勇者的日常(1)
「私達に足りない物……それは、仲間意識だと思うんだよね!」
どこまでも広がる青空を俺は仰向けに寝転がって眺めていた。
ダリル村の川沿いに並んだ水車小屋の中には屋根の上に出られる物がある。結構な高さがあるのと、滑り落ちたら川に直行である事だけ気をつければ、ぼんやりするには丁度いい場所だった。
「シロウはずーっと魔物と戦ってるし、アンヘルはそんなシロウにくっついてるでしょ。JJは神殿に篭ってるし、遠藤さんはどこで何やってるのかよくわからないし……全員別行動ってさ、チームとしておかしいと思うの!」
そして俺の隣で熱弁をふるっているのは笹坂美咲。このゲーム世界、“ザナドゥ”で出会ったプレイヤーの一人で、初日から他プレイヤーに一斉にバカ呼ばわりされた女だ。
「せっかくみんな一緒になったんだから、一緒に行動するべきだよ。礼司君もそう思うでしょ?」
「うーん……そりゃ、思わない事もないけどさ……」
溜息混じりの返事は気乗りしない俺の心を素直に表現した物だ。
このゲーム……ザナドゥにログインするようになってから、大体一週間くらい経っただろうか。この世界の事に少しは詳しくなったが、状況はあまり変化していなかった。
あの神殿に集められた六人のプレイヤーは、しかし連携した行動を取る事はなかった。
恐らく、それぞれこのゲームを遊ぶ事に対するスタンスが異なるのだろう。シロウや遠藤さんはそれが顕著なタイプで、俺達と行動を共にする事は殆どない。
JJは……そもそもあの神殿から出ようって気があまりないのだ。ログイン頻度も俺達の中では一番低い。まあそれは、ある意味止むを得ないとも思うのだが……。
アンヘルは協調性があるのかないのかわからないが、常にシロウと行動を共にしている。だからといって二人が打ち解けている様子は見られないのだから不思議だ。
「このままじゃこの村の問題を解決する事も難しいんじゃないかなあ」
「それは……俺も考えてた所だけどさ……でも、あいつらを纏めるのは無理だよ」
なんといっても全員我が強すぎる。唯我独尊キャラっていうのも、まあ一人くらいいるなら面白いかもしれない。でも全員がそれじゃゲームが成立しないわけで。
「ろくに働きもしないで毎日のほほんとしてるから、村人の視線が痛いのですよ……」
「美咲は結構村人と仲いいじゃない。色々手伝ってるんでしょ?」
「そりゃ、畑仕事とかね。でも勇者の仕事ってそういうのじゃないでしょ? 村人には出来ない事をやるからこそ勇者なんだよ」
それは言えてる。畑耕してるだけならRPGじゃないもんな。
「でも、魔物と戦うのはシロウとアンヘルがやってるだろ? なんだかんだで役に立っているとは思うけどね」
「それも私達全員で協力してやればもっと役に立てるでしょ?」
「そう思うならシロウを説得してきたら? 無駄だと思うけどね」
むすっとした様子の美咲。別に意地悪を言うつもりはないのだが……結果的にはそうなってしまったような気もする。
「もういいよ! ヤタロー、おいでー!」
美咲は空に手を翳し声をあげた。すると空に光の弾が浮かび上がり、彼女の傍へ降りてくる。そうして光は形を変え、一瞬眩く発光した。
現れたのは黒い鳥であった。外見はカラスというのが近いが、大きな特徴がある。それは翼が四枚ある事、そして瞳が本来有るべき場所に二つ、そして額に一つある事だ。
「ヤタローはいつもかわいいねー。ヤタローだけが私の癒しですよ……」
「前から思ってたけど……それ、かわいいか? ちょっと不気味じゃない?」
「不気味じゃないよ、かわいいよ! ヤタローの悪口を言ったらね、相手が礼司君でも怒るからね、私は!」
すごい剣幕……のつもりなのだろうが、なんとなくゆるい怒り方である。
このヤタローというのは……彼女の“精霊”だ。あの日、ログインした俺達にゲームマスターであるロギアが授けた“力”の一つである。
ヤタローは大人しい性格の鳥で、美咲の言う事には絶対服従。器用で賢く、忠誠心の高いナイト様だ。美咲はこのヤタローを大層かわいがっており、事ある毎に出しては肩に乗せたりして過ごしていた。
「そういえば君の精霊は?」
「多分そのへんをちょろちょろしてる。あんまりほっとくとやばいんだけどな」
「かわいい顔してやんちゃな子だもんねー。ヤタローの次にかわいいよね!」
「俺はかわいい精霊より、強い精霊がよかったよ……」
あいつの所為で溜息を零すのは何度目だろう。どう考えても、何度考え直してみても、あの精霊はどーにも納得がいかない。全然かわいいとも思えない。
「……あっ! そろそろ時間になっちゃうね」
「んー、そうだなあ……」
欠伸をしつつ起き上がる。懐から取り出したのは、姫様から頂いた時計である。
俗に言う懐中時計というやつだが、この世界ではなかなか貴重な物らしい。壊したら予備がないといわれているので、それぞれ大事に持ち歩いているものだ……いや、たぶん大事にしている。他のやつがどうかは、ちょっと保証しかねるけど。
この世界における時間の流れというものは現実と比例する。現実での一分という感覚がこの世界の一分という感覚で通用するので、時計は何も変わらずに使用する事が出来た。
「君は明日も来る? 来るよね?」
「えっと、多分……。でも何、その食いつき方は……?」
「明日こそみんなに声をかけて、一致団結しようよ! 私に考えがあるの!」
身を乗り出し、顔を寄せて頷く美咲。このいちいちテンションが上がると近づいてくるのはそろそろなんとかしてほしいのだが、悲しいかな、無意識の行いなのだ……。
「……暇だったら付き合うよ」
「ログインしてもいつも一人で暇そうにしてるくせにー」
それはそうなのだが、まったくもって余計なお世話である。
「本当にもう時間だね。それじゃあまた明日!」
「うん。お疲れ様」
手を振る美咲。俺はそのまま目を瞑り身体の力を抜いた。
何度かこのプロセスを繰り返すうちに身についた自然な“ログアウト”への構え。そのお陰であの気持ち悪い感覚は殆どなく、目を閉じ、開くというだけで俺は現実への帰還を果たしていた。
身体を起こし、軽く伸びをしてみる。初日は身体に違和感があったが、恐らく慣れというものがあるのだろう。ログイン、ログアウト後に感覚に不調が出る事は殆どなくなった。
時計を確認する。ばっちり深夜三時、堂々の真夜中である。俺はそのままパソコンの電源を落とし、改めてベッドの上に横になるのであった。
「――このゲームを遊ぶ上で、私達が理解しておくべきルールが幾つかあるわ」
ゲームプレイ開始から二日目。初日、食事の真っ最中に強制ログアウトを食らった俺達は、再び神殿の広間にて合間見えていた。
後々単独行動を繰り返す事になる面子も、この時ばかりは大人しく集合を決めた。何せこの世界の、このゲームの事についてあまりにも知識が少なすぎたのだ。
幸い、前日に俺が姫に問いかけようとした質問については、既にJJ……金髪の少女が把握していた。ロギアから受け取ったマニュアル、そこに記されていたのである。
「まず大前提から。このゲームにログイン出来る時間帯が決まっているって事は、当然全員承知しているわよね?」
そう。これについてはロギアに教えられるまでもなく、俺達は知っていた。少なくとも知るだけの情報は与えられていた。
送り込まれてきたザナドゥのソフトとゲーム装置。それと一緒にゲームを始めるまでに必要な手順を記した簡単なマニュアルが送られてきたのは、恐らく全員同じはず。
そこにはクライアントのインストール、ダイブ装置の接続とドライバの設定、それからログイン時の注意書きが記されていた。
「ゲームにログイン出来る時間帯は深夜零時から三時までの三時間のみ……だったね」
そう言ったのは遠藤さんだ。俺もその事についてはマニュアルに目を通して把握していた。それ以外にはろくに何も書いていなかったが、ある事実がここから逆算できる。
「つまり、三時間が経過したら自動的にログアウトされるって事になるのか」
「そうね。というより、それ以外にログアウトする方法って存在しないみたいよ」
俺の言葉を補足するJJ。初日から考えていた事だから驚きはなかったが、なるほど……どうにも不便なシステムだ。こんな不都合を組み込む事ってあるか、普通?
「二つ目。このゲームにおける、私達の“力”について」
「そいつは昨日、ここに出てきた女が言ってた奴か?」
相変わらず机に両足を投げ出すという奇天烈な姿勢のヤンキー君ことシロウ。彼はその“力”に関する話題だけは積極的に混ざってきた覚えがある。
「要は、魔法……特殊能力みたいなものらしいわね。“精霊”っていうらしいけど」
そう言ってJJは俺達の目の前で自分の精霊を出して見せた。その時俺達は全員精霊の存在を知らなかったので、いきなりのJJの行いには驚いたものだ。
ネタをばらせば、JJは初日に神殿に残った際、既に精霊について検証を済ませていたらしい。ちなみに二日目にして精霊を自在に出せたのは彼女一人だけであった。
「出そうと思えばあんた達も出せるはずよ。ちょっとイメージっていうか……コツがいるみたいだけど。うまく言葉で伝えられないから、これは各々試してみる事ね」
そしてシロウはこの後の会話には殆ど参加せず、只管精霊を出す事に集中していた。
「精霊にはそれぞれ固有の能力があるそうよ」
「それって俺達には全く決定出来ないものなの?」
「そう。ロギアが与えたものであって、私達に選択の余地はないって」
その言葉にはすっかり呆れてしまった。このゲームは……ゲームとして破綻してやいないだろうか?
キャラクタークリエイトも出来ない。能力も選択出来ない。ログアウトすら好きなタイミングでは不可能。これを欠陥品と呼ばずしてなんと呼べば良いのか……。
これまで色々なゲームを経験してきたが、こんな事ははじめてだ。圧倒的な不親切さが何を意味するのか、運営にとって何を意図したものなのか……。どちらにせよ精霊という新要素は気になるので、その時は俺も精霊という響きに夢中になっていたのだが。
「そして三つ目。この世界には、私達が戦うべき“敵”が存在している」
RPGといえば、当たり前の事だがそれが存在している。多くの場合……RPGという名を冠しているゲームであれば、どんな名前、姿形にしたって必ずあるはずのもの。
「“魔物”っていう名称らしいわね」
この世界における敵、それが“魔物”である。
その言葉から受ける印象をそのまま適用してしまって構わない。要するに人間にとって害となる生命。凶暴で、基本的に“倒す”以外の結論を用意されていないもの。
「それと関連する四つ目。私たちはこの世界では“勇者”という設定を背負わされている」
姫やら村人やらが俺達を表現していた言葉、“勇者”。その意味も魔物と同じく、世の中に広く浸透しているイメージと大差ないものであった。
「設定として付け加えるとするなら、この世界で勇者というものは、神であるロギアが使わした使者であると言われている事。つまり神の代弁者って事ね。だから初対面の村人に対しても絶対的な発言力を持っているわけ」
これが俺達が拝まれていた理由らしい。とはいえ、驚くほど突飛な設定でもないか。
「最後に……これが一番重要かもしれないわね。他のはオマケで、これを伝える為だけにこの話をしていると言っても過言ではないわ」
そんな風に前置きをしてからJJは俺達の顔をぐるりと見渡し、鋭い目付きで言った。
「――このゲーム内で私達が死亡した場合どうなるのか」
思わず息を呑んだ。死亡……それは現実ではあまり身近な言葉ではない。
だがこの世界には魔物という明確な敵意が存在する。戦いになれば、当然敗北する事もありえる。そうすれば、この世界で俺達の命が……HPがゼロになるという事も、当然ありえる一つの事態なのだ。
その場合、俺達はどうなるのか。死ぬという感覚はよくわからないが、消えるのだろうか。色々と考えてしまう事はあるが、結論はシンプルであった。
「このゲーム内で死亡した場合、そのキャラクターはアカウントを停止される。つまり、一度死んだらもう二度と参加する事が出来ないって事ね。だから、あんまり迂闊な行動をしているとゲームオーバーになって泣きを見るのは自分ってわけ」
「復活不可能って事か……結構シビアだな」
RPGをやった事があれば誰でも知っているとは思うが、一度も戦闘不能にならないでクリア出来るゲームなんて滅多に存在しない。
道中レベルが足りないとか、想定外の状況だとか、不意打ちだとか運だとか、とにかく戦闘不能を食らう事は何度もあるものだ。だからこそゲームには多くの場合蘇生アイテムというものがあり、全員が戦闘不能にならない限りはゲームオーバーにならなかったりと、有る程度の配慮がなされている。
このゲームの難易度がどれほどなのかはわからないが、全く死なないなんて事は恐らくないだろう。だがその状況に陥れば、もう二度とこのゲームを遊ぶ事は出来なくなる……。
「なるほど、そういう事か……。だからこそ、俺達は六人集められたんじゃないかな」
「うん? どういう事?」
首を傾げる美咲。俺は咳払いし、話を続ける。
「このゲームはリトライが利かない一発勝負だ。だからそれに対して備えられるように最初からパーティーを組まされてるんじゃないかな?」
複数人が協力し、万全の態勢を強いて初めて安全を確保できる程度の難易度だとすれば納得が行く。だからこそ俺達は無意識にこの神殿に集められたのではないか。
初日、俺達がここに集まったのは必然なのだ。ロギアが現れ、当たり前に説明を始めた事からもそれはまず間違いない。ロギアは俺達を一括りに扱っていた。そこには何らかの意味があって当然だと思うのだが……。
俺の話に対しての反応は微妙だった。というか、あまりちゃんと話を聞いてもらえていない気がする。シロウとアンヘルは論外。他の連中も何か考え込んでいる様子だった。
「……とにかく、説明の義務は果たしたから」
まるでこれで話は終わりだと言わんばかりに切り上げようとするJJ。ロギアから受け取ったあの本を手に、神殿の奥へと引っ込もうとしている。
「ちょっと待った! どこに行くんだ?」
「どこって……そんなのは私の勝手でしょ?」
「いや……俺の話を聞いてなかったのか? このゲームは協力しあわないとクリア出来ない難易度に設定されている可能性があるんだ」
「だから?」
目を丸くして問い返されてしまうと、もう何も言えなかった。
彼女にとって俺の話は的外れだったのだ。今になって思えば、JJは協力しなければクリアできないかもしれないという可能性については、とっくに行き当たっていたのだろう。彼女はその上で拒絶をかましたのだから、筋金入りと言わざるを得ない。
「私はこの神殿から出るつもりはないから。多分、ここが安全地帯だと思うのよね」
「はっ?」
「だから、これからどうするのかはあんた達が自分達で勝手に決めればいいわ。私はもうちょっと試したい事とかあるから」
軽く手を振り立ち去るJJ。呼び止める間もなく、何より成立しなかった会話に俺は呆然としてしまい、ただただ立ち尽くしてしまっていた。
そこからはもう、初日と同じ流れである。それぞれ勝手に神殿から出て行き、残ったのは俺と美咲の二人だけ。なにやら気の毒そうに俺の肩を叩く美咲に対してか、それとも全員に対してか。とにかく俺は、魂の叫びをあげるしかなかった。
「この……素人共がーーーーっ!」
ザナドゥというゲームが、何者の手によって造られたのか……そんな事は、一週間もプレイしたらどうでもよくなりつつあった。
あのゲームは異常な技術で生み出された物だ。完全な仮想世界の構築だなんて、今の人間の技術力で可能なのかどうか……。二千二十年の今の世界は、俺が幼かった頃と比べれば確かに技術力は進化している。まるで夢の様な……と付け加えても良いようなシステムも生まれたし、それらのコストもどんどん下がって行く。
だがこの技術は。精神のフルダイブを行なうRPGだなんて、そんなものはずば抜けている。間違いなく世界初。その事実が、不気味さを圧倒的に上回っていた。
俺は……恐らくゲーマーという類にカテゴリーされる人間だ。
生まれ育った町にはろくな遊び場がなかったし、同年代の子供も少なかった。自然と一人で遊ぶ事が多くなり、ゲームをやりこむ時間が増えていった。
何よりインターネットというのがどうにもまずかった。田舎に居たってこれがあれば買い物には困らなかったし、オンラインに対応したゲームをやれば、一人で引き篭もっていたとしても大勢の人達と気軽に遊ぶ事が出来てしまった。
そんなものだから俺は順調に、しかも知らず知らずの内にゲーマーになってしまった。
しかし、心のどこかでそんな自分を嫌っている自分もいるのが実情で。
一人で只管ゲームしてました。だからゲームに詳しいです、うまいですって、そんなのはどう考えたって恥ずかしい黒歴史以外の何者でもないわけで。
だから俺は学校ではゲームの話はあまりしない。もちろん、クラスメイトもゲームはするから、その程度に合わせて話をする事はある。だけど知識をひけらかすような事は絶対しないし、一緒にゲーセンに行ったってかなり手加減している。
それでもゲーム好きで、新しいものに飛びつきたいという気持ちは隠しようがないのだ。なんたって世界初のフルダイブ型MMORPGである。
あの圧倒的なリアルさ。現実となんら変わらない世界。あれに比べればこれまでプレイしてきたゲームなんて足元にも及ばない。まさに現実の延長そのものなのだから……。
勿論、ゲームシステムには不満がある。というか不満しかない。RPGならあって当たり前のものが一切ない。あのゲームシステムを作った奴は絶対に頭がおかしい。
それでも遊びたくなるのだ。システムに不満があっても、誰が作ったのかはっきりしない胡散臭いゲームでも。あんな特別を知ってしまったら、歯止めなんか効くわけがない。
俺はこの一週間、毎日きっかり三時間ザナドゥをプレイしていた。深夜零時から三時までという限定されたプレイ時間の為、学校から寄り道せずに直帰し、睡眠時間を確保する努力も怠らない。
実はザナドゥのプレイ中も身体は休まっているのか、寝不足だと感じる事は少ない。俺が休み時間や放課後を潰しているのは、どちらかというとザナドゥをプレイするその時に眠くなったら困るな……という、しょうもない理由だったりする。
それくらい、俺はあのゲームに入れ込んでいた。勿論、入れ込む理由は……最新鋭のゲームだから、というだけではなかったのだが……。




