表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
XANADU  作者: 神宮寺飛鳥
【異世界】
66/123

呪縛(2)

「これは、あくまで私の推測交じりの話だから、もしかしたら間違いがあるかもしれないけど……」


 そう前置きしてからJJはゆっくりとした口調で語り始めた。


「セカンドテストは私達がゲームをプレイする半年以上前に行われたらしいわ。テストプレイヤーは私達サードテスターと同じくネット上の公募によって集められた。その辺はサードと違いはないし、ザナドゥのグランドクエストも魔王討伐で違いなかったんだと思うわ。ただ……私達とは大きく違う事もあった。特に魔王を倒したプレイヤーには二億円という莫大なリアルマネーが支払われる事になっていたという取り決めは、サードテストにはなかった事ね」

「え……二億円……!? ゲームの賞金で、ですか……!?」


 マトイが唖然とするのも無理はない。確かに実際ゲームの大会で賞金が支払われる事はある。日本では“たかがゲーム”という考え方が一般的なので物珍しいかもしれないが、海外ではわりとありがちな事だ。しかし二億という賞金は幾らなんでも法外すぎる。


「ただし、それだけの賞金が出るからには当然リスクもあった。それが、“セカンドテスターはゲームにログインしたら、クリアするまでログアウトする事が出来ない”というルールよ」


 このセカンドテストでは、サードテストと比べて遥かに緻密な事前打ち合わせが行われたらしい。テスターはゲームプレイ前に全員が契約書にサインをさせられ、リスクとリターンについての説明を受けたという。


「クリアするまでログアウト出来ないって事は、まあ要するに真っ当な人間には参加すら出来ないって事よ。誰にだって仕事や学業ってものがあるのが当然。だからこの二億円という胡散臭い賞金と、VRMMOという更に怪しい博打に対し、参加を決めた人間というのは誰もが困窮した事情を持っている、要するに社会から爪弾きにされているような連中だったんじゃないかしら」


 ギドも恐らくそんな人間の一人だ。彼の風貌や言動を見ていると、どうにもカタギという感じには思えなかった。二億と言う数字に釣られて集まってきてしまうような連中は、仕事がないとか……JJの言う通り、社会的に認められない人達だったのだろう。まるで性質の悪いB級映画みたいな設定だ。


「セカンドテスターにはもう一つリスクがあった。それは、自分がゲームオーバーになった時、現実の身体がどうなるかわからなかったという事。要は現実の自分を人質を取られていたって事ね。まあ……幾らなんでも命を奪うとまではいかなかったと信じたいけど……」


 金の為に命を代価に閉鎖空間で行われるデスゲーム……そんなもの、どう考えたってまともじゃない。もしもそんな条件を提示されていたら、俺はこのザナドゥというゲームに参加しようという気すら起きなかっただろう。今更だが、そんなルールを平然と押し付けてくるGM達には寒気がする。ギドがあんなに憔悴しきった顔をしていたのも頷けるというものだ。


「そのセカンドテストで何があったのか、それはあんたらにも大体想像出来るでしょ? 金と命を賭けたやり取り。魔王を倒した奴だけが手に出来る二億の為に、誰もが疑心暗鬼に陥りながら互いを蹴落としあう日々……やがて現実とゲームの区別もつかなくなっていき、魔王を倒すというグランドクエストをほったらかして始まるプレイヤー同士の殺し合い。ま、ギドが潜ってきた修羅場はそんなところだったんでしょうね」

「そんな……。プレイヤー同士が……殺し合うだなんて……」


 考えたくもないというマトイの呟きが聞こえてきそうだった。いや、言葉にしなくてもわかる。あんなにも青ざめた表情をしていれば……誰にだってわかる事だ。


「ま、セカンドテストの内容については憶測に過ぎないから端折るわね。問題はそのセカンドテスト後にギドがどうやってサードテストに紛れ込んだんか、という事よ。ギドはこの世界はテストプレイの度にループを繰り返していると推測していたわ。セカンドテストではフェーズ4がラストフェーズだったそうよ。そこで魔王と戦い、ギド以外のプレイヤーは全滅……これは魔王にやられたのか、足の引っ張りあいで自滅したのかはわからないけれどね」


 結局セカンドテストに“勝者”は現れなかった。生き残ったギドでさえ、勝利という言葉には程遠かっただろう。命辛々生き延びたギドは、そこで自分の命運が尽きたと思い込んだ。しかし数日後、彼は世界がフェーズ1の状態に戻っている事に気付く。そうして単身調査を続け、世界が二週目……つまりサードテストに入っている事を知ったのだ。


「ま、二週目かどうかは知らないけどね。ファーストテストも同じ様にループしていたのだとギドは推測していたわ。だとするとこのサードテストは三週目ってわけね」

「テストごとに世界をループさせる……それをGMが意図的にしているのだとしたら、その真意はどこにあるんだろう?」


 ケイオスの呟きに考える。確かに、オンラインゲームで何度も繰り返しテストを行う事はある。その際にデータをリセットし、新しいテストではゼロからやり直しと言う事も別に珍しくはない。だがこのザナドゥというゲームでそれをやる理由はなんだ?


「仮にこのゲームが魔王を倒せば大団円というサイクルを繰り返すタイプのゲームなのだとしたら、確かに誰も魔王を倒せていない以上、そこから先のテストをするまではテストを終えられないというのはあるのかもしれないね。けれどなんとなく、ループさせる事の意味というか……その目的が引っ掛かるんだ」

「私もそこはなんかこう、腑に落ちないところなんだけどね。そもそもテストするなら毎回同じ条件じゃないと意味なくない? なんで二週目はやっすい賭博映画みたいな感じで、三週目は一切情報を出さずに野放しでやらせたりするわけ? なんかこう……その不可解さを解き明かす為の鍵となる情報が足りてない感じがするのよね……」


 流石にJJは鋭い。俺も同じ事を考えていた。

 多分、このモヤモヤを解決する鍵はどこかに存在するのだろう。俺達はまだこの世界の……ゲームの本質を理解していない。だからこそ、点と点を繋ぐ線を見失ってしまっている。今はこの疑問について考えて見ても所詮は憶測に過ぎない。JJも同じ考えだったのか、咳払いをすると話を先に進めると言った。


「ギドは最初……というか最近まで、サードテスターも自分たちと同じ……つまりセカンドテストと同じ条件でやらされていると思っていたみたい。そんなギドは、プレイヤーの力というものを一切信用しようとはしなかった。彼が注目したのはこの世界に元々ある兵力、即ちNPCの兵士達。フェーズ4に魔王が出現すると分かっていた彼は、それまでの間に自らの能力を使って戦力を増強し、単独で魔王を打破するという目的を持っていたようね。それが唯一、この世界に囚われた自分を救う手段だと信じて」


 JJはそう言ったが、俺は……それだけではなかったような気がする。ギドだって自分がサードテストに紛れ込んでしまったイレギュラーな存在で、今更魔王を倒したところで賞金は出ない上に現実にも戻してもらえないかもしれない、そういう最悪の可能性を想定していたはずだ。

 それでも彼がそうやって戦い続けたのは、やはり意地だったのかもしれない。彼が幾つか持っていた理由の中に、ダンテ達への情や、グリゼルダへの愛情、そして俺達サードテスターを救おうという思いが少しでもあったのだと信じたい……。結果的に彼の行いは勇者を殺し、この世界に混乱を齎しただけだったかもしれない。仮に彼の計画が順風満帆に進んだとしても、それであの魔王を屠れたとは思えない。それでも彼は止まれなかったのだろう。


「もう気付いていると思うけど……ギドはこのゲームから一度もログアウトしていないわ。それはフェーズが移動する数年間の間もずっとこの世界に残っていたという事よ。だからこそあいつは私達よりもずっと時間をかけて様々な準備を進める事が出来た。けれど同時にその長い時間は、あいつの現実感や自意識をどんどん蝕んでいったんだと思う。もう自分でも何に意味があって意味がないのか……最終的にはどうして戦っているのかすら曖昧になっていたんじゃないかしら……」


 その苦痛は想像するに耐えない。本来自分が居るべき世界から遠くかけ離れたこの異常な世界で、たった一人の人間として生きて行く事がどれだけの苦悩を伴うだろう。圧倒的な孤独と只管に続く時間の重圧は、きっと容易に人格を破壊して――。

 ……なんだ? 俺、今を考えた? 何か、酷く恐ろしい事を想像した気がする。動悸が早まり脂汗が噴出してきた。あの一瞬で俺は、どんな最悪を想像したんだ……?


「セカンドテストで何が起きたのかとギドが何をしようとしていたのかというお話はざっくり纏めてそんなところ。ただ……ギドも結局誰がこのゲームを作ったのかとか、ゲームオーバーになった他のプレイヤーがどうなったのかなんて事は知らなかったみたいね。だけど私達が知らない情報も持っていたわ。それは、特殊な役割ロールをまかされているNPCと、魔王の能力についてよ」

「それが、さっきの……その、アンヘルさんがNPCっていう話になるんですか?」

「この世界には通常のNPCの他に、“魔王”、“天使”、“監視者”という三つの特殊ロールタイプのNPCが存在しているらしいわね。この三つの存在は全員が同じ外見をしていて、まあ要するに役職ごとに色違いくらいの差しかないらしいわ。それぞれが専用のアーティファクトを持っていて、魔王は滅びを齎す剣を。天使は加護を司る杖を。そして監視者は世界を見通す瞳を持っていたそうよ」

「しかしJJ、その話はおかしいじゃないかな? 僕は正直よく見ていなかったけど、魔王アスラの顔は“ミサキ”というプレイヤーだったんだろう?」

「それに関してはよくわからないわ。ただ、セカンドテストではそうだったってだけの話。それでこれも推測だけど、グリゼルダって女は、セカンドテストにおけるアンヘルだったんじゃないかしら? アンヘルっていうのは固有名詞じゃなくて役職名なんだって。だから、あのグリゼルダは役職名天使アンヘルのグリゼルダ……って事だったみたいね」


 天使は魔王と正反対の存在だ。人々を守り魔王と戦う勇者達に加担し、時に彼らと共に戦い、魔王との戦いまで導く為の案内役。そして同時に勇者側に潜り込み、GMに情報を流す為のスパイでもあった。ギドはこの天使と最後まで行動を共にし、ループ後に暇を見てグリゼルダという名前をつけたらしい。


「まあそこから推測するに、アスラっていうのも固有名詞ではなくて、“魔王”を意味する言葉なのかもしれないわね。それでその魔王だけど、実際に何度も戦ってきたギドは大体のスペックを把握していたみたい。私がこの間能力で“視た”のと照らし合わせて、今度ざっと能力を纏めておくわ。ただこれは全員いる所で話すべきだし、同時に対策も相談したいからこの場では控えておくわ。私からの報告はそんなところかしら」


 長話を終え一息つくJJ。地下牢に沈黙が訪れると、いよいよマトイが重苦しく口を開いた。


「それじゃあ、つまり……アンヘルさんは……」

「……言われてみれば納得なんだけどね。アンヘルは色々と普通じゃなかったし」


 努めて冷静にといった様子で壁に背を預けながらJJが呟く。確かにアンヘルはおかしな事だらけだった。だから前々から薄々感づいていたんだ。彼女が何かを俺達に隠していて……それが明らかになった時、多分よくない事になるんだろうなって事は。

 現実で一切連絡が取れないのも、妙に世間知らずなのも、無感情で無感動なのも……あんな外見なのも、精霊の能力が脆弱なのも、何もかも引っ掛かりとして残っていた全てが彼女はNPCだと裏付けている。俺たちのチームだけ勇者が六人だったんじゃない。勇者は五人……他のチームと同じだったんだ。


「だけど……何故なんだ? なら最初から自分はNPCだと名乗ればよかったじゃないか。どうして勇者の振りをして俺達の中に紛れ込む必要があったんだ? それってつまり、何か後ろめたい事があったって……そういう事だよな? 俺達がこうやってGMに不信感を抱くような事になるって、最初からわかっていたって事だよな……?」


 つまりそれは、確信的な裏切りだ。これまでアンヘルと交わした言葉も、あのささやかな笑顔も……全ては嘘だったと言うのか? 何よりアンヘルは……だったらアンヘルは……。何もかもわかっていたのだというのなら……どうしてミサキと双頭の竜を戦わせたんだ……。


「全部分かっていて何も止めようとしなかったというのなら……それは俺達に対する裏切りそのものじゃないか……」

「レイジ君……それは……それはっ、きっと違うよ! アンヘルさんはきっと仕方なく……」

「そりゃそうだよ。アンヘルは悪くない。所詮NPCなんだから、GMには逆らえるわけないもんな。NPCは自分で物を考えられず自我を持たない……全くルール通りだったってわけだ」

「そんな……。レイジ君……そんな言い方……ひどいよ……」


 俯きながら唇を噛み締めるマトイ。こんな言い方をしたって、マトイに当たっても何の意味もないのに。歯を食いしばりながら頭を振ると、なんとか冷静さを取り戻せるように意識してみる。深く溜息を一つ、なんとか謝罪の言葉を絞り出せた。


「ごめん……マトイ、アンヘルと仲よかったもんね」


 マトイは何も言わず、こちらに目を向けようともしなかった。辛いのはみんな同じなんだ。そんな中でマトイは明るく振舞って俺達を励まそうとしていたのに……。


「アンヘルについての対応は、他の連中と相談すべきね。尤も、アンヘルがまだ私達と行動を共にしようという意志があるのならば、だけど」

「JJまでそんな……!」

「マトイの言いたい事はわかるけど、この段階、フェーズ4に入ったらアンヘルはもうお役御免みたいなものでしょ。GMが引き上げるように指示すれば、多分二度と私達の前に姿を見せる事すらないと思うわ。万が一私達がアンヘルを締め上げて情報を引き出そうとでも考えれば、GMにとっても不利益が……」

「そんな話やめてよっ! 仲間を疑って、傷つけて……! 今私達、そんなに冷静に話をしていい状況じゃないよ! 何が得とかそうするのが自然とかじゃなくてっ! もっと……相手の気持ちを考えてあげてよ! 今一番辛いのはアンヘルさんだって、どうしてわかってあげられないの!?」


 目に涙を浮かべながら叫ぶマトイの声に俺もJJもばつの悪い表情を浮かべる。確かにそうかもしれない。だけど……アンヘルは裏切り者だったんだぞ? それをどうしてそんなに庇えるんだ……?


「JJの話だって憶測なんだよね? だったらちゃんとアンヘルさんとお話して、真相を確かめよう? もし憶測通りだったとしても、せめてアンヘルさんに事情を聞いて……これからどうしたいのかとか、どうするべきなのかとか、一緒に考えようよ……!」


 必死に語りかけるマトイの声に、俺はどうしても首を縦に振れなかった。正直わけのわからない事がこう立て続けに続き頭の中が纏まらなかったのだ。また口を開けば感情的になってしまいそうで、そんな自分が怖くて何も言う事が出来なかった。

 だが確かにマトイの言う事も一理ある。実際にアンヘルに話を聞いて見ない事には何もはじまらない気がする。確かめなければならない……俺達のこれまでの戦いが一体なんだったのか。


「とりあえず……俺にはちっとばかしややこしくてよくわかんなかったんだがよぉ。明日はアンヘルに突撃ってことでいいのか?」


 ずーっと難しい顔をしたまま沈黙を守っていたシロウが冷や汗をながら呟くと、俺達はそれに同意した。ログアウト後、ケイオスからの連絡で分った事だが、幸いアンヘルはまだオルヴェンブルムに残っているらしい。俺達は翌日オルヴェンブルムにて合流する約束を決め、その日はログアウトの時間を迎えた。そして……。



 翌日、俺達はオルヴェンブルムにログインを果たした。意外な事にログインした直後、城の回廊でアンヘルは俺達の前に姿を現した。まるで待っていたと言わんばかりのタイミングに一瞬たじろいだが、そんな俺に彼女は歩み寄り、そしてじっと正面から見つめながら言った。


「レイジさん……貴方様にお話がございます」


 そこには俺以外の皆も一緒だったのだが、なぜか指名は俺だけだった。マトイやJJが何か言おうとしたが、アンヘルは首を横に振る。その動きにはどこか言いようのない落ち着きと強い制止が込められているように見えた。空気を呼んだのか不満げに、しかし口を閉ざした二人を一瞥し、アンヘルは俺の前に手を差し伸べる。俺が戸惑いながらその手を取ると、アンヘルはゆっくりと回廊を後にした。


「皆様は先にオリヴィアと話をしていてください。そこで大まかな事情は理解出来る筈です」

「……レイジ! 分かってると思うけど!」


 背後からのJJの声に頷く。何をわかってるのか……正直俺にはよくわからなかった。アンヘルとちゃんと話し合えって言いたいのか。それともこいつを逃がすなって言いたいのか……。考えても意味がなさそうだったので、俺は案内されるまま、手を引かれるままに歩き続けた。

 そういえば俺はなんとなく手を引かれる事が多いな、なんて事をぼんやり考えていると、アンヘルが案内してくれたのは城の裏手にある墓地だった。そこはフェーズ3の時と比べると随分規模が拡張されていた。それは、それだけ墓に死者を埋葬するという行いが浸透したという事であり、同時にそれだけの数の戦死者が出ていたという証明でもある。そんな墓地の奥に誰かが立っているのが見えた。こう明るい所で彼女を見るのは初めてで……というよりあの格好で見るの自体二回目だったのでよくわからなかったが、近づいてみるとそれがミユキであると気付く。彼女もオルヴェンブルムに来ていたのかと思いつつ、同時にフェーズ3の最後で喧嘩別れのようになってしまった事も思い返した。それが気まずくて、色々考え事があったのもあってミユキには連絡をつけていなかった。

 アンヘルはそこで俺の手を放した。怪訝な様子の俺に彼女はいつも通り表情を変えず、ミユキのところに行けと言わんばかりに頷く。さっぱり状況がわからず、そもそも俺はアンヘルに色々と話があったわけで、しかしその有無も言わせぬような雰囲気に渋々従う事にした。元々ミユキとはそろそろ仲直りではないが、一度今後について相談すべきだと思っていた。これもいい機会だと切り替えて近づくと、彼女は花束を手にゆっくりと振り返った。そこで俺は思わず唖然としてしまった。

 そこにいるのは間違いなくミユキだった。だがまるで人が変わったように表情からは生気が感じ取れなかった。まるで死人の能面でも貼り付けたかのようなその虚ろな様子に戸惑っていると、彼女は暫く俺を見つめた後に小さな声で言った。


「……レイジ……さん……?」

「あ……ああ。そう……だよ」


 頷き返すと、彼女は何故か深く息をつき、その場に崩れ落ちてしまった。花束が手から零れ落ちるのを見届け、俺は一拍置いて慌てて駆け寄った。ミユキは地べたに両手を着いたまま、俯いて肩を震わせている。ただただ困惑する俺の手を取り、ミユキは消え入りそうな声で言った。


「やっと会えた……。ずっと……この日が来るのを待っていたんです……」

「え……? 何が?」


 目を丸くする俺の顔を覗きこむミユキ。その悲痛な表情に俺は何を言えばいいのかわからなくなってしまう。なんでこんなに悲しそうな顔をしているのか検討も着かないので、励まそうにも慰めそうにも言葉が出てこないのだ。


「えーと……もしかして、この間の事、怒ってる……?」

「この間の、事……?」

「うん。三日前だっけ……魔王と戦った時の……」

「…………それ……三日前じゃない、です」


 首を傾げる。ミユキは俺の腕を掴む力を強くしながら繰り返した。


「それ……三日前じゃないんです。もうそれは……二年以上前の事、なんです……」


 固まってしまったのは――ミユキが何を言おうとしているのか、わかってしまったからだ。

 昨日、ギドの話を聞いた時に脳裏を過ぎった悪寒。その正体に俺はようやく気がついた。気がついて……しまった。


「まさか……。まさか、ミユキ……。そんな……」


 ギドは……セカンドテスターは、一度ログインしたら、ログアウト出来ない。

 フェーズとフェーズの間にある時間も、ただ只管この世界で経過を待たねばならない。

 そんな閉鎖的な空間と時間に閉じ込められ、ギドがおかしくなってしまった。そして……絶望的な事に俺は知っている。彼女が、篠原深雪が、もしも頼子さんから譲り受けたダイブ装置を使っているとしたら……それは……。


「私……このゲーム、やめられなくなっちゃったみたい……です」


 頼子さんが手に入れたのは、セカンドテスター向けのHMDだった――。だけど、でも、だって。セカンドテストは終わってるのに。

 ギドはサードテストに入ってもログアウト出来なかった。セカンドテスターはゲームをクリアするまでログアウト出来ないというルールは、今も生きているという事? だったら……ミユキは? 彼女も同じ……そういう……事なのか?

 ショックで目の前が真っ暗になりそうだった。だがミユキ本人のショックは俺の比ではないだろう。彼女はこのフェーズ3とフェーズ4の間にある空白の時間を、この世界でずっと過ごしてきたというのか。魔王の危険に晒されたこれまでで最も過酷なこの世界で、ログイン初日からわけもわからず突きつけられた様々な問題に答えも出せないまま、ただ混乱し、状況に蹂躙されたまま、たった一人で今日まで俺達を待っていたというのか……?


「そんな……バカな……」

「私も馬鹿げてるって思います……今でもそう思ってます。これが夢ならいいのにって……でも覚めないんです。寝ても覚めても、この世界から出られないんです。でも……よかった。レイジさんがいるって事は、私、別におかしくなっちゃったわけじゃないんですよね……? 私、一応ちゃんと実在していた人間……なんですよね?」


 俺の身体に爪を立てながら縋りつくミユキを、居たたまれもない気持ちで抱き締めていた。彼女の言っている言葉の意味が今でもさっぱり頭に入ってこない。一体なんの心配をしているんだ、この子は? 一体どんな――筋違いな狂気に巻き込まれているっていうんだ?


「レイジさん……私……私が……バカでした。レイジさんの言う通りにしていれば、こんな……」

「いいよ、もう……俺の所為だ。君は何も悪くないんだ……! 俺が巻き込みさえしなければこんな事にはならなかったんだ! 俺が……俺がもっとちゃんとしてさえいれば……っ!」


 悔やんでも悔やみきれない。過去は変えようがない。俺はまた間違えてしまった。彼女の姉を失ってしまった時と同じだ。俺は結局……何一つ守れず。何一つ変えられない……。

 あんなに強がりで可愛げのなかったミユキが、まるで子犬のようにすがり付いてくる様にはどうしようもない胸の痛みを感じた。彼女はこんな人間じゃなかった。それでも誰かに縋りつきたくなるくらいに疲れ、怯え、憔悴しきっている。それくらいの事がこの二年の間で起きたんだ。そりゃそうだ。ただの女子高生が、俺達以上に事情を知らないままこんな世界に放り込まれて二年。手探りで怯えながらなんとか生き抜いてきたのだ。誰にも頼れず甘えられず、同じ人間は一人もいない。ゲームの中に入れたら、その世界の住人になれたら……そんな夢を実現してくれるのがVRMMOというシステムだ。だけど……実際に一人だけでそんなところに放り込まれたら、そんなの狂気以外の何者でもないじゃないか。

 声を押し殺してすすり泣くミユキを強く抱き締めながら歯を食いしばる。血の味を噛み締めながら、俺は首だけを動かして背後に立つアンヘルへ目を向けた。彼女は相変わらず先ほどまでと同じ場所に佇んだまま、無表情に俺達を見つめていた。


「アンヘル……どうなってるんだ? これは……どういう事なんだよ?」


 何も返事をせず、彼女は沈黙を守っている。


「教えてくれよ……どうすればいいんだ? どうすればミユキをここから出してやれる?」


 その態度が胸を掻き乱し、苛立ちを増幅させていく。


「俺が助けなきゃいけないんだよ……わかるだろアンヘル? ミサキを助けられなかった俺がっ! ミユキを巻き込んでしまった俺がっ! 彼女を救ってやらなきゃいけないんだよ……! 何か知ってるんだろ? どうすればいいのか知ってるんだろ? そもそもなんなんだよこのゲームは……誰が何の為に、こんなクソみたいなゲームを作ったんだよ……!」


 ここ数日溜め込んでいた頭の中のグチャグチャが一気に弾けた気がした。やり場のない怒りや悲しみが身体の中を暴れ周り、叫ばずには居られなかった。ミユキを抱き締めたまま心のままに声にならない声で叫び、俺は心の底から祈った。


「何とか言えよォッ!! アンヘル……説明しろォオオオオ――ッ!!」


 ……こんな筈じゃなかったんだ。ただ俺は……俺は……。

 俺は……何をしたかったんだ……?

 もう何もわからなかった。何の為にこのゲームを続けていたのかさえ。全ての熱が冷め、急にバカらしくなってくる。それでもアンヘルは何も答えず、俺は目を閉じ視界を遮断して、ただミユキのすすり泣く声にだけ耳を傾けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なつかしいやつです。
などぅアンケート
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ