代償(3)
レイジが遠藤と共に姿を消してからというもの、ミユキはオルヴェンブルムから身動きを取れずにいた。今となっては彼女だけがこの城を守り切れる戦力であり、“もう一つの世界”と連絡を取り合う手段も持たないミユキにとって、次に勇者たちがログインしてくるまでの間成せる事はそう多くはなかった。
レイジと遠藤が同時に失踪した事、遠藤と現実世界で連絡がつかなくなった事などの状況証拠から、遠藤がレイジの失踪に関わっているのは明らかだった。クピドやカイゼルが現実側で動いている間、ミユキはオルヴェンブルムでオリヴィアやアンヘルと共にただ待ち続ける事しか出来なかったのだ。
「まさかこのような事になるとは……完全に油断していました」
「遠藤さんは、本当に裏切ったのでしょうか? 私には、彼がそのような事をする人には思えなかったのですが……」
オリヴィアの甘い言葉に肩を落とすミユキ。腕を組み、壁に背を預けて窓の外を眺める。
ようやく、ようやくだ。レイジという希望を取り戻したと思った矢先に起きたこの事件はミユキを心底うんざりさせていた。やはり自分の外側にある希望など縋るだけ無意味なのだ。そうやって誰かの手を掴むからこそ離れていく事が悲しく、そして自分が相手の重みになっている事を実感し、苦しくもなる。
ぎゅっと、カラッポの掌を握り締める。オリヴィアは相変わらず椅子の上に座ったまま、アンヘルが煎れた茶に口をつけている。その横顔を曇らせる不安は、レイジと遠藤の件をハッキリさせない限り払う事は出来ない。
よっぽどここから飛び出してレイジを探しに行こうかと考えたが、オリヴィアやこの国の人々が心配で歩き出せない。現実から切り離されこちらの世界の時に身を置くミユキにとって、この世界の人々の死は最早掛け値なしの悲劇なのだ。苛立ちが募り、けれども動けない。じりじりと焦燥感に胸を焦がされ零した溜息とほぼ同時、会議室の扉が開け放たれた。
そこに居たのは肩を上下させながら立つJJだった。少女はごくりと生唾を飲み込み、何かを言い出そうとして口ごもり、それからきつく目をつぶって、直ぐに顔を上げ。
「みんな――ごめんっ!!」
思い切り金色の髪を振り乱しながら頭を下げた。その様子にオリヴィアがぱあっと明るい笑顔を浮かべ駆け寄る。ミユキは……正直に言えば、何もかもに得心は行かなかった。当然の事だ。JJも他の勇者たちも皆、一度この世界を見捨てて逃げ出したのだから。
しかしオリヴィアと抱き合うJJの横顔にはこれまでとは異なる強さがあった。だからそれを信じてみようと思った。何故信じる事を選んだのかと訊かれたらミユキ本人も答えられなかったが、強いて言うなら、やはりこれまでの人とのつながりがそうさせたのだろう。
「……現実で、レイジが意識不明になった。こっちの世界で何があったの?」
「え? そんな……レイジ様が……?」
オリヴィアの肩を叩き代わりに前に出たミユキはこちらの世界で起きた事をJJに伝えた。
JJ達が去った後、レイジと遠藤が姿を消した事。そこから立てられる最悪の推測……。それらを全て聞いた後、やはりと頷き、JJは口を開いた。
「――レイジは生きているわ」
「や、やっぱり……そうですよね!?」
「ええ。レイジが死んでいるなら恐らく現実の肉体も消えている筈だしね。それにそもそも……今の、あのレベルにまで進化したレイジが、遠藤なんかにどうにかされると思う?」
「ですよね、そうですよね!?」
しきりにうなずきながら嬉しそうに答えるオリヴィアだが、ミユキは首を横に振る。
「レイジさんは身内に甘すぎます。遠藤さんを相手に油断する可能性は……」
「あるって、本気で思ってるの?」
思わず言葉に詰まる。脳裏に過るあのレイジの姿は、極限にまで研ぎ澄まされた怪物と化したレイジの姿は、きっと背後から奇襲を仕掛けたって倒せるようなものではなかった。
もう今の彼に油断なんて存在しないのだ。一見すれば熱く、優しく、温かい感情を以て人と接しているように思える。だがその実は正反対だ。
レイジはもう、誰にも何も期待していない。ただ一人でも最初から最後まですべてやってしまおうという絶望的な覚悟がある。今の彼にとって仲間とは目的を達成する為に必要なものであり、自分自身の目的を維持する為に必要なものにすぎない。万が一遠藤が油断を誘って銃を向けたとしても、あのレイジがやられるとはどうにも思えなかった。
「だから私はこう思うの。レイジは、“自分の意志で遠藤についていった”んだって」
「ですが、それは……一体……?」
「私にだって事情はわからないわよ。でもあいつの事だから考えがあるんだと思う。ただ、今は自由に身動きが取れない状態にあると考えてまず間違いないわ。ログアウト出来ない状況に陥ってるとしたら、間違いなく神が関与してる。ゲーム外からの神の手までレイジが読めているとは思えないから、どっかでヘマしてる可能性が高い」
「マスターを信じているのか、信じていないのか……複雑でありんすな」
「私はあいつを信じてるのよ。あいつの強いところも……お人好しでアホな所も、ね」
寂しげに、どうしようもないように笑うJJ。それから気持ちを切り替えるように深呼吸を一つ。数少なくなった仲間たちを見渡して告げる。
「――レイジを奪還するわ! 私に奪還作戦の指揮を任せてほしい!」
しんと静まり返った会議場。JJは肩を落とし、しかしもう決して引きはしない。
「一度逃げた私を信じろなんて虫がいいのはわかってる。だけど……レイジを助けたいの。もう友達を見捨てて逃げたくないの。眠っているレイジを見てハッキリわかったの。私、あいつをほっとけないんだって。あいつを……一人にしたくないんだ、って」
他人と接する事に臆病で、いつも心を閉ざしていた少女は。
今自らの願いを自覚する事で、他者と深くつながる強さを得た。
「だからもう、ビビったりしない。相手がどれだけ強くたって、自分の命が危険だって……そんなのは承知の上よ! 怖いわよ、もちろん! ヤバいってわかってる! だけど……だけどその上で……!」
目を瞑り、拳を握り締め、顔を上げて叫ぶ。
「もう誰も置き去りにしない! 私があんた達を導く! 誰も……もう、誰もやらせたりしない! 全員勝たせて、ノーミスで勝ち続けて、そして……全員救って見せる! もう……何からも逃げない! 自分自身の、弱さからも……!」
叫びながら、何故か泣けて来ていた。胸を当てた掌からどくんどくんと早鐘のような鼓動の音が聞こえる。自分が生きている事をはっきりと感じられる。だから少女は涙を拭い――弱さを拭ったそこにあるのは、ただ覚悟を決めた真っ直ぐな強さだけだった。
「四の五の言わず、私についてこいッ!!」
ミユキもアンヘルもオリヴィアも目をまん丸くしていた。それから自分でもらしくない事を言った自覚があるのか、急に気恥ずかしくなりJJの顔が真っ赤になる。それに遅れてオリヴィアが笑い、アンヘルが笑い、ミユキもつられて笑い出した。
「なっ、なによ!?」
「だって、私達誰もJJを受け入れないなんていってないのに一人で勝手に盛り上がって……最初からアテにしてるんですからね」
「そうですよ! JJ様は意地っ張りで素直じゃないけど……でも、とっても賢くて強い人だって、私、知ってましたから!」
「相手の居場所は既にわかっています。JJ、指示をください。レイジを、マスターを奪還する為に、貴方様の力が必要なのですから」
アンヘルの言葉に今度はJJがきょとんとする。レイジが連れ去られた場所がわかっているというのはJJにとっても意外な事だったからだ。
「場所わかってんの? ってことは、わかっててもすぐにはいけない場所なのね?」
「ええ。場所は……“まどろみの塔”の真上。この中央大陸の遥か上空に存在する、天空城パンデモニウムですから」
「……詳しく聞かせて」
頷き、アンヘルは改めて説明を始める。
天空城パンデモニウム。それはこの中央大陸上空に存在する浮遊する城である。
アンヘルは元々天使の役割を持つNPCだが、魔王の城の場所については知らされていなかった。パンデモニウムの存在を知ったのはごく最近で、ロギアから存在を放棄され、“いてもいなくてもどうでもよい”とされた後、“賢者”のロールを与えられたNPC、ノウンから知り得た情報であった。
ノウンが暮らしているまどろみの塔はアークだ。そのアークの真上に常にパンデモニウムは浮遊していると言う。というより厳密にはまどろみの塔はパンデモニウムの一部なのだ。
「それってまどろみの塔の周りには魔物が出現しないのと何か関係があるのかしら?」
「恐らくはあるでしょうが、それについては私も詳しくありません。塔に記録されている情報は膨大で、私が探れたのはセカンドテストの中盤くらいまででした。セカンドテストでは正式な手順を踏み、まどろみの塔を起動させ、パンデモニウムへと続く光の階段を作り出していたようですが……」
「RPGっぽいわね。ところで、正式な手順って具体的には?」
「東西南北と中央、各大陸にあるアークの地下に存在するキーアイテムを集め……」
「却下。そんな時間ねぇよ!」
「ですよね」
「となると……飛んでいくしかないか」
腕を組み、顎に手をやり考え込むJJ。そこで五分と立たずに指を鳴らし仲間たちへと振り返った。
「妙案があるわ。どっちにしろ空に浮かんでいるだけの城なんて、その気になれば攻略は楽勝なんだけど」
「えっ!? 楽勝なんですか!?」
「魔王を倒すではなくレイジを奪還するだけに目的を絞ればね。それでも危険は大きいわ。今のままじゃ不確定要素が多すぎる。だから、信頼できる奴だけ……少数精鋭でかかる。作戦のリーダーは……ミユキ、あんたよ」
突然の人選に驚くミユキ。だがそれはJJにしてみれば当然の事であった。相手の力量を見極められるJJの能力からすれば、それは妥当な選択でしかない。
「やれるわね?」
「……無論です」
「いい返事。じゃあ早速作戦の概要を説明するわ。まずミユキ、あんたがどうやって上空にまで飛んでいくかだけど……ってアンヘル? 具体的にパンデモニウムがどれくらいの高度を飛行しているのかはわかる?」
「ざっと上空20~30kmくらいでしょうか?」
「幅がでかすぎるわ! それじゃ作戦が立てられないでしょっていうか成層圏だよ! まずこの世界の空がどうなってるのかっていう問題が……アンヘル飛べるのよね? ちょっと検証に付き合ってくれる?」
こうしてJJの手で作戦は組み立てられていった。僅かな時間で作戦を組み立て、それをミユキ達に伝える。そしてログアウト後に勇者連盟側の残りの仲間たちへと連絡を取り、更に作戦の調整。結果、“飛行可能”なメンバーと、“墜落に耐えられる”メンバーの中で少数精鋭の作戦隊が決定する。携帯電話を握り締め、深呼吸を一つ。ジョイス家の離れから飛び出し、本館へ向かった。真夜中だというのに母親はリビングでワインを飲みながら雑誌を読んでいた。突然飛び込んできた娘の姿に目を丸くする母親に、JJは……ジュリア・ジョイスは駆け寄る。
何事かと雑誌を閉じた母を前にジュリアは唇をかみしめた。この人にずっと言いたかった事があった。伝えたかった事が沢山あった。けれどこうして顔を合わせると何も言えなくなってしまう。拳を握り、泣き出しそうな顔を浮かべるジュリア。母は雑誌をぽいと投げ捨てワインを飲み干すとソファから立ち上がり、娘の前に立った。
「ジュリア?」
そして娘の頭を撫でると、何も言わずに強く抱きしめた。全く予想外の反応だった。呆然とするジュリアを抱きしめながら、母は穏やかな声で語り掛ける。
「私に何か、伝えたい事があるのね?」
「……マ……マ。私……私……もしかしたら、ママを悲しませるかもしれない……」
明日になれば作戦が決行される。そうなればもしかしたらここには帰ってこられないかもしれない。震える声で絞り出した曖昧な言葉、それに母親は体を放し、娘の肩を掴んで強くうなずいた。
「やりなさい」
「……えっ?」
「やりたいことがあるのよね? だったら、迷わずにやりなさい」
完全に想定外の言葉だ。だからただ呆然としてしまう。母親は娘の頬に手を当て、優しく笑いかける。
「ジュリアは自分で何かをしたいとは一言も言わない子だったわね。私、そんなあなたの事をずーっと心配してたのよ? だからこれまで色々な事をやらせてきたわ。だけどあなたはどれもちっとも楽しそうじゃなかった」
「それは……ジョイス家の娘として……」
「えっ? あっはっはっは、違うわよそんなの! 私はねぇ、いいとこのお嬢様で、ずーっと幼いころからそうやって色々な習い事をやらされてきたわ。でも結果的に今はそれでよかったと思ってる。この社交界を生き延びる為には役に立つスキルよ。ジョイスの家なんかどうでもいいわよ。娘の為になると思うから、習い事をさせてきたの。あなたが自分で何かを見つけ出すその時まで、あなたを守り育てる為にね」
母は自らの胸をどんと叩き、白い歯を見せて笑う。
「ジョイスの女をなめるんじゃないわよ? 私がどれだけやんちゃやってきたと思ってるの? ジュリア、たくさん冒険なさい。たくさんたくさん、うんと経験なさい。いい事も悪い事も、楽しい事も辛い事も。たくさん恋をして、たくさん泣いて……それでいいの。あなたの人生だもの。あなたがそれを見つけたというのなら、迷わず行きなさい!」
――自分の娘を、嫌う人ではなかった。
最初から彼女はずっと、ジュリアの為に良かれと思っていたのだ。
自分はそういう育て方しかしらないから。自分が良いと思う事を娘にさせてきただけ。決してジュリアの心を押し潰したりしたかったわけではない。
娘にとって最良であるように、一流の教育を施した。ただそれだけだ。けれどもそれではなくジュリアがなにか、自分の本心を見つけたというのなら。それを抑圧するような母親ではなかった。
「行きなさい、ジュリア。お金ならいくらでもあるわ。どんなことでもやらせてあげるわよ! 私、あんまり人の気持ちとかわからないから、あなたの気持ちもよくわからない。だけど、お金だけは出してあげる。お金を出す事が、あなたの為になるって、あなたの為にしてあげられる、夢の為になるって、そう信じているから。だから私、あなたを札束で育てるわ! 自分にはそれしか出来ない、バカ女だってわかってるから!」
娘が可愛くないわけがなかった。ただ、それを悪意だと勘違いしていただけ。
世界は本当は優しくて、温かくて……理解しようとする努力をしなければ、暗く閉ざされてしまう。愚かだったのは誰もが同じ事なのだ。ようやく少女はそれに気づく事が出来た。自分が愛されている事を、はっきりと自覚する事が出来た。
「ママ……ママ……!」
「あら? あらららぁ? まあまあ、こんなに甘えてくるなんていつ以来かしら!? ママいますごく感動してるわ!」
「ママって……ちょっと……バカ……よね……」
「えぇ~? 勉強は恐ろしく出来るのよぉ? でも人の気持ちはわからないってよーくいわれるわ。ま、ひがみだろうけどね! アハハ!」
母親の胸に飛び込み、ジュリアは涙を流しながら笑った。
大丈夫だった。何もかも大丈夫だったのだ。恐れているほど世界は決して闇ではない。敵だと決めつけていたのは自分だけ。だったらすべては、考え方ひとつで姿かたちを変えていく。
「私、行くね。きっとママに全部話すから。だから今だけは、私を信じて」
「もちろんよ。誰の娘だと思ってるの? 行きなさいジュリア。そうしてあなたの心を、想いを、感情を……ママにもわかりやすく伝えて。あなたはとっても、あたまの良い子だから」
涙を拭い、手を振る母親を残してリビングを飛び出した。歩きながら流れ出す涙をもう拭う事もしなかった。
自分はこれでいい。そうだ、これでよかった。何もかもがよかったのだ。
もう何も否定したりしない。今を否定しない。英才教育があったから今の自分がいる。苦しみ悩んできたから今の自分がいる。それは誰にも否定させない。自分にも、世界にも――誰にも。
「……行くわよ、“JJ”。あんたの、私の願いの為に……!」
HMDを装着し、異世界へ転送する。だが、ログイン開始時刻である深夜0時にではない。それがこの作戦の肝であった。
まずは地上から、ミユキ達三名がパンデモニウムを目指す。それにわざわざついていく必要もないし、それはそれで危険でもある。だからこそ、転送は遅らせる。ログインする時間をプレイヤーは自由に選ぶ事が出来るのだから。
ミユキ達がパンデモニウムに到着した頃合い、想定よりもゆっくりと時間をかけてログインする。それだけミユキ達が危険にさらされる可能性は高くなるが、そこは仲間を信じるしかない。デジタル時計が刻む時間を睨み続け、その時が来ると同時、ザナドゥと呼ばれる異世界へ転送したJJの目の前に広がっていたのは、広大な空であった。
即座に精霊器を召喚し無数のカードを纏いながら落下するJJ。強風の中くるくると回転するそのJJのすぐそばに光が収束し、ログインしてきたケイオスがJJを抱き留める。
「ナイスよケイオス! 予定通り、私のログインからぴったり五秒!」
「そして空の上に居ると言う事は……」
「ミユキ達はパンデモニウムに居る!!」
プレイヤーはログインポイントを選ぶ事が出来る。思い浮かべた場所に正確に移動する事が可能だ。そしてログインのポイントに選べるのは場所だけではない“人”――それもポイントに選べる物の一つ。
ミユキは嘗て自由革命軍との決戦の際、レイジをポイントに指定し転送していた。それから人をポイントに使えるのは確認済み。今回JJがポイントに選択したのはミユキ。ミユキの上空、何kmに現れるかまでは正確な読みが通せなかった。だからケイオスにはミユキではなく、JJをポイントとして指定させた。これで二人は5秒のタイムラグで空中で合流する事が出来る。
「下に見えるのがパンデモニウムだね」
パンデモニウムそのものをログインポイントにすることはできなかった。勇者は自分の足で行った事のある“場所”にしかログインできない。だが“人”はその制限をうけなかった。ミユキ達がパンデモニウムに辿り着いてさえいれば、増援を送り込む事は可能。しかも空中から時間差でとくれば、相手に読まれる事はほぼないだろう。そしてJJは空中で能力を発動し、レイジの魔力反応をサーチする。その為にも城の真上というのは都合がよかった。
「……いた! 城の西側! アンヘルと一緒よ! ハイネと戦ってる!」
「ということは、救出に成功したんだね。僕達は不要だったかな?」
「バカ言わないで! すぐに合図を!」
頷き指輪の精霊器を輝かせるケイオス。放たれた光の玉はまるで花火のように空中で瞬いた。それが撤収の合図。遠藤が抜けた今、このような原始的な手段しか用いる事はできないが――ここならば城の地下にでもいない限り目視可能だ。
「……ファングが気づいた! ミユキに向かってるけど、アンヘルが戦闘中で気づいてない! ケイオス、制動しながらレイジに向かって! あいつ何故か能力を封じられてる……いや、当たり前だけど!」
「わかった。しっかり掴まっていて」
指輪が輝くと同時、まるで吸い寄せられるように不思議と空中を横移動するケイオス。そうしてくるくると回転しながらレイジ達めがけて落下していく。
「ちょっと、もう少し減速してよ!?」
「急減速すると君がつぶれてしまうよ?」
風を巻き起こしハイネを攻撃しつつ急行するケイオス。JJはそこに探し人の姿を見つけ、思わず叫び声をあげた。
「レイジィイイイイーーーーッ!!」
「…………JJ!? それに……ケイオス!?」
着地に成功したケイオスの手から離れレイジに飛びつくJJ。そうしている間にハイネはケイオスの力を跳ね除ける。ケイオスとアンヘルがJJとレイジを庇うように前に出るが、JJは首を横に振る。
「付き合う必要はないわ! ファングが気づいてるし、カイゼルの爺さんが落ちてくのが見えたからミユキは無事よ! 全員さっさと飛び降りて!」
「え!? で、でも……!?」
まだ何か言おうとするレイジの手を取り、JJは思い切り通路から飛び降りた。絶叫するレイジを抱きかかえながらカードを落下方向に展開し減速するJJ。そこへ翼を広げて急降下してきたアンヘルが追いつき、二人の手を取って更に落ちていく。
「う、うわああああっ!?」
「ビビってんじゃないわよ! ただ落ちるだけでしょ!」
「えぇ!? 今の俺精霊器使えないからただの一般人なんだけど!?」
「わかってるわよ……ケイオス!!」
ハイネの攻撃を掻い潜ってきたらしいケイオスが落下してくる。ケイオスは仲間たちを纏めて抱きかかえるようにすると、ウインクをしてリング・オブ・イノセンスを輝かせる。
「僕に任せて。僕の精霊器の力で君達を無事に地上まで送り届ける」
「で、でも落ちてるんだけど!?」
「僕の精霊器、リング・オブ・イノセンスは、この世界が持つ力を増幅し操る。即ち火も水も風も地も……そして重力でさえ、僕の精霊器は操る事が出来るってわけさ」
指輪をかざすと同時、全員の身体がふわりと軽くなり落下速度が緩くなる。それでもみるみる近づいてくる地上を前に息をのんだが、再び指輪が輝くと目の前に無数の水の塊が出現する。
「アンヘル、障壁をレイジに集中させて! JJは僕の後ろに!」
空中に出来た水たまりに飛び込む一行。何度も水の塊を経由する度に落下速度は緩まり、いよいよ地上へ近づいた時にはアンヘルが障壁を作り出し、翼で軌道を制御しながら不時着する。その間もケイオスが地質を柔らかい粘土質に変え、何とか四人は無事にパンデモニウムからの脱出に成功するのであった。
「……ふうっ。なんとかなったね。無事かい、レイジ君?」
「あ、ああ……ありがとう……ってぇ!?」
空を見上げるレイジ。すると上空からなんら減速せずに落下してくるカイゼルとその背中に担がれたファングとミユキ、三人と目が合ってしまった。物凄い勢いで落ちてくるカイゼルにレイジ達は慌てて散り散りになる。カイゼルは大地に接触する瞬間盾を思い切り叩き付け、その衝撃は大地を砕き、岩を空にまで吹き上がらせた。しかし本人は全くの無傷で、背中に乗っていたファングとミユキも無事であった。
「いや~、なかなか楽しいスカイダイビングだったぜ! 久しぶりだな、レイジ?」
「カ……カイゼルさん……。むちゃくちゃですよ……」
「防御力だけは誰にも負けねぇからな! ほれどうしたファング? ミユキちゃんもぐったりしてんな?」
「耳が……」
くらくらする頭を片手で押さえながら歩くミユキ。その視線の先、レイジと見つめ合うと、少女は柔らかく笑みを浮かべた。
「……おかえりなさい、レイジさん」
「あ……えっと……ただいま?」
「何を身構えているんですか?」
「あ、いや、なんでもない」
また抱き付かれるのではないかと考えていたのだが、それは杞憂に終わったようだ。それはそれで残念な気がするのだが、頭を振って周囲を見渡す。
「ここは……まどろみの塔の傍かな?」
「カイゼルが地形変えちゃったけど森だったところよ。とりあえずこの場を離れましょう。バウンサーが追撃してこないとも限らないし、この後の行動については移動しながら説明するわ」
JJの頼もしい横顔に笑顔でうなずくレイジ。一行はすぐさま移動を開始、まどろみの塔を離れていくのであった。




