悪夢(4)
「……え? 剣術の訓練?」
オリヴィアの突然の申し出にJJは読みかけの本を閉じて怪訝な表情を浮かべた。しきりに頷くオリヴィアにJJは呆れたように言った。
「そんな事してもなんの意味もないわよ。鍛えたところで無駄だもの」
魔物は絶大な力を持つ。通常の野生動物とは比較にならない程の身体能力で、あっさり人間を殺戮する。そういう風に作られているのだ。
「魔物に勝てるのは勇者だけよ。普通の人間が戦おうと思ったら、それこそムキムキマッチョになるまで鍛えまくり、マジモンの剣豪にでもなるしかないわけだけど……オリヴィア、あんたの身体はそういう風には出来てないわけで……」
オリヴィア・ハイデルトークは普通の少女である。身体能力の基準は西洋人ではあるが、これまでろくに身体を鍛えた事はなく、何よりも基本的にアホであった。
「あんた、なんでもないところで転ぶし……基本的にどうしようもないのよね。ニブいっていうか……。そんなアホの子に刃物持たせてどうすんのよ。せっかく女王ってジョブなんだから、おすまし顔で王座に座ってテキトーにしてりゃいいじゃないの。最前線に立つ意味がわからないわ」
「うぅ……。しかし、いざという時には私も戦えるようになりたいんです。皆さんが頑張っている時に、ちょっとくらいお手伝いがしたいのですよぅ」
胸の前で左右の指先を突き合わせながら縮こまるオリヴィア。JJは失笑を浮かべて言う。
「まあ……そうねぇ。戦うのは魔物だけとは限らないものね。特にこのフェーズ3以降は何が起きてもおかしくないし……あんたに身の程って物を教えてあげようかしら」
時折JJが浮かべるこの邪悪な笑みをオリヴィアは恐れていた。イジメっ子特有のオーラに小動物たるオリヴィアは成す術もないのだ。
連れて行かれたのは城の中庭である。そこでオリヴィアはレイジと剣を手に対峙する事になった。JJはレイジにあれこれ指示を出すが、やはり彼も気乗りしない様子であった。
「本当にやるの? オリヴィアが怪我するかもしれないよ?」
「まあそれはそれでしょ。死にさえしなければ大丈夫よ。あんたクラガノの短剣ちゃっかり奪ったでしょ? 多少のかすり傷なら治療出来るじゃない」
「まあそうなんだけどさ……あれ使うの結構抵抗あるんだよなぁ……」
一方、当のオリヴィアは実にやる気満々であった。前のめりに不恰好な構えを見せ、明るく笑って見せている。最早その時点で戦いの空気には程遠いのだが、レイジは言われるがまま精励を取り出した。
情けない叫び声を上げながら次々に剣戟を繰り出すオリヴィアだが、レイジはその全てを片手で受け止めてしまった。やがて攻め疲れてよろけたところでオリヴィアは勝手に転んで自滅してしまい、直ぐにレイジに助けられる事となった。
「はあはあ……ぜっ、ぜんぜんかないません……!」
「当たり前よ。言っておくけどね、ただの身体能力だけならレイジは後衛勇者と大して変わらないレベルなのよ。そんなレイジ相手でもあんたは手も足も出ないの。魔物相手に何が出来るっていうのよ。最初の一発を避けられて反撃で即死よ」
「でも……レイジ様は魔物相手でも一人で大活躍しているじゃないですか」
「レイジはなんだかんだで頭が切れるの。戦い方……特にコンピューター制御のAI相手の戦い方なら心得ている。それに弱点を突けば、人間の武器でも一応倒す事は可能だしね」
「では、私もそれを学べば?」
「だから無理だってば。レイジの技術は生身の戦闘技術というよりは、“ゲーム勘”なんだから。あんたには到底理解出来ない感覚でしょうし、真似るのは無理。そもそも弱点があるとわかっていてもそこを攻撃できるだけの力があんたには備わってないの」
「では、身体を鍛えれば……!?」
「だーかーら無理だって! 何度も言わすなアホ! 人間の武器で魔物を倒せるのはレイジが出来る奴で、レイジが勇者だからなの! あんたには絶対無理だから!」
ビシっと指差し声を上げるJJ。見る見るうちにオリヴィアは小さくなってしまった。レイジは苦笑を浮かべつつオリヴィアの頭を撫で、JJを制止する。
「まあまあ……。ていうか、何気にJJ俺の事褒めてる?」
「褒めてないわよバカなの死ぬの? あんたよりシロウの方が百倍くらい強いでしょ」
「割と冗談にならない数字だから怖いな……。それよりオリヴィアはどうしてそんなに戦いたいの? 君はなんていうのかな……性格の問題でも戦いに向いてないと思うんだけど……」
へたり込んだまま涙目でぷるぷるしていたオリヴィアに笑いかけると、オリヴィアは握り拳で鼻を啜りながら言った。
「勇者の皆さんは常にこの世界にいらっしゃるわけではありません。ご不在は私が守らねばならないのです! それに……自分だけ何もしないで見ているだけというのは、ただ待つだけというのは……それなりに苦しいものなのですよ」
寂しげに苦笑を浮かべるオリヴィア。JJとレイジは顔を見合わせ、それから言った。
「まあ……どうせレイジなら暇なんだろうし。たまにお遊び程度に稽古つけてやったら?」
「そうだね。俺も別に剣術の達人ってわけじゃないし、ただ力が強いだけの素人だから……何を教えられるってわけでもないけど、訓練に付き合うよ」
「本当ですか!? わあい、流石はレイジ様です! 優しくて大好きです!」
大はしゃぎでレイジに飛びつくオリヴィア。JJはその様子に少しむっとしている。
「ちょっと、まるで私は優しくないみたいな言い方ね」
「JJ様は賢いけどちょっとこわいし、すぐいじめるのですよぅ」
「JJ……弱い者いじめはよくないよ?」
「うっさいわバカ! ロリコンに言われたくないわよ!」
「なっ、俺はロリコンじゃないよ!? どこから出てきたんだよその言葉は!?」
「小学生だか中学生だかくらいの女の子、しかも二次元に抱きつかれてヘラヘラしてんじゃないわよこの童貞野郎! ロリコンは死罪ですね、わかります!」
「JJだってあんまり変わらないじゃないか!? 背丈だけで言ったらほとんどオリヴィアと同じだよ!? 君は幼女なのか!?」
三次元特有のアホな会話を繰り広げる二人。オリヴィアは二人が何を言っているのかさっぱりわからなかったので、きょとーんとしたまま左右に首をちょっとずつ傾げていた。
「ろり……?」
「まあ……なんでもいいけどね。一つだけ忠告しておくわよ」
咳払いを一つ、JJは真剣な顔つきに戻ってから語る。
「多少訓練したからと言って、自分が急に強くなっただなんて勘違いだけはしないで。あんたは所詮NPCで、所詮女王なの。戦士でも剣士でも騎士でもないの。それが得意げに剣を振り回す事の愚かしさと危険性はきちんと理解しておきなさい。頭の片隅に常に死を意識してそれを握るの。それができないのであれば、一寸先は闇そのものよ」
その言葉の意味も重さも、オリヴィアはしっかりと受け止め理解したつもりだった。
しかし現実は常に想像を軽々と凌駕する。刃に受ける刃の重みも、掌を伝う傷みも、身体中に圧し掛かる強烈な疲労感も、手加減しながらゆっくり戦うレイジの稽古とは比べ物にならない――。
「う――っく……!?」
「どうした、オリヴィア・ハイデルトーク? 貴様の力は……その程度か?」
ダンテの一撃で軽々と吹き飛ばされる。剣は手の中から逃れ、少女の身体は荒野の上を何度も跳ねた。痛みと衝撃に咽ている間もなく襲い掛かるダンテの剣から逃れ、みっともなく地べたを這いずりながら零れた剣へと跳んだ。何とか手に取り構え直すも、既にオリヴィアは満身創痍。手にした剣にも無視するには大きすぎる亀裂が生じていた。
「貴様の言葉からは何も感じるものはない。貴様の手も、貴様の剣も、元より争いを想定しないものだ。争いを知らぬ者が……軽々しく争いを否定しようなどと。笑わせてくれるな!」
当たり前にしていた筈の呼吸が全く上手く出来なかった。口から出るのは反論ではなく荒い息だけ。頭の中も緊張と痛みでぐちゃぐちゃになり、冷静な思考など出来るはずもなかった。ダンテはそれでも手加減をしていたが、力は完全にあの時のレイジを上回っている。荊の力を得、剣を鍛えてきたダンテとただ見ていただけのオリヴィア。二人は同じ王でありながら、全くその立場を異としていた。
「オリヴィアちゃん! 相手は魔物以上の力を持つ荊の使い手です! 一人では無理ですよ!」
背後から駆け寄るマトイがオリヴィアの肩を抱く。恐怖で揺れる切っ先。オリヴィアはきつく目を瞑り、首を横に振る。
「大丈夫です。ダンテは……私に任せてください」
「でも……!」
「……マトイ、今はオリヴィアに相手をさせておくのが得策よ。どういうわけか知らないけど、向こうも“乗って”きてる。明らかに加減しながら戦ってるわ」
「いたぶられているだけじゃないですか!? 殺されてしまいますよ!?」
JJの言葉に振り返り叫ぶマトイ。オリヴィアは深呼吸を一つ。にっこりと笑顔を作った。
「私にやらせてください。私、確かに口先ばっかりでした。私……自分では何も掴み取ろうとしていませんでした。私……もう、他人任せにしたくないんです。大切な事、自分の手で伝えたいんです! だから……だからっ、お願いします!」
正気を疑うような決断であったが、JJはそれをクレバーに見つめていた。オリヴィアの説得は――間違いなくダンテに影響を与えている。そうでなければダンテは最初の接触で既にオリヴィアを斬り捨てているはずだ。あの一瞬は心底肝を冷やしたが、今はある程度安心して見ている事が出来る。ダンテは変わろうとしている。オリヴィアと向き合う中で……。
「オリヴィアちゃん……」
ゆっくりと手を離し身を引くマトイ。大切な事を他人任せにしたくない――そう叫んだ少女の姿が、少し前の自分と重なって見えたのだ。そうなってしまえば、もう何もいう事は出来なかった。命を賭けて、本気でぶつかりたい時がある。危険を度外視しなければ納得出来ない瞬間がある。それは痛いほど理解出来たから。
「でも……危なくなったら直ぐに助けにはいるからね?」
「はいっ!」
「……ダンテの相手はオリヴィアに任せて、ギドを狙うわよ! さっさとあいつを倒せば荊の力を使っているダンテも無力化出来るわ! シロウ、レイジが前衛! アンヘルと遠藤は周囲の雑魚の牽制! マトイは私とオリヴィアの護衛! さあ、速攻で終らせるわよ!」
JJの声に反応してそれぞれが動き出した。レイジはうさぎから剣を取り出し、シロウは邪魔をする自由騎士をばたばたと薙ぎ倒して行く。遠藤は二丁拳銃で雑兵を次々に撃ち抜き、アンヘルは弓矢をシールドで防ぎつつ、杖でぶん弄って敵の頭数を減らして行く。
「ほう。やはり俺に来たか。だが、そう易々とやられてやるつもりはないぞ?」
背後に退くギドの前にブロン、ツァーリを初めとした十人程の荊の騎士が立ちはだかる。左右から同時に襲い掛かるブロンとツァーリ、両名の攻撃をシロウは二本の腕で同時に受け止める。その間にレイジが前に出ると、荊の騎士の攻撃を次々に掻い潜り一気にギドへと襲い掛かった。
レイジの剣をなんとか避けるギド。フードが暴かれ二人の視線が近くで交差する。攻撃をかわしたにも関わらずギドは反撃の仕草を見せず、背後から荊の騎士が攻撃してくる。
「――レイジ、ギドは操作系の能力者よ! その様子だと本人に戦闘能力はないみたいだけど、荊による操作をあんたに適用されたら一発でアウトになるわ! ただし、複雑な能力を発動するには相応の条件付けをクリアする必要がある! つまり――!」
「何かされる前に――速攻でケリをつければいい!」
次々に斬撃を繰り出すレイジ。避けきれずに腕で防御したギドだが、レイジの剣は確かに肉へ食い込んだ。防御力は決して高くはない。動きからして回避能力も同じだ。JJの予想は実に的確だ。ギドの能力は相手を操作してしまえば一撃で勝利が確定するが、その強力すぎる能力ゆえにクリアしなければいけない条件は無数にあった。能力のブラフが通用しないこの手の相手には、どうしても劣勢を強いられてしまう。
「……参ったな。こいつは良くない状況だ」
自由騎士の連中に期待してみたが、シロウが強すぎてまったく押さえ込めていない。シロウ一人相手に十人以上の自由騎士が全員で襲い掛かって何とか持ち堪えている有様だ。レイジに近づこうとすると矢のような速度で突っ込んできて、強烈な一撃をかましてくる。こうなっては援護には期待できそうもなかった。
「なんだあの人間離れした勇者は……。ああいうのが一人でも手駒にいれば、だいぶ違うのだろうがな……」
「シロウはご覧の通りの強さだからね。まともにやってもあんたらに勝ち目はないよ! さっさと降参して能力を停止しろ、ギド!」
「そういうわけにも行かんのでな。こう見えても、俺には夢がある」
「人を傷つけ、世界を壊してまで叶えたい夢なんて――!」
両手で構えていた剣を片手に持ち変え、新たに手中にパナケアを召喚する。
毒牙の短剣、パナケア。その能力の中に対象を麻痺、気絶させる毒があるのは身を持って確認済みである。勇者の能力、即ち精霊の力は所有者が気絶したり著しく精神を混濁させた状態では維持する事が出来ない。ならばパナケアを突き刺してしまいさえすれば、何もギドを殺さずとも能力使用不可能に追い込み戦争を止める事は十分に可能であった。それがレイジがギドの相手をし、シロウがその支援をするという状況の真相である。
ただミミスケを出している時のブーストよりも、パナケアを装備した時の方がスピードや視力、聴力は上昇する。パワーに関しては若干の低下があるが、この際あまり重要ではない。一気に脚力を増したレイジが飛び込んでくるのに対しギドは反応が追いつかなかった。無表情なりに目を見開き驚愕するギドに光を帯びた刃が突き刺さる――その直前、ギドの身体が急に背後に倒れこんだ。
パナケアが空振りに終る。そしてギドの背後から姿を見せたのは、ギドの首根っこを掴んで無理矢理後ろに倒しながら既にレイジへの反撃を整えたグリゼルダの姿であった。レイジの動きが止まったのは攻撃が避けられたからであり、その避け方がギド本人も予想外そうな感じだったからであり、なにより――目の前の女がどうにも見覚えのある顔つきだったからである。
グリゼルダの持つ得物はアンヘルと同じリピーダ。杖で殴られたレイジが大きく吹っ飛ばされた事からも、アンヘルと同じくかなりの腕力を誇っている事がわかる。何とか受身を取って地べたを滑るレイジ、そうしている間にギドはゆっくりと体を起こしつつあった。
「助けてくれたのには感謝するがなグリゼルダ。もうちょっとましな方法はなかったのか?」
「失礼致しました。急を要したものですから……マスター」
「グリ……ゼルダ? どう見てもアンヘルじゃないか……!?」
身を強張らせるレイジ。様子を見ていたJJは直ぐにアンヘルに目を向けたが、アンヘルは無表情に目を逸らしている。俗に言う、知らん振りであった。
「アンヘル、あんた何か知ってんの?」
「いえ、初対面であります」
「初対面って言っても……アンヘルさんが二人? えっと……双子とか!?」
「「 いやいや、そんなわけないでしょ 」」
遠藤とJJが同時にマトイにつっこむ。その間にギドは空に右手を突き上げ、パチンを指を弾き鳴らした。するとシロウが相手をしていた荊の騎士達の様子が少しずつ変化していく。
「あまり使いたくなかったが、状況が状況だ。奥の手を使わせてもらう」
背後へ飛び退くブロンとツァーリ。二人を除く荊の騎士達の身体中から蔓が溢れるように放出され、それらが絡み合い、混ざり合い、一つの巨大な姿を形成していく。
「形状変化。“ブラッド・ソーン・ドラゴン”」
最早人間の形状を放棄した肉と荊の集合体は男とも女とも獣ともつかぬ雄叫びを上げた。双頭の竜にすら匹敵する巨体はその翼らしき部分を鋭利に変化させシロウへと繰り出す。振り下ろされる棘の一撃を回避すると、次々に大地に巨大な穴があけられた。
「うおっ!? パワーがダンチじゃねえか!? へっ、面白ぇが……植物かよ。言っとくが俺は炎使いだぜ!? 天敵だろーがよっ!」
荊の触手を蹴り飛ばし、炎を纏った拳を叩き込む。一撃で倒せるような相手ではないが、連続して“起爆剤”をセットすれば、業火にて焼き尽くす事も可能となるだろう。
悲鳴のような声を上げながら空に翼を広げる竜。それは細かく枝分かれし、無数の槍となって戦場に降り注いだ。遠藤はアンヘルのシールドに滑り込み、シロウは片っ端から拳を繰り出して迎撃。レイジはブーストにパナケアの強化剤を上乗せして連続で回避し、マトイはマントをふるってJJへの攻撃を全てキャンセル。その守られたJJはカードの束を空に放り投げ、オリヴィアへと降り注ぐ矢に対し空中にカードを並べて展開。盾として攻撃を防いだ。
「――っつぅ! ギリッギリじゃないの、バカ!」
「うーん、僕らももしかして結構息が合ってきたのかな?」
笑いながらアンヘルを盾にしつつ身を乗り出し拳銃を連射する遠藤。次々に雑兵が倒れ道が開けてくると、アンヘルを抱き抱えシールドを展開したままシロウへと駆け寄った。
「おっさん、あんまり前出てくると危ねぇぞ!?」
「後ろにいても危ないじゃない。シロウ君の傍に居た方がまだましかと思ってね」
「まあそれはそうかも知れねーが……。レイジ、早めにギドを何とかしてくれ! 倒すのはわけねーが、殺さないのはけっこうきつい!」
そうしたいのはレイジも山々であったが、ギド直属の護衛についてしまったグリゼルダ、ブロン、ツァーリの三人を突破するのはかなり骨の折れる作業であった。パナケアの毒によるダブルブーストも長時間は持たない。攻めあぐねるレイジを眺めつつ、ギドは掌の中に一冊の本を取り出す。赤黒く光を放つその本からJJはおぞましい気配を感じ取った。
「何、あの精霊器……!? 篭ってる念が普通じゃないわよ……!?」
「当然だ。これは俺の“八年間”の結晶だからな」
本のページを一枚引きちぎるとギドは自らの指先を噛み千切り血をページへと垂らす、そして素早く指を動かし、紙に紋章を描いて行く。
「グリゼルダ、時間を稼げ。契約を結ぶ」
「――レイジ、止めなさい! 恐らくあんたを操る能力発動の手順を踏んでる! 発動させないで!」
「そう言われても……身を守るので精一杯だよ!?」
ブロンが斧を繰り出し、ツァーリが連携してそれに続く。苦し紛れに回避しつつギドに剣を投擲してみるが、あっさりとグリゼルダに弾かれてしまった。
「契約対象者、“レイジ”。我が魂と深遠の一部を貸し与え、汝に永久の安息を約束する物也。“眠り給え”、“謳い給え”――“祈り給え”……!」
ページが黒く燃え上がると同時、その炎の中心から無数の荊の蔓が飛び出した。同時にブロンとツァーリが飛び退き、レイジへ四方八方から蔓が襲い掛かる。
「避けなさい、レイジッ!」
「んな事言われても――早すぎて……っ!?」
バック転気味に跳びながら大地に手を着き、更に背後に一回転。そんなレイジの挙動を追尾し、まるで意志を持つ蛇のように襲い掛かる荊。レイジは咄嗟にパナケアから八咫の剣へと持ち替え、その身体を雷へと変えた。雷鳴が轟くと同時に一瞬でレイジは姿を消し、五十メートルほど離れた場所に滑り込むが、荊は速攻で反応しUターンしてくる。
「レイジさん……!」
「バカ、アンヘルお前が近づいてどうする!?」
「――いいえ正解よアンヘル! 誰でもいいからレイジの代わりにアレを受けて! 契約の時、対象の名前を言っていた! 条件に入っているのなら、違う奴に当たれば無効化出来る!」
JJの怒号に背筋を正すシロウ。アンヘルは既にレイジを庇う為に飛び込んでいるが、蔓はアンヘルを避けてレイジだけを追撃していく。JJに完璧な指摘をされた時は焦ったものの、ギドは胸を撫で下ろし事の顛末を見届ける。
「あの小さい子はすごいな。俺の能力をばんばん言い当てやがる。だが……そんなに簡単に避けられたら苦労しねえよ。それに、俺の手も空いたからな。次を仕掛けさせてもらう」
再び本を出現させページを捲るギド。JJは思わず舌打ちした。確かに一度能力を発動させたならば再使用時間は長いようだ。発動までは更にかかる。だがこうしてこちら側がもたついている間に次を繰り出されれば、それこそどうしようもない。
「出るか……私も前に……っ!?」
手数が増えれば多少は状況が改善できるか? しかし直ぐに考え直す。戦闘力の低いJJが前に出たところであの荊の動きには追いつけないし、ブロンやツァーリ相手でも圧倒されるだろう。
「こんな時、もう一人くらい使える駒がいれば……っ!」
歯軋りしながら呟いた言葉。都合よく助っ人でも現れないかと背後に目を向けたJJは、直ぐ傍にまで駆け寄っていた何者かの姿に気付いた。それに驚く間もなく、“彼女”は弓を構える。放たれた矢は青い光を纏ったまま空を切り、レイジに迫っていた蔓へと突き刺さった。直後、荊に一瞬で氷結が走り、些細な衝撃で蔓の全てが粉々に砕け散ってしまった。
続く第二射がグリゼルダの援護を突き抜けギドの精霊器へと突き刺さる。一瞬遅れて氷の花が爆ぜ、ギドの腕を傷つけながら本を遠くへと弾き飛ばした。
「あ……あんた……。ミサキ……なの……?」
呆然とするJJの視線の先、少女は黒髪を靡かせながら弓を降ろした。ミサキにそっくりな横顔がJJを見つめ、礼儀正しく少女は語る。
「ミサキではありません。私の名前はミユキ。笹坂美咲の妹です」
「は?」
「姉がお世話になったようですね。妹として感謝します、JJ」
「………………はぁああああああ――ッ!?」
全員が同時に驚嘆の声を上げた。彼らの非難めいた視線を無視し、ミユキは弓矢を構え直す。冷気を帯びた結晶の矢は放たれれば光の如き速さで戦場を突き抜け、庇いに入ったグリゼルダの肩に突き刺さると氷牙にて女の腕を食い千切るのであった。




