再起(3)
オリヴィア・ハイデルトークが新たな王座についたという事実は、クィリアダリア王国の方々にまで伝えられた。王都奪還に加え、王の空席も埋まった事により、クィリアダリアという国全体が初めての“勝利”に色めき始めていた。それに伴い、まだまだ余力に十分とは言えないオルヴェンブルムにおいても、ささやかながらの祝勝会、そして新王オリヴィアの即位式が行われる事になった。
「おー、すげえな。この国にこんなに人間がいたのかよ」
「なんだかんだ言って広いからねー、この国は。国土だけで言えばざっと九州くらいはあるんじゃないの?」
人の流れを眺めながら感心するシロウ。その隣では遠藤が腕を組んで微笑んでいる。
「総人口がどれくらいなのか、調べてみないとわからないけれどね。一度は魔物のせいで滅んだも同然の国だから、何もかも一から数え直しの揃え直しだろうさ」
「こっからまた仕切り直しって事だな。やり直しが利くってのはいい事だぜ。終っちまってどうしようもないならとにかく、またはじめられるのなら希望がある」
「おや、シロウ君にしては随分と良い事を言うじゃないか。そう、人生と言う物は結構長いもんだよ。やり直しが利くうちはなんだっていいのさ。生きてさえいればね」
「生きてさえいれば、か……。そうだな。そうかもしれねぇな……」
二人の男はそれぞれ別々の過去へと想いを馳せていた。その内容はお互いに口にする事はなかったし、これからもそのつもりはなかった。シロウは湿っぽい空気を振り払うように声を出して身体を伸ばし、それから深く息を吐き出した。
「さーって、せっかくの祭りなんだ! そのへんぶらぶらしてきますかねー!」
「僕ら救国の英雄って扱いらしいから、飲み食いタダみたいだよ。僕もちょっとばかし情報収集と行こうかな、うん」
「とか言ってどうせまた女に酒でも注がせるつもりだろ……」
「だって救国の英雄なんだもの、向こうからどんどん来るんだってば。仕方ないでしょ」
「はあ……ま、いいけどよ。ところで他の連中はどこいったんだ?」
この場には遠藤とシロウの姿しかない。ログイン直後は全員城に居た筈なのだが、何と無くそれぞれバラバラに城を出ていたのだ。恐らく戻っても城に他の仲間の姿はないだろうし、この人混みの中から特定の人物を探し出すのも難しい。
「JJは城にいるかもね。人混みは苦手だって言っていたし、即位式の取り仕切りまで任されている様子だったからね。レイジ君はNPCの女の子とデートするって言ってたかな? マトイちゃんとアンヘルは……さて、どうしたかなぁ」
「ま、どーだっていいや。折角の勝利の日だ、それぞれ好きな事すりゃいいだろ」
「同感。それじゃあまた、即位式が始まる頃に城で会おう」
頷き合い二人の男は別々の道を歩き始めた。彼らの中には確かに仲間意識や絆、信頼が芽生え始めてはいた。だが基本的には個人プレーが好きな集まりだ。自由にしていいと言われると、どうしても勝手気ままに行動しがちであった。
マトイとアンヘルもまた、特に行くあてもないまま街を彷徨っていた。二人は行動を共にしていたわけではなく、なんとなく歩いていたら先ほど合流しただけである。そのままどちらともなく広場にあったベンチに腰掛け、行き交う人々へ目を向けた。
夕暮れの町には沢山の人が歩いていたが、NPCは誰もが笑顔であった。国が再興するという晴れの日なのだから当然の事なのだが、その笑顔はきっとあのままの世界では、勇者が介入しない世界では得られなかった物だ。それを思うと少しだけ誇らしくあり、結局の所何も出来なかったマトイとしては悔しくもあり……複雑な心境であった。
「マトイさんは、他の皆さんのように騒がないのですか?」
「あ、はい。騒ぐのって苦手で……でも、楽しそうな人たちを見るのは好きです」
「わたくしも同じでございます。自分で楽しめとか騒げとか言われても困ってしまうのですが、こうして誰かの賑やかさを感じている分には問題ありません。自分は決してあのように笑う事は出来ないとしても、同じ空間を共有している……それだけで感じる物もあるでしょう」
「あ……なんとなくそれ、わかります。だけどそれだけでいいのかなって……一緒に騒げない自分は空気が読めてないんじゃないかって、不安になったりもしますけど……」
「それは無用な心配でございます。騒げない人間に“一緒になって騒げ”など、それこそ“空気が読めない”人間のする事でございます」
言われてみるとその通りだと納得してしまった。少しだけ笑ってしまうマトイにアンヘルは目を閉じたまま笑みを浮かべていた。そうしてマトイは夕焼け空を見上げる。
「……こんなに沢山の人を笑顔にする事が出来た。やっぱり皆さんは凄いです。私は……何も守れなかったし、誰も助けられなかった。それなのにこうして皆さんと同じ英雄扱いっていうのは、納得が行かないというか……自分が情けなく思えて」
「わたくしとて同じ事です。特にわたくしが率先して何をしたわけでもありません。考えたのはJJでしたし、四苦八苦していたのはレイジさんで、実際に困難を力を切り開いたのはシロウさんでした。それでもわたくしはこうして彼らと同じ扱いをされています」
「……そういう時、アンヘルさんはどんな風に感じているんですか?」
以前のマトイならきっとこんな風に誰かの気持ちに踏み込むような質問はしなかっただろう。だがアンヘルにはそれをさせるくらいの懐の大きさが感じられたし、何より上っ面だけの付き合いではなく誰かと深くわかりあいたいと、マトイ自身が願っていた。それを知ってか知らずか、アンヘルは落ち着いた声で応じる。
「特に……何も。先程の話と要点は同じでございます。わたくしは彼らと同じ空間に存在し、時間を共有している……それだけで素晴らしい事です。ならばそれ以上を求めようなんて、それもまた“空気が読めない”事でしょうから」
「なんていうか……アンヘルさんって結構はっきりと物を考える人なんですね。えっと……迷わないっていうか……」
「迷い……ですか。そうですね。確かにわたくしに迷いはないかもしれません。ですが、迷わない事が正しいとも、それが強いとも思いません」
「迷う事が時に正しく、強さでもある……今ならなんとなくわかる気がします」
思い返してみれば、クラガノは前者だった。迷わない人間。どんな時でも自信満々で、常に決断を素早く下していた。だがそれは時に独りよがりにもなるし、自分の中で帰結してしまった答えは間違いであると気付き辛い。
そしてレイジはまさに後者だ。迷い、苦しみ、悩み……しかしそんな自分と真っ直ぐに向き合おうとする強さがある。彼の言動は時に間違い、決断の遅れは致命的なミスを引き起こす可能性もある。だが彼は常に仲間に心を開き、己の間違いを誰かに正してもらう柔軟さを持っている。こうだと決め付けた結論より、間違いながら誰かと紡いだ答えの方が時に“美しい”。それをなんとなく、マトイは理解し始めていた。
「一長一短、なんですけどね……」
「そうですね。だからこそ、人は自分以外の誰かと繋がりたがるのではないでしょうか」
「……弱くても、迷ってもいいように、ですか? なんだか優しい考え方ですね」
正直な所、アンヘルは話しかけやすい雰囲気の女ではない。背は高いし、酷く整った外見や異常な髪色、殆ど零に等しい表情は他人を拒絶したような風貌を醸し出している。しかしこうして言葉を交わしてみると実に話しやすく、穏やかな大人の女性を思わせてくれた。
「うん。なんだかお話したら少しすっきりした気がします。ありがとうございました」
「お安い御用で……。ところでマトイさん、誰かを探していたのでは?」
「あっ! えっと、実はレイジさん……じゃなかった。レイジ君を探していたんですけど」
「レイジさんですか。見かけていませんね。そういえばここ数日、一人でどこかで作業をしていたようですが……何をしていたのかまでは明るくありませんね」
「そうなんですよね。何か一人でやっているみたいで……お手伝いできればなーと思ったんですけど……やっぱり私、あんまりあてにされてないんでしょうか……」
かくりと肩を落とすマトイ。アンヘルは微笑みながら空を見上げる。
「彼もまた、単独行動好きな面がありますからね。それに思い込みも激しく、物事を抱え込みやすい性格をしています。そんな人は少し放って置いてあげるのも為でしょう」
「レイジ君、単独行動好きだったんですか? そうは見えませんでしたけど……」
「それは……最近のレイジさんしか見ていないからでございます。フェーズ1の頃なんて、本当に色々な事がありましたから」
「そういえば前から気になっていたんですけど……レイジ君、フェーズ1の事殆ど話したがらないんですよね。えっと……ここで質問しちゃうのはずるい気もするんですが……」
「問題ないでしょう。レイジさんとしては、自分の口から語るのは気恥ずかしいというだけでしょうから。そうですね……では、少しその事をお話しましょうか」
「はい! あ、ちょっと待っててください! せっかくですから、何か飲み物とかもらってきますね!」
笑顔で走り去るマトイを見送るアンヘル。それから目を瞑り、切なげに笑みを浮かべた。その瞳はこの賑やかさの中で何故か悲しみに沈んでおり、しかしその事に気付く物は仲間の中にさえ一人も存在しなかった。
「いよいよ姫様が女王の座に着く時がきたのでございますな。このじいや、歓喜の極みでございますぞ、姫様」
夕焼けに包まれたリア・テイル城。その控え室でドレスに着替え終わったオリヴィアは椅子に腰掛けて窓の外を眺めていた。今日は本当に久しく忘れていた祝いの日だ。誰もがその心の中から失いかけていた喜びの感情を呼び起こし、歌い、踊り、そして神に祈りを捧げている。オリヴィアもまたその中の一人であった。喜び方は違えど、確かに胸の中に感謝の気持ちを抱いている。しかし同時に、何故か去来する寂しさも介在していた。
「姫様……どうなさいましたかな? あまり浮かないご様子ですが……」
「いえ……。ただ……今日この日を、アレスや他の皆とも一緒に迎えたかったなと……」
「ああ……。アレスを初め、多くの兵が犠牲になってしまいましたからな。きっとアレスがここに居れば、大いに喜んだ事でしょうに……じいやも口惜しいです」
「最近になって、私は考えるようになりました。何故神はこのように辛く厳しい試練を人にお与えになるのだろうか、と……。そしてこの試練は、本当に神が下した物なのだろうか、と」
「姫様……それは……」
「わかっています。神を疑うような事を王たる私が口にすれば、民の不安を煽るだけだと。しかし私は思うのです。私達を救ってくれたのは神ではなく勇者だったのだと」
黙りこむじいや。姫もまた、自分の矛盾には気がついていた。
勇者とは即ち神が使わした使徒……そう信じられている。それが常識なのだ。なればこそ、勇者の活躍は神の活躍であるとイコールで結ぶべきなのだ。だが今のオリヴィアは確かに感じていた。勇者達は決して神などではない。特別な存在などではない。ただ自分達と同じ様に考え、想い、行動する……人間なのだと。
もしも以前のままのオリヴィアならばそんな事考えもよらなかっただろう。だが彼女はレイジと出会ってしまった。レイジは言ったのだ。勇者は完璧な存在等ではないと。
勇者は負ければ死ぬし、間違える事もわからない事もあると。神のように振舞う事は出来ないのだから、人間と同じ様に扱って欲しいと……。
「考えているのです。今の自分の成すべき事は何か。私がこの世界に生を受けた、その本当の意味とはなんなのか……。私は今知りたいと願っている。じいや。私はね、生まれて初めて今、自分自身の真実に辿り着きたいと、そう切実に願っているのですよ」
「姫様の仰っている事は、王たる者としては失格やもしれませぬ。しかしじいやは……そんな姫様だからこそここまでお仕えしてまいりました。姫様が望むのであれば、そう願うのであれば、心行くまで問い質してみるのも良いでしょう」
困ったように笑いながらじいやは窓の向こうを眺める。そこには沈みつつある大きな茜色の太陽の姿があった。眩しさに目を細めながら、何度もしきりに頷いて。
「我々には長い長い時間がありますからな。気が遠くなるほどの、膨大な時間が……」
その時だ。控え室をノックする音が聞こえ、じいやが首をかしげた。やや時を置いて顔を見せたのはレイジであった。レイジは一礼して部屋に入ると、オリヴィアへ手を差し出す。
「姫様、ちょっといいかな? 即位式の前に見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの……ですか? しかし、即位式まであまり時間がありませんけど……」
「大丈夫、すぐ終るから! 準備に時間がかかっちゃったけど……でも、新しい始まりを迎える前に、どうしても君に見てもらいたいんだ」
ちらりとじいやに目を向けるオリヴィア。じいやは咳払いを一つ。
「そんなようでは女王としては困りますが……さて、あなた様はまだ姫様でございますから。それくらいのやんちゃはあってもよいのではないでしょうか」
「じいや……ありがとう! レイジ様、お供いたしますね!」
「すみません……でも、本当に直ぐ戻りますから! 行くよ、オリヴィア!」
オリヴィアを抱き抱え颯爽と窓から飛び出して行くレイジ。その突飛な行動にじいやは目を丸くしたが、最早何を言った所で無駄である。あの勇者の少年にこれまで何もかも任せてきたのだから、今回も同じ様にして問題ないだろう。
城を飛び出したレイジが向かったのは、所謂城の裏側であった。小高い丘の上にあるリア・テイル城の裏はまだ殆ど復興の手がつけられておらず、元々ただの荒地となっていた。そこを利用しレイジはある物を作ろうとしていた。それは丘に並んだいくつもの石碑。つまり墓標である。整然と並ぶ墓標の端に姫を下ろし、レイジは足を止めた。
「えっと……レイジ様、これは?」
「うん。これはね、お墓っていうんだ。この世界にはないものなんだってね?」
それはレイジもJJに聞いて初めて知った事である。そう、この世界に埋葬の概念は存在しない。死ねば死体は消え、魂は神の御許へと還るのだから、死者を悼む必要性がなかったのだ。未知の物体にきょとんとするオリヴィアに先んじ、レイジは墓標の一つへ近づいて行く。
「墓っていうのはね。この一つ一つに死者の名を刻み……えーと……その人がこの世界に生きていたんだって事を残しておく為の物なんだ……た、たぶん」
「たぶん……?」
「俺が考えたものじゃないからね。宗教とか色々あって……でも大体同じだと思うんだ。この世界で死んだ人は、神の所へ行くんだよね? だからそれでいいって姫様は言っていたけど……残された人はどうかな? 悲しかったり、寂しかったりするんじゃないかな? そんな時……ここに居ない誰かを想う為に、こういうシンボルが必要なんだと思う」
頭を掻きながらちぐはぐに説明するレイジ。オリヴィアはゆっくりとその隣に並んだ。
「死者を……想う為の……」
「俺は……居なくなってしまった人を、すぐに過去には出来ないよ。死んだ後の事はわからない。もしかしたら幸福なのかもしれない。もしかしたら……また会えるのかもしれない。だけどその人が傍にいない事は寂しいし……そんな自分と素直に向き合うのは難しい。だからこうして、そういう場所を……哀しみを受け止める場所があってもいいのかなって」
膝を着き、一つの墓標を撫でる。そこにはある女性の名前が記されていた。
「これは?」
「ケイトちゃんのおばあちゃんのお墓。さっきまであの子と一緒にいたんだ。それで、君にこれをって預かってる」
ミミスケから取り出したのは花束であった。腕の中から溢れんばかりの花を抱き締めるオリヴィア。レイジは立ち上がり、誰の名も刻まれていない墓標を見つめる。
「俺の世界では、死んだ人には花を手向けるのが慣わしでね。それをケイトちゃんに言ったら、だったら自分が用意したいって……それで一緒に外に出てたら時間かかっちゃったんだ」
「とってもきれいですね……それに、優しい香り。光のにおいがします」
花に顔を近づけ目を瞑る。そうしてレイジに微笑みかけた。
「ケイトちゃんにもお礼を言わなくてはいけませんね」
「だね。君が女王になったら、この世界は未来に向かって歩き出すと思う。だからその前に、一度過去になってしまった人達と向き合って欲しかったんだ。哀しみや苦しみをそのままにして忘れてしまって欲しくなかった。君や……この世界の人たちには」
「哀しみを、きちんと過去にする……寂しいけれど、でも……とても心強い儀式ですね」
微笑みながら頷き、そしてレイジに目を向ける。
「レイジ様。私にも一つ、作ってもらいたいお墓があるのですが」
「うん。今は時間がないから一つが限度かな。でも道具はズール爺さんから借りて来てあるから、ブーストかけて一気に出来るよ」
ウサギの口からごちゃっと道具を取り出すレイジ。その様子に思わず笑ってしまう。そうして二人はまた一つ、死者を想う為の石碑を作り上げた。そこにはある兵士の名前が刻まれ、姫はその前に跪き、手を組んで祈る。どうかその人に安らぎがあるようにと、そしてこの晴れ姿がその人の目にも届くようにと……。
「ありがとうございました、レイジ様。私……きっと忘れません。哀しみと向き合って、未来を作り上げる……そんな王様になってみせます」
「うん、応援してる。それじゃあ城に戻ろうか。急がないと間に合わなくなる」
「はい…………あっ、あの……」
振り返るレイジ。既に日は落ちようとしている。太陽と月に挟まれたまま、姫は胸に手を当て切なげに目を細める。まるで希うように、祈るように。
「レイジ様……また……お別れなのでしょうか?」
双頭の竜を倒し、村が落ち着いた頃だ。唐突に勇者達は姿を見せなくなってしまった。
知っていた事だ。勇者は人々がその力を必要とした時に現れ、救いを齎して去って行く。古くから伝わる伝承にもそう記されていた。だからまた、勇者の力が必要になった時……彼らは現れる。そう信じてオリヴィアは半年の間、王都奪還の準備を進めてきた。
それはもちろん、国を取り戻す為。魔物に怯えて暮らす民を救う為である。しかし彼女にとってはそれだけではなく……居なくなってしまった勇者達にもう一度会いたいと、そんな願いも含まれていた。一心不乱に努力した日々。その結果、半年の時を経て彼らは再び現れた。
だから今、予感がしていた。こうして国を無事に取り戻す事が出来た今、未来へと世界が動き始めた今、彼らはまた姿を消してしまうのではないか、と。そうなれば次に会えるのは何ヵ月後? 何年後? それお思うと何故だか寂しくて、手放しにこの状況を喜べない自分がいる事に少女も気がついていた。
「次に会えるのは……いつになるでしょうか? 私はこれから……どうしたら……」
「えっと……いつ消えるのかは、俺にもわからない。だけど言われてみると今のような気もしてきた。だからちゃんと言っておこうと思う」
頷き、それから姫に歩み寄る勇者。そうしてその小さな頭を撫でて笑った。
「君が必要としたなら、俺達はきっとまた現れるよ。それがいつになるのかはわからない。だけど約束する。俺は必ず戻ってくる。だから……約束」
小指を差し出すレイジ。しかしオリヴィアにはそれが何を意味するのかさっぱりわからない。苦笑を浮かべつつ少年は少女の手を取り、小さな小指に自らの指を絡めた。
「ゆびきりげんまん」
「ゆび……きり……げ?」
「俺の国の約束する時の、それこそお約束って感じ。ゆーびきった!」
小さな手を軽く振ってから手を離すレイジ。姫は先ほどまで繋がっていた小指を真剣な様子で見つめていた。
「ほら、急ぐよ! じいやとかJJに怒られちゃう!」
頷くオリヴィアを抱き抱えレイジは丘を駆ける、街を駆ける。空は夕焼けから星空へと変わろうとしていた。颯爽と今、黄昏の向こうへ。姫は笑顔を作り、そっと目を細めた。
「……やっと揃ったわね。即位式まで残り二十分切ってるわよ」
リア・テイル城内にある中庭。そこで勇者達は一同に会していた。遅れてやってきたレイジを加えればこれで六人全員が揃った事になる。頭を下げるレイジにJJは溜息を一つ。
「ま……ログイン時間的に即位式はちゃんと拝めそうにないし、集まる意味ないんだけどね」
「いいじゃないか。ログアウトまで……あと三十分くらいかい? とりあえず一度集まっておくのもありだろう。なんというか……一区切りというやつだからね」
遠藤の言葉に頷く面々。何と無くだが、これでフェーズ2が一区切りになったような。これで今この段階で果たせる役目はすべて果たしたような気がしていた。もしもそうだとすれば、これで世界はフェーズ3へと移行するだろう。そしてまた時が流れ……次にログインした時には、また新たに解決すべき困難が待ち構えているはずだ。
「なんつーか、キリねぇよな。少しは勝利の余韻に浸る暇もないのかねぇ」
「よく言うよ。シロウはもう次の敵と戦いたくてしょうがないんでしょ?」
「へっ、まーな。ただ魔物と戦うだけの退屈なゲームでもなくなってきたしな」
シロウの言葉には誰もが気を重くした。クラガノやハイネとのいざこざは、これから起こるであろうプレイヤー同士……勇者同士の戦いを彷彿とさせたからだ。特にハイネはクラガノとは異なりゲームオーバーになっていない。この世界のどこかで、彼らと同じく世界がフェーズ3へと移り行く瞬間を待っている事だろう。付け加えるのならばあの白い謎の敵。あれが何者なのかも判明していない。結局の所、問題は次へ持ち越す形になってしまった。
「なんというか……不本意ね。このイレギュラーが良くない結果を齎さなければいいけど」
「ハイネや白騎士との決着は……避けては通れませんよね……」
「そうだね。でも今は必要以上に不安になっても仕方がない。俺たちはそれぞれ出来るだけの事はやったんだから……新しい問題は、またみんなで立ち向かっていけばいい」
語りかけるレイジに皆の視線が集中する。そうして遠藤が口を開いた。
「うんうん、さすが我らがリーダー。その調子で次も頼むよ」
「あれ? 俺リーダーに戻ったの? っていうか俺でいいの?」
「今となってはあんた以外にリーダーは務まらないわよ……不本意だけどね」
「私は、レイジ君がリーダーでいいと思うな。アンヘルさんは?」
「もとよりそのつもりでございました」
「俺は最初っからお前を信じてたからな! これまで通り頼むぜ、相棒!」
口々に語りだす面々に苦笑するレイジ。その背中をシロウが思い切り叩くと、軽く一メートルほど吹っ飛んで倒れこんだ。
「……みんなの声援、ありがたく頂戴しましたよ……」
どっと笑いが沸き起こり、レイジも倒れたまま笑った。そうして暫し歓談を楽しんでいると彼らの頭上に鐘の音が降り注ぐ。時期に即位式が始まるという知らせであった。
「姫様……大丈夫かな」
「うまくやるでしょ。あの子、あれで結構強かだから」
「そうだね……うん。きっとそうだ」
立ち上がり鐘の鳴り響く空を見上げるレイジ。JJの言葉に頷き、そして笑みを浮かべる。
「がんばれよ……オリヴィア」
こうしてこの世界から消滅していたクィリアダリアという国は、復興への道を歩み始める事となった。そしてこの城塞都市オルヴェンブルムの奪還は、世界に少なくない影響を及ぼして行く。フェーズ2が、王都奪還の物語が今、幕を閉じようとしていた……。
王都奪還作戦完了から数日後。現実の世界は夏を迎えようとしていた。
「あーっ、テスト終ったー! もう少しで夏休みだな、織原」
「そうですねー……。あー、わかっていた事だけど勉強時間が足りなかった……」
「お前、いつになく苦戦してたな。毎回結構余裕くれてたのにさ」
放課後、教室で項垂れる礼司に友人が笑いかけてくる。それを片手をひらひら振って追い返すと、鞄にしまっていた携帯電話を取り出した。電源を入れてアプリを立ち上げると、先ほどまで気の抜けきっていた礼司の表情が変わった。
「織原、折角だしどっかよってくかー?」
「いや……ちょっと今日は帰るよ。用があってさ」
クラスメイトに背を向けて立ち去る教室。校庭に出たところで足を止め、携帯の液晶画面を見つめた。そこには“りんくる!”というアプリが起動しており、新しいメッセージがある事を伝えていた。
“りんくる!”は常時公開型のSNSを兼ねたチャット、通話ツールだ。故に礼司のアカウントを知っていれば、知り合いでなくてもメッセージを送る事は出来た。こうしてこの見知らぬ人物からメッセージを受け取るのは三度目で、その内容は徐々に無視出来ないものに変化しつつあった。
メッセージはどれも短文で、かなり一方的な物であった。一通目は“お前は何者だ?”と記されていた。当然、何かのイタズラだと思い込んだ礼司は気にも留めなかったのだが、数日後、また同じ人物からメッセージが送られてきたのだ。
――“笹坂美咲を知っているか?”
「知ってるさ……そりゃな」
三通目のメッセージを開くボタンに手をかけたまま足を止める。そうして意を決し、内容を確認する。そこでレイジは目を見開き、画面に釘付けになった。そこにはある一枚の写真。剣道着を着て無邪気に微笑む美咲。礼司の知らぬ彼女の姿があった――。




