シロウ編 【日はまた昇る】
俺のアパートからバイクをかっとばして片道四十分。そこに俺が中学を卒業するまで通っていた児童養護施設がある。月に一回か二回くらいの頻度で俺はそこに顔を出していた。
理由は特にない。自分自身が育った場所だからというのはある。あそこの職員には随分と世話になったし、同じ釜の飯を食った仲間も居たわけで。今となっちゃ殆どが散り散りにはなったが、まだあの養護施設に残っている奴もいる。そういう連中をどうにかしてやれる力は俺にはない。だが、たまには顔を見せてやったり、顔を見てやったり……それって案外大事な事なんだと思う。少なくとも一人じゃねえ。忘れられたわけじゃねえって、そう思えるからな。
「ちぃーっす! クソガキ共、元気だったかー! オラ土産だ好きなもん食え!」
「シロウだー! またやっすい駄菓子かよ……これだから安月給は……」
「うるせえなぁクッソガキがよ……もう二度と買ってこねぇぞバァカ!」
こんな施設に入れられているガキ共だから、まあ大抵は辛気臭い顔をしているもんだ。だがそういう連中もここでの生活に慣れて、少しずつ普通を取り戻していけば都市相応、ただのガキに戻る。全員がそうなってくれりゃあいう事無しなんだがな。
「シロウ、おかえり。いつもありがとうね」
この養護施設には色々な年代の奴らがいる。こういうチビクソガキ共が群れを成しているところもあれば、中学生くらいのやつもいる。だが声をかけてきたのは、ちっとばかし図体がでかすぎた。未来と書いてミクと読むこいつは、俺がこの施設を出る少し前に入れ替わりで入って来た女だ。今は確か、近くの全寮制の高校に通っていたはずだ。
「よう、未来! ガキ共は相変わらず元気そうで何よりだ。お前の方はどうだ?」
「ん……ぼちぼち、かなぁ。可もなく不可もなくって感じ」
「なんだか煮え切らない返事じゃねえか。悩み事でもあるのか?」
「悩み事がない人なんていないよ。人付き合いって難しいし。私達みたいなのは尚更ね」
未来は決してブサイクでもなんでもねーが、しかし地味だった。高校生に入って少し洒落っ気が出てきたような気がするが、未来は元々着飾ったりするのが苦手な奴なんだ。母親が水商売だったからな。男に媚びるようで嫌なんだと前に言っていた気がする。
「皆と同じ様にしているだけでいいのにね。それが……凄く難しいんだ」
そこまで呟いてから未来は慌てて首を横に振った。
「ごめん、いきなりこんな事言って……シロウだって大変なはずなのにね」
「こんな事ってなんだよ。言いたい事があったらなんでも言えって。電話もメールもあるんだろ? 携帯電話、高校に入ったなら持たせてもらえるわけだぜ」
「うん……ありがとう、シロウ」
とかなんとかいいつつ、こいつはどうせ連絡なんかしてこねぇに決まってる。どいつもこいつも、人に迷惑かけて申し訳御座いませんって顔しやがって。気に入らないぜ。
誰だって誰かに迷惑かけて世話んなって生きてんだ。それの何がおかしい? 金がねえからダメなのか? 親がいねえから特別なのか? そんなのが世の中の当たり前だってんなら、クソくらえもいい所だ。
「未来、お前はもっと人を頼れ。思いっきり頼って……きちんと感謝しろ。世の中の大半の奴はどうしようもねぇクズばかりだが、誰かを思い遣れる奴も必ず居る。そういう友達を見つけろ。そして作った借りは必ず返すんだ。いいな?」
「……うん、ありがとう、シロウ」
同じ言葉を繰り返し未来は笑った。こんな話を何回もしているのにこいつは聞く気配がない。わざわざ休みの日にこんな所に足を運んでいる時点で、“助けてくれ”って言ってるようなもんなのにな。
未来はここに来る時、必ず“ただいま”という。俺がくれば“おかえり”。まだこの施設を離れられていない証拠だ。ま、当然と言えば当然なのかもしれない。実家ってのが俺らにもあるとしたら……そういう感じなんだろ?
「シロウの方は最近どうなの? 仕事、うまくいってる?」
「上手く行くとか行かないとか、そんな上等な仕事でもねぇからな。ドカタなんてよ」
「ちゃんと働いて社会の一員としてお金を貰ってるんだもん。十分だよ。私も早く大人になって働きたいのにな……」
「だからこそせめて高校は出とけって。中卒の女が勤められる仕事なんてろくなもんがねえぞ」
「……わかってる。わかってるから……我慢はしないとね」
ああ、いかん。微妙にこいつのトラウマを刺激してしまったかもしれん。
何か明るい話題はないかとない頭を捻って考えていたその時だ。俺の背後からスーツ姿の女が近づいてくるのがわかった。なぜかって言うとハイヒールの足音が聞こえたからだ。施設の女はあんな上等そうな靴は履かん。あとは気配。この香水の匂いも、やはり施設の女らしからぬ。ということは……。
「こんにちは清四郎君。未来ちゃんも、久しぶりね」
「瑞樹さん、お久しぶりです」
ああ。未来のお陰で思い出したぜ。確かこいつは瑞樹。苗字は……覚えていない。施設の特性上、俺達は苗字よりも名前を優先する傾向にある。ここの職員も名前で呼んでいるし、郷に入ればなんとやらだ。この女も名前で呼ぶ事に決めていた。めんどくせぇし。
「これ差し入れ。職員の方やみんなでわけて食べてね」
綺麗に包装された明らかに高級そうな菓子を幾つか纏めて未来に手渡す瑞樹。未来は少しだけ俺を見て苦笑を浮かべたが、別に俺は悔しくなんかねぇから大丈夫だ。
「あ……私、これ冷やしてくるね。瑞樹さん、お茶淹れますんで少し待っててください」
「おかまいなくー! うーん、未来ちゃんって本当にいい子ね。きっといいお嫁さんになるわ」
「それは同感……。で、あんたはまた来たのか? 葵の様子を見に?」
「姪っ子の顔を見に来るのがそんなにいけない?」
「いけなくはないけどな。まあいいや、ついでだから一緒に行くか」
俺はこの瑞樹という女がいまいち好きではなかった。理由は色々あるが……。
二人で一緒に向かったのは葵というガキが暮らしている部屋だ。この施設ではだいたい一部屋に三人ずつくらいの子供が暮らしている。部屋に残っているのは葵一人で、ルームメイトはどこかへ遊びに出かけているようだった。施設の規則は厳しいので、気兼ねなく外で遊べるのは休日だけだ。そんな時に部屋に篭ってゲームをしている葵は、まあ特殊と言えば特殊だった。
俺は葵の事は良く知らない。俺が出て行ったかなり後に入って来たからだ。未来とも被っていないので知る由もないのだが、いつも一人で携帯ゲーム機を弄っている姿を見かける。勿論一緒に遊ぼうとか声をかけてはみるのだが、誘いに乗ってきた事は一度もない。
そもそもこいつにとって俺は興味の対象外なのだ。恐らくは他の連中もそうだろう。葵の世界は随分前に止まってしまったままで、葵は一人きりその止まった時間の中に自分を押し込めて暮らしている。
「葵、久しぶりね。変わった事はなかった?」
葵はちらりとだけ瑞樹を見て、それから無言で画面に目を戻してしまった。瑞樹は笑顔を取り繕っているが内心穏やかではないのだろう。がっくりと肩を落として小さく息を着いた。
「今日はケーキ買ってきたんだけど、一緒に食べない?」
「いらない」
即答であった。俺が背後で笑っていると瑞樹は振り返り俺の腹に拳を減り込ませてきた。まあ女のヘナチョコパンチなんかで俺の腹筋は割れないわけだが……いや、元々割れてんのか。
「あんた、ほんと子供に好かれないよな」
「清四郎君に言われるようじゃショックだわ。私の何がいけないのかしら……」
「人を見た目で判断するところじゃねえの?」
二人でそんなやりとりをしていると、そこへトレイにケーキと紅茶を乗せた未来がやってきた。どうやら土産の中身はチーズケーキだったらしい。既に他の連中には出してきたらしく、切り分けられた後の残った部分らしいケーキを俺達に差し出してくれた。
「みんなお土産とっても喜んでました。いつもありがとうございます」
「ああ、いいのいいの! 私に出来る事ってそれくらいだから」
「でも……お高いんじゃないですか? 有名なお店ですよね?」
「お金を積むだけなら誰にだって出来るわよ。それだけで心を開いてくれるのなら、私はどんどんお金を積むでしょうけどね……」
露骨にガックリきている瑞樹に未来はどう声をかけるべきか迷っている様子だった。相変わらず葵は部屋の隅でゲームに没頭している。
「しかしあれ、最新のゲーム機じゃねえのか? ガキ一人一人に配る余裕なんかこの施設にはねぇだろ?」
「あ……うん。なんかね、すごい大きなゲーム会社の人が来て、たまにゲームを置いてってくれるの。名前は……なんて言ったかな? なんか妙に明るくて少し変わった人なんだけど……」
「なんだそりゃ。タイガー・マスク気取りか?」
「タイガー・マスクってそういうんだっけ? っていうか良く知ってるわね清四郎君」
雑談をしつつチーズケーキを口に運ぶ。これがまたとんでもなくうめぇ。やっぱコンビニで売ってるのとはわけが違うぜ。まああれはあれで好きなんだけどな。
結局葵はこっちに近づいてこようともしなかったので、仕方なく俺はケーキを持って葵にずんずん近づいていった。そして携帯ゲーム機を引っ手繰ると、屈んで奴の目の前にケーキを差し出した。
「ゲームもいいが、ケーキもいいぜ。美味いから食え」
余計なお世話だといわんばかりの抗議的な視線をかわし、俺は無理矢理奴の口にケーキを捻じ込んだ。最初は苦しそうに抵抗していたのだが、その内ケーキがうまいことに気付いたのか、大人しく咀嚼して飲み込み始めた。
「……甘くておいしい……」
「だろ? ったく、羨ましいぜ。俺がこの施設に居た時にはこんなゲーム機なんかなかったし、ケーキ買ってきてくれる親戚もいなかったっつーのによ」
ゲーム機を返してやると、葵は少しだけ俺の方を見た。それからすぐに目を逸らしてしまう。
「一人になるのもいいけどな。たまにはちゃんと周りを見ろ。そうでなきゃ、今自分が持っている物さえ無くす事になるぜ」
そう言って立ち上がると、背後から瑞樹が俺の首に腕を回し捻り上げてきた。どうやら姪っ子にケーキを捻じ込んだのが癇に障ったらしい。そのまま暫く大人達がドタバタやっているうちに葵は立ち上がり、迷惑そうな顔をしてどこかに消えてしまった。
「ああもう……清四郎君のせいでまたあの子とちゃんと話が出来なかったじゃない」
そろそろ帰るという瑞樹を見送りに俺と未来は施設の駐車場に来ていた。なにやら可愛らしいデザインの軽自動車の前で肩を落とす瑞樹。俺はその背中に声をかけた。
「別にあんたと話したところであいつの状況は変わらんと思うがね」
「変わるわよ。あの子はこれまでずっと一人だったのよ? あの子には優しくしてくれる人が必要なのよ」
「それには同意するが……あんたはえーと、あいつの叔母さんなんだっけか?」
「そうね。それがどうしたの?」
「姉貴とは随分歳が離れてたんだな。あんなでかいガキ、あんたには引き取って育てるなんて無理だろ? だったらあんまりお節介焼くのはよせ」
瑞樹はむっとした表情で俺に詰め寄ってきた。気の強い女だ。だが俺も折れてやるわけにはいかない。
「優しくしてやる奴は必要だ。だが……あんたがしてるのはただの同情。哀れんでるだけだろ? 自分の姉貴の不始末を片付けたいっていう、そういう保身がないと言い切れるのか?」
「……それは……」
「あんまりあいつらをかわいそうって言うな。ガキはな、バカだバカだって大人に言われて育つと、自然と自分はバカなんだと思い込んじまう。かわいそうって言葉にも同じ威力がある。お前はかわいそうだって言われて育ったガキはな。自分はかわいそうでどうしようもないんだって、そう考えてすぐ諦めるようになっちまうんだよ」
はっとした様子で後ずさる瑞樹。俺は溜息を一つ、最後に添える。
「あいつは今、ただゲームしてるだけじゃねえ。自分の中でゆっくり気持ちを整理してるところなんだ。そういう一番敏感な時に、大人はもっと自分が子供に与える影響を考えなきゃだめだろ」
腕を組み、瑞樹は思案する。それから冷や汗を流しながら頷いた。
「……確かに……君の言う通りかもしれないわね。私は……あの子に……」
「……でも、シロウはそう言うけど。私は瑞樹さんがきてくれる事は無駄じゃないと思います。だってあの子……久々に笑ってましたから」
俺と水気が顔を見合わせ、それから未来に目を向けると、未来は笑顔で説明した。
「ケーキを食べた時、予想外に美味しかったのか……それとも二人のやり取りが面白かったのか。二人は見てなかったけど、葵ちゃん、笑ってましたよ」
「そっか……あの子がね……」
しきりに頷き、それから瑞樹は気を取り直したように顔を上げた。その表情はここに来た時よりもずっと晴れやかだ。
「私に出来る事を私なりにやってみるわ。いつかあの子が心を開いてくれるようにね」
そういい残して瑞樹は去っていった。車が見えなくなると俺も一息つき、煙草を取り出し火をつける。未来は俺が変えるつもりなのを察したのか、背後から声をかけた。
「ねぇシロウ。シロウはやっぱりすごいね。何も考えてないようで、色々な事考えてて……。いつもみんなを力強く勇気付けてくれる」
「あ? 別にそんな事ねーと思うけどな。さっきの話だって、結局瑞樹が正しいのかもしれねーし。俺は俺の思った事、直感に正直でいるしかねーわけで」
「思った事に正直で、か……。うん、そうだね。多分……そうする以外、後悔しないで生きて行く道なんてないんだろうね」
そう言って笑った瑞樹は少しだけ肩の荷が下りた様子だった。それは別に俺の言葉が届いたからじゃない。子供はみんな、言われなくたって自分の中で想いを整理する事が出来る。答えを弾き出すことが出来る。だからそれを大人はごちゃごちゃ言わなくたっていいんだ。ただその答えを見守り、間違っているのなら正してやればいい。
「んじゃ、またな。ちゃんと何かあったら連絡しろよ? 何もなくてもな」
こうして俺は施設を後にした。それからも施設にちょくちょく顔を出す事は変わっていない。ザナドゥに関わるようになり、あれこれ特別な経験をした今でも……。
ザナドゥの事件の最中、中島瑞樹と再会を果たす事になるのは、これからおよそ二年後のことだ。そこで俺は、あの養護施設で起きていたある一つの事件について知る事になる。その事件というのは――。




