勇者的日常(2)
「礼司君、こんばんは!」
ダリア村の入り口付近で立っていると、背後から声をかけられた。俺は約束通り……いや、約束がなくてもログインしただろうが……とにかく、美咲を待っていた。
何度かログインして気付いたのだが、このゲームではログインする際、自分が出現する場所をある程度選ぶ事が出来るらしい。
最初は無意識にあの神殿をイメージしていたのだが、最近はダリア村の入り口辺りにログインする事が多い。
試した事はないが、恐らくどこからでもスタート出来るのだろう。だからこそ、他のプレイヤー連中とログイン直後に遭遇する事は殆どないのだが。
「こんばんは。それで、今日はどうするの?」
「うん。勿論、今日もみんなを何とか集める為に頑張ろうと思っているわけですよ」
握り拳を作って笑う美咲。このゲームで確認されているプレイヤーは俺を含め六人。そして実際の所、俺が一緒にプレイしているのは彼女一人だけであった。
これこそ俺がログインしている理由の一つになっていると思う。美咲はなんというか……そう。放っておけないというか……なんというか。
彼女に対する感情を言葉にするのは中々難しい。別にその必要もないのだが。
「そういえば策があるとか豪語してたけど……何か考えてきたの?」
「良くぞ聞いてくれました! 私ね、思ったんだけど……やっぱり全体を纏める為には、みんなを引っ張っていくリーダーっていうのが必要だと思うんだ!」
ぐいぐい近づきながら力説する美咲。この近すぎる距離には段々慣れて来た。
「ネトゲでリーダーって……そういうのってあんまり長続きしないと思うけどなあ。リアルならともかく、ゲームで上下関係とか……成立させるのも難しいんじゃないの」
「私はネトゲっていうのはよくわかんないけどさ。これって半分くらい現実なんじゃないかって思うんだよね。だってさ、私達今ゲームしてるって感じじゃないでしょ?」
そりゃ確かにそうだ。身体を動かすのにコントローラーは要らないし、喋るのにキーボードも必要ない。彼女の言う通り、ゲームをしているというよりは……どちらかというと、現実の延長のような……そんな感覚ではある。そしてそれが厄介な所でもあるのだが……。
「それにリーダーっていうのはね。別に上限関係とかそういうのじゃなくてさ。みんなのやりたい事、みんなの気持ちを聞いて、考えて、纏めて、どうしたらみんなが楽しく過ごせるか、より目的に近づけるか、そういう意思決定をする人だと思うよ」
「へえ……まあ、一理あるかもね」
「でしょでしょ? だからさ、礼司君がリーダーになればいいんだよ!」
……うーん。
美咲と会話していると、こういう事がよくあるんだよなあ。なんていうかこう、幾つか会話をすっ飛ばしたような……俺、ちゃんと話を聞いていたはずなのに、過程がどこかに消えてなくなってしまっているような感じが……。
「一応訊いてあげるかな……。なんで俺がリーダーなの?」
「え? なんでって……君って結構リーダーに向いてると思うんだけど」
「だから、なんでそう思うのかっていう、そういう具体的な話をしているわけなんですが」
こっちは呆れ気味なのに、向こうはなんだか不思議な顔をしている。まるでそんな質問をされる事は想定していませんでしたといわんばかりだ。
「えーとね。まず、これってゲームでしょ? 限りなく現実っぽいけど、実際はゲーム。で、たぶんだけど……礼司君ってゲームに詳しいよね?」
「まあ、たぶん詳しいと思うけど……それだけ?」
「じゃないよ。礼司君はさ、結構頭もいいんじゃないかな? あんまり自分からぐいぐい会話に入っていくタイプではないんだろうけど、口を開いた時、少なくとも的外れな発言はしていないように思ったんだ」
「別にこれくらい普通だと思うけど……っていうか頭はあんまりよくないよ」
「後は、なんだかんだでお人好しだと思うし。私に付き合ってくれてるし、さりげなくみんなの事も把握してるでしょ? 面倒見もいいと思うんだよねー」
それは……他の連中が何やってるのか気になるのは当たり前だと思うけど。
別に美咲にだって付き合ってるんじゃなくて、他にやる事がないっていうか……他に一緒に遊ぶ相手がいないっていうだけの事なんだけど……。
「ていうかさ。そんなにリーダーが必要なら、あんたがやればいいんじゃないの? お人好しだし、みんなを纏めようって気持ちが一番強いのはあんただろ?」
「それはそうだろうけど……私ってほら、あんまり考えたり冷静に全体を見たりするのは苦手なんだよね。すぐ気持ちばっかり先走っちゃって、空回りしちゃってさ……」
そう言った彼女の横顔は珍しくどこか寂しげだった。しかしそれも一瞬の事。またいつもの笑顔に戻り、俺の肩を叩く。
「もちろん、責任を全部押し付けようって気はないよ。私が出来る事ならなんでもサポートするから、一緒に頑張ってみようよ!」
「……って言われてもなあ。悪いけど……俺に何かすごい判断力とかカリスマとか求めているなら、それはお門違いだよ。見ての通りそんな器じゃない」
「何もしないうちから自分の事を過小評価したり、諦めちゃうのはよくないと思うな。君ってさ、君が思っているより、ずっと素敵な男の子だと思うな」
真正面から、至近距離で。しかも美人にそんな事言われたら、幾らなんでも照れる。
でも、そんな事よりも……俺が気になっていたのは別の事だった。
何もしないうちから諦めるのが良くないなら……美咲はどうなんだろう……?
どう考えたって俺よりみんなに対する気持ちは強いはずだ。行動力だってある。確かに頭はあんまりよくなさそうだけど、それは極端にお人好しなだけで、たぶんバカってほどじゃない。いや、多分だけど……。
それなのに、俺にリーダーをやれという。なんとなく、それが引っ掛かっていた。
「……リーダーの件はさておき」
「あ。さておかれちゃったかー」
「さておきます。とりあえずさ、俺も確かにこのままじゃ良くないと思ってたんだ。何せこれから何が起こるのかわからないし、それに個人で太刀打ちできる保証はないんだ」
「そういえば言ってたね。全員で協力しないとクリアできないかもしれないって」
「クリア云々はともかく、六人集まってる事には絶対何か意味が有ると思うんだ。どんな意味かっていうのは、俺にもわからないけどさ……」
あのゲームマスターを名乗るロギアという女はあれから俺達の前には現れていない。
あいつは何でもかんでもこっちの自由みたいな事を言っていたけど……せめてみんなで協力してくださいとか、一言でも加えておいてくれれば違ったろうにな。
「そのへんの確認も含め、先ずは居場所が確定している奴から会いに行ってみるか」
「居場所が確定してるっていうと……そっか。あの子だね」
美咲も心当たりがあるようだ。俺達は頷きあい、迷いなくダリア村を後にした。
俺達が向かったのは森の中にある神殿であった。
他の連中に関しては、正直どこにいるのかよくわからない。一応アタリをつける事は出来るが、どうしても探す手間がかかるだろう。
しかし、ここにいる人物については間違いがない。神殿の広間の奥にある小さな部屋を陣取り、そこから出ずに現在も引き篭もっているはずだ。
「問題はログインしているかどうかだけど……今日はいるみたいだな」
薄暗い小部屋の中、淡い光に照らされながら本を呼んでいる少女の姿が見えた。
彼女の名前はJJ。三日目だか四日目あたりに神殿に来た時彼女が自らをそう名乗ったのである。読みはジェイジェイ……十中八九本名ではなくハンドルネームだろう。
ログインの心配をしていたのは、彼女がまだ俺達と比べても年下だったからだ。背丈からして、恐らく中学生くらいだろうか。小学生って事はないと思うが……とにかく小柄だ。
外国人なのかなんなのか、金色の髪に青い目という出で立ちで、日本語はペラペラ。まあ、NPCも普通に日本語ペラペラなので、その辺りは検証が必要そうだが。
「こんにちは、JJ!」
「……ミサキ……と、レイジ」
ぱたんと本を閉じ、椅子から立ち上がるJJ。軽くウェイブした髪を指先で弄りつつ、上目遣いに俺達を見つめている。
「何か用? もしかして、まだ自分の精霊をどうやって出すのかわからないとか?」
「おかげさまでそれに関してはなんとかなりましたよ」
そう、以前俺達は自分の精霊の出し方がよくわからず、JJに教えを請いに来たのだ。
いきなり精霊を出せと言われた所で、そんなもの出来るはずもない……という先入観が実は問題だったのだが……とにかく、俺達は一度JJに借りを作っているわけだ。
「ふうん。ま、ゲームシステムとして“可能”とされている事なんだから、どんなバカにだって出来て当然だけど……。とりあえずおめでとうと言っておくわ」
鼻で笑いつつのお言葉は少なからずカチンと来た。しかしこのちびっ子の言動は何から何までそんなものなので、この程度でイライラしていたら会話にならない。いや、どっちみちならなかったりするのだが。
「それで? 用がないならさっさとお引取り願いたいんだけど」
ここは別にお前の為の建造物じゃないだろう……という言葉は飲み込んでおいた。
一緒に頑張ろうよ、仲間なんだから仲良くしようよ……そんなセリフはもう何度も美咲が投げかけている。しかしだ。こいつの心の壁は分厚く、その程度の言葉では届かない。
美咲も流石にそれは理解しているのだろう。二の句に困っているのだが、そうこうしている間にもJJはどんどん俺達との会話に飽きている様子で、今にもどこかに行ってしまいそうだった。
「あ、あのさ。あれからその本について何かわかった?」
苦し紛れに問いかけてみる。その本というのは、初日にロギアから受け取ったマニュアルの事だ。現在もJJが保持しており、彼女の愛読書となっている。
マニュアルの話を持ち出したのは、とりあえず会話を続ける為だ。
あのマニュアルは本来全員が共有すべき財産である。それはJJも理解しているのか、あのマニュアルについての質問だけは面倒くさがりながらも必ず答えてくれるのだ。
「あれから新しくわかった事……そうね。やっぱり全員で協力しないとこのゲームはクリア出来ないかもしれない……って事くらいかしら」
「え? それって礼司君が前に言ってた事だよね?」
「そうね。でも私もとっくにその事実には感づいていたけど……。そう思うに至るだけの根拠も今ならあるわ」
席に着き、机の上で本を開くJJ。それとなく促され俺達はその傍に立った。
「まずこの本についてだけど、正式名称はロギアの預言書というみたいね。まあ、預言書というよりは、歴史書……というのが正しいのかもしれないけど」
「へえー。説明書じゃなかったんだねー」
「もちろん、説明書でもあるわ。ただまあ、全部回りくどい書き方をされてるんだけど……。この本に書いてあるのは、私達がこの世界に来る前に何が起きたのか、それからこれから何が起きるのか……まあ、そんな所かしら」
「これから何が起きるのかまでわかるのか? すごいな」
「早とちりしないで。そこまではっきり書かれているわけじゃないのよ。何しろ預言書っていう括りだから……全部曖昧なのよね」
溜息混じりにそう言うと、JJは俺達にこの本の内容を説明してくれた。
まず、この本に書いてあるのは“物語”であるという事。タイトルは“ロギアの預言書”。それは神がこの世界を作る創世記から始まり、未来を暗示する予言へと続く。
「この世界の成り立ちとかは、多分ただの設定だろうから今は省くとして……。多分、この後半の予言に差し掛かった部分に関しては私達にも関係のある事だろうから、噛み砕いて説明するわね」
それは予言の中でも勇者の出現に関する部分である。
世界に魔物が蔓延り、人々が滅びの運命を辿る時、神の使いである勇者が現れる。
神の力である精霊と契約した勇者達は、人知を超越した力を行使し、人々に降りかかる大いなる災いを退ける希望となるであろう……と、まあそんな感じの話らしい。
「恐らくだけど、NPCの連中もこの預言書と似たような物を所持してるんじゃないかしら? だから私達が勇者だと知って、ああいう反応になったのよ」
そういえば姫がそんなような事を言っていた気がする。預言書というくらいだから最近の出来事を愚直に記した物ではなく、この世界にとっては随分昔から存在し、受け継がれてきた伝承の類なのだろう。
「しかしこの文字は何語なんだ? なぜか読めるけど……」
「さあ? 私達は日本語を話しているつもりだけど、NPCにしてみたらこの世界の言葉で喋っているつもりなのかもしれないわね。そこを気にしたらキリがないけど」
預言書もそうだが、ダリア村で見かける文字というものは全て見た事のない不思議な文字である。アルファベットに似ている気もするが、もう少し複雑な言語形態の様な気もする。とはいえ俺は所詮ただの高校生なので、“不思議な文字”以上のコメントは難しいのだが……。
「えーと、私達が現れる事を村の人達が知っていた理由はわかったけど、どうして全員で協力しないとクリア出来ないと思うの?」
「挿絵を見たからよ。ほら」
美咲の質問に対しJJはページを捲って応じた。そこには記されていたのは……燃える町、逃げ惑う人々、それを踏み潰し炎を吐き出す巨大な黒い怪物の姿であった。
「こ、これは……」
「ここに書いてある町って、ダリア村と比べても明らかに大規模でしょ。それを容易く蹂躙するような化物がこの世界にいるとして、それを私達が一人で何とか出来ると思う?」
サイズがこのままだとはJJも思っていないだろうが……それにしたって、俺達にこれをどうにかしろというのなら、そりゃ無理な相談である。
「ダリア村に最初に踏み込んだのは、多分遠藤だと思うけど……どうして彼を見た村人達は、即座に彼を勇者だと認識したのかしら」
本を閉じつつ呟くJJ。それは……俺も気に掛かっていた事だ。
こっちから見て、彼らが村人だというのはわかる。俺達は少なくともこれがゲームだという認識で望んでいるし、RPGというジャンルの前知識だってある。
だが、このゲームのNPCにそうしたものはない。もちろん、そういう設定を施されているだけかもしれない。だがそうでなかったとして、俺達が現れた時、何を以ってして勇者であると判断したのか。
「遠藤が何か言った可能性はあるけどね。多分、彼らは元々勇者が現れる事を待ち望んでいたんじゃないかしら」
「それは、預言書にそう書いてあったからじゃなくて?」
首を傾げる美咲。しかし俺とJJは黙っていた。
恐らく俺達は同じ事を考えている。確かに……村人達が俺達を勇者だと判断するための材料は幾つか有る。
格好もそうだし、なによりこの付近には他の村というものがない。ダリア村は少人数の村だ。恐らく村人全員が顔見知りだろう。そこに少し変わった格好の余所者が現れた。それも、絶好のタイミングで……。
「村人達が俺達を……勇者の出現を待っていた理由。それって、彼らにとって何か切羽詰った状況があるって事なんじゃないかな?」
確信はない。だが、JJも同じ結論に至ったのだろう。今回は口を挟んでこない。
「でも、ダリア村ってすごく平和だよね? 村の人達も全然普通で、みんなにこにこしてて優しいし……お姫様だって、確かに困っているとは言っていたけど……」
そう。俺達はダリア村を拠点に活動している為、あれからも何度か姫と顔をあわせている。
初日に彼女が言いかけていた言葉はもちろん直ぐに確かめた。だが彼女はあの時ほど深刻そうな顔はせず、俺達に笑顔で事情を説明してくれた。
ダリア村を困らせている事情というものはとりあえずさておき……とにかく、今の所あの村はそれほど切羽詰った状況にあるとは思えないのだ。故に、美咲の反応はごく当然であったといえる。
「私の目から見ても、今あの村が危機的状況にあるようには思えないのよね。だからすぐすぐ危険な事があるとは言わないけど……今後大型の、いわゆるボスキャラクターが出てきた場合、単独行動だとまずいかもしれないわね」
「そうだな……。あーっと、そういえば元々その話をしに来たんだった」
「そうだよ! ねえJJ、私達と一緒に行動しない? その危険っていうのがいつか来るかもしれないし、やっぱり私達はみんなで纏まって行動すべきだと思うんだ!」
身を乗り出しJJの手を取る美咲。やはりJJもこの美咲の勢いは苦手なのか、少し身を引きながら困った様子で答えた。
「悪いけど、私はまだ色々確かめたい事があるの。それに、この場所は安全だと思うから」
「えー? どうしてここは安全なの?」
「んー……なんとなく。確信があるわけじゃないの。ただ、この預言書を読んでいたらそんな気がしてきたってだけ」
「そうなんだ……。それじゃあ、JJが確かめたい事って?」
すごいな。俺がこの勢いで質問攻めしたらこいつは絶対答えてくれないだろう。しかし美咲がガンガンいくと、圧倒されるのかなんなのか、JJは渋々相手をしてくれる。
「……二人は自分の精霊について検証してる? どんな能力を持っていて、どれくらい役に立つのか、とか……」
ぎくりとする。美咲はどうだかしらないが、俺は……こっそりやっている。自分の精霊がどんなやつで、どんな能力を持っているのか……もちろん検証したさ。だからこそ、俺はあまり気軽にあいつを呼び出したくないのだが……。
「私はあんまり調べてないかなー。ヤタローはかわいいけど、それだけでいいかなーって思ってるところがあるし」
「そんなんじゃいざという時どうするの……? 本当、ミサキって警戒心が薄いっていうか……何も考えてないっていうか……」
溜息を漏らしつつ、JJは俺達の前に右手を差し出した。次の瞬間、その手の中に光が収束し、彼女の精霊が形を成していく。
驚いたのはその出現までの速度。俺達が精霊を出すにはJJの倍は時間がかかるだろう。
自分でやっていて理解したが、精霊を具現化させるまでの時間というのは、反復練習をする事によって短縮できる。つまり、それだけJJは精霊を出し入れしているという事になるわけだ。
「これが私の精霊。能力は色々あるみたいだけど、まだ検証中って所」
JJが手にしているのはトランプのようなカードのデッキである。淡く光を帯びており、彼女が操作しているのだろう。カードはふわりと浮かび上がり、俺達の目の前で並んでみたり、回転してみたり、不思議な動きを見せている。
「これってJJが動かしてるの? すごいねー!」
「最初は浮かせるだけでも結構苦労したけどね。練習すれば上達するみたい」
再びカードを掌の上に重ねていく。そうしてJJは空いている左手を俺達の前に出し、そこにカードとは別の物を具現化してみせた。
出現したのは……ベルトと一体化したポーチのようなものであった。それを腰に巻き、カードの束を収めているJJの姿を見て、初めてそれがカードホルダーである事に気付く。
「JJの精霊って、ヤタローみたいに自分で動いたりしないの?」
「そうみたいね。他の連中の能力は聞いてみた?」
首を横に振る美咲。JJはホルダーからカードを取り出しシャッフルする。
「一人一人、精霊の形は違うみたいね。ミサキの……ヤタロー、だっけ? みたいに、自我を持っているタイプもあれば、私みたいにただの道具の場合もある」
よく混ぜ合わせたカードを机の上に置き、JJは俺に目線を向けた。
「レイジは自分の能力、ちゃんと把握してるの?」
「いや、そりゃ……まあ……」
思わず言い淀んだのは……とてもシンプルな理由である。
俺の精霊も、その精霊が持っているであろう能力も、正直な所かなり微妙だからだ。
「自分の力は把握して、きちんと使いこなせるようになっておいた方がいいわよ。といっても、私の能力を把握出来たのはミサキのお陰なんだけどね」
美咲に目を向けると、本人はきょとんとしている。
「あ。えっとね、私礼司君と一緒に居ない時、たまにJJに会いに来てたの」
「あ、そうだったんだ……」
「ヤタローが上手く出せなかったし……それに、JJの役に立てたらいいなって思って」
その間に俺も自分の精霊を出す特訓をしていたのだから、有る意味ありがたい事だ……。
「ミサキはレイジの能力について知ってるの?」
首を横に振る美咲。JJは……なにやら意地悪そうな笑顔を浮かべている。
「レイジ。あんたの能力、私が当ててみせようか?」
「はっ?」
「私の能力はこのカードを使用した物よ。念じればカードに模様や文章を記す事が出来る……というのが基礎能力。更に私は、他人の能力についてある程度見抜く力を持ってる」
つまり――他人の能力を見破る能力、って事か……。
「へー! あ、それで私の能力がなんなのか教えてくれたんだね?」
「わかるのはざっとだけどね。手掛かりがあれば、推測は難しくないでしょ」
「そっかー……じゃあ、礼司君の能力もわかるんだ?」
「そうね……それに、こいつがどれくらいの力を持っているのか、それもわかるわ」
人の気も知らず美咲は興味津々な様子で俺を見ている。そして……JJは人の気を知った上で美咲の興味を煽ってやがる。こいつは相当性質が悪い……。
「いや、俺はだな……」
会話の流れを逸らそうとしてみるが、既にJJはカードに手をかけている。まるで占い師宜しく、デッキからカードを一枚引き抜き、俺に差し出した。
「ぐっ」
「え、なになに? 何て書いてあったの?」
覗きこんでくる美咲から隠すようにカードを引っ手繰る。JJはそんな俺の様子を眺め、楽しそうにニヤニヤと笑っていた。
「しょうもない能力を持ってると苦労するわね、レイジ?」
「あのなあ……。確かにしょうもない能力だっていうのは否定しないけど、それだって使いようだろ?」
「そうね。でも多分、私達に与えられている能力っていうのはね。基本的に不公平なのよ」
再びカードを捲るJJ。今度は二枚。俺達には見せないように、手元で確認する。
「……やっぱり、ミサキなのね」
「うん? 私がどうかした?」
「なんでもないわ。まあ……精々精進する事ね、レイジ」
何も言い返せず、俺は仏頂面のままJJから目を逸らした。
しかもJJはまだ暫く自分の能力について研究したいとの事で、結局俺達と行動を共にするという話にはならなかった。これではただの骨折り損である……。
「それでさー、礼司君?」
「なに?」
「礼司君の能力ってなんなの?」
神殿を出てからも美咲はその話ばかりしてくるものだから、俺は煙に巻く為にかなりの労力を要した。それもこれも全てJJのせいである。あの悪魔の様な小娘の憎たらしい笑みを思い出すと、どうにも溜息が止まりそうにもなかった。
JJとの接触を終えた俺達は再びダリア村を目指していた。何せ他の連中がどこにいるのかわからないものだから、この近辺の中心地点である村をとりあえず目指したわけだ。
ダリア村から森の中の神殿までは、片道凡そ二十分程度。JJと神殿でのんびり話し込んでしまったので、結構な時間が経過していた。
このゲームにログインしていられるのは一日三時間と限定されている。闇雲にあちこちを歩き回っているようでは、時間がいくらあっても足りないわけだ。
「JJは相変わらずだったな……」
「そうだね。でも、全く私達と手を組む気がないってわけでもないんじゃないかな? 集団で居るべきだって事は理解していたみたいだしね。ほっとけば気が向いて来てくれるんじゃないかなーと、私は楽観的に考えていますよ」
「まあ、確かにな……。それに美咲はJJと仲がいいみたいだしね」
「え? そうかな?」
そういう自覚はないのかもしれないが、俺から見れば明らかな事だ。
どう考えたってJJの俺達への態度には違いがある。美咲はこつこつJJに会いに行っていたようだから、それも仕方がない事といえばそれまでなのだが……。
「やっぱりリーダーは美咲の方が向いてるんじゃないの」
「あ、いじけちゃった? もしかしてヤキモチかな?」
「どうしてそうなる……」
そんな下らないやりとりをしつつ村に到着した俺達は入り口付近で足を止めていた。
次に探しに行くべきは誰か。順当に行けばシロウあたりだろうか。シロウの近くにはアンヘルがいるかもしれないという淡い希望もある……と、相談していたその時だ。
「やあご両人。今日も仲が良さそうで何よりだね」
「あれ、遠藤さん。こんにちは!」
元気良く挨拶をする美咲。ナイスタミングというべきだろう。そこには普段どこで何をしているのかさっぱりわからない、遠藤さんの姿があった。
「遠藤さんを見かけるのは久しぶりですね。ログインしてなかったんですか?」
「いんやあ、毎日いたさ。ただ、君達とは行動範囲が重なっていなかったんだろうね」
暢気に笑いながら語る遠藤さん。彼とここで鉢合わせたのは本当に僥倖だ。他の連中はどこで何をしているのか、ある程度は推測が出来る。しかしこの人の場合、どこで何をしているのか、何が目的なのかさっぱりわからないのだから。
正直、どうやって探し出そうかと思い悩んでいた所だ。美咲も幸運を感じていたのだろう、笑顔で……いや、こいつは常に笑顔なのだが。
「遠藤さん、遠藤さん! 丁度今、私達は遠藤さんの話をしていたんですよ!」
「へえ。噂をすればなんとやら、というやつかな。それで、どんな噂話だい?」
「遠藤さんを探し出すにはどうしようかという話ですよ。俺、前から気になっていたんですけど……遠藤さんってこのゲーム内でどんな事をしているんですか?」
「どんな事をしているか……ね。ふーむ。色々あるんだけど……知りたいかい?」
顎に手をやり笑う遠藤さん。俺達は同時に頷いてみせる。
「このゲームがどんなゲームで、何の為に存在しているのか……どこまでがゲームで、どこからがゲームではないのか……そんな事を調べているのさ。まあ、詳しくは大人の秘密ってやつだけれどね……ははは」
「このゲームについて、ですか?」
「そうだね。君たちも気にしてはいると思うけど、このゲームは誰が何の為に作ったものなのか……僕はそれが気になっているんだ。せっかくテスターに当選するという幸運に恵まれたんだし、出来る限りこのゲームを理解してみたいと思っているんだよ」
なるほど、それは確かに一理ある。
誰が何の為にこのゲームを作ったのか、それは俺も気になっている事だ。恐らくJJはそれを検証しているというのもあるんだろう。今現在、このゲームをただ遊ぶ為に純粋にプレイしているのは、恐らくシロウくらいのものだろうけど。
「それで、何かわかったんですか?」
「うーん……そうだねえ。何もわからないって事はわかったかなあ」
あっけらかんとそんな事をいう遠藤さん。相変わらず何を考えているのかよくわからないおっさんである。
「遠藤さん、さっきどこからがゲームなのか……みたいな話をしてましたよね? それってどういう意味なんですか?」
「言葉の通りの意味さ。いや、少し語弊があったかな? つまり、この世界がどれくらい機械仕掛けなのかと、そういう事を気にしていたんだよ」
美咲の質問に答えながら周囲を見渡す遠藤さん。そうして俺達を手招きし、村の中へと移動していく。
移動先は姫の屋敷へと続く大通りだ。といっても規模は質素なもので、必要最低限の店が軒を連ねているだけである。それでもこのダリア村にとっての大動脈であり、少ない村人達がそれなりに行き来していた。
「君達は彼らの事をNPCだと言っていたね。でも、それにしては妙じゃないかな?」
「……と、言うと?」
「僕も昔はゲーマーでね。RPGなんかはよくやったものさ。でもそういうゲームにおけるNPCっていうのは、こんなに反応豊かだったかな?」
「ここは、ダリア村です!」
急に声をあげた美咲を二人で見やる。美咲は直立不動のままだ。
「ここは、ダリア村です!」
「うん。彼女はどうしてしまったんだい?」
「多分、RPGの村人というものを再現しようとしているんじゃないかと……」
美咲は頷き、それから行き交う村人達に目をやる。
「確かにさ、ここの人たちって勝手にお喋りしたり、それぞれ自由に動いてるんだよね。プログラム制御されているっていう感じじゃないかなー」
「そう、そこなんだよ。しかしね、彼らは人間ではない……僕はそれも感じているんだ。根拠は二つ。人間にしては“出来すぎている”というのと、人間にしては“反応が薄すぎる”って事だね。少し実験をしてみようか」
そう言って遠藤さんはお喋りに興じていた若い娘の一人に近づき、問答無用でその腕を掴んでみせた。そうして何も言わず、強引に俺達のところまで引っ張ってきたではないか。
「こ、こら! 遠藤さん、無理矢理若い娘さんを拉致しないでください!」
慌てて駆け寄る美咲。しかし遠藤さんは何も言わず、自らの口に人差し指を当てた。静かにしろと、そういうジェスチャーである。
二人して黙っていると、無理に連れてこられた村娘に自然と目が向いた。そうしてみれば、幾らなんだっておかしい事に気付く。
娘の顔には何の表情もなかった。無表情……そこからは何の思考も感情も読み取れない。
見れば、先ほどまで娘と話していたほかの村人達は何事もなかったかのように買い物に戻っている。まるで遠藤さんが無理矢理村娘を引っ張り出した事により、彼女の存在が世界から切り離されて停止してしまっているような、そんな奇妙な様子に見えた。
「遠藤さん……これって?」
「二人は結構この村に入り浸ってたんだろう? その間、村人達の様子を観察したかい?」
同時に首を横に振る。そりゃそうだ。村人の行動なんていちいち気に留めたりしない。なにせ彼らは本当に自由にあちこち動き回っているのだから。
「まあ、結論から言ってしまうとね。村人は全員、毎日決まった行動を繰り返しているんだよ。その中から行動が派生する事はあるけどね。それも限定されたものだ」
それが“出来すぎている”という事さ……と、遠藤さんは続けた。
「確かに僕ら人間は日々時間と習慣に制限されて生きている。でも毎日全く同じ事を繰り返すっていうのはなかなか難しい事さ。生き物である以上はね。でも彼らは違う。彼らは何の苦もなく、毎日全く同じ行動を正確に繰り返す事が出来る。これが機械仕掛けでなくてなんだというのか」
「なる……ほど。それは、全然気付きませんでした……。“反応が薄い”というのは、今まさにこの状態を言うんですか?」
遠藤さんに手首を掴まれた村娘は今もぽけーっとしている。もし彼女が自立した思考を持つ人間なら、会話の途中で無理に手首を掴まれ強引に連れて行かれたら、拒絶なり戸惑いなりの反応を見せるはずだ。それは周囲の人間にも同じ事が言える。
「僕たちプレイヤーがこの世界にとっての他所者だからなのかなんなのか……理由はハッキリしないけどね。とにかく、村人は僕らに何をされても反応が薄すぎるんだよ。例えばこんな事をしても、全く無反応だったりする」
次の遠藤さんの行動は流石に読めなかった。
彼は俺達の目の前で娘の背後に回り込み、何の戸惑いもなくその胸を鷲づかみにしたのである。突然の事に呆ける俺達を他所に、彼は容赦なく胸を揉みしだいている。
「ストップストップストーップ! 遠藤さん、変態です! それはいけない事です!」
「まあ落ち着きなよ美咲ちゃん。ほら、この子は嫌がる素振りなんて見せないだろう?」
「嫌がってるとか嫌がってないとかそういう問題じゃないんです! 痴漢!」
俺が呆れている間に猛抗議した美咲のおかげで娘は解放された。遠藤さんが手を離し軽く挨拶をすると、彼女も会釈をしてそのまま何事もなかったかのように村の中へと姿を消していった。
「なんか……すげえものを見た……」
「何考えてるんですか遠藤さん! セクハラですよ! えっちな事ですよ!」
「うん。僕が若い娘さんの胸を揉みたいかどうかという事に関しては、勿論議論の余地があると思う。しかし本題はそこではないんだ。彼らがNPCであるかどうか……機械仕掛けなのかそうでないのかという事だよ、美咲ちゃん」
このおっさんの奇行についてはさておき、これは意味の有る実験だったと思う。
幾らなんでも、彼らが俺達と同じプレイヤーであるという可能性はすっかり消えてなくなってしまった。元々NPCだと考えていたわけだから、心境の変化があるわけではないが…………うん。心境の変化は、ないよ。
「……礼司君? だめだよ、遠藤さんの真似しちゃ」
「し、しないよ! 何も言ってないだろ!」
「なーんか怪しいと思って……相手が無抵抗だからってそういう事するのは最低だからね。絶対にやってはいけない事だからね」
「わ、わかってるよ! え、遠藤さんはこういう事を検証していたんですね?」
美咲の視線から逃れるように話を振ると、遠藤さんはけろりとした様子で頷く。
「調べれば調べるほど、この世界は人造物であるという結論が近づくだけなんだけどね。それにしても本当に凄いシステムだよ。ゲームなんかにするより、もっと他に幾らでも有益な使い方があると思うんだけどなあ」
「というと、例えば?」
「仮想現実に人間が求める事なんて、相場は決まっているだろう?」
肩を竦めて笑う遠藤さん。そうして凛々しい顔で言った。
「僕なら真っ先に…………エロい事を出来るシステムを作るね。間違いなくバカ売れすると思うのだけれど、どうかな?」
この人、直接的な事を言おうとしたけど、美咲がすごい目で見てるからってさりげなく濁したな。そしてその質問を俺に投げかけるのは、一緒に死ねって事だな。
「まあ……この精度なら売れるでしょうね。別に新しくそういうシステムを作りなおさなくてもいいような気もしますし……」
さっきの村娘の様子をみているとね……っと、このくらいにしておこう。美咲がなんかもう、怒ってるというよりは悲しそうな目で俺を見ている。
「遠藤さん、私は決めました。遠藤さんは常に私達と行動を共にするべきです。ていうか私の目の届かない所に消えないで下さい」
「おやおや、ははは。困ったなあ、君みたいな若いお嬢さんにそんな事を言われるなんて光栄だよ。おじさん冥利に尽きるねえ」
「おじさん冥利という言葉は聞いた事がありませんが、多分そういう事ではないと思います。次に遠藤さんが何か変態的行為を働いた場合、私が処罰するという事です」
「それは困ってしまうなあ。僕、まだ色々と試したい事があるからね。若いお嬢さんには刺激的な事もあるだろうから、一緒に行動するのはオススメできないかな」
無言で美咲が精霊を出すものだから、遠藤さんは笑顔のまま背後へ飛び退いた。
「お誘いはありがたいけど、今回は遠慮させてもらうよ。礼司君、同じ男のよしみだ。彼女が僕をゲームオーバーにしない為に、少しだけ時間を稼いでくれないかな?」
俺は無言で背後から美咲を押さえ込む。その間におっさんは猛然と走り去って行った。やっぱりあのおっさん、なんかスポーツでもやってるな……。
「ちょっと礼司君? どうして遠藤さんの味方をするのかな?」
「あんたは落ち着くべきだ。このゲームは死んだらもうログインできなくなるんだぞ」
「その方がいいんじゃないかなって、ちょっとだけ本気で思っちゃったよ」
ヤタローを撫でながら笑う美咲。その目は絶対、ちょっとだけなんてものじゃなかった。
さて、こうして別行動を取る四人の内二人に話を聞いた俺達。結局その日のうちには残りの二人を発見する事は出来ず強制退場を食らってしまい、残りは翌日に繰越となってしまった。
翌日。俺は再び美咲と村の入り口前で合流し、そのままの足で森へと向かった。
「シロウとアンヘル、見つかるかなー?」
「どうかな。アンヘルはどうだか知らないけど、シロウの行動半径はかなり広いぞ」
二人並んで夕焼け空の下を歩きながらそんな話をしていた。
この世界の時間と俺達の世界の時間というのはどうやら同じとは限らないらしい。ログイン中の時間経過に関しては一定なのだが、俺達が毎日決まった時間にログインするからといって、ゲームの中でも決まった時間に現れるというわけではないらしい。
だから真夜中にゲームを開始しているのにこちらでは昼間だったりする。今日は夕方の三時間にお邪魔したらしく、既に日は傾き始めていたのだ。
「そういえば、夜に行動するのは久しぶりだね」
「シロウにとっては都合がいいんだろうけど……俺達にとっては厄介だな」
シロウを探して平原を歩き回っていた俺達は森の前で足を止めた。
この森は神殿を要するあの森と同一だが、それなりの広さがある。神殿は森に入って程なくの部分にあり道も整備されていたが、森の全てに人の手が行き届いているわけではない。
シロウが活動しているのはそんな自然そのままの森や、村から離れた草原、それから村の背後にある山といった人気のない場所である。どこにいるのかは彼の気分次第で、俺達に出来る事と言えば居そうな場所をしらみつぶしに探して見るくらいであった。
そして予想通り、シロウの探索は難航した。草原をうろついてみたりもするのだが、とある事情からあまり森の奥深くまで足を踏み入れるのは得策ではない。しかし近場にいないのは明らかなので、いい加減探索範囲を森の中や山の中にまで広げる必要性があった。
「このままだと完全に日が暮れちゃうね。どうする?」
「どうするって……シロウを探すなら森の中に入るしかないな。ある程度探して見つからないようなら引き上げるとか……」
そうして森の入り口で躊躇っていた時である。唐突に森の中から大きな音が響き渡った。単刀直入に言えばそれは爆発音で、闇に覆われつつある森の中が一瞬だけ赤く瞬いたように見えた。
「今の音、シロウじゃない? 行ってみようよ!」
「え? う、うーん……そうかもしれないけど……」
「大丈夫だって。私が先に行くから、礼司君は後ろからついてきなよ」
余裕の様子で美咲は森の中へ飛び込んでいく。こうなってしまっては仕方がない。俺も覚悟を決め、彼女の後に続く事にした。
森の中を走っていると、遠くから断続的に音が聞こえてくる。戦いの音。恐らくシロウが、何かと戦っている音だ。
光に導かれるようにして俺達は直ぐにシロウの元へ辿り着くことが出来た。案の定シロウは自らの精霊を出し、森の中で戦闘を繰り広げていた。
赤い髪の男、シロウ。本名は不明。遠藤さんはヤンキー君と呼んでいたが正に外見はその通りで、当然中身もそれ相応の性格をしている。
初日から一貫して彼は単独行動を好み、しかし明確な目的を持っていた。それが“魔物”との戦闘である。
シロウが対峙しているのは黒く大きな影であった。輪郭だけがぼんやりと輝いており、恐らく瞳であろう、赤い光が二つシロウを見つめている。
――“魔物”。それは俺達プレイヤーに対し用意された敵。この世界の人々を苦しめる破滅の存在。そして、RPGを楽しむ上で絶対に必要な“獲物”である。
目の前の魔物は大きい。全長はざっと三メートルと少しくらいだろうか。二足で立ち前足を腕のように振るう事もあれば、四本足で素早く移動したりもする。
魔物は全てそうだが、輪郭が見えるだけで、その中身はただただ漆黒で構成されている。故に形についてはハッキリしない所も多いのだが、強いて言うならば熊のような、そんな形をした魔物であった。
シロウはその魔物が繰り出す爪や牙を素早い身のこなしでかわし続けている。反撃する気配はないがそれは決して反撃出来ないという事ではない。彼の表情には笑顔があり、回避運動からは明らかな余力を感じられたからだ。
つまり、まだ反撃していないだけ。魔物はシロウへと跳びかかり思い切り爪を繰り出す。それが当たれば大地は抉れ、大木を薙ぎ倒すほどの威力を秘めているのは明らかだった。
「うわー、魔物ってあんな感じなんだ……あんまりこっちの方には来ないからねー」
暢気に観戦する美咲がそんな事を言う。
そう、俺達はあまり魔物と戦闘というものをしない……というか、俺に至ってはした事がない。理由は色々あるが、俺に“戦闘”というものは向いていないというのが大きい。だからこそこの森に入る事に対して消極的だったのだが……。
魔物とシロウの勝負は一瞬で決着を見ようとしていた。魔物が闇雲に繰り出す攻撃を掻い潜り、シロウがその懐に飛び込んだのだ。
すかさず魔物の顎目掛けて拳を繰り出すシロウ。その一撃が減り込んだ瞬間、シロウの拳の先端から炎が噴出した。爆音と共に爆ぜた熱は魔物の頭を吹き飛ばし、頭部を失った胴体はぐにゃりと揺れ、原型を留めず暗がりの中に溶けていった。
「一撃かよ……」
「シロウー! おつかれさまー!」
手を振りながら出て行く美咲。シロウは腕を回しながら俺達へと向き合った。
「よお、美咲じゃねえか。また戦い方を教わりに来たのか?」
「今日は違いますよー。ちょっとシロウと話したくてね!」
驚いたのは二人が意外と親しげに話していた事だ。俺はシロウとはまともに会話をした事すらないのだが、どうやら美咲は知らない内にシロウとも会っていたらしい。
「今日はそいつも一緒か。あー……なんだっけ、お前?」
「彼は礼司君だよ。仲間の名前くらい覚えてよね」
「うっせーなあ。仲間だっつっても実質関係ねーやつだろ? いちいち覚えられっかよ」
腕組みそっぽ向きながら言うシロウ。そりゃ、確かに俺に興味はないだろうな……。
「シロウ、今日はアンヘルと一緒じゃないの?」
「あいつならさっきからずっとお前らの後ろにいるぜ」
二人同時に振り返ると、真後ろにアンヘルの姿を見つける事が出来た。当然驚いた俺達に対し、アンヘルは無表情に頭を下げる。
「いっ、いたのか……。いるならいるで何か声をかけてくれてもいいじゃないか……」
「はい。しかしながら、お二人はシロウの戦いぶりを観察している様子でした。故にわたくしもそのように振舞うべきだと判断したまでの事でございます」
そりゃ確かに息を殺して見ていたのだが……いや、何も言うまい……。
「で、話ってのはなんだ? この辺りの敵は一通り狩り尽くしちまったからな。多少なら時間を作れるぜ」
こうして俺達はシロウの休憩に付き合う形で話をする事になった。
シロウはその辺から集めてきた木の枝などを一箇所にまとめそこに手を翳す。すると手が赤く発光。一瞬で木々が燃え上がり焚き火の出来上がりである。俺達はその焚き火を囲むようにして腰を下ろす事にした。
「完全に日が暮れればまた奴らの発生率が上がる。ま、休憩時間は僅かだな」
そう。シロウの言う通り、夜は魔物の発生率が上がる時間帯らしい。
この世界の脅威である魔物という存在は、基本的に太陽の光を好まない。
光を浴びると蒸発するとか、そこまで致命的な弱点ではないらしい。しかし魔物が活発化するのは夜であり、昼間の間出現するとすれば森の中のような光を遮りやすい場所だというのだから、光が苦手であるというのは歴然とした事実なのだろう。
シロウが森で活動している理由がまさにそれで、昼間でも魔物が出現する可能性が有る場所に赴き、片っ端から狩り尽すというのが彼のプレイスタイルであった。
「村の人たちも喜んでたよ。シロウがこの辺で狩りをするようになってから、昼間に魔物が村の近くまで来る事はなくなったってさ」
「そりゃあ、もう沸かなくなるまでを目処にぶっ潰してるからな。俺がログインしている間、世の中は平和だろうよ」
笑いながら語り合う美咲とシロウ。俺はというと……二人の間にうまく割り込めずに居た。横にアンヘルが座り、ぼけーっと炎を見ているというのも理由の一つだが……。
「ていうかよ。お前らちゃんとバトルしてるのか? 美咲はともかく、そっちの……あー、なんだっけ?」
「礼司君」
「そう、レイジ。お前が戦ってるところなんて見た事ねーんだが、どうなのよ?」
相変わらず名前は覚えられていないようだ。まあ、それはさておき……。
「俺の精霊は戦闘向きじゃないんだよね……。シロウの精霊は……えーと、それ?」
「ああ。こいつが俺の精霊らしいな。まあ、精霊っつーか武器なんだけどよ」
そう言ってシロウが見せてくれたのは、彼の腕に纏われている鎧であった。
肘から先、拳までを覆うプロテクターの様な器具。有体に言えばナックルだろうか。掌の部分に赤い宝石のようなものがあしらわれており、その内側で小さな炎が揺らいでいるのがわかる。
「見てたならわかると思うが、炎を操る能力を持ってる。いつでもどこでも火が出せるってのは、割と便利な能力だぜ」
立てた人差し指の先端に小さな炎を浮かべ、笑いながら吹き消すシロウ。JJを見た時にも思ったが、明らかに能力を使いこなし始めている。
いや、彼はJJよりもずっと能力に適応しているだろう。何せログイン中はずっと自分の能力を磨く事だけに集中していたのだから。
「どうやら武器型の精霊と生物型の精霊ってのがいるみてーだな。俺やアンヘルは武器型。そういう意味じゃ、戦闘には向いてるんだろうぜ」
見ればアンヘルはずっと大きな杖を抱えている。こちらの会話に参加してくる気が全くない様子なので確認は取れないが、シロウの発言から推測するにあれが精霊なのだろう。
「生物型の精霊でも、武器になってもらえばいいだけなんだけどね」
「えっ? 武器に……なってもらう?」
今まで聞いた事のない話だ。美咲はけろりと言い放ったが、俺はそんなの知らない。
「それってヤタローが武器になるって事か?」
「そうだよ? JJやシロウから話を聞いて、多分そうじゃないかなーと思って。試してみたら、ちゃんと武器になってくれたよ。見てみる?」
美咲はその場に立ち上がり、闇の中からヤタローを呼び出した。そうして空に手を伸ばし、ヤタローに目配せする。
「ヤタロー、お願い!」
まるで美咲の言葉に呼応するかのように舞い上がったヤタロー。そうして夜空を背に光を放った。そのシルエットは翼から細長い棒状の物体へと変貌を遂げ、くるくると回転しながら美咲へ落下してくる。
受け取り、そして手元でくるりと回して構える。美咲の手の中にあったのは、鞘に収められた大型の刀であった。
「私はこれをヤタローソードと呼んでいるのですよ!」
「もっと他にましな名前がなかったのか……じゃなくて! そんな力があったのか!?」
「う、うん。別に隠してたつもりはなかったんだけど……ソードになってるより、ヤタローのままのほうが絶対かわいいしね」
刀を元の鳥の姿に戻し美咲は腰を下ろした。ヤタローは美咲の傍に降り立ち、行儀良く翼を畳んで休んでいる。
「JJはカード、シロウはナックル、アンヘルは杖……で、美咲は刀かあ。なんだよ、みんな俺の精霊に比べると随分かっこいいなあ……」
美咲だけは俺と同類だと思っていただけに、これはかなりショックだ。
「あ、あれ? なんか礼司君、へこんでる?」
「俺の事はもうほっといてくれ……美咲は知ってるだろ、俺の精霊……」
「えー? 可愛くていいと思うけどなあ。それにきっとすごい能力が秘められてるんだよ……って、そういえば私、君の精霊の能力は知らなかったね」
そりゃそうだろうさ、言いたくないんだもの。俺の能力を知っているのは……そうだな。恐らく俺とJJくらいのものだろう……。
「よくわかんねーが、どんな精霊なんだ? とりあえず出してみろよ」
「い、いや……その……」
「あ? 全員出してんのになんでお前だけ出さないんだよ。不自然だろ、そりゃよ」
睨みを効かせるシロウ。言ってる事はわからなくもないのだが、ちょっと理不尽な感じがしないでもない。
「…………わかった、出すよ。その代わり、絶対笑うなよ」
「その保証は出来ねえ! 俺は面白い時は笑う男だ!」
「シロウ、こういう場合はね? 笑わないよって、優しく言ってあげるものなの」
なんだこいつら……いや、もういい。確かにいつまでも秘密に出来るものでもないんだ。変にハードルがあがる前に、さっさとお披露目を済ませてしまおう。
「じゃあ、出すぞ……」
溜息混じりに立ち上がった俺に注目が……アンヘル以外の注目が集まる。
深呼吸を一つ。正面に手を差し出し、奴の姿をイメージする。
精霊を出現させるコツは正確なイメージだとJJは言っていた。まずはそれを出す事が出来ると信じる事。そして出せるようになってからは、より具体的に出現をイメージできるように練習する事。そうすれば簡単に精霊を出せるようになる……。
「結構時間かかってんな、あいつ」
「シロウ、ちょっと静かにしてて!」
多分出現が遅いのは、本当は出したくないっていう俺の本音もあるんだろうな。
暫くすると掌の上に奴の存在を感じた。そのまま一気に気力を振り絞り、イメージを実体化させていく。
集まった光が眩く輝くと同時に手の中に重さを感じた。徐にそれをわし掴みにし、そのまま二人の間に放り投げてやった。
「ほら。それが俺の精霊だよ」
そいつはくるくると回転しながら地べたに落下し、一度大きくバウンドした。
「うおっ、なんだこいつ!? 弾むぞ!」
「出たー! もっちもちでかわいいんだよねー、この子!」
そいつは少し転がった後、静かに振り返った。
形状は楕円。しかし特定の形は恐らく持っていない。スライムのような……というよりは、餅のような身体をしており、打撃を受けるとぐにゃりと歪むが、直ぐに元の形状に戻る。
特徴はにょっきり生えた二つの長い耳。なんとなくウサギの耳のようにも見える。しかしこの耳も出し入れ自由らしく、耳なのかなんなのか、はっきりした事はわからない。
移動方法は転がる、或いは弾む。手足が存在しない為歩行は不可能。皮肉にも跳ね回る姿が若干ウサギらしく見えるような見えないような感じでもある。
「わー、久しぶりに会えたね、ミミスケ!」
「むっきゅい!」
今のは奴の鳴き声である。ヤタローは鳴かないのだが、奴は鳴く。
俺は別段ウサギに詳しいわけではない。だがこれだけは言える。ウサギはあんな不気味な鳴き声を発したりはしない。
「うわあー、もっちもち! もっちもちだよ、ミミスケー!」
奴を抱き上げ頬擦りする美咲。ちなみに彼女がさっきから呼んでいるミミスケというのは、非公式ながら奴の名称である。俺はあれに名前をつけていないのだが、美咲が勝手につけてしまったのである。ネーミングセンスからして美咲がつけたというのは明らかだと思うのだが、一応俺の与り知るところでは無い事を強調しておく。
「ほー。こいつがお前の精霊か。そんで、能力は?」
「…………そいつの能力は……」
言いたくない。正直かなり言いたくない。だが……言わないわけにもいかない。
「そいつの能力は……生物を除く、ありとあらゆる物体を丸呑みにする事、だよ」
なんとも言えない微妙な空気が場を支配していた。
こうなる事はわかっていた。だから言いたくなかったんだ。
「つまり、なんでも食うって事か?」
「うん。石だろうが草だろうがなんでも食うよ。そいつは見ての通り伸び縮みするだろ? だから自分の身体より大きい物でも一発で丸呑みにできる。ただし、生き物は食えないらしい。だから鶏とか牛とかは食わなかったし、草木も生えたままなのは駄目」
「魔物を一撃で食い殺すとかそういう強キャラでは……?」
「ない……そいつの判断では、魔物は生きている物の中に入るらしい……」
思わずシロウから目を逸らした。だがそれがよくなかった。
俺が注意を離した瞬間である。奴は美咲の腕から逃れると地べたにバウンド。そのまま焚き火に向かって突っ込み、焚き木はおろか、その場に燃えていた炎まで丸ごと飲み込んでしまったのである。
その事実を俺達は周囲を覆う闇によって気付く。少しするとシロウが掌に炎を出し、周囲を照らしてくれた。
「今こいつ炎を食わなかったか?」
「うん。食うよ。なんでも食うんだ。本当になんでも」
しかもこいつ、基本的に俺の言う事を聞かない。放っておくと周囲にあるものをテキトーに食い荒らしていく。しかも際限なく、だ。
村でこいつをほったらかしにした時はひどかった。大通りを通過しながら軒先の商品を食い荒らしまくり、奇声をあげながら転がりまわっていた。あの時のNPCの呆然とした顔は今でも忘れられない。
「だからあんまり出さないようにしてるんだよ。これでわかっただろ、俺の精霊がどうしようもないやつだって」
溜息混じりに精霊を消そうと念じてみる。しかし奴はその辺を悠々自適に転がるだけで、一向に消滅する気配すらない。
「おいこら、消えろ! もういいから!」
「むっきゅい」
ちっくしょおおお腹立つなあー、その鳴き声!
嘲笑ってやがる! あれは完全に俺を嘲笑っていやがるんだ!
「消えろクソ野郎! おい餅、てめえ!」
「むっきゅきゅーい」
「バッカにしやがって! 消えろっつーんだよ……やめろ! 木を食うな!」
逃げ回る精霊を何とか捕獲し、思いっきり踏みつける。ぐりぐりと靴底に跳ね返る弾力を楽しんでいると、奴はゆっくりと光になって消えていった。
「礼司君、ミミスケをいじめちゃだめだよ!」
「いじめてるんじゃない。いじめられてるんだ……」
肩で息をしながら戻ると、既にシロウが新しい焚き火を用意していた。
「なんつーか、その……元気出せよ、な?」
シロウの雑な慰めに頷きながら俺は膝を抱えた。
なんとも言えない微妙な空気になった後、シロウは再び魔物狩りをするというので、結局本題に入る事が出来ないままその場はお開きとなった。
俺はもう、何の為にここまできたのかよくわからなくなっていた。ただ恥をさらす為だけにつれてこられたのではないかと、そんな気さえしていた……。




