す事にある。それが可能であるとアンヘルが言うのなら、それを吹き込んだのがあの黒須惣助だというのなら、“神になる事”と“魔王を倒しゲームを終わらせる事”には直接的な関係はないと考えられる。同時に、“魔王を倒してもこの世界が救われない可能性”も示唆しているが、それでもレイジにはまず魔王を倒し、ひとまずこのゲームにけりをつけたい理由があった。

 視線の先には物思いにふけるミユキの姿があった。ミユキがログアウトできなくなった事は間違いなくこのゲームの仕組みと関係するものだ。その解放には魔王を倒す事、即ちセカンドテストを終了させる条件を満たす事が必要になる筈。それだけではない可能性も勿論ある。だがわからないことだらけだからこそ、今は目に見えている可能性から一つずつ潰していくしかないのだ。


「とにかく、魔王を倒した時点でオリヴィアとお別れするつもりはないよ。少なくとも俺はね」

「結論を先延ばしにするのは関心しないわよ。特に男女間の事ならね」


 クピドの横槍を睨みつけて黙らせるレイジ。こうして一行は落ち着いて話を進める為、リア・テイル城へと場所を移す事にした。


「ともあれ、今の戦力だけで魔王を倒すしかないわ。そしてレイジ……あんたは戦力外だから、この城に残ってなさい。異論は許さない」

「だけどJJ!」

「異論は許さないって言ってんでしょ。今のあんたは生身のただの人間と同じよ。あの魔王は愚か、バウンサー……いいえ、魔物相手にだって戦えないわ。大人しくここでじっとしている事。あんたに死なれたら困るのよ。あんたの母親にだって、無事に帰すって約束してるんだから……」

「え? 母さんと話したの? なんで?」

「……そりゃ、色々あってよ。なんだっていいでしょ!?」

「な、なんで怒るのさ……」


 僅かに頬を赤らめつつ咳払いを一つ。JJは努めて冷静に仕切り直す。


「前回のレイジ救出で私達はパンデモニウムに直接ログイン出来る事がわかった。一度足を踏み入れた事のある場所だから、次からは間違いなくパンデモニウムに辿り着けるわ。ただそれはログインワープが使える者だけだから……ミユキ、あんたにはワタヌキを連絡役によこすから、それからこっちに自力で来て頂戴。その性質上、あんたはしばらくの間パンデモニウム真下にあるまどろみの塔で過ごしてもらうわ。決戦に備えてね」


 ゆっくりと頷くミユキ。こちらの世界で長い時間を過ごしてきたミユキの力は魔王に引けを取らない程に高まっている筈だ。戦力として使わない事は考えられない。


「あんたについてくるなとはもう言わないわ。命張ってるのは私達も一緒。だから使える手は全部使って、全員で生きて帰るわよ」

「勿論です。魔王は……あの人の姿をしたあの敵は、必ずこの手で倒します」


 その言葉にレイジは複雑な心境だった。魔王アスラとパンデモニウムで言葉を交わした事を、まだレイジは仲間たちに伝えていなかったからだ。

 最早ミサキの心は消えたという。肉体という器に新たに宿ったアスラの魂がミサキを消してしまったと。それは恐らく事実で、きっともう今からはどうにもならないとわかっていても、それでもあの時言葉を交えたアスラの中にミサキの片鱗を見てしまったから。

 もしもまだ彼女の心が僅かでもアスラの中に残っているとすれば、アスラを殺す事は僅かに残ったミサキの心を殺す事になるのではないか? ミサキの肉体からアスラの心だけ消し去る事が出来れば、或いは労せずミサキを取り戻す事が出来るのではないか?

 考えはまとまらなかった。これまで時間は確かにあった筈なのに。もう取り戻せないと思っていたミサキの身体と心。それはレイジの精霊器、ミミスケの中にデータとして保存されているという。ならば無理にアスラの心だけを消し肉体を奪い返さずとも、神の権能でミサキを再生すればいいだけの事なのだが……。


「どうしたんだい、レイジ君? 急に黙り込んで」

「あ……いや。ただ、魔王の肉体は確かミサキの物、だったよね。もしもミサキの肉体だけ奪い返してアスラの意識だけを消す事が出来れば……なんて考えたんだけど」

「それは……どうだろうね。そもそもあれが本物のミサキさんの肉体かどうか確証はないし。何より、こちらの世界における肉体の概念は、僕達の世界とは少し違うんじゃないかなって思ってるんだ」


 ケイオスの説明にJJが目を向ける。話せと言わんばかりの沈黙に少年は頷き。


「僕達の肉体は現実世界にあって、意識だけ……魂だけとでも言うべきかな。それだけでこちらの世界に召喚されているんだよね? なら、今ここにある僕達の肉体はどう? 確かに血の通った肉だけれど、それはログアウトと同時に消えてしまうよね?」

「皆さんの肉体は仮初のものでございます。意識によって無から有を具現化する精霊器と同じく、こちらの世界の力を借りて召喚ごとに新たに作り直される物でございます」

「肉体だけじゃない。この世界にある物は基本的に突然無から生み出されるだろう? その辺の検証は君達もしているはずだ」


 例えば畑の作物が、収穫してもいつの間にか何事もなかったかのように復活している事。この世界は基本的に無限であり、物質、命ですらゼロから創造出来ると考えられる。


「だとすれば、この世界における肉体は恐らく意識があってはじめて存在できるものなんだよ。作物も、動物も、恐らくこの世界にある全ての物には自覚があって、その自覚がある限り物質は無限なんだ」

「……えーと、つまり……こっちの世界では意識とか自我とか心があれば、物質としての再生は可能だって事?」


 レイジに頷き返し、ケイオスは仲間たちを振り返る。


「この世界で肉体という囲いを失った僕達の意識がどこに消えてしまうのかは興味が尽きないけれど……ミサキさんの場合、その魂はミミスケの中に保存されているんだよね? ならあくまでもこの世界においてはだけれど、ミサキさんの肉体を魔王として葬ったとしても、ミサキさんを復活させる事に支障はきたさないんじゃないかな」


 それはただの推測にすぎないが、今はその推測に沿って動く事しか出来ない。この世界についてはまだ分からない事も多く、正解に辿り着く為のヒントは圧倒的に不足していた。

 死んだプレイヤーの肉体はこちらの世界に召喚され、現実世界から死の証拠が隠滅される。ならば既に死んだプレイヤーの肉体を取り戻す事は難しいかもしれないが、魂さえあれば再生は可能……そう信じるしかないのだ。

 そんなケイオスの言葉には彼にしかわからない嘘が交えられていたが、今は純粋にレイジの為を想って吐かれた物だった。そしてレイジはケイオスの思惑とは違う所に思慮を向けていたが……それもまた、仲間たちには語れない小さな嘘であった。


「魔王との戦いだけど、魔王を倒せばゲームクリア……少なくともそういう前提で動くしかない以上、目指すは魔王一人のみ。妨害する魔物やバウンサーまで全部片付ける必要はないわ。バウンサーや魔物はあくまで足止めに徹し、魔王だけを倒す。魔王討伐は……カイゼルとミユキの二人に任せるわ。勿論、私も一緒にパンデモニウムに向かうから、現場で細かい指示を出すけれど。今の時点で想定できる状況は全て話しておくから、よく頭に叩き込んでおいて」


 JJが作戦や敵の推測を伝えている間、それを聞きながらレイジはまだ魔王の事を考えていた。その隣に近づいてきたアンヘルは視線を机の作戦図に向けたまま口を開く。


「……わたくしになら、魔王の意識だけを排除し、ミサキ様の肉体を維持する事が出来るかもしれません」


 目を見開きアンヘルへ視線を向けるレイジ。それよりも先にレイジを見つめていたアンヘルの瞳の中、驚いた様子のレイジの姿が映った。


「わたくしに策があります」

「……どうして?」


 アンヘルの声はレイジに囁きかけるような小さなものだった。どうしてこの場で発言せずレイジにだけ聞こえるように語るのか。少年もまた声量を落とす。


「確信がないのでございます。ですから、ここで皆様に提案する程のものではありません」

「……だけど、それは……」

「……レイジ様にだけ、お伝えしておこうと思ったのです。わたくしの愚かなこの思い付きがもしも叶うとしたら……それはきっと、貴方様の願いが世界を変えたという事でしょうから」


 アンヘルはもうレイジを見てはいなかった。JJの振るう熱弁もレイジには聞こえていなかった。ただ、アンヘルのいつも通り落ち着いた、しかしどこか寂しげな横顔に見入っていたから。


「……アンヘル、君は……?」

「こら、レイジ! ちゃんと話聞いてた!? あんたまさか自分が前線に出ないからって聞き流してもいいだなんて勘違いしてるんじゃないでしょうね!?」


 JJの声に慌てて謝罪するレイジ。そうしている間にアンヘルが言おうとしていた言葉がなんだったのか、問いただせる空気ではなくなってしまった。




「――あまり、残された時間は長くないな」


 パンデモニウム中枢に置かれた魔王の座。その上に腰掛け、眠る様に目を閉じていたアスラが小さくつぶやいた。そのはだけた胸元に埋め込まれた赤い結晶に手を当て、女は小さく息を吐き、薄く目を開いた。

 もうこの身体の中に宿っていたあの声が聞こえなくなって久しい。きっとこの存在の圧力は彼女を消し潰して余りあるのだから、それは必然だと言えた。

 魔王がその役割を果たす事が出来るのは、このフェーズ4が限界点。この先にあるのは間違いのないただ圧倒的な滅びと、誰にとっても幸福ではない結末のみ。だからこそ、魔王にはこのフェーズで、この僅かに残された時間で成さねばならない事があった。


「“世界”の調子はどうだい、アスラ?」


 いつの間にかそこは黒須の姿があった。男はズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、軽薄な笑顔で歩み寄る。


「訊ねるまでもなかろう? 私に出来るのはここまでだ。確かにこの肉体は意志の器としては優秀だよ。これまでと比べれば明らかに持つ方だ。だが、しょせんはそれだけ。運命を封じ込めるには華奢がすぎる」

「世界変動値はこれまでのテストの中で最高値を記録している。君がその役割を終えた時、世界は新たな結論を出すかもしれない。その為にはもう少しだけ頑張ってもらう必要があるんだ。だから……アスラ。出来る限り君には、華々しく散ってもらいたい」


 目を閉じ笑みを浮かべる。耳をすませば聞こえたあの声は、自分にも心があると言った。それはきっと偽りではない。確かにこの胸に、彼女と交わった想いが焼き付いている。


「――所詮この魂は虚ろに過ぎない。どんなに美しい器で飾りたてた所で私という存在の本質が変わるわけではない。私は所詮、人でも魔物ですらもないもの。ただの舞台装置……ならば是非もない。我が創造主の望むがままに、ただ美しく散って見せよう。だが……」


 目を開き、穏やかに笑みを浮かべる。その表情はあのミサキという女によく似ていた。


「半端な結末を受け入れるような世界ではないよ。だから私も精いっぱい、力の限り足掻くつもりだ。そうやって最後まで己の役割を果たしてこそ、この虚無は癒されるのだからね……」


 何もないからっぽの心には、まだ音が響く。

 もう聞こえないはずの音が。閉ざされたこの籠の中に鳴り続けているから。


「早く会いたいな……救世主」


 まるで明日を夢見る少女のように指を組んで眠る。その横顔はとても穏やかで、悪意の片鱗すらもない。ただどこまでも純粋で、誰よりも孤独だった。

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