キズナ(2)
「……瑞樹さん?」
「未来ちゃん? 久しぶりね、元気……じゃ、ないみたいね。どうかしたの?」
ある休日の午後、孤児院の駐車場で愛車に持たれかかっていた瑞樹の傍に通りかかった未来はどこか浮かない様子で瑞樹に会釈する。
「どうというか……。瑞樹さんの方こそどうしたんですか? 葵ちゃんがいなくなって以来ですよね」
中島葵がこの孤児院から姿を消した後も瑞樹は時々顔を出し、葵の手がかりがないか探していた。しかし足を運ぶ頻度が落ちたのも事実で、孤児院の外で暮らす未来とこうして顔を合わせるのは久々である。二人はなんとなく連れ添って孤児院の庭に移動し、ベンチに並んで腰掛けた。
「葵ちゃん、まだ見つかってないんですよね?」
「……ええ。警察は真面目に捜してくれるんだかサボってるんだかわからないし、他に頼りになる人もいないから必死に探してるんだけど……手がかりゼロ。それどころか唯一アテにしていた人までいなくなっちゃってね。ただでさえ大変なのに、まったく何をやってるのか……」
「瑞樹さんの彼氏かなにかですか?」
「え? いやいや全然違うわよ? 探偵とか自分ではいってるんだけどね、一体どこで何をやって稼いでいるのかさっぱり胡散臭い人なのよ。それがまた急に何も言わずにいなくなっちゃってね。なんか私、いなくなられる星の下に生まれちゃったのかしらね?」
腕を組みながら冗談交じりに苦笑する瑞樹。未来はそれになんともいえない表情を返した後、孤児院をゆっくりと見渡した。
「それでここにきたんですか? なんとなく気持ちはわかります。何かに思い悩んだとき、私もよくここに来るんです。原点回帰なんて言ったら大げさですけど」
「そうね。私にとってもここはスタート地点だから……。ちなみに未来ちゃんは? 何か悩みがあってきたんじゃないの?」
「悩み……というか。私の、ではないんですけど……」
「じゃあ清四郎君の事?」
まさかずばり言い当てられるとは思っていなかったのできょとんとしてしまう。不思議そう未来の表情に瑞樹は少し笑った後肩をすくめて言った。
「あなたたち、本当に兄妹みたいね。なんだかうらやましいわ、そうやって大切に思える人がいるって事は」
「瑞樹さんは一人っ子だったんですか?」
「ん……一応、姉がいたんだけどね。お世辞にも仲がいいとは言えなかった。世界に一人しかいない血のつながった姉なのに、私はそれを大切に思うことが出来なかった。向こうもきっと私のことなんか嫌いでしかないだろうけど、そういう関係しか作れなかった事を時折悔いる事はあるわね」
「葵ちゃんのお母さん、ですか?」
「そうね。まあだから罪滅ぼしじゃないんだけど……んー、複雑なのよねぇ、私も。あの子の両親はろくでなしだったから、そういうろくでなしを作ってしまった私たちの責任もあるというか……。血のつながりってどうしたって断ち切れないものでしょ? あの子の両親がどんな罪を抱えていたとしても、私の家族である事に変わりはない。だったらどこかで罪を償っていかなければならないのよ。出来る範囲でね」
瑞樹はただの雑談として語ったつもりの言葉だったが、今の未来にとっては重く考えさせられる言葉であった。少女はうつむいたまま考え込み、それから意を決したように顔を上げる。
「血のつながりって、本当にそんなに固い物なんでしょうか……。もし本当にその絆が固いものならば、こんな施設は不要だったはずじゃないですか」
未来の言う事はまったく筋の通った事であり、親に見捨てられてこの施設で育った少女だからこその言葉である。瑞樹は自分の言葉を振り返り、それからもう一度語りなおした。
「それでも私は、血のつながりは絶てないと思う。どんなに憎んでも、どんなに認めたくなくても、その絆は簡単になかったことには出来ないわ」
「……家族の罪は……そんなにも背負わなければいけないものなんですか? 瑞樹さんにはなんの罪もないのに、どうしてそこまで葵ちゃんを追いかけるんですか?」
「最初は世間体だったのかもしれない。自分なりの正しさを追い求めた結果、だったのかもしれない。でも今は違うわ。実際こうやって孤児院に足を運んで、未来ちゃんや清四郎君のような子達と知り合って、はっきりと思う。こういう現実から、身内の罪から目を背けちゃいけないって。そういうものと向き合っていく事こそ、大人の責任なんだって」
瑞樹は堂々としていた。決して卑屈にならず、誰かを否定したりしていない。まだ少女である未来に対してもまっすぐで、その言葉を最初から子供だからと聞き流したりもしない。そんな瑞樹の吐き出した誠実な言葉は、大人を正味する事に慣れた未来にとっても魅力的であり、信じるに値するように思えた。何より彼女の言葉は、清四郎の言葉を思い起こさせたから。
「強いんですね、瑞樹さんは……」
「私だって強くはないわ。でも強くあろうと努力する事は出来るわね」
「私が……弱いんでしょうか。そういう罪や痛みから逃げてほしいと、そんなものに押しつぶされないでほしいと、背負わなくてもいいと……そう思う私は、弱いんでしょうか……」
首を傾げる瑞樹に向き合い、未来は深刻そうな表情を浮かべる。一体何事かと次の言葉を待つ瑞樹に投げかけられたのは意外な質問であった。
「……瑞樹さん。ザナドゥというゲームを……ご存知ですか?」
「……礼司は多分……いえ、間違いなく生きていると思います」
ジュリアは確信を持っていた。織原礼司の病室で彼の眠る姿を……魂を失った肉体を確認し、予感は確信へと変わったのだ。織原礼司は生きている。それは冷静に導き出される結論だ。
「礼司は言っていました。あのゲームは本当は異世界、こことはまったく別の世界で、私たちは魂だけを召還されていると。魂が死ねば肉体は永遠に植物状態になり、意識を取り戻す事はない。それは死と呼んで差し支えないものです。しかしロギアは恐らく、プレイヤーの魂が死亡した時、カラッポになった肉体と……HMD、召還の媒体となっている装置を同時に召還、つまり回収して証拠を隠滅していたのだと思います。そしてそのシステムは現在も正常に稼動している。つまり礼司の肉体だけがここに放置されているという事は、礼司の魂はまだ異世界で活動を続けているという事です」
「……なるほどなあ。しかしお嬢さんが言うには、異世界に移動していられるのは三時間だけという縛りがあったはずだが……」
「そのルールは世界の神が作ったものですから変動の可能性はあります。元々例外はありました。篠原深雪……。セカンドテスターの装置を使っていた彼女のように、異世界に魂だけが制限もなく取り残される状況はありえます。礼司は何かしらの事情で魂を拘束されているのかもしれません」
ジュリアが泣き止んだ後、病室には二人の刑事が登場した。しかしその頃にはジュリアはすっかり冷静さを取り戻していたし、刑事がここに現れる事も事前に予測していたのか、驚く事すらしなかった。そのままジュリアはこの場でという条件を先に提示した上で全てを語った。
話の中には異世界だのなんだのと聞いているだけで頭が痛くなるような支離滅裂な内容が含まれており、礼司の母は呆然、若い刑事は唖然としていたが、高柳だけは真剣に話を手帳に書き込んでいた。かいつまんで説明するだけでも二時間が経過し、病室にはすっかり斜陽が差し込み始めていた。
「つまり、織原礼司君はまだ生きていて、無事に戻ってくる可能性があると?」
その問いにジュリアははっきりと頷いて見せた。高柳は手帳を閉じしかめっ面で考え始める。勿論ジュリアの話はぶっとんでいるにもほどがあったが、ここまできちんと事情を説明してくれたプレイヤーは彼女が始めてであり、その瞳から嘘は感じ取れなかった。長年刑事としてやってきた男の勘は少女の存在を無視するべきではないと叫んでおり、男はこれまでそれに正直に従って成果を挙げてきた。
「理屈じゃねぇって事か……」
すばやく自分の住所や名前、連絡先を記入した紙をジュリアに差し出すと、高柳はゆっくりと席を立つ。
「警察沙汰になるのが嫌だというのなら、俺個人に連絡してくれるだけでもいい。是非これからも話を聞かせてもらいたい」
「し、しかし警部……いくらなんでも今の話は……」
「うるせえ。俺が信じるものは俺が決める。俺はこの子の話を二時間ここで真面目に聞いてたんだ。ハナっから聞く気もなく散漫に流してたお前と違ってな。そしてこの子はそういう大人の態度をしっかり見抜いてる。だから俺にだけ真剣に聞かせたんだ。そうだろ?」
ジュリアは何の返事もしなかったが、それはぴたりと正解である。ジュリアはここにいる三人の大人の中、この高柳という刑事にだけ真実を語り聞かせる価値があると踏んでいた。これが何を変えるのかはわからない。正しいかどうかもわからない。それでも状況を打ち破る為の布石となれば行幸。その期待をしてもいいくらいには、この男は優秀に見えたのだ。
「お嬢さんがあのゲームからリタイヤした事情もわかった。これ以上首を突っ込めとは言わない。むしろ……気が変わったとしても、絶対にもうこのゲームには関わらない事だ。聡明なお嬢さんならわかるはずだ。これがどんなに危険な事件なのか、な」
振り返り、友の眠る姿を見つめるジュリア。自分がいつこうなるか、そもそも命を落とす可能性も高い。危険だとわかっていたからこそ退いたのだ。それがばかげた選択であると知っていたからこそ退いたのだ。言われなくてもわかっている。わかっていた……つもりだった。
「こいつは何百人って規模の無差別大量殺人事件だ。子供がうかつに関わっていい事じゃない。HMDはすぐに処分して知らぬ存ぜぬを通したほうが身のためだ」
「け、警部! それでは警察も話を聞けなくなりますよ!?」
「うるせえ! 今の警察組織じゃこんな事件まともに追えるわけねえだろ! 後手後手になるのは目に見えてる! それよりも今はネットだなんだで大騒ぎだ。こんな子供がマスコミに追い回されたらかわいそうだろうが!」
「い、いや、そういう問題では……」
「とにかく、織原さん家に群がるマスコミからはきっちりガードするように県警に伝えとけ。俺たちは東京に戻って情報整理するぞ。お二人とも、お忙しい中貴重な時間をありがとう。こいつはタクシー代だ、とっといてくれ」
財布から万札を取り出して差し出す高柳を若い刑事が見つめる。「こいつは俺のポケットマネーだ」とかなんとかわめきながら去っていった二人を見送り、礼司の母は未だに覚めやらぬようすでポカンと口をあけていた。
「いったいもう、何がどうなっているのか……」
「礼司を助けなかったのは私の責任です。礼司にはやっぱり私が居なきゃだめだったんです。本当に……すみませんでした」
「は、はあ。まあ、あの子は基本的にはずぼらな子だから……。はああ~。こちらこそ、これまで支えてもらったようでありがとうね。なんだかあの子、若い女の子にいっぱい助けられてるのねぇ……。モテ期ってやつなのかしら。我が息子ながら侮れないわねぇ……」
「いや……それは多分少し違うと思うけど……」
苦笑を浮かべるジュリア。最後に少女はもう一度礼司を振り返り、眠る少年の手を強く両手で握り締めた。その瞳にもう涙はなく、ただ固い覚悟と決意だけが宿っていた。
夜の街を一人、清四郎は彷徨い歩いていた。その表情は無気力で何を目的ともしていない。ただ文字通りふらふらと彷徨っているだけだ。そんな時、彼のズボンの中から着信音がなった。確認してみると画面には『JJ』と名前が表示されていた。
着信を受けるのには僅かに躊躇した。しかし意を決し、男は画面をタップする。
「……JJか。久しぶりだな」
『単刀直入に用件だけ伝えるわ。シロウ……レイジがやられたみたい』
瞳を見開き、足を止める。喧騒の中に居るはずなのになぜか全てが静かになっていく。愕然とし、足がすくむ。それほどの恐怖がその言葉には秘められていた。
『でも、まだ死んだわけじゃない。多分ザナドゥからログアウトできなくなってるの』
「どういうことだ? あいつはサードテスターだろ?」
『私にもわからないけど、レイジは特別なプレイヤーだった。だからあいつにだけ特別な措置をしてきてもなにもおかしなことはないわ。それをレイジが望んでいるのかどうかはわからない。ただ向こうの世界で今、レイジが不在なのか、あるいはレイジがずっとログインしていなければ対処していられない状況になっているのは明らかよ』
レイジがまだ生きている、その言葉に安堵するのも一瞬。すぐにまた不安が襲ってくる。携帯電話を耳に当てたまま、シロウはシャッターの下りた店舗の壁に背中を預けた。
『どうせあんたはニュースもネットもろくに見てないだろうから知らないんだろうけど、今ザナドゥの事は現実世界でも事件として取り上げられてる。ネットじゃお祭り騒ぎよ。もうこのゲームはただの遊びじゃない。列記とした一つの大きな殺人事件なの』
「……ま、実際人殺しのゲームだったわけだからな。当然だろ」
『そうね。だけど私……やっぱりあの世界に戻ろうと思う』
それは間違いなく驚愕の言葉であった。前のめりになりながらシロウは聞き返す。
「正気か?」
『……正気、じゃないかも。だけどやっぱり私……自分でも間違ってるって、バカだってわかってるけど、私……それでも、レイジを助けたい! ミユキを……ミサキを助けたい!』
「殺されるかもしれねぇんだぞ? 怖くねぇのか?」
『怖いよ! 怖いに決まってる! 私は……私はただのコミュ障の、ちょっと勉強が出来るだけの子供であって……ヒーローでもヒロインでもない。人生に絶対なんかないから、いつ殺されるかなんてわからないよ。それでも私……ここでじっとしてなんか居られない』
「バカだろ。らしくもねぇ」
『わかってる。自分でもわかってる……でも、今は自分の……そのガキっぽい気持ちに正直でいたい。一生懸命になりたいと思ったときに本気になれなかったら、そんなの死んでるのと一緒じゃない!』
変わったな……それがシロウの正直な感想だった。
あのJJが。常に安全を最優先し、人の後ろに引っ込んで偉そうにしていただけのあのJJが、こんなにも熱い気持ちをさらけ出してくれる。それは彼女がこれまでの経験の中で変わったからだ。考え、思い悩み、間違えたりしながら手探りで見つけてきた答えだからこそ胸を張って自分だと言える。そんな強さを、遊びではないあの世界で勝ち取ったから。
『レイジを助ける為には絶対シロウの力が必要になる。お願い……シロウも力を貸して。一緒にレイジを助けに行こう!』
「……ダメだ。俺は行けない」
『どうして!? 相棒とかいってあんなに仲良くしてたじゃない!』
「それでも行けないんだ。俺はもうあのゲームには関わらないって決めた。自分の命が惜しいんじゃない。これは、俺をこれまで育ててくれた全ての人たちに対する礼儀の問題だ」
『は? 一体何を言って……ちょっと、シロウ? シロウ!』
問答無用で通話を切ると携帯をポケットにねじ込み、また夜の街を歩き出した。
「そう、これは……俺だけの問題じゃねぇんだよ……」
レイジはきっと、一生懸命になって、一人でぼろぼろになりながらも最後まで戦い抜こうとするだろう。そういう男だ。あれは立派な一端の男なのだ。握り締めた拳を誰かの為に振るう事が出来る、熱い男だ。そういうレイジだから打ち解けられたし、信じられた。間違いなく友であると、そう認められた。
「俺だって助けてぇ……助けてぇよ。だけどよレイジ、JJ……わかってんのか? 人を殺すかもしれないという事の意味。その背負わなければならない罪の重さを……」
人が人を殺めた。ただそれだけの事で何もかもがめちゃくちゃになってしまう事もある。
たった一つ犯しただけの間違いが、周囲の大切な人たちを全て裏切ってしまう事もある。
「もう二度と、俺はこの拳を……誰かを傷つけるためには使わねぇ……」
決意と共に握り締めた拳を見つめ、男はきつく目を閉じた。
本心はきっとこんな冷めた街角にはないはずなのに、罪の意識が常に身体を縛り付ける。男はもうこれ以上どこにも一歩も進めないまま、ただ取り残されるように立ち尽くすしかなかった。




