二人の王(3)
「黒須室長……来ていたんですね」
“バウンサー”達が拠点として使う地下深くのアーク。その祭壇の前に上司の姿を見つけ男は声をかけた。黒須と呼ばれた男はあろうことか背広姿で、誰がどう見てもこの世界観にはマッチしていない。しかし男にしてみれば上司の見慣れた姿そのものであり、これと言って何を言うでもなく隣に肩を並べた。
「やあ氷室君。今日はこの子の調子を見てみようと思ってね」
「ああ……。これまでのタイプとは違いますから、まあ多少は調整に時間が掛かっているようですが……。基本はガワを弄っただけです。もうじき覚醒するでしょう」
氷室も普段は背広姿で会社に通う一サラリーマンに過ぎないが、この世界では“闇の魔術師”といった風貌である。黒と紫で構成されたローブも自分で選んだ物で、今となっては背広と同様に着慣れた仕事着になりつつあった。
「しかしなぜ急にこんな変更を? 予定通りにしていればもう目覚めてもおかしくない段階に入っているわけですが」
ザナドゥというゲームは、“一周”およそ4フェーズで構成されている。これまでの通例であれば、世界がぐるりと一周するまで残り1フェーズのみという事になる。フェーズ3の時点で凡そ戦いは最終局面に近づき、フェーズ4で決戦という流れが恒例だったのだが。
「まあまあ。今回のサードテストは色々と面白い事になりそうだしねぇ。予定よりも優先すべきは演出さ。今回のラストフェーズはきっと盛り上がると思うよ」
「……まあ、私は黒須さんの計画についていくだけですが」
氷室にとって黒須は憧れそのものであり、理想の象徴であった。彼が作り上げるゲームの全ては氷室の発想を悉く凌駕する。競り合う事すら許されぬ類の天才――それがこの黒須というゲームクリエイターであった。氷室が選んだのは彼と戦う事ではなく、彼と共に作り上げる事。彼の下につく事でより素晴らしいゲームを世に送り出し、そして自身も成長を遂げる。このXANADUプロジェクトに参加したのも全てはその自身の理想の為であった。
「そういえば他のバウンサーの様子はどうだい? 皆元気でやってる?」
「元気すぎて困る程です。バウンサー化すると気が強くなって困ります。人間は強い力を得るとそれに酔ってしまうものなんですね」
「君だってバウンサー化してるんじゃないのかい?」
「僕はバウンサー化というか……まあ、元々の仕様が他のPCとは異なりますからね」
いわば氷室はGM側の人間である。一応はPCとしてこのゲームに参加してはいるものの、その本質はゲームの調整役だ。バウンサー側についてはいるものの、イレギュラーが発生すればPCに加担し彼らを手助けする手筈になっている。暴走しがちなバウンサーを纏め上げるのも彼の役割で、それだけの力を最初から神に与えられていた。
「イオは相変わらず世界中を飛びまわっています。彼女の能力は機動力がずばぬけていますから、偵察にはもってこいです。ハイネは武者修行でしょうか。戦いたい相手がいるそうで。東雲は……何をやっているのか私にはさっぱりわかりません。カイザーはその辺にいると思います」
「相変わらずホレボレするほど協調性がないね。イオしか働いてないんじゃないの?」
「元々働いてないような連中を集めた黒須さんが悪いんでしょう……。東雲とカイザーはニートですよ、ニート……」
「いいじゃないかニート。ゲーム世界じゃ彼らこそ最強なんだよ?」
「カイザーは兎も角東雲はそもそもゲームすらしていなかった人間です……彼らに黒須さんの作るゲームの素晴らしさが理解出来るとは私には到底思えないのですが」
氷室が深々と溜息を吐くと、黒須は首を横に振る。
「僕はねぇ、このゲームの事をゲームだとは思っていないんだよ。だから普段ゲームをやらない東雲君みたいな人にこそ、ぜひプレイしてもらいたいんだなぁ」
「……そうですか。まあそれを差し引いても東雲はゲームに興味がなさ過ぎです。あれではただの賞金稼ぎではありませんか」
氷室の嫌味がツボに嵌ったのか腹を抱えて黒須は笑う。氷室的には笑い事でもなんでもないのだが、黒須の考えている事は常に氷室の斜め上だ。ツッコむだけ無駄だろう。
「そういえば一つお耳に入れておきたい話があるのですが」
「うん? なんだい?」
「今活動している、自由革命軍という組織。彼らに力を貸している勇者についてです」
「ああ。セカンドテスターの生き残りなんでしょ?」
あっさり返され言葉に詰まる。なるほど、黒須はとっくに把握していたという事か。ならばこそ、問わねばならない。
「放置しておけばサードテストに大きな影響を及ぼす可能性があります。サードテスターと接触する前に、バウンサーを使って始末すべきではありませんか?」
「うーん……まあ、それはそうなんだけどねぇ。なんていうかさぁ。ロギアのやり方だと手堅すぎるっていうか……爆発的な変化は結局生まれないんじゃないかって思うんだよね。彼女は真面目すぎるというか……イレギュラーを許さない几帳面な性格でしょ? だから“何回繰り返しても駄目”なんじゃないかなーって思うんだよね」
「……では、あえて状況を崩す為に……?」
「PCネーム、ギド……とか言ったかな? 面白い能力だし、あのセカンドテストをすり抜けた実力者なんだ。きっとゲームにとっていい刺激になると思うよ」
「……その結果、この世界の真実に近づく者が現れたとしても……ですか?」
不安げな氷室の声にも黒須は笑顔を崩さない。世界の真実に近づく者……そんな存在をロギアは許さないだろう。故に彼女は絶対均衡を重視する。ロギアの作る秩序は黒須とて口出し出来ないものだ。だがしかし、“偶然”にもそれがプレイヤー同士で引き起こされてしまったとしたら? それは最早黒須の与り知る所ではない。“何がどうなったとしても、知ったことではない”のだ。
「僕はね……そんな人にこそなってほしいんだぁ。この世界の……救世主って奴にね」
祭壇に捧げられた巨大な結晶の中では一人の女が眠っている。石に満たされた液体の中に浮かぶ真紅の髪が揺れ、艶やかな唇から空気が零れる。世界の終わりを率いる者の目覚めは、目前にまで迫りつつあった。
『……と言う感じで、自由革命軍って言うのと和平交渉をする事になったんだ。準備にはそれなりに手間取ったけど、とりあえず実施の目処は立った感じ。まあそれで時間を取られてて、美咲の手がかりはまったく見つかってないんだけど……』
ケータイから聞こえる声に耳を傾けながら篠原深雪は冷蔵庫を漁っていた。何日か前に買ってきたアイスの箱から最後の一本を取り出しつつ、十二本入りをあっという間に消化してしまった自分に少々驚愕する。腰周りに手をやり気にしつつも袋を空け、ソーダ味のアイスを齧った。
「相変わらず進展はなしですか……やる気あるんですか? 礼司さん」
『やっ、やる気はあるよ!? 俺だって一生懸命やってるんだから! そりゃ成果はあがってないけど……常に美咲の事を考えてるんだから』
「……常に姉さんの事考えてるんですか……? ちょっとキモいです……」
電話口の向こうからレイジの落胆する声が聞こえてくる。深雪は笑みを浮かべながら首からかけたタオルで濡れた髪を拭った。
シャワーを浴びて出てきた所で電話がかかってきたので、そのまま取って今に至る。礼司とこうして電話をするのはそう珍しい事ではなく、東京での一件が済んだ後は定期的に連絡を取り合い、美咲についての手がかりについて話し合っていた。とは言え美咲の手がかりは容易に見つかるものではなく、最近はどちらかというとゲーム世界の報告という面が大きくなっていたのだが。
「しかしなんというか……わけがわかりませんね、XANADUというゲームは」
『そうだね……。春からこっちもう何ヶ月もやってるけど、わかってる事の方が圧倒的に少ないくらいだから……。そういえば頼子さんから連絡あった?』
「いえ、特に進展はないようです」
目を細めながら呟く。頼子はあれから協力者として情報収集に当たっていた。しかしXANADUはディープなネットユーザーである頼子からしても得体の知れないゲームで、どれだけ探ろうとしてみても情報は“曖昧な所”で途切れてしまう。
「普通、新作のネットゲーム……しかもVRMMOともなれば、仮に禁止されていたとしてもレポートを書いたりするテスターがいてもおかしくないそうなのですが、これまでに行われたとされているセカンドテスト、ファーストテストの情報が一切ネット上に流出していないんです」
『……そんな事って可能なのかな?』
「難しいでしょうね。不特定多数の人間が所詮お遊び感覚でやっている事ですから、禁じていたとしても情報は流出して然るべきです。それがないというからには、流出した情報を“完全に処理”する能力があるか、流出“出来ない”理由があると考えるべきです」
VRMMO。“VRMMO”、だ。
これほどまでにネットゲーマーの胸躍らせる言葉があるだろうか? 多少穿った見方になるが、ネットゲーマーという人種は虚構の世界に優越感や繋がりを求めている。現実にそれがないからこそのめりこむのだ。わざわざテスターに応募するような類の人間が、VRMMOというゲームを“自慢”したくならないわけがない。それがないというのであれば、相応の理由があると見るべきだ。
「インターネットに没頭するような人は、地に足についていない幼稚で自己中心的な人に決まっています。匿名性が高いが故に自制を効かせない人間達を完全にコントロールするなんてよほどの事がなければ不可能ですし、情報を完全操作しているとしてもどちらにせよ相応の権力や技術が必要になってくるでしょうね」
『……えっと……俺もそのインターネットに没頭してる人なんだけど……』
「それが何か?」
『ハイ……。なんでもないです……。まあ、あんまり頼子さんに負担をかけても……っていうか、巻き込みすぎてもあれだから……わからないならわからないままの方がいいのかもしれないけどね……』
礼司の言葉を聞きながら自室に戻る。そこには美咲の部屋から持ち帰った彼女のノートパソコンが置いてあった。あれからも色々調べ上げてみたのだが、これといって目ぼしい成果はあがらない。窓辺に腰を下ろし団扇で軽く扇ぎつつ、夜の街に目を向けた。
『そういえば深雪、そのー……最近変わった事とかなかった?』
「はい? いえ、特にありませんけど……」
『そ、そっか。ならいいんだけど……。学校とか……うまくやってる?』
「……あの……あなたは私の何様のつもりなんですか?」
怪訝な表情を浮かべつつ投げかける言葉にレイジは苦笑を返す。
『いや、ごめん。なんかちょっと心配で……』
「どういう意味ですか?」
『うーん。まあなんていうかな。君の性格だと周囲との衝突が耐えないだろうなと』
「馬鹿にしてます?」
『してないよ! そういうんじゃなくて……ただ、心配なんだよ。上手く言えないけど……』
溜息混じりに話を聞きながらも、深雪は彼が何を考えているのか少しずつ理解し始めていた。織原礼司という少年は、本当に他意なく自分を心配しているだけなのだ。その結果何がどうというわけではないので、やめろといわれてもなかなか辞められない。理由なき善意ほど取り払うのが難しいものもないだろう。
だがその深雪の身を案じる彼の気持ちは、結局の所は美咲から来ている。姉妹の事情を垣間見てしまったからこそ、彼はこうして心配したりしているのだ。
「どうしようもないお人好しですね、礼司さんは」
『え? 何か言った?』
「……姉さんのストーカーだけでは飽き足らず、妹の私にまで……いや……もしかして織原さん、私の事を妹扱いしていませんか? 既に姉さんと結婚した気で居るんですか?」
『なんでそうなるのさ!? 妹……まあ確かに妹みたいなものかもしれないけど……!』
「いえ違います赤の他人ですから」
『……ですよね。まあとにかく、何かあったら何でも気軽に相談してよ。俺に名案が出せるかどうかはわからないけど、少なくとも話を聞く事だけは出来るからさ』
「別に話したいだけなら壁にでも話しますけど」
『君って本当にかわいくないよね! それじゃ、また連絡するから』
通話を終了し溜息を一つ。携帯電話を机の上に置いて目を伏せた。
「……ごめんなさい、礼司さん。でも……人を疑わないあなたも悪いんですよ」
呟きながら目を向ける先。そこには小さなダンボール箱が置いてあった。厳重に梱包されたそれを開封しつつ、深雪は姉のパソコンの前に腰掛けた。
「よお遠藤、景気はどうだ?」
「今この瞬間微妙な感じになりましたよ」
遠藤と高柳は旧知の仲だが、どちらかと言うと窮地の仲というのが正しい。遠藤にとって高柳は決して頭の上がらない恩人であり、同時に厄介ごとを持ち込むトラブルメーカーでもある。珍しく事務所に居る所を襲撃されてしまい、仕事を中断した遠藤は溜息混じりに笑った。
「なんだなんだぁ? つめてーなぁ。これまで一緒にやってきた仲じゃねえかよ」
「結果的にそうなってしまっただけですけどね……麦茶いります?」
「ああ……つーかよ、遠藤。なんでお前の事務所は冷房が効いてねぇんだ?」
「前々からやばいなやばいなとは思っていたんですが、いよいよエアコンが沈黙してしまいまして……。冷房が効かなくなったら助手もめっきり寄り付かなくなりましたよ」
「買えよエアコンくらいよぉ……お前結構金溜め込んでんだろ」
小さな冷蔵庫から麦茶を取り出しグラスに注ぎ込む遠藤。高柳はそれを一気に煽り、遠藤から麦茶の入ったペットボトルを引っ手繰ると二杯目を勝手に飲んだ。
「ぶあ~、生き返るぜ……。この町も昔はもうちっと涼しかったんだがなあ」
「地球温暖化ですよ。コンクリートジャングルです」
「違いねぇ。ところで遠藤、この間話した事件あったろ。その後なんかつかめたか?」
「僕だって忙しいんですよ。そんな眉唾物の噂話をいちいち真面目に調べる暇はないですって」
「かーったく、つくづく愛想のねぇやつだなお前はよ。まあいい……だったら俺が勝手に進展を話してやるから耳かっぽじって聞いとけ」
ネクタイを緩めながら空いている机の上にどっかりと腰を下ろすと高柳は語り始めた。
「実はな。トリニティ・テックユニオンに直接事情を聞いてみたんだわ」
「へぇ……。それで、向こうはなんて?」
「XANADUなんてゲーム知らぬ存ぜぬの一点張りよ。ま~認めるわきゃねえわな」
「そもそもトリティ・テックユニオンが本当に関与しているんですかね?」
「わからん。だがまあ本当にトリニティ・テックユニオンという会社が関与していないのだとすると……例えばそうだな。個人的な犯行である可能性もある。お前、黒須惣介って知ってるか?」
遠藤は眉一つ動かさずに惚けた。しかし、彼は知っている。黒須惣介という人物について、事細かに調べ上げていた後だったからだ。
黒須惣介。1985年生まれ、三十三歳。二十歳の頃、爆発的ヒットを記録した自主制作ゲームの売り上げを元手にゲーム製作会社、アルファイマジネイトを設立。大手の下請け会社として幾つかのゲームを製作し、何れもヒットを飛ばす。五年前にアルファイマジネイトがトリニティ・テックユニオンに吸収合併されると自身もトリニティ社のゲーム開発部門の最高責任者として移籍。凡そ三年前、ゲーム機としてのVR装置開発の目処が立ったと会見を開いた男だ。
「……という大それた事をしたわりには結局VRシステムが完成したという報告はなく、その後ゲーム制作にも名を連ねなくなり、どっかに消えてしまったのではないかとネットでは噂されているが、一応トリニティにまだ在籍している」
「その黒須惣介が個人的にXANADUというゲームを作ったと? 高柳さん……ゲームっていうのは一人でそんなに簡単に作れるようなものではありませんよ」
「だけどよ、黒須は十七の時に一人で自作ゲームを作りメガヒットさせている男だぞ」
「同人ゲームとVRMMOを一緒にしないでくださいよ。要求技術が桁違いなんですって」
「まあなぁ……。俺にはピンとこねえがそうなんだろうな。黒須の事も調べてみたんだが、まるで怪しい所がねぇんだわ」
「じゃあただの勘じゃないですか……いいんですかそんなので」
「へいへい。じゃあこの話はさておきだ。こっちはお前さん好みの話題だぜ。美人の女の話だ」
高柳は話しながら茶封筒から書類を取り出す。その中から遠藤に差し出したのは監視カメラの映像を画像としてプリントアウトしたもので、そこには一人の女の姿が映し出されている。
「これがどうかしたんですか?」
「ああ。前に失踪しちまったっていう奴の住んでいたアパートのカメラ映像でな。そいつが失踪した前日のもんだ。この女がこいつの部屋に入って、それっきり二人とも出てきてないっぽいんだよな。で、奴は失踪しちまったと。気になるのはどうもこの女が日本人じゃなさそうだって所なんだが……」
高柳が少々的外れな予測について語っている間、遠藤は真剣に画像を見つめていた。高柳の言う通りそこに映し出されているのは明らかに日本人ではなかった。背が高く、髪は銀色。白いドレスの様な服装もどうにも現代日本にはマッチしていない。何も知らない者が見たら心霊関係の画像と勘違いしそうな風貌だ。
だがしかし遠藤は知っている。少なくとも彼女は死者ではないと思うのだ。何せこの映像が撮られた後も、遠藤は彼女と何度も顔を合わせているのだから。
「アンヘル……」
「でよ、その場合海外に売り飛ばされたという可能性も……あ? なんだって? あん?」
「スペイン語で天使という意味です。まるで天使のように美しい……と言ったんですよ」
「なんで行き成りスペイン語なんだ? ここは日本だぜ、日本語で言えや」
「そうですね。なんでスペイン語なんでしょうね?」
写真の中の人物は紛れもなくアンヘルだ。しかしその服装はアンヘルの物とは異なっている。むしろ……。それが何を意味するのか、遠藤は表情を考えずに思考する。
「遠藤よお。お前女になら誰でも天使のようだとか言ってるんじゃねえだろうな」
「言ってませんよ。本当に美人だと思えば別ですけどね。それにしても……暑いですね」
「ああ……あっちいなあ……」
おっさん二人が汗だくで女の画像を覗き込むこの状態がなんだかとても馬鹿馬鹿しく思える。二人は同時に窓の向こうに広がる大都会に目を向け、ぼんやりと呟いた。
「……とりあえずエアコンは買えよ」
「ですね……」




