変革(1)
「いいんスかクピド? 姉御やる気になってるけど……」
「うーん……まあいいんじゃない? タカネだっていきなり殺したりはしないだろうし。それにタカネの言う通り、ちょっとした入団試験だと思えばさ」
刃を交える二人の女。背後からクピドとワタヌキはその様子を眺めている。不安そうなワタヌキに対しクピドは余裕しゃくしゃくと言った様子で、それは対岸に立つJJも同様であった。
「あのおチビちゃん、本当にいい度胸してるわね。仲間をわざと炊き付けるなんて」
「自分らの中ではクピドと同じポジションッスかねぇ」
紫色の唇に人差し指を当てて微笑むクピド。JJは眼鏡のブリッジを持ち上げながら鋭く眼光を返した。一先ずこの場は各々の思惑はあれど――この戦いの結末を見届けるべき。それが二人の共通認識であった。
タカネは槍使い。外見通りのパワーファイターで、長物で遠距離から強烈な一撃を繰り出してくる。これに対しマトイは一切反撃の姿勢を見せなかった。ただ只管に攻撃をマントで受け、弾き飛ばす。タカネの攻撃力は勇者の中でも上位に入る物だったが、それでもマトイには傷一つつける事が出来ていなかった。彼女のマントはあらゆる槍の一撃を表面で滑らせるようにして弾き、“逸らし”ていたからだ。
「この手応えがないような、力を抜かれるような感じ……ただの防御能力じゃないみたいだね」
肩を上下させながら必死にタカネについていく。ただそれだけで体力は限界に迫りつつあった。そもそも先ほどまで能力を使った特訓をしていたのだ。魔力が底を尽きる気配を感じたからこそ中断したのであって、あれから数十分しか経過していない今、マトイが万全であるはずはなかった。結局大技は使えない。だが持ち堪えるだけならば基礎能力だけで十分だ。
マトイの精霊器“カーミラ”は全身をすっぽりと覆う漆黒のマントと頭の上に乗せる三角帽子が一組セットとなっている。三角帽子はフードのようなつき方をしているので、そういう意味ではひとつなぎの装束であるとも言えた。その能力は敵の意識を逸らす事、そして“敵の攻撃を逸らす”事。マトイの能力の真髄は、力のベクトルを意識的に分散させる事にある。
「いくら攻撃しても無駄です! あなたでは……私には勝てません!」
「はん。守っているだけの臆病者がよく言う!」
「……その通りです。私は臆病者です。私では絶対にあなたに勝つ事は出来ないでしょう。だけど……負けていなければそれでいいんです。誰かを守れるのなら、それでいいんです!」
タカネの気迫に圧されながらもマトイはきっぱりと言い返した。声も足も震えているが、まだ大丈夫。ここに身体を括りつけておける。逃げ出したりしないで、ここでまだ戦える――。
「そうかい……なら見せてもらおうじゃないか。負けない戦いって奴をね!」
笑いながら全身に漲る力を高めて行く。そうしてタカネは真正面から猛攻を仕掛けた。次から次へと繰り出される槍は早すぎて最早マトイではまともについていけない。結果力を逸らす能力が万全に発動しなくなり、徐々にマトイの身体に刃が掠る様になってくる。腕に、肩に、小さな痛みと共に傷が増えて行く。息つく間すらない。歯を食いしばり、必死で耐えるマトイ。次の瞬間タカネは身を引き、身体を前に飛び込ませながら体重を乗せた突きを鋭く繰り出した。迸る魔力は赤い光のオーラとなって切っ先を輝かせる。首筋にぞくりとした悪寒が走った。これは防げない――殺される。そうマトイが痛みに備えたその時だ。
「はーい、ケンカはそこまよー! 二人とも仲良くしなさーい!」
声に反応し顔を向ける二人。その二人の額に同時に何かが突き刺さった。それはクピドが放り投げたダーツの矢であった。矢は自動的に光と共に消滅し、途端に二人の様子がおかしくなっていく。その一部始終を見ていたJJはゲンナリした様子で肩を落とした。
「うわっ……あいつの能力……かなりやばいわね……」
「……何かわかったのですか、JJ?」
アンヘルの問いに小さく頷くJJ。説明するまでもなく効果は二人に現れ始めた。よろよろと、足から力が抜けたように倒れこむマトイ。それを素早くタカネが抱き留めた。
「あぁっ、私……もう駄目です……」
「アタシも……もう限界だよ。これ以上我慢出来ない……この胸の高鳴りを……!」
首をかしげるアンヘル。タカネとマトイはしっかりと指と指を絡め、吐息が掛かるほどの距離で見詰め合う。潤んだ瞳にはお互いを見つめる瞳だけが映り込み、世界の全てを支配していた。タカネは優しく微笑み、マトイは少し恥ずかしそうに身を捩る。
「だめ……こんな急に……今日あったばかりの人に……私ったらなんてはしたない……」
「そんな事はないさ。アタシ達の出会いは運命だったんだ。運命には誰も逆らう事は出来ない。逆らう事が出来ないのなら……それは罪じゃない」
「タカネ様……」
「もっとアタシに見せておくれ……お前のはしたない姿を……」
「タカネ様……っ」
目を閉じる二人。そうして徐々に唇が近づいて行く……ところで急に二人は目を開いた。ぱちくりしながら呆然とした後、絶叫しながらお互いに飛び退いた。
「なななななっ、なんですか今のはーっ!?」
「クピドてんめぇっ、またやりやがったね!?」
「仕方ないじゃないー、貴女がまた勝手に暴走しちゃったんだからー。スマートに戦闘を中断させるには私の能力……“ラブリーエンジェル”を使うのが一番でしょ?」
そう言ってクピドは掌の中にダーツを出現させ、それを精霊形態に変化させる。出現したのは首のない翼を持った小さなマネキンのような物体で、天使と言われればそう見えない事もない。精霊はゲラゲラと腹を抱えて笑うような仕草を見せた後、クピドの頭の上に座った。
「これが私の精霊、ラブリーエンジェルちゃんよ。能力はダーツを放ち、対象を特定の感情で支配する力。一人に向かっても発動出来るし、さっきみたいに二人以上に同時に使って組み合わせる事も出来るわ。効果時間は一分と短いけど、いろいろ面白い事が出来るってわけ♪」
「お前の能力は悪質すぎるんだよ! いい加減にしないとぶっ殺すよ!」
槍を手にクピドの胸倉を掴み上げるタカネ。ぎゃあぎゃあと喚いているが、とりあえず戦闘は中断されたようだ。首筋に手を伸ばしマトイは安堵する。クピドが中断させていなかったら、この喉を槍の一撃が貫いていたかもしれない。そう思うと背筋に冷たいものが流れた。
「大丈夫? なんだか大変な事になったわね……」
「う、うん……なんとかね……ギリギリセーフ……かな?」
JJの手を借りて立ち上がるマトイ。向こうも既に話は纏まったのか、頬を晴らしたクピドが苦笑しながら近づいてくる。すっかり毒気を抜かれたのか、タカネは高見の見物を決め込むつもりのようだ。
「えーと……悪かったわねぇ、うちのタカネが勝手な事して」
「構わないわよ。お陰であんた達の事、色々とわかったしね」
目を瞑りながら微笑むJJ。マトイはそこで初めて自分がJJに利用されたのではないかという発想に至った。微妙に腑に落ちないような気もしたが、これも計画通りなのだとしたら少なくとも役には立ったという事だ。悲しい記憶は出来るだけ忘れるように心がければ良い。
「それで? 今でもさっきの答えは変わらないのかしら?」
「いいえ、ちょっと変わったわ。今はとりあえず答えは変わらないけど、うちのリーダーとよく相談してから結論を出してみるわ。それまでの間はうちの城に滞在してもらって結構よ。ただし、NPCとの過剰な接触は可能な限り避けるという条件付でね」
「なるほど、貴女達はそういう方針か……オッケー、了解よ♪ それじゃあリーダーがログインしてくるまで、私達もこのオルヴェンブルムをスタートポイントにさせてもらうわね」
「どうぞご自由に。リーダーも明日か明後日くらいにはインすると思うし、リアルでも連絡取れるようにしてあるから通知はしておくわ」
こうして話はとんとん拍子に纏まってしまった。後は全部JJが決めてしまったので、マトイとアンヘルはその様子を背後から見ているだけだ。マトイは小さく溜息をつき、肩を落とす。
「JJが何を考えているのか……私にはわからないよ……」
「わたくしにもそれはわかりませんが、まあ別にわからなくてもいいかなと思っております」
「……最早考える事を放棄しているんですね……」
無表情に頷くアンヘル。マトイは苦笑を浮かべた後、震えていた右手を見つめた。今はもう鼓動も落ち着いている。少しは変わる事が出来たのだろうか? 自分自身に問いかける音もない言葉は、胸の中に静かに染みこんで行った。
「あ~……寝られたような、寝られなかったような……身体中が痛い……」
まだ街が目覚めるには少し早い、早朝五時。東京の空を見上げながらレイジは大きく身体を伸ばした。隣にはやはり眠そうなシロウの姿があり、二人はゆっくりと駅へと歩き出した。
篠原深雪と共に東京を訪れたレイジであったが、ミサキの捜査については頭打ちであった。頼子という協力者を得る事には成功したが、ミサキの居場所がわかったわけでもなし。ただミサキはどこにもいないのだと、その事実を再確認しただけであった。
「しっかし……本当にミサキの奴はどこにいっちまったんだろうなあ」
「そうだね……。なんだか堂々巡りで、一歩も前に進めていない気がする。こんなんで美咲を見つける事なんかできるのかな……」
「確かに進展はしちゃいねーが、堂々巡りって事もねえだろ? 俺達はこうして一歩一歩前に向かって歩いてんじゃねえか。もっと自分のやってる事に胸を張れよ」
白い歯を見せ笑うシロウにレイジは頷く。実際の所、前に進んでいるという実感はなかった。だが進んでいないからなんだというのだ。だったら探す事を諦めるわけでもないのに。
「今はやれる事をやるしかないんだ」
「おう! しっかしあの頼子とかいう女……俺達も部屋に泊めてくれりゃあいいのによ。ケチケチしやがって……お陰でえらい目に遭ったぜ」
ぶつくさ文句を言いながら歩くシロウ。三人はあの後も頼子の部屋でXANADUに関する情報を交換していた。頼子はアングラなネットサイトにも詳しい、“インターネットの住人”であり、堂に入ったオタクだ。ネット上の形なき噂話を追いかけるには心強い人物であった。
そんな頼子を味方につけ、連絡先も交換。あれこれ相談しているうちにあっという間に深夜になってしまった。当然レイジは終電を逃してしまい、この東京の街に取り残される事になってしまった。頼子は深雪は部屋に泊めてやると言ったが、自分はともかく深雪がいる以上男は泊められないという話になり、真夜中に二人は外へつまみ出されたのだ。
それからどうしたのかと言えば、とりあえず朝までネットカフェで時間をつぶす事になった。辛うじて個室と呼べなくもない狭い空間に押し込まれ、しかし慣れない環境からかレイジはろくに眠る事が出来なかった。結局かなり早い段階で眠る事を諦め、マンガを読んで過ごしていた。シロウの方は神経が図太いのか、ぐっすり眠っていたようだが。
「ふわぁ……。なんか……メール来てる。えーと……JJとマトイからだ」
「あー、そういや色々と報告しなきゃなんねぇ事もあるなぁ。今日はログインしねーとだが……ったく、眠くてしんどいぜぇ」
「んーと……XANADUの中でも色々あったみたいだね。こっちも報告すべき事が結構あるし……はーっ、電車に乗って帰るのめんどくさい……」
男二人、だるそうに駅への道を歩く。人気のない街はそれでも徐々に日常へと進み始めている。帰宅前に一度深雪の様子を見て行きたいというレイジに付き合い、シロウも駅前のファミレスで時間を潰す事になった。二人は朝食を食べながら窓の向こうに目を向ける。
「遠藤さんがファミレスに住んでるみたいな生活してるって言ってたけど、なんとなくその気持ちがこの二日間で分かった気がするよ……」
「あのおっさん、実際何やってんだろうな。私生活が全く想像出来ないぜ」
そんな話をしてモーニングにメニューをたいらげた。シロウは暫くコーヒーを飲んでいたが、時計を確認すると徐に立ち上がった。
「さってと、俺は今日も仕事があるからな。そろそろ帰らせてもらうわ」
「あ……そうだよね。ごめん、大丈夫そう?」
「家帰ってシャワー浴びるくらいの時間はあらぁ。深雪はまだ起きてないんだろ?」
「うん。メールはしておいたから、ここで暫く待ってみるよ」
頷くシロウ。そうして男は笑みを作り、レイジの肩を軽く叩いた。
「んじゃ、またXANADUでな。深雪のやつにも宜しく言っといてくれや」
「付き合ってくれてありがとう。シロウが居てくれて心強かったよ」
ケラケラと笑いながらシロウは去って行った。シロウが居たお陰で心強いというのは事実園通りで、シロウがいなくなると急にこの町が大きく、自分にとって居心地の悪い場所のように思えてきた。
少しずつ、町は活気を取り戻して行く。真夜中でも早朝でも町がまどろむ事はない。太陽はゆっくりと輝きを増し、今日もまた一日暑くなる予感がした。
深雪が姿を見せたのはそれから一時間以上してからであった。店に入って来た深雪は迷わずレイジの正面の席に腰掛ける。それは丁度一日前の焼き直しのような光景であった。
「おはよう。よく眠れた?」
「いえ……あまり。ただシャワーを貸してもらえたのはありがたかったです。一日歩き回ったお陰で汗びっしょりでしたからね」
店員を呼びながら語る深雪。レイジはその身体をじろじろ見つめていた。それは別に彼女の服装や汗の状況を確認していたわけではない。彼女の手荷物が増えていないかどうか……それがレイジにはどうにも気懸かりだったのだ。
「HMDは置いてきたんだね?」
「……ええ。そうしなければあなたが許さないんでしょう?」
「よかった。それがどうしても気になって……。これで安心して帰れるよ」
目を伏せて微笑むレイジ。深雪は視線を逸らし、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。しかしレイジにその微妙な表情を差異を見抜くだけの力はなかった。
「深雪はこれからどうするの? もう故郷へ帰る?」
「そうですね……。もうこれといって東京の街に用もありませんから。頼子さんとも連絡先を交換できましたし、礼司さんや清四郎さんとも接点を持つ事が出来ました。成果としては、まあ及第という所でしょうか」
「そっか。もし美咲について分った事があったら真っ先に君に伝えるよ。それまでXANADUの事は俺達に任せてくれ。その代わりと言ってはなんだけど……」
「わかっています。姉さんの事で何かわかれば、礼司さんに連絡しますよ」
微笑む深雪に頷き返すレイジ。伝票を手に立ち上がり、身体を伸ばして息を吐く。
「それじゃ、俺はそろそろ帰るよ。家に戻ったら少し寝ないと、ゲームに支障をきたすしね」
「ゲームに、ですか。まるで駄目人間ですね」
「駄目人間なのは否定しないよ。結局俺って何の取り得もない凡人だしね……」
「そんな事はないと思いますよ」
苦笑を浮かべながら冗談交じりに言ったのだが、深雪の返答は真顔であった。真っ直ぐにレイジを見つめながら、少女は柔らかく微笑みながら言う。
「姉さんが礼司さんを気に入った理由、今なら少しわかる気がします」
「え……? 気に入った……のかな?」
「どうでしょう? それは本人にしかわからない事ですからね」
はぐらかしながらも口元に手をやり笑う深雪。その仕草がなんだかとても歳相応に見えてレイジには嬉しかった。釣られて笑い、それから晴れやかな気持ちで歩き出す。
「それじゃあまた。気をつけて帰るんだよ」
「ええ。また……どこかで」
手を振り別れを告げて歩き出す。レイジは何度も振り返り、深雪を心配するように手を振っていた。それがなんだかおかしくて、レイジの姿が見えなくなった後も深雪は一人で笑っていた。そうしてふと気付く。こんなに誰かと笑い合ったのは何時振りだろうか、と。
「……美咲……」
ぽつりと呟く名前。遠き日の思い出の中では深雪も美咲も一緒になって笑っていた。愛情に満たされた日々を送っていたし、それが永遠に続くと信じて疑わなかった。本当に大切な物はいつの間にか傍にあって、守る努力を怠った時、それはどこかへ消えてしまう。そんな単純な真実さえ知らないまま、甘い夢を見続けていられたのに。
コーヒーを一口、顔を上げる。失う苦しみならばもう十分に味わってきたと少女は覚悟を決める。しかし少女はまだ知らない。苦しみに底などなく、間違いに終わりなどなく、彼女が知る涙など、悲劇の序の口に過ぎなかったのだと――。
XANADUの世界には、“アーク”と呼ばれる特別な場所がある。これらは超古代から存在している未知のオブジェクトであり、その多くはまだ人の手により発見されていない場所の存在している。ハイネが足を踏み入れたのもそんな未開のアークの一つであった。
地下の洞窟をそのまま利用して作られたその神殿は、山の中腹から真上に向かって伸びる巨大な竪穴の下にあった。降り注いだ僅かな光は神殿を構成する瑠璃色の鉱石によって弾かれ、増幅されて洞窟内に行き渡る。足元から浮き上がる僅かな光に照らされつつ、ハイネは顔を上げた。そこには幾つかの人影があった。彼らはそれぞれ洞窟の壁を利用して作られた立体的な椅子の上に腰掛けており、その中の一人がハイネの目の前に飛び降りてくる。
「よぉ。決心はついたのか?」
それは小さな子供であった。まだ十歳くらいであろうか。髪が短く、服装も少年らしい格好の為ざっと見では男なのか女なのかわからない有様であったが、れっきとした少女である。ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま笑う少女にハイネは舌打ちする。
「決心もクソもあるかよ。第一なんなんだテメーらは。俺に何をさせようってんだよ」
「お前バカか? 前にも説明しただろ。あたし達、“バウンサー”についてよ」
“バウンサー”。それが彼女達を指し示す言葉であった。その正体は勿論プレイヤーである。だが他のプレイヤーとは異なる、ある特別な役割を帯びている。ハイネはバウンサーの一人であるこの少女の眼鏡にとまり、こうして勧誘されたわけだ。
「本当はお前じゃなくてあのクラガノって男の方に声をかけてたんだけどな。あいつはバウンサー化するのを拒みやがったからな……ったく、バウンサーになっちまえば何もかもが最高だってのに、あいつの考えてる事はわかんねーな」
クラガノは早期段階でバウンサーからオファーを受けていた特殊なプレイヤーであった。しかし彼は即座にバウンサー化を拒否。あくまでも勇者の一人としてゲームを継続する事を選択した。クラガノを自由にさせておく事は、それはそれでバウンサーとしては都合がよかった。しかしバウンサーの存在を他のプレイヤーにばらされても困る。よって仕方なく、クラガノの言動については細やかな監視が必要とされたのである。ハイネがあの状況から助かる事が出来たのは、そんなクラガノの置き土産的な偶然であったと言えるだろう。
「めんどっちいことは考えなくていいんだよ。お前は力がほしかったんだろ? 世界を自分の好きにする為のデッケェ力がよ。だったら求めればいいんだ。それを与えてやるのがバウンサーなんだからな」
「あの白いロボットみてえなやつ……あれもバウンサーなんだろ? バウンサーってなんなんだ? どうしてあれほどまでの力を得る事が出来る……?」
「簡単だ。他の勇者と比べても明確に“供給量”が違っているからだよ。お前達勇者は自分が使っている力がなんなのかを理解していねぇ。その本質ってやつをな」
笑いながら振り返る少女。その視線の先には神殿の奥へと続く回廊がある。歩き出した少女に導かれるようにハイネはその後に続いた。
神殿の中は薄暗いが、乱反射し続ける光が閉じ込められ、目視可能な程度の光量があった。奥へ進んでもそれは変わらない。そして進めば進むほど、最奥に存在している物もしっかりと確認出来るようになってくる。
そこにあったのは巨大な赤い結晶であった。結晶の周囲では焚き火が炎を吐き出し続けている。うっすらと光に照らされた結晶へと近づくハイネ。そうしてその中に閉じ込められている物を確認し、目を見開いた。
「こいつは……人間……か?」
「いや、違うね。これがなんなのか、お前達ももう知っているはずだ」
「……どういう事だ。このゲームはどうなってやがる? お前達は何をしようとしてるんだ?」
「あたし達のやるべきことなんて決まってる。ゲームをより面白くする事。そして……」
ゆっくりと歩み寄り、笑顔でハイネの顔を見上げながら少女は言う。
「――ゲームを最大限楽しむ事、だ」
その瞳には得体の知れない輝きが宿っていた。ぐるぐると渦巻く深遠は奥底を覗き込もうとすれば見る者さえも引きずり込むような、そんな薄気味悪さがある。
この場に居る全員がそうだ。バウンサーと呼ばれる者達は全員が何かしらの異常――“狂気”を孕んでいる。バウンサーになるという事はつまりそういう事だ。魂の奥底に眠る暴君を解き放ち、理性のタガを外してしまうという事。
「復讐したいんだろ? あいつらによ。取っちまえよ。この手をさ」
差し伸べられた小さな手に冷や汗が流れる。ハイネは戸惑っていた。だがしかし彼女の言う事も事実だ。クラガノは死に、自分は負け犬として逃走した。こんな現実を飲み干せる程、彼は大人ではなかった。
握り締めた小さな手。覚悟はまだ定まっていないが、やがてそれすらも忘れてしまうだろう。バウンサーの少女は楽しげに笑いながら腕を広げ、高らかに宣言した。
「――歓迎するよ、ハイネ! ようこそ、超越者の城へ!」
後戻りは出来ないと思った。否、そう思う事で覚悟を決めようとした。ハイネの精神は幼く、この時代に見合った平凡な高校生らしく迷いと無責任さに満ち溢れていた。だから覚悟を決める事は難しく、迷いを振り切るためには無思考を必要としたのだ。
「なんだかよくわからねぇが……やってやる。あいつの仇を……俺が討つ……!」
「いいねいいね、そうこなくっちゃ! それじゃあ早速なっちまおうか! 楽しい楽しいバウンサーにさぁ!」
神殿に奉られた赤い結晶が光を放つ。少女は戸惑うハイネを結晶に向かって突き飛ばした。
「うっ、うわ……!? うわああああっ!?」
結晶の中で眠っていた者がゆっくりと目を開く。次の瞬間光は眩く悲鳴と共にハイネの身体を飲み干して行く。少女は軽く手を振りながらその様子を眺め、最後まで見届けずに背を向けて歩き出すのであった。




