二人の王(2)
「話し合い……? 皆が幸せになれる方法……だと?」
オリヴィア・ハイデルトークが差し出す掌にダンテ・ヴァーロンは戸惑っていた。
目を見た瞬間に理解した。オリヴィアは“人間”として完全覚醒しつつある者……即ち自分と同じ存在なのだと。NPCと呼ばれる“世界の奴隷”達とは明らかに異なる。それは彼女がこれまで相応の経験と思考を繰り返してきたという事だ。
オリヴィアとダンテは同じである。課程は異なっているが、辿り着いた先には進化があった。共に勇者の影響を受け覚醒し、共に意志と覚悟を獲得した。だというのに一方は勇者を亡き者にしようとし、一方は勇者と分かり合える未来を提示する。ようやくめぐり合えた自分と同じ“王”の資質を持つ存在は、しかし決して相容れぬ笑顔を向けてくる。それが少年には寂しく、とても理不尽な事柄のように感じられたのだ。
「――ありえますよ、そんな未来も」
まるで思考を読んだかのようにオリヴィアはそんな事を語る。
「お話をしましょう。少しでもお互いを理解出来るように……その努力を怠ってしまえば、すべては一方的な理不尽と化してしまいます。どんな大義も正義も誰かが理解しないのであれば蛮行となんら変わりません。証明したいと思いませんか? 貴方自身の中に宿った正義と意志を……私達に」
怪訝な表情を浮かべながらゆっくりと剣を降ろすダンテ。オリヴィアはぱあっと明るい笑顔を作り、その手を取って優しく握り締めた。
「お友達になりませんか?」
「――は?」
「ですから、お友達です! なにやら見た所同じくらいの背格好ですし! 私達は同じ、“目覚めし者”でしょう? きっと仲良くなれると思うのですが」
突然の言葉に唖然としたのはダンテだけではない。カイゼルもレイジも、その場に居た全員が仰天し尽くしていた。ダンテは少しだけ頬を赤らめると強引にオリヴィアを振り払い、改めて剣を突きつけた。
「何が友達だ! そんなもの出来るものか!」
「出来ますよ。どうして出来ないと思うんですか?」
「ど、どうしてって……それは……僕は神になる男だからだ!」
「わあ、すごいですね! だけど神様にはお友達がいてはいけないなんて法はありませんよ? 実際、勇者様達もお友達が沢山いらっしゃいますし……」
「あいつらは神の使いなんかじゃない! 邪悪な悪魔だ! 悪魔は駆逐する!」
「どうして悪魔だと思うんですか? 貴方の過去に何があったというのですか?」
「それは……その……。ええいっ、なぜ僕を恐れない!? 武器を向けているんだぞ!? 命が惜しくないのか!?」
ダンテの叫び声にも全く怯まずオリヴィアはゆっくりと前進を続ける。切っ先が眉間に僅かに減り込み、薄く血が流れてもオリヴィアは笑顔のままであった。ダンテの中には戸惑いと不安――恐怖が広がって行く。こんなNPCは見たことがなかったし、恐らく今後も見る事はないだろう。恐怖を持たないというのはある意味NPCらしい。だがこいつは違う。こいつは恐怖を知った上で、理解した上で、それをさも存在しないかのように振舞っている――。
「大丈夫……怖くないよ! だから私の事も怖がらないで。大丈夫、大丈夫だから」
「なにが……何が大丈夫なんだ!? わけがわからないぞ、お前ッ!」
歯を食いしばり刃を振り上げるダンテ。勢い良く繰り出された刃からオリヴィアは微塵も目を逸らさなかった。ぞくりとダンテの背筋に悪寒が走る。理解不能な現象と対峙した時、人は恐怖を抱く。ダンテのそれは人間のものよりも数倍強かった。
切っ先がオリヴィアを引き裂く事はなかった。飛び込んで来たレイジが剣で攻撃を受け止めたからだ。眼前で停止している剣を見てオリヴィアはほっとした様子で胸を撫で下ろす。
「危ない所でした。レイジ様、ありがとうございます」
「きっ、君は……君は……っ! 何考えてんの……っ!?」
「あっ、お叱りの言葉はまた後で……。それよりも今は話し合いが大切ですよ!」
怒りと不安と安堵が入り混じったわけのわからない表情で歯軋りするレイジ。ダンテは一度身を引き、そこへツァーリとブロンが合流。王を守るように身構えた。
「ダンテ様、彼女はもしや……完全覚醒者なのでは……?」
「そいつは話がおかしいぜツァーリ。完全覚醒者はダンテ様一人だって話だろ?」
「いや……奴はクィリアダリアの女王と言った。元々“王の資質”を持っている可能性が高い。彼女も僕と同じ……世界のシステムに組み込まれた存在なのかもしれない……」
小声で語る三人にオリヴィアは首をかしげている。見かねたレイジはオリヴィアを抱き抱え背後に跳ぶと、それを守るように仲間たちが前に出た。
「皆さん、戦ってはいけません! 革命軍の長よ、貴方の名はなんと言うのですか?」
「……ダンテ・ヴァーロンだ」
「ダンテ様ですね。ではダンテ様、一度じっくりと腰をすえて話し合いをしませんか? “NPC”に本来在り得ない貴方達の行いには必ず相応の理由があるはずです。そうでなければ私達は自らの意思で行動する事が出来ない生き物ですから」
「お前……一体どこまで……」
「お互いを否定し合うよりも、手を組んだほうが遥かに効率的に目的を達成出来るのではありませんか? 貴方も王を名乗るのであれば、闇雲に犠牲を出す無様な結末ではなく、より効率的な結果を求めるべきです! 王が私情を挟んで戦いに興じるなど……笑止千万! 神を目指すというのであれば! 相応の資質を私に見せてください!」
レイジにお姫様抱っこされたまま凛々しく指差すオリヴィア。不機嫌そうにダンテが刃を納めるのを見届けると、打って変わって無邪気な笑みを浮かべた。
「言われっぱなしが悔しかったら、ちゃんと聞いて上げますから。今は剣を収めませんか?」
露骨に舌打ちするとダンテは鞘に納めた剣を手に背を向けた。それにはツァーリもブロンも驚いた様子で、慌ててそんなダンテの後に続く。
「ダンテ様……?」
「全軍撤退。目的は既に果たした。それに――話し合いをするそうだからな。今撤退するなら奴らは背後から攻撃してこない――そうだろう?」
薄く笑みを浮かべてあえてゆっくりと立ち去るダンテ。その様子にカイゼルは息を吐く。
「あの小僧、俺達を試し……ついでに状況を利用するつもりか」
「ここまでやられておいて手出しするなって言うのかい!? そいつはないだろう、旦那!」
槍を手に身を乗り出すタカネの肩を掴み首を横に振るカイゼル。男の視線の先には凛々しく風を受けて立つオリヴィアの横顔があった。
「……こっちも様子見だ。俺達はひょっとすると、とんでもねぇ奴を味方につけたのかもしれん。世界が変わるかもしれねぇぞ……こいつはよ」
戦闘は彼方此方で中断され、革命軍は一斉に引き換えして行く。その引き際は非常に鮮やかであった。荊で繋がった騎士達は伝令も容易で、行動には微塵の乱れもない。カイゼルはその追撃を禁じ、野営地での闘いは一応の決着を見るのであった。
「まったく……流石に冷や冷やしたよ、オリヴィア……」
「ごめんなさい……! でも、とにかく戦いを止めなきゃと思って……!」
戦闘が終了した後、レイジ達は集会場へ戻っていた。生き残った連盟のNPCや勇者たちは傷の手当や陣地の修復に借り出されている中、レイジ達はカイゼルと共に一息ついていた。ログアウトまでもう間もない事もあり、その前に色々と話しておくべき事があった。
「しかし驚いたね。まさか本当に革命軍を引かせるとは……。向こうも子供だったようだし、情に訴えかけるような所でもあったのかな?」
「それはいいけどねえ……ウチの連中は皆血気にはやってるよ。仲間を何人もやられたんだから無理もないけどね。アタシ自身、正直納得はいってないさ」
興味深そうなケイオスの横で拳を鳴らすタカネ。ケイオスのように淡白な反応の者は少なく、勇者連盟自体がこの奇襲に対して報復すべきだというムードに包まれていた。
ゲームであるという前提は時に恐ろしく、人の感情のタガを簡単に外してしまう。怒りと悲しみに取り付かれたプレイヤー達は勇者連盟の力を以ってして革命軍を叩き潰すべきだと叫んでいる。そんな彼らを何とか抑えられているのは、何よりもカイゼルがいるからだ。
「これから和平交渉についての採決を取るが……ちっとばかし拙い状況だな。和平について恐らく殆どの連中が反対に投じるだろう。そうなれば和平交渉自体が成立するかも怪しいわな」
「面倒くせぇ……最初からぶっ潰しちまえば良かったんだ」
壁に背を預けたまま隅で呟くファング。カイゼルは腕を組んで溜息を一つ。
「それにしてもオリヴィアだったか。お前さんは一体何者なんだ?」
「はい? 何者……ですか?」
「お前は既にNPCとは呼べない段階にまで進化しつつある。これまで色々な奴を見てきたが、お前ほど人間らしいNPCは見たことがねぇ。ひょっとするとお前は、何か特別な“ロール”を任された存在なんじゃねえのか?」
「ろーる……?」
首を傾げるオリヴィアにカイゼルは頭をわしわしと掻き乱し、頭の中で説明を整理する。
「この世界のNPCにはな、時折特別な役割を与えられている奴が居る……らしい。俺も人伝に聞いただけなんだがな」
「もしかして……賢者ノウンとかそういうタイプのNPCかな?」
「そのノウンさんってのは知らんが、以前連盟に加わっていた奴らから聞いた事がある。そいつらは“監視者”と呼んでいたがな。そういう特別なNPCには、特別な能力が備わっている場合があるらしい。まあ……見た所そういう感じでもないんだがな」
オリヴィアは確かに自意識に優れた存在だが、別段何か特殊能力を兼ね備えているわけではない。どちらかというとカイゼルの言う特別製はあのダンテの方だろう。
「奴の使う荊の力がどういうものなのか俺にもわからんが……奴はアーティファクトを持っていたな。もしかするとその力なのかもしれん」
「アーティファクト……ですか?」
「レイジ達は聞いた事がなかったか。お前らアークの探索とかしてるか?」
首を横に振るレイジ。また説明を頭の中で整理するカイゼルに代わり、クピドが口を開いた。
「アーティファクトっていうのはね、アークから発見された特殊なアイテムの事よ。恐らくそのアークが作られたのと同じ時期、古の時代に製造されたもので、現状存在しているあらゆるこの世界の武器や防具よりも優れた性能を持っているの。場合によっては特殊能力もね」
「そんなものが……。じゃあ、荊の力もあの剣の……?」
「いや、それは恐らく違うと思うわ。あの剣って私達も何本か回収してるんだけどね。別にそんな能力は備わっていなかったと思うのよ」
アーティファクトと言うとまるで特別なアイテムであるかのように感じられる。実際に特別であるにはそうなのだが、基本的に全て量産を前提にされており、同じ形のアーティファクトはアークにいけば幾らでも見つかったりする。完全な状態で残されているのはごくごく稀だが、散見される残骸からダンテの持っていた剣も量産された剣の一つであると予想出来た。
「まあ、精々たまに威力を上げた一撃を放てるとか、そんなところかしらね」
「じゃああの荊はアーティファクトの力じゃないのか……」
「アーティファクトにはもう一つ特徴があってね。NPCでなければ扱う事が出来ないのよ。私達勇者でも普通に頑丈な武器として使う事は出来るけど、秘められた力を引き出す事は出来ないってわけ」
誰がいつ何の為に作ったのかわからない謎のアイテム、アーティファクト。確かにNPCが持つ得物としては最上位だが、勇者の精霊器とは比べ物にもならない。勇者には扱えない代物と言う事もあり、連盟もそれほど重視し回収するような事はしていなかった。
「まあでも、アーティファクト回収が必要な事態かもね……少しでもNPCの戦力を底上げしておかないといけないし……」
「ああ……ところでレイジ君、君は精霊器を使わずNPCの武器を使っていたようだけれど……君の精霊はどうしたんだい? 戦いには向かない能力なのか?」
ケイオスの質問にはっとする。思えばレイジは自分の能力について彼らに語っていなかった。嘗て問題を引き起こした事だけに話す事は躊躇われたが、そもそも話さないからこそあんな事になったのだ。今は彼らの器量を信じ、全てを明かす事にした。
レイジの能力について聞かされた連盟側の反応は様々だったが、特別レイジを警戒するような者はいなかった。それもこれもカイゼルが“ふーん、そうなんだ”くらいの反応で済ませてしまったからである。
「……そんなわけで、俺は今雷の刀と毒の短剣という二つの武器を使えるんですが、俺自身が未熟なせいでまだあまり長時間は使えないんです」
「でも能力としては激レアねぇ。取り込んでしまいさえすれば何でもアリって事なんでしょ? 戦略的な利用価値もありそうだし……中々強力な力じゃない」
「ただ、他のプレイヤーの犠牲が増えれば増えるほど強くなる能力という事で、皆さんから信じてもらうのは難しいと思うんですが……。すいません、もっと早く言うべきでした」
「んな細かい事気にする必要はねぇよ。だってお前、弱いじゃねえか」
あっけらかんと笑うカイゼル。確かに彼の言う通り、このサブマスターの中にレイジに遅れをとるような者はいないだろう。例えレイジが和平の話を利用して漁夫の利で連盟から能力を奪おうなどと考えていたとしても、それを軽く覆して余りあるだけの力をカイゼル達は持っているのだ。警戒さえしていれば絶対にしてやられないという自信がカイゼルにはあった。
「それに、お前がどういう奴なのかはこれまで聞いた話や今回の行動で多少は知る事が出来たからな。なんなら、常にウチから一人監視にでもつけておくか? それでお前の方も安心出来るんだろう?」
「あ……はい! 是非そうしてもらえると助かります!」
「だったら僕が監視につくよ。レイジ君達の事、割と気に入ってるからね」
笑顔で挙手するケイオス。カイゼルはあっさりとそれを了承した。ケイオスは元々単独行動が多い少年だ。ある意味戦列から抜けて一番影響が少ないサブマスターだと言えた。
「さて、俺達は和平交渉に関する採決を取るのと組織の建て直しで色々と時間がかかりそうだが……その間にお前らは革命軍を話し合いのテーブルにつくように説得する事だな」
「わかっています。ついでで恐縮なんですが、俺達もここを拠点として使ってもかまいませんか? 革命軍と話をしに行くのに、オルヴェンブルムからだと遠くて……」
「おう、構わねぇぞ。お姫様も暫く居るってんなら部屋を用意させてやるよ」
こうして一先ず話は纏まった。しかしレイジの胸中には不安と迷いが重く渦巻いていた。勇者連盟のマスター達が席を立った後もレイジは集会場に腰掛けて頭を悩ませていた。
「和平が難しいって事は分かっていたつもりだけど……実際戦いになってみると、本当に難しい。遠藤さんが先に話してくれなかったら、戦闘中に迷って不意をつかれていたかも」
「そうだね。しかしレイジ君は、NPCであれば誰も殺したくないのかい? その……言い方はあれだけど、敵だとか、悪だとかだとしても? 君の“不殺”の心得は、ちょっとばかし広義的すぎる気がするんだな」
言われて見ればその通りだ。誰も殺したくないと叫ぶ主人公なんてありがちな設定だが、結局の所そんな夢の様な事はなかなか実現出来ないし、実現出来る者は図抜けた力を持っていなければならない。そもそも誰がどう冷静に考えたって敵を殺さずに戦いを収めると言う事は不可能なのだ。レイジにだってそれはわかっている。ならなぜ不殺に拘るのかと言えば、ミサキならばそうしただろうという何とも頼り無い理由で動いているに過ぎない。
「誰も傷つけない……それは人としてとても立派な考え方だ。だけどね、大人になってくるとわかってくるんだよ。人がその手で守れる者は本当に極僅かなんだ。自分自身と、それからあと一人か二人……そのくらいかな? その僅かな大切な者を傷つけない為に、守る為に、それ以外を傷つける事も要求される。残酷な物言いだというのはわかっている。だけどね、レイジ君。“大切なもの”に“順番”をつける事も、大事なんじゃないかな?」
「大切なものの……順番……ですか」
「君が何よりも大切にしているものはなんだい? ミサキ君との約束? それとも……今ここにいる仲間達かい? 人は誰しも己の中に譲れない物を抱く。その価値を決定する基準は人それぞれだ。だから僕には君の基準を決定する事は出来ない。しかしねレイジ君。逆に言えば、君には君の基準を決定しなければならない義務があるんだよ」
そこまで語り、遠藤は頬を掻く。両腕をポケットに突っ込むと愛想笑いを浮かべた。
「そんな事をおじさんに言われても鬱陶しいとしか思わないだろうけどね。大人というやつは、出来るだけ子供に間違いをさせたくない生き物なのさ。自分が痛い目に遭って来た分、若い子には正しい選択をしてほしい……そういう理想を押し付けずには居られない。野暮な事を言ってしまってすまないね」
「いえ……なんていうか、凄くためになります」
遠藤のセリフにはどうにも苦々しい記憶がにじみ出ていた。彼の言う通り、痛い目を見てきたからこそ語る大人の言葉だ。理想ばかりを追いかけるレイジにとって、現実の先を知る者からの言葉は捨て置き難い。
「俺も分かっているつもりです。次は……迷いません。何かを守る為に、何かを犠牲にする……そんな事が正しいとは今でも思えないけど……それでも、やってみせます」
「迷いながらも決断を下す、か。中々男らしいね、君は」
笑顔でレイジの肩を叩く遠藤。レイジは苦笑を浮かべオリヴィアを見た。
「いつまでも迷ってばかりではいられませんから。俺を支えてくれるみんなのために……自分自身の守りたいもののために。俺は……もっと強くならないと」
なんだかんだ言いつつも遠藤はレイジの事はあまり心配していなかった。少年はずっと迷いながら、その迷いに身をおいたままで何かを決断してきた。土壇場で自分自身を信じることが出来るレイジが、遠藤は少しだけ羨ましかった。
「早速革命軍側と連絡が取れるようにしないとね。明日からは会議のセッティングで大忙しになると思う。皆さん……大変だと思いますが、宜しくお願いします!」
深々と頭を下げるレイジ。仲間達はその言葉に笑顔で応じる。
こうして会議に向けた準備が始まった。ただそれだけの為に時はあっという間に流れて行く。フェーズ3の世界の命運を賭けた一大イベント、三軍会議。それが開催されたのは、勇者たちの体感時間でおよそ一週間後の事であった。




