本音と建前(2)
「深雪……」
遠藤さんが事前に調べておいてくれたお陰で、深雪の病室に辿り着くのは簡単だった。そこには確かにあの日、ついこの間まで夏の日差しの中で俺と一緒に居た筈の少女が静かに横たわっている。身体的な異常は見当たらない。だがきっと、彼女の意識が戻る事はないだろう。あのゲームの呪縛から、彼女が解き放たれない限りは……。
「深雪君の身体に問題はないようだね。流石に服を脱がして調べるわけにもいかないからざっと見た所だが……。しかし、これで確定と言う事だ」
「ええ……。深雪は……あのゲームからログアウトしない限り、ずっとこのままだ」
別にその事実から逃れたかったわけではない。ただこうして改めて確認して、やっと現実にする事が出来る。自分が巻き込んでしまった一人の少女の悲劇を……そして俺が償わなければならない罪を。
「まあ……彼女の肉体が死に瀕しているわけではないのだから、一先ずはよしとすべきじゃないかな? ログアウトさえ出来ればなんとかなる……そうだろう?」
「俺にはそんな風には思えませんよ……。一刻も早く深雪を助けてやりたいのに……助けなきゃならないのに……なのに、どいつもこいつもモタモタしていて……!」
勇者連盟の奴等はいつまで経っても結論を出せずに居る。このゲームを続けるべきか否か、新しい革命軍に協力すべきか否か……。そんな事もうどうだっていいっていうのに。JJは俺達だけで独自に動くのは危険だとかなんとか言って、全然次の指示をくれなくなった。アンヘルはいつの間にか姿を消して……いや、もうアンヘルの事は考えるだけ無駄だ。元々NPCだったんだから、役割を終えたら消えても別に不自然は何もない。結局俺に協力的なのはシロウと遠藤さんくらいのもので、マトイはJJと同じで無理をするなって言うし……。
「ああもう……っ! こんな事している場合じゃないのに……!」
「そう焦るなよ少年。僕らにはもう一つ、この町で確認しなければならない事があるだろう?」
背後から肩を叩かれ振り返ると、丁度病室に白衣の男性が入ってくるところだった。椅子から立ち上がって一礼すると、男性は深雪に目を向け、それから首を炊げた。
「こんにちは。もしかして、深雪のお見舞いですか?」
「あ……はい。その……俺は深雪さんと同じ学校で……」
という、設定になっている。まさか遠方から表面上無関係な男がいきなり訪ねてきているのも妙だし。遠藤さんから誰かに訊かれたらそう答えた方がスムーズだと言われていたのだ。それが功を奏したのかどうかはわからないが、医師らしい男性は穏やかに微笑んでくれた。
「そうでしたか。この子はあまり友達を作らないタイプだったようで、お見舞いに来てくれた学友は、私が知る限りでは君が一人目ですね。ありがとう」
「え? あの……失礼ですが……?」
「おっと。申し送れました。私は篠原と言いまして、この病院では一応院長という事になっています。篠原深雪は、私の娘ですよ」
深雪の父と名乗った人は、とても穏やかで聡明そうな雰囲気だった。あの娘二人なのでそうだろうなーとは思っていたが、実にナイスミドルである。遠藤さんと比べる……というのも失礼な話だが、上品で落ち着きのある振る舞いをする。あの破天荒な美咲とも、人を寄せ付けない深雪とも似つかない。
「俺は織原礼司と言います。こっちは幹彦おじさん。車を出してもらったんです」
という設定になっている。遠藤さんは胡散臭い笑顔で挨拶しているが、胡散臭く見えるのは俺がこの人は平然と嘘を吐く人なんだよなあと思っているからで、傍目にはなんの不自然さもなかったかもしれない。どちらにせよ篠原さんは俺達を疑う事はなく、そのまま話を続けてくれた。これでもう一つの目的も達成出来るかもしれない。
「しかし驚いたな。あの子は男の子の友達なんて一人もいないと思っていたから……。もしかして君が最近深雪と良く電話していた子ですか?」
「え!? あ、す、すいません……夜分遅くまで娘さんと電話してしまい……!」
「いいんですよ、咎めているわけではありません。むしろ嬉しいんです。あの子は男性嫌いでしてね。男性そのものが嫌いというよりは、自分が男性と親しくなる事を極端に嫌がっていたんです。そんなあの子が電話口とは言え、あんなに自然に笑顔を浮かべているなんて……父親として少し安心したものです」
深雪が男を嫌うのは……というより、男と親しくなる事を嫌うのは、そりゃ、両親の離婚が原因だろう。だけどこの篠原さんという人は少し話しただけでもわかるが、とても人当たりが良く礼儀正しい男性だ。特に理由もなく離婚するような人には思えないので、やはり問題はあの母親の方にあって……だからこそ、深雪は母を嫌うからこそ、男と接触するのを嫌っていたのだろう。
「ところで……念の為ですが、別に二人はお付き合いしていたわけではないんですよね?」
「えっ!? いやっ、全然……深雪さんは……そう、妹みたいな感じで……。凄くしっかりした子なんだけど、ちょっと頑な過ぎて見ていてほっとけないというか……そういう感じでした。逆にこっちが相談に乗ってもらったりする事も多かったんですけどね」
「なるほど。織原君……でしたか。深雪の事をよくわかっていますね。自分のことをわかってくれている人がいる……それは人生における至上の幸福だと言えるでしょう」
笑いながらそんな風に言った後、彼は眠り続ける娘の傍で目を細めた。
「長い人生で出会う全ての人とわかりあう事は出来ません。しかし中には一人か二人……或いは三人、四人か。もっと多いかもしれませんし、少ないかもしれませんがが、ともあれそんな人に出会う事があります。自分を理解し、支えてくれるかけがえの無い友人です。人生の価値はそんな友人に出会えるかどうかにかかっていると言っても過言ではありません。篠原深雪の父として、君にはお礼を言わせていただきます」
「いえ……俺なんて、別になにも……。今も……深雪さんに何もしてあげられない……」
「それは医者であり父でもある私とて同じ事です。想いだけではどうにもならない事もこの世界には多い。だからと言って諦めたり投げ出したり、自分を責めても仕方ないでしょう」
なんとなく自分の考えを見透かされているような気がして答えに詰まる。しかし今はそれよりも重要な事があった。彼が深雪に父親だというのなら、わざわざ彼女の実家に伺う必要もない。ここで今、訊いてしまえば済む事だ。
「……篠原さん。深雪さんはどうして目覚めないんでしょうか?」
「それに関しては目下検証中でね。正直、私にも皆目検討がつかないんだ。肉体的にはなんの問題もないわけですから。あまり専門的な話をしても仕方が無いだろうから……そうですね。深雪は今、普通に眠っているのと何も変わらない状態にあります。ただ脳は活動しているようだから……まるでずっと夢を見ているような……そんな状態だと言えるでしょうか」
話が変わると彼の顔つきも真剣な物に変わった。訊くならここしかないと考え、俺は多少不自然になる事を覚悟の上で彼に話を振る事にした。
「深雪さんはどこで見つかったんですか? 自室……ですか?」
首を傾げる篠原さん。俺は慌てて付け加えた。
「実は彼女が倒れた日、その直前まで俺は彼女と電話していたんです。だから……もしかしたら俺にも何か分る事があるかもしれないというか……状況を知れば、気付く事があるかもしれないと思って……」
「そうだったんですか。深雪は自室のベッドの上で見つかったそうです。発見したのは私ではなく私の父でしたので詳しくは知りませんが、普通にベッドの上に横たわっていたので最初は寝ているだけかと思ったら、それが何時まで経ってもおきてこない。流石におかしいと考えた父が私に連絡し、すぐに病院に搬送される事になったわけです」
「その時、眠っている深雪さんにはなんの異常もなかったんですよね?」
「ええ。特に原因と思しきものは、なにも」
――それは、流石におかしいだろ。
遠藤さんに目配せすると、彼はもう話を聞く必要はないと判断したのか出口を指差した。俺もここで出来る事はやったと思う。最後に深雪を振り返り、彼女の寝顔を見つめてから顔を上げた。
「……俺、そろそろ行きます。ここに居ても深雪さんにしてあげられる事は何もないってわかりましたから。俺は……俺なりに出来る事を探そうと思います」
「そうですか。しかし……篠原君、君は……」
そこまで何か言いかけてから彼は口元に手をやり言葉を遮ると、静かに頷いた。
「深雪の事は、専門家である私達に任せてください。篠原君は篠原君で、自分の人生を努力してくださいね。深雪もきっとそれを望んでいるでしょうから」
篠原さんの言葉を聞きながら、俺は深雪の言葉を思い返していた。自分の為に他のことをおろそかにするな……確かに彼の娘はそう言っていたっけ。
「……そうですね。俺がこんな事言うのも変ですけど……深雪さんの事、宜しくお願いします」
深く頭を下げる俺に彼は力強く頷き返してくれた。俺は遠藤さんと共に病室を出ると、遠藤さんが借りたレンタカーで移動を開始した。
「それにしても……妙ですよね、遠藤さん」
「そうだね……妙だね」
「なんで美味しい物奢ってくれるって言っていたのに、俺達はラーメン屋にいるんでしょう」
病院を後にした俺達は近くにあるラーメン屋を訪れていた。気合の入った感じの筋肉質な店主がカウンター越しに動いているのを眺めながら、男二人で熱された店内に腰掛けている。これはなんというか、俺が思っていた京都のイメージと違う……。
「そこかい? いやね礼司君、京都ラーメンは今や京都が誇る地方グルメの一つなんだよ? ほら、このガイドブックにも書いてあるじゃない。有名なお店だよ、ここ」
「そうですけど……。まあいいです。あんまり格調高いお店に連れて行かれても緊張するだけで味なんかわかりませんし。それより、どう思います?」
「そうだねぇ。京都っていうとさっぱりした味付けが多そうなイメージだけど、ここのラーメンは結構こってり系みたいだねぇ。他のお客さんが食べてるラーメンを見ても、スープがどろっとしているし……」
「ラーメンの話じゃなくてザナドゥの話です! 篠原さんが言っていたじゃないですか。発見時、原因となるようなものは何もなかったって」
「ちょっとしたジョークだよ。そうだね……僕らはゲームにログインしている間、HMDを装着しているはずだ。そのままの姿勢で深雪君が眠っていたのだとすれば、明らかに怪しく見えるはず……」
HMDが消える……そんな非科学的な現象は、美咲の部屋でも起きていた。美咲の部屋にもやはりHMD、ダイブ装置とザナドゥの痕跡が何者かによって処理されていた。
美咲の前例を考慮するに、恐らく深雪が装着していたダイブ装置も何者かの手で外され、隠蔽されたのだろう。ゲーム機と繋がっていないのにゲームが継続中というのもまったく理解出来ない話だが、その装置を誰が持ち去ったのかというのも大いに疑問だ。普通に考えて現実的な話ではない。
実はここに来るまでに二人の実家でもある篠原家の傍を通ってきたのだが……流石代々医者の家系というべきか、古風な日本建築の大きな屋敷が広がっていた。あれだけ広いと逆に侵入しても気付かれないかもしれないが、どちらにせよ深雪の部屋は二階にある。家の中を赤の他人がどかどか進んでダイブ装置を奪ってきた……なんて、突飛もない話になってしまう。
「新幹線でザナドゥの話を聞いていた時も思ったんですけど……何か……おかしくないですか?」
「というと……?」
「なんていうか、俺達はゲームをしているんですよね。だから俺達の頭の中には常に機械を使って、現実的な理論の上にVRMMOというゲームがあって……要するにそういう風に、地続きな物の考え方をしているわけです。だけどそういう風に考えていると、何に関してもそうなんですけど……急に壁にぶちあたって、わけがわからなくなるというか……煙に巻かれる感じがするんです」
指摘する気になればいくらでもそんな事がある。VR装置の事に始まり、深雪のログインが継続しているのに肉体と装置が切り離されても何の問題もない事……装置がオークションに出されない事、美咲の失踪、セカンドテスターの話が全く漏洩していない事……。何もかもが穴だらけなんだ。この一件を紐解く為の“隙”は幾らでもある筈なのに、何故かそれがつかめない。まるで超常的な力で遮られているかのように感じる瞬間さえある。
「俺達はもしかして、何か大きな思い違いをしているんじゃないでしょうか」
「ふむ……。実に興味深い話だね。実際僕も、君の言う通り……これはまるで都市伝説のような話ではないかと考えているんだ。知っているだろう? トイレの花子さんとか……って、今の世代の若者は知らないのかな? ともあれ、科学的には証明出来ない、科学という方程式を当てはめても解の出ない事件。これはそういう類のものなのかもしれない」
確かに現状でもザナドゥというゲームの噂はネット上に存在している。完成が実しやかに囁かれ、憶測から飛び出したような様々な噂話が飛び交っている。それに関しては頼子さんが調べてくれたのだが、どれも結局は俺達の知るザナドゥの真実からは程遠いものだった。俺達は実態を実際にプレイして知っているからそういう風に感じるだけで、ザナドゥというゲームの存在そのものが一つの都市伝説なのだ。
「実は、僕は仕事柄こういう不思議な事件にも何度か遭遇していてね。経験上、こういう事件が公になり、きちんとした意味での解決を見る事は殆どないんだ」
「それって……どういう意味ですか?」
「例えば、美咲君の失踪事件。これに明確な犯人を見つけ罪を裁こうとしたら、まず犯人が人間で、実在していなければいけない事になるよね。手口を証明する事も必要になる。だけどその両方がはっきりしないままだったら? 犯人を捕らえ、裁く事が困難だとしたら、事件をきちんとした意味で解決する事はほぼ不可能であると言えるだろうね」
「そんなオカルトみたいな話……」
「僕にいわせれば既にこの事件はオカルトに片足をずっぽり突っ込んでいるよ。そうでなければこんなに事件の全体像がつかめないなんて事はない。レイジ君の言う通り、この事件は不可視の霧に守られている。あと一歩で真実に手が届くという所で、必ず邪魔をされてしまう」
思わずごくりと生唾を飲み込んだ。確かに前々から謎だとは思っていたが……これはもう、このゲームはもう、ただのゲームなんて括りでは表現出来ない。もっと何か恐ろしく、わけのわからないものなんだ。そうとは知らずに招かれた俺達は、自分たちではどうしようもない何か途方もなく大きな流れに巻き込まれたまま、抗う事も出来ずただ舞台上で踊っているだけなのかもしれない。その光景はどれだけ背筋を寒くさせるか……。
悪寒を拭うように水を飲み干すと、丁度二人前のラーメンが配膳された所だった。顔色の悪い俺に遠藤さんは箸を差し出し、笑顔で両手を合わせる。
「とりあえず食べよう。せっかくの京都料理が冷めてしまうといけない」
冗談のような事を言う彼に合わせて俺はラーメンを食べ始めた。なるほど、言われた通り濃厚な鳥の味と豚の脂が口いっぱいに広がる。かなりカロリーの高そうな味だ。俺がイメージしていた京都の味とは程遠いが、確かに文句なしにうまかった。
それから俺も遠藤さんもろくに口を利かずにラーメンを食べ続けた。何を話すべきなのかわからなかったというのもあるし、何かを話してしまうと、その悪い予感が現実になりそうな気がして怖かったのだ。
遠藤さんは最初から仕事として……ザナドゥというゲームを一つの“事件”として扱っていた。世界初のVEMMOだなんてテンション上がっていた俺とは違う。彼は最初から危険性を承知の上で、それを解決する為にあのゲームに挑んでいたんだ。俺と彼の間にある覚悟の違いは絶対的だ。なんだかんだ怪しいとか危険かもしれないと言いながら、俺はザナドゥというゲームが自分の手ではどうしようもないような、まったく操る事の出来ないような怪物だとは考えていなかった。どこかでたかがゲームだからと見下していて、何かあれば途中下車してしまえばいい……そんな甘い考えを持っていたのだと思う。
美咲のようになりたかった。美咲を救いたかった。だけどそんな理由だけで続けて良いゲームではなかったのかもしれない。結果的に見れば俺は仲間の皆をここまで引っ張ってきてしまった。この得体の知れない危険の中へ、大切な仲間たちを引きずりこんでしまった。それが俺の甘い考えが引き起こした過ちなのだとしたら……それは、取り返しのつく事なのだろうか?
XANADU――。このゲームは一体何をしようとしているのだろう? 俺達を使って、なにを“テスト”したいのだろう?
何の目的もなくあんなものを作るとは思えない。だったら何か明確な理由があるはずだ。ゲームでなければならなかった理由。俺たちでなければならなかった理由。美咲が失踪し、深雪がログアウトできなくなり、それが“そう”でなければならなかった理由……。
何かが、答えに至りそうな何かが俺の中で少しずつ象を結び始めているような気がする。だがそれが完全な形を得るまではまだ時間がかかりそうだった。少なくとも今俺に出来る事は大人しくあのゲームのルールに従い、戦う事だけだ。そんな自分の信じる行いですら誰かの掌の上なのかもしれない。そう考えると……何もかもが足元から崩れて行くようで。全てがとても息苦しく……重い事のように感じられた。




